第九章:しんしんと 雪のふる日は(予感)
お読みいただきありがとうございます。
物語はいよいよクライマックス、第9章。
季節は巡り、金沢に重たい雪が降り積もる頃。
土手のベンチから、あのおじいさんの姿が消え始めます。
「駄菓子屋のじいさんが亡くなった」
母の何気ない一言から、バラバラだった点と線が、雪に埋もれた記憶と共に繋がり始めます。
おじいさんは誰だったのか。
なぜ、あの鈴を僕にくれたのか。
手渡された一通の手紙が、物語の真実を照らし出します。
季節は、犀川の流れとともに休むことなく過ぎ去っていった。
あの日、土手でおじいさんと出会ってから、僕の視界は少しずつ、けれど確実に色づき始めていた。
僕はというと、相変わらず「とぼとぼ」と、けれど以前よりもしっかりとした足取りで、この街に息づく「誰か」を探し歩いた。
塾の帰りに、将来への不安を分け合った仲の良い友人。
兼六園で、何十年も先の景色を想像しながら庭木を整える職人さん。
金沢城の石垣を見上げ、遠い時代の風を感じようとしていた修学旅行生。
そして、地図を広げてこの街の迷路を楽しんでいる見知らぬ観光客。
これまではただの背景として通り過ぎていた人々の一人ひとりに、名前があり、悩みがあり、守りたい「設計図」がある。
彼らの孤独や喜びに触れるたび、僕のノートに引かれる線は太く、確かなものになっていった。
それはもう、ただの写生ではない。
この街で生きる人々の体温を編み込んだ、僕だけの強固な「世界の組み立て方」だった。
僕は誰かと出会うたび、新しい発見を抱えて土手のベンチへと向かった。
けれど、季節が秋から冬へと傾くにつれ、おじいさんがそこに座っている日は、日に日に少なくなっていった。
昨日会えたかと思うと、次は三日が過ぎ、また会えたかと思うと、次は一週間が過ぎる。
ベンチに一人の背中を見つけたとき、僕は駆け寄るのを堪え、ゆっくりと隣に立った。
おじいさんの肩は以前よりも少し小さくなったようで、吐き出す息は白く、頼りなさげに冬の空気に溶けていく。
「おじいさん、無理はしなくていいですよ」
僕は、厚くなったノートを鞄にしまった。
「僕には、このノートがあるから。会えたときに、話すことが多くなっちゃうかもしれないけど、その時にまとめて報告しますね」
おじいさんは僕を見上げ、少しだけ寂しそうに目を細めて笑った。
「……そうだね。ありがとう」
その声は、川のせせらぎに混じって消えてしまいそうなほど静かだった。
「寒くなると、どうも体の調子がよくなくてね。……君の設計図の続き、楽しみにしているよ」
それが、僕が聞いたおじいさんの最後の肉声だった。
そして――。
金沢の冬は、音もなく、すべてを塗り替えるようにやってきた。
空は低い鉛色に閉ざされ、湿った重たい雪が、街の音をすべて飲み込んでいく。
しんしんと。
その規則正しい沈黙の中で、僕は窓の外に灯る遠い明かりを見つめていた。
その明かりの数だけ、誰かの営みがあり、誰かの「ぬくもり」がある。
けれど、その静寂の向こう側に、僕は奇妙な胸騒ぎを感じていた。
雪が積もれば積もるほど、僕の「設計図」の始まりの場所である、あの土手の景色が、手の届かないほど遠いものになっていくような、そんな予感だった。
夕食の支度をする母の背中越しに、ふとした言葉が投げかけられた。
「そういえば……あんたが小さい頃によく行っていた、角の駄菓子屋のおじいさん。昨日、亡くなったみたいよ」
心臓が、ドクンと嫌な跳ね方をした。
なぜだかわからない。
けれど、言いようのない胸騒ぎが指先まで伝わっていく。
「……駄菓子屋の、おじいさん?」
「ほら、たまごくじがあったところ。あんた、ハズレの鈴をもらって大喜びしてたじゃない」
その夜、僕は窓の外でしんしんと降り積もる雪を見つめながら、眠れない夜を過ごした。
翌朝。
僕は祈るような気持ちで、雪に埋もれた土手へ向かった。
けれど、いつものベンチにあのハンチング帽の姿はなかった。
昨日までそこにあったはずの体温が、真っ白な雪に上書きされている。
僕はリュックの鈴を強く握りしめた。
放課後、僕は吸い寄せられるように、記憶の奥にあるあの駄菓子屋へと足を向けた。
色褪せたシャッターの前、一人の老人が立っていた。
第六章で出会った、あの左官屋のおじいさんだった。
「坊主、また迷子か?」
老人は、崩れかけた土壁を愛でる時と同じような、深みのある声で僕を呼んだ。
「……違うよ。ここのおじいさんが亡くなったって聞いたから、気になって」
左官屋の老人は、僕のリュックで小さく鳴った鈴に目を細めた。
「そうか。……坊主は昔、よくここで迷子になって泣いてたからな。ここのじいさんが見かねて、その鈴を渡したんだ。街に馴染めるようにってな」
その言葉が、僕の脳裏で火花を散らした。
土手で会っていたあの顔。
差し出された飴の、懐かしい甘み。
(……そうだ。あのおじいさんは、ここの……)
点と線が、一気に繋がった。
僕はなぜもっと早く気づかなかったのか。
あの土手の老人は、僕の幼い記憶の中にいた、あの駄菓子屋のおじいさんだったんだ。
「……中へ入って、手を合わせるか?」
左官屋のおじいさんに促され、僕は薄暗い店の中へと足を踏み入れた。
店の中では、親戚のおばさんだろうか、一人の女性が慌ただしく荷物の片付けに追われていた。
けれど、僕の姿を見るなり、彼女は手を止めた。
「あら……。もしかして、土手の子?」
おばさんは、驚いたように僕を見つめた。
「父が言っていたわ。『最近、土手で面白い設計図を描いている子がいるんだ』って。これを、あなたに渡してほしいと預かっていたの」
差し出されたのは、一通の手紙だった。
僕は震える指で、その白い封筒を受け取った。
第9章をお読みいただき、ありがとうございます。
ついに明かされたおじいさんの正体。
それは、主人公が幼い頃に「鈴」を授けてくれた、あの駄菓子屋のおじいさんでした。
金沢の「しんしんと」降る雪は、大切な音を消してしまうこともあれば、忘れかけていた記憶を静かに掘り起こしてくれることもあります。
手渡された一通の手紙。
そこには、おじいさんが主人公に託した最後の「設計図」が記されているのでしょうか。
次回、いよいよ最終章。
この物語がどこへ辿り着くのか、最後まで見守っていただければ幸いです。




