古の調べ(11)
窓辺から差し込む明りと一番鶏の鳴き声。どうやら今日もさわやかな目覚めの朝を迎えたらしい。旅の暮らしが長いせいか、柔らかい寝床はどうしても寝つきがよくなりすぎるようだった。
「朝か……」
寝台から体を起こし、光の眩しさに目を細めたナルタセオは大きく背伸びをする。かつてこの世界とは異なる地で生まれ育った彼女にとって、この地で目にするすべては余りにも異質で大いなる刺激に満ち溢れていた。
今はもう戻ること叶わない在りし日の故郷を思い起こし、顔を曇らせた。やめよう、そんなことをするために生きているわけではないのだ。今はただ明るい未来を信じて生きていたい。それがあの子の望んでいたことなのだから――……。
上掛けを払い、寝台の横に足を下ろす。昨日は少し強めの酒も飲んでいたから、眠るときの記憶は定かではない。だからだろうか、何も身に着けていない。
「やれやれ、これではリュウメイやメイシャンのことは笑えないな。酔い覚ましに朝風呂にでも行くかな――」
そう呟きながら、近くに置いた荷物の中から、着替えを取り出し身に纏う。衣類の多くは昨日、リュウシュンに預けてある。いつものことなのだが、彼女の好意でたまった洗濯物を洗ってもらっているのだ。
そこまでしてもらうつもりはないと断るのだが、
「あなたは大事な客人ですから、この村にいるときくらいはゆっくりしてください」
と笑顔で押し切られてしまう。強引だが、人のいい彼女の配慮にいつも甘えてしまうのだ。今朝も宴の返礼とばかりに姫長メイシャンの発案で、朝食をリュウ家に招待されている。そのうち、リュウシュンが迎えに来るだろう。
「さすがにだらしない恰好は見せられないな」
リュウ家には小さい子供たちもいる、二人ともメイシャンに似てかわいい盛りだ。ふっと笑顔を浮かべながら、寄り合い所の外に出たその時、ナルタセオに耳に懐かしい音色が響き渡った。
「これは――……」
朝日に照らされた東の峰の頂きに視線を向けると、そこに人影らしきものを見つけた。常人よりはるかに優れた五感を持つ原初の種族たるナルタセオはそれを見出したのだ。
「あの二人か……、ちょうどいい。退屈しのぎにはもってこいだ」
ナルタセオは笑顔を浮かべると、目を閉じて心を研ぎ澄ます。それと同時にリュウフォンとは異なる音色が静かに響き渡り、次の瞬間彼女を中心に風が渦巻き、その体は忽然と消え失せた。あとには風と旋律の余韻だけが残るばかりだった――。
… … …
「うわ――、なんか体がだりぃ……」
朝日に照らされた東の頂、いつもの場所でリュウレイは首を鳴らしながらつぶやいた。昨日は少し無理をしすぎたかもしれない。それだけ、村人相手の料理とは体力を使うものなのだ。
そんなリュウレイを気遣うように隣に座るリュウフォンは手にした包みから、お菓子を取り出してリュウレイに手渡した。
「ふふ、お疲れさま。はい、これ今日のお菓子」
「またリュウシュンにもらったのか……でもありがとうな、フォン!」
「どういたしまして」
そっと微笑むリュウフォンの向こう側に昨日目にしたのと同じく風の渦が生まれた。静かな調べを思わせる音色とともに褐色の歌姫ナルタセオが何もない宙から姿を現し、岩場に降り立った。
「ナルタセオ! もう起きたのか?」
リュウレイが声をかけると、こちらを見たナルタセオは笑顔で答える。
「ああ、朝風呂に行こうと思ったんだがリュウフォンの調べを耳にしたんでな。ここまでやってきたというわけだ。それにしてもいい眺めだな、村の方が一望できる……」
峰々を吹き抜けるひんやりとした風に吹かれながら、リュウフォンの叔母は雄大なその景色に見入っていた。
「はい、これ上げる」
「これは?」
リュウフォンが差し出した焼き菓子の包みを受け取り、ナルタセオは不思議そうにそれを眺めていた。
「リュウシュンのところで旅人向けに売っているお菓子の残りだよ。あいつ、義姉さんや子供たちのために焼いてたお菓子をそのまま商売にしているんだよ」
「ふふ、大した商売魂だな。どれ、私も食べてみるかな」
そういって、焼き菓子を口に運ぶナルタセオ。意外にかわいいそのしぐさにリュウレイとリュウフォンは二人顔を見合わせて、笑い合う。
「うん、なかなかうまいな。……二人ともどうかしたか?」
自分を見て笑うリュウレイたちに首をかしげる叔母の姿に、リュウフォンはなんでもないと誤魔化していた。
「この村はいいところだな、何度来ても飽きることがない。商売を別にしても、ここが私の第二の故郷なのかもしれんな――」
お菓子を食べ終えたナルタセオは、リュウレイたちの近くに腰を下ろしそうつぶやく。
「そうだね、私もそう思うよ。ナルタセオ-……」
よく似た叔母と姪、二人の会話にリュウレイは静かに耳を傾けていた。すると、ナルタセオが横目でリュウレイの方を見て、ふっと笑った。それから彼女は立ち上がり、リュウフォンを誘う。
「お前と話していたら、故郷のことを思い出した。久々に『風比べ』をしてみるか」
「『風比べ』って何だ?」
聞きなれない言葉にリュウレイが疑問を抱くと、リュウフォンが困った表情でそれに答えた。
「それはね、まだ風にうまく乗れない子供たちの遊びなんだよ。自分の力をうまく使い、風の精に呼びかけながら競い合って力の使い方を学ぶ。本当にただの遊びなんだけど……」
「いい大人が何でいまさら……」と呆れた様子で、リュウフォンもふわりと浮かび上がる。彼女の身に纏う薄い白の布地が風にひらひらと舞い、朝日を受けて照らされていた。
「だからこそだ、お前は一族でも抜きんでた風の歌い手。だが、私も長の娘に生まれたもの。短時間の風比べならば、まだまだお前に負けはしないぞ」
「面倒くさいな――」
この村に来てすっかり甘やかされたリュウ家の末娘は顔を曇らせた。リュウレイは興味を抱くものの、二人を止めるべきかどうかわかりかねた。危険はなさそうだし、やらせても問題はないだろうが――。
「心配するな、リュウレイ。風にうまく乗り、相手の背後を取った方の勝ちだ。単純な遊びに過ぎないがな」
「だからなんで私がそんなことをしないといけないの?」
多少不機嫌になりながら、リュウフォンが口をとがらせる。ナルタセオは彼女を挑発するように歩み寄り、その豊かに実った胸を姪に押し付けた。柔らかそうに形を変える二人の胸元にリュウレイの視線がくぎ付けとなる。
――おいおい、こんなところで何を始めるつもりだ。このけしからん奴らは……。
なぜか、姉のリュウシュンの悔しがる顔が思い浮かぶが、その理由はわからなかった。
「いや、リュウフォンも村の暮らしで無駄な肉がついているから、逃げるのかと思ってな」
「――いいよ、後悔しても知らないからね!」
「そうこなくては面白くない、それでこそ私の姪というものだ」
すっかりやる気になっている二人を前にリュウレイは流れに任せることにした。




