古の調べ(2)
風に揺れる大樹の枝葉の先に群れ為していた小鳥たちが一斉に飛び立っていく。ちょうど、大きな雲が強い風に流されて、谷間を通り抜けた瞬間の出来事だ。隣ではリュウレイが持ってきた昼食をおいしそうに頬張るリュウフォンの姿がある。
いつも楽しそうに歌う風詠みも今は休憩中。リュウレイがフォンのところに来るのは、工房の喧騒から解放されて心身をゆっくり休ませるためでもある。それだけ、リュウフォンの奏でる歌声には人を安らかにする力が込められていた。
穏やかな時の流れに思いがけず、睡魔が襲ってくる。今日はそれほど忙しくないとはいえ、独り立ちの儀に臨む準備もある。気を抜いている暇はないのだが、それでもこの安らぎにあらがうのは難しそうだ。
大きく息を吐きだしたリュウレイはとろんとした目でリュウフォンを見た。
「眠いなら、少し寝ていけば? あとで私が起こしてあげるから」
「よく出来た嫁だな……」
「……本気にしちゃうよ?」
「フォンなら大歓迎だ……」
甘めの果実酒を口に含んだリュウフォンが面白そうに笑うのを目にしたリュウレイはそのうち、すうすうと静かな寝息を立て始めた。彼女の傍らに移動し、その頭を愛しそうに撫でるリュウフォンは目の前に広がる雄大なる自然の風景に心を奪われていた。
少し前、リュウレイがいつものように昼食を持ってきてくれた時から胸騒ぎがしていた。なぜなら、風の中に聞き覚えのある懐かしい響きが混ざり合っていたからだ。それは今では会うことの少なくなった叔母のものだった。
リュウフォンは彼女のことが苦手だった、あまり関わりたい相手ではない。リュウレイから彼女の来訪を聞いた時も当たり前のことのように聞き流したくらいだ。いつものように彼女は村の寄り合い所に滞在して、この村で商談を進めるつもりなのだろう。
リュウオウたちは彼女の話が大好きだし、特に自分の知らない外の世界の話は子供たちにとって大きな興味の的だ。母のメイシャンはあまりいい顔をしないものの、子供たちが好むことを嫌とは言えないだろう。
それにフォンもリュウオウたちのことはとてもかわいいし、家族としても深く愛していた。なるべくなら、いつもそばでその成長を見守っていたかったし、同じ時を生きていたい。
「会わないわけにはいかないかな……」
一族の者に会うのが苦手なのはなぜだろうと自分でも不思議に思うことがある。リュウレイや父と慕うリュウゲン、それにリュウ家の人々はリュウフォンにとってかけがえのない人たちだ。彼らのためなら、リュウフォンはなんでもできるし一緒にいてこれほど心の安らぐことは今までなかった。
しかし、同じ血の通った一族の者はわけが違う。彼女たちは皆それぞれ自由奔放に生きるだけだ。とても、同じように生きたいとはリュウフォンには思えなかった。
「フォンは私の大事な家族だ……」
傍らで眠るリュウレイが寝言を口にした。思はず微笑んだリュウフォンはそうだねと小声でつぶやき、リュウレイの短い前髪を手でたくし上げ、そっと口づけする。
「でも、私はリュウレイのこともっと大好きなんだから、それを忘れないでね?」
相変わらず目を覚ます気配のないリュウレイとともに森を吹き抜けるそよ風を感じていると、リュウフォンの肩に一羽の小鳥が舞い降りた。青と白の模様を持つ美しい鳴き声を持つ鳥だ。くりくりと黒く輝く小さな瞳でリュウフォンの方をじっと見つめている。
「そっか、そろそろ工房も仕事が始まりそうなんだね。教えてくれてありがとう、リュウレイを起こしてあげないとね」
リュウレイの身体を揺さ振り、フォンが声をかけるとリュウレイは体を思いっきり伸ばした後、ようやく目を覚ました。
「うあ――……、熟睡してたな。頭が重いや」
「村の方に戻った方がいいよ、私も村長のおじいちゃんのところに行くから一緒に戻ろ?」
「そうだな、眠気覚ましに歩いていくか!」
起き上がったリュウレイは、折り慣れた枝を伝い見事な身のこなしで大樹の根元に飛び降りていった。
「元気だね、リュウオウより子供みたい」
リュウフォンが思わず笑うと、下で待つリュウレイが声を上げて手招きする。
「お――い、早く行こうぜ! ちょっと寝すぎたみたいだからな!!」
「は――い、今行くよ!」
リュウフォンは返事をすると肩に止まっていた小鳥に頷く。すると小鳥は何事もなかったかのようには羽ばたいていった。
時々、食堂で余った餌を自分たちにくれるリュウレイにはなついているものの、直接言葉を交わすことが出来ない小鳥はフォンを介して恩返しのようなことをしているつもりらしい。当のリュウレイはそんなこととは露知らず、のんきに欠伸を噛み殺していた。
その後姿に込み上げてくる笑いを抑えるのに苦労しつつ、リュウレイの後ろに続いた。リュウレイが叔母ナルタセオの来訪を告げた時から、頭の片隅に不吉な予感めいたものが湧いていたのも事実だ。単なる思い過ごしであればよい、そう思う。
しかし、リュウフォンの一族においては古来より風はあらゆるものをもたらす存在であると言い伝えられていた。それは豊かな繁栄の源であったり、ときには人を死に誘う災いをもたらしもする。
風の調べは古の調べ。それがこの世の始まりより、風の民が受け継いできた真実であった。
先を行くリュウレイと他愛のない話に笑顔を浮かべたリュウフォンは森の境界から鍛冶師の村に出た。そして、農作業に勤しむ人々の姿を瞼に宿したフォンは風に揺れる前髪をかき上げて村の風景に目を細めた。
それはリュウフォンが望むありふれた幸せに満ちた人々の暮らしが織りなす眩しい光景だった。




