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19話 控えめに言って最高の朝がきました

 

「せ、先生、すいません。急に倍速とか言われても……」

「その顔を見りゃ分かる」


 私はよほど残念な顔をしていたんだろうか。拓真は私の背中を掴んで、「全部理解しようとするな。いいか?」と続けた。


「異世界は、俺達にあわせて時間の速度を変えるんだ。深く考えずに、現実生活には一切支障が出ないってことだけを覚えろ。そのうち体で覚えるから安心していい。『百聞は一見にしかず』だ!」


 拓真の口ぶりはまるで、受験直前に根性論を説く予備校の熱血教師だった。言うまでもなく私は、合格判定Eくらいの落第生だ。

 とりあえず、異世界で初任給をもらったらアナログの腕時計を買おう……とほほ。


「でも、心が折れない……?」

「何で?」

「いくら夢とは言え、寝ても覚めてもエンドレスで働き続けるなんて」

「休日は好きに設定したらいい。客足の悪い日は当然あるし、現地の日雇い従業員もいるから」

「そうは言ってもやっぱり疲れるよ。体だってきついでしょ」

「と、思うだろ?」

「?」

「何も心配しなくていい。異世界暮らしを終えたら、ステータスを全回復状態にしてくれる便利なシステムになってるからな。だから俺は、このアパートに来てから一度も病気になったことがない」


 きちんと睡眠をとって、かつ体力をフルチャージしてくれるならむしろ健康なのか。

 大家さんってば、入居者を逃がさないように必死だな。




 ――チリンッ


「おっと、お呼びだ。団体さんかな?」


 甲高い鈴の音に、拓真の表情が一気に切り替わる。どうやら、お客様からのフロントコールみたいだ。


「悪いけど、片付けを頼んでもいいか?」

「うん。あのさ、雑用くらいなら私にも手伝えるけど」

「お気遣いなく。初日から色々あって疲れただろうし、先にログアウトしていいよ。0時の強制ログアウトを待ってもいいけど、外には出るな。夜は特に治安が悪いから」


 酒瓶を2本空にしたとは思えない口調でそう言い残すと、拓真は素早くドアから出て行った。その背中を眺めながら、私は口を歪める。


 いや、あのね……ログアウトできるものならしたいけど、方法が分からないんだよ。今からでもいいからチュートリアルが見たいよ、大家さーん……。


 はーーーー。

 私、ちゃんと6時に起きられるのかな。異動したばかりで無断欠勤なんかできない。もちろん遅刻だってしたくない。寝ぼけ眼で大きなミスでもしたら……あああ、怖いよーーーー!



 ◇



 ――ザリザリ、ザリ

 ――ガガガガガガガガガガ……


 いつもよりかなり分厚く、食パンにピーナッツバターを塗る。

 通販で買ったまま未開封だったミキサーも、とうとう初仕事を任されることになった。ベースの牛乳にリンゴとミカン、冷蔵庫の中でヨレヨレになっていたほうれん草を入れる。蜂蜜も奮発してドボドボ。

 スムージーなんてお洒落な飲み物は、私には一生縁がないと思ってたけど、なんとなく体力をつけないといけない気がしたんだ。


 ……でも、杞憂だったな。



 だって、私は今、


「これって絶対そうだよね。フルチャージ……だよね? 嘘みたい……」


 目が覚めた瞬間の爽快な気分は、言葉では表現できない。

 いつもなら目覚ましのアラームを呪いながらベッドから這い出す重たい体も、今朝は重力を感じなかった。と言うのはちょっとオーバーだけど。うん、確実に言いすぎた。

 でも、本当に違う。何の変哲もないいつもの朝の風景が、絵の具をいっぱいにしたパレットみたいに鮮やかに映ってる。


 本当に、拓真の言う通りだった。




 私はあの後、結局個室で時間を潰した。

 メモ用紙に就業規則をまとめ、時間の概念を円グラフのように書き殴っていたら、待ちに待った瞬間はあっと言う間に訪れた。


 ――午前0時。


 急に視界が暗転して、妙な浮遊感を味わった。掌にほんのり熱を感じた気もしたけど、一瞬のことでよく思い出せない。


 そうしてハッと気が付くと、私はきちんとベッドで横になっていた。

 入居一週間目にして初めてベッドで目が覚めたことに堪らなく感動したけど、それよりも無事に生還できたことが嬉しかった。


 かぶり付くようにスマートフォンの画面を見ると、時間はきっちり朝の6時。カレンダーの日付も、頭と体のコンディションも前評判通りだった。

 異世界であんなに長く、濃密な時間を過ごしていたのに……。



 夢じゃなかった。


 いや、私は確かに夢を見ていた。異世界の住人になる夢を。





「あっ」


 身支度を整えて、玄関のドアを開けたところで、私はぎょっとした。

 入居から一週間、不気味なくらい誰とも遭遇しなかったのに、ここに来てまさかの拓真を発見したからだ。


 うわー、本当にいた!

 うわー、リアルに実在したんだ……!


 階下の住人を見かけて抱く感想にしては素っ頓狂だけど、ファンタジーの登場人物としか認識してなかったから仕方がない。

 現実の背景で、両手にゴミ袋をぶら下げて歩いている姿が“普通の人間”すぎて、ものすごく違和感があるな……。


 私は隠密さながらに足音を殺し、階段を降りると、ごくりと唾を飲んだ。


「……おっ、おはようございます! ゴミ捨てですか?」


 緊張しすぎて、音量調節が上手くいかなかった。慌てて振り向いた拓真の目は、これでもかと言うほど大きく見開かれている。


「あ、ああ、朝比奈さんか。おはよう、さっきぶりだな」

「うん。なんか、あの、変な感じだね」

「最初は違和感があるよな……って、なんか顔が違わないか?」


 拓真はピンポイントで私の顔に違和感を覚えたらしい。私は苦笑して言った。


「そりゃ、仕事用に武装してるから。異世界ではほぼスッピンだったしね」

「随分重装備なんだなー」


 はいはい、どうせケバイですよ。

 でも、そう言う拓真こそ髪の毛は寝ぐせで爆発してるし、Tシャツとスウェット姿じゃない。制服のエプロンとデニムシャツがピリッとしてる分、こっちは随分ラフに見える。

 私がまじまじと観察していると、「寝起きだから勘弁して」と拓真は笑った。


「それにしても、随分とお早い出発で。職場が遠い?」

「ううん。通勤ラッシュがしんどいから早めの電車に乗ってるだけなの」

「あー、小粒サイズはそうやって自己防衛しないといけないのか。難儀だな」


 あっちでもこっちでも小粒小粒って。こいつめ。


「ほら、遅くなるぞ。行ってらっしゃい」

「……あ、うん」


 曖昧な返事をして、私は拓真の顔をじっと見る。


 ああ、黙って笑ってるとやっぱり綺麗な人だなぁ。背景の葉桜が朝日でぼやけて、まるでポートレート写真みたい。

 “同じアパートの住人、兼、異世界の同僚”なんて変な間柄だけど、こんなイケメンに見送ってもらえるなんて役得かも……。


 おっと、浸ってる場合か! 急がないとラッシュに重なっちゃう。


「気を付けてな」

「うん、行ってきます!」



 さーて、元気にエンドレス出勤を始めようか!


18話で離脱せず、読んでくださって嬉しいです。ありがとうございます!

引き続きよろしくお願いします。

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