約束 上
吸血種達が住む街からの帰りは、再び自動車だった。
運転しているのはカウフマンだ。馬車や馬に乗っている姿は見た事があったが、自動車の運転席にいるのは初めてでなかなか新鮮だった。
ちなみに今回は車酔いはしていない。乗る前に酔い止めの薬をカウフマンから貰ったからである。
相変わらず準備が良いなぁなんて思いながら、ノエルは助手席に座っていた。
「カウフマン様も自動車の運転が出来たんですね」
行きと違って酔わないので、のんびり外の景色を楽しみながら話しかけると、カウフマンは「ええ」と頷いた。
「仕事上、これも必要な場合がありましてね」
「騎士団長のお仕事に、そんなのがあるんですか?」
「立場上、それなりの方の護衛を任される事も多いですからね。物珍しいですし、馬車と比べて速度が出ますし。あと酔いやすいので余計なおしゃべりを減らすには良い乗り物です」
相変わらず口が悪いなこの男はとノエルは思った。
ただ今はこんな事を言っていてもカウフマンは大人だ。他の人間の前ではこういう態度は取っているところは見た事がない。
ノエルだから気楽に話せるのか、単に猫を被らなくても良いからなのか、その辺りは分からないが。
「おしゃべりがお好きではないので?」
「おしゃべりと言うかご機嫌取りですね。自分の機嫌くらい自分で取ってもらいたいものですよ」
「あー、それは分かりますねぇ」
誓言の聖女という立場上、ノエルもそれなりの立場の人間を相手にする事がある。
そういう人間でも、半分は誠実だし優しい。ただもう半分はと言うと、傲慢で身分や立場を笠に着ているような輩ばかりである。
前者のような相手にはノエルも親切にしたい。しかし後者は出来れば遠慮したいし、誓言を終わらせてさっさと帰って欲しいという気持ちがある。
けれども、幾ら人間性を疑うような態度を取られても、そういう相手を怒らせるととても面倒な事になる。だからノエルも適当に合わせて、ご機嫌を取って時間が過ぎるのを待ったりもした。
カウフマンが一緒にいるので物理的に危険になった事はないが、精神的なものはごりごりとすり減る。
なのでカウフマンの気持ちはノエルにもよく分かった。
「まぁ大体の理由はそれと。あとは、そうですね……時代の流れです」
それからカウフマンは少しだけ間をあけてそう言った。
おや、と思ってノエルはカウフマンを見る。運転中のため、彼の目は相変わらず進行方向へ向けられたままだ。
「時代の流れとは意外なお答え」
「そうですね。……ですが、実際にそうですよ。時代について行くためにも、この技術は必須でした。子供の頃の私は自動車なんてものが出来るとは思いもしませんでしたし。これでも必死なんですよ」
カウフマンは笑ってそう言った。
必死なんて言葉をカウフマンから聞いたのは初めてだった。
そもそも、こう長く世間話をしたのもほとんどなかったな、とも思う。
何だか誓言の館を離れてから、珍しい事ばかりだなぁなんて考えていると、今度はカウフマンから「聖女様」と呼びかけられた。
「はい、何でしょう?」
「答え辛かったら構わないのですが、一つお伺いしたい事が。先ほどのクラナカン君と話していた『約束』とは何ですか?」
「あー、あれですか。ふふふ、あれはですね。クロテッドさんへの誓言が終わったら、遊びに行こうって誘われていたんですよ」
「遊び……ですか」
「そうですそうです。いやー、私てっきり社交辞令だと思っていたもので、驚いちゃって」
本気だったんですねぇ、なんてノエルは笑って返す。
話していると、あの時に感じた嬉しい感情も一緒に蘇って来る。
クラナカンの言う『今度』はノエルにはたぶん、もっとずっと先だ。気軽に外出なんてノエルの仕事上は出来ない。もし許可が下りたとしても、世間と吸血種達の溝が未は深いため、自分が関わったせいであの街に何かあっては困る。だから全部終わってからになるだろう。
だけど、それでも、あの言葉は心の底から嬉しかった。
「私が自由にあちこち動けるようになるのは三十近くですけど、その時まで覚えててくれたらいいなぁなんて思いました。あ、でも、その時にはクラナカンさんが結婚しているかもしれないし、そうなるとちょっとまずいかな……。この辺り、人生の先輩としてどう思います、カウフマン様?」
正直、世間とは離れて生きているノエルだ。その辺りの知識や距離感の把握は難しい方に分類される。
なのでとカウフマンに話を振ってみた。
しかし彼は答えず、そのまま自動車をゆっくり停止させた。
エンジンは掛けたまま、カウフマンはノエルの方へ顔を向ける。
「……聖女様。私はあなたに言わねばならない事があります」
「改まってどうしました? お説教の類ですか?」
「違います。……謝罪です」
ちょっと茶化すような物言いをしてみたが、カウフマンは首を横に振った。
真面目な顔だ。その顔を見ながらノエルは謝罪されるような事なんてあったかな、と首を傾げる。
すると、
「自由になったらと聖女様は仰った。ですが、それはないのです」
と彼は言った。
言っている意味がよく分からなかった。
「えーと、カウフマン様。どういうお話でしょうか?」
「聖女様もご存じでしょう。誓言の聖女が、騎士団長と恋仲になって、結婚をしたと言う話は」
「はい、大体はそうだって聞きましたね。ほぼ一緒に生活しているんですから、そうなったりもしますよねぇ」
「そうですね。ですがその認識は……ある意味では、正しくないのです」
カウフマンはそこまで言うと目を伏せた。
「聖女と結婚をする事。そのために聖女に好かれるように行動する事。――――それが騎士団長の仕事の一つなのですよ」




