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KAISEの憂鬱―IDOL

お題:何かの修道女 制限時間:2時間 http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=265710

 アルバイトに来ているみゆきという高校生の女の子は、事務所の大型アイドル「ROMANCE」のメンバー・KAISEが連れてきた子である。

 KAISEが酔っ払って持ち帰った縁で事務所で働き始めたのは、公認の秘密。

 どうやら、KAISEが高校生のみゆきに懸想しているらしいというのも、公認の秘密。


 あの貝瀬昭雄(29)が。


 どう考えても犯罪だろう。

 と、「ROMANCE」ファンクラブ事務室室長の麗香は胸の内で毒づく。


「麗香さん、できました」

「ああ、見せて」


 みゆきがファンクラブ旅行の名簿を整理して持ってきた。

 麗香はそれにざっと目を通し、「これ」と指差した。


「連絡先、家の電話だけだと本人に繋がらないかも知れないから、携帯電話の方も入力し直してくれる?」

「は、はい!」

「できるかぎり、本人と連絡をつけるときに、支障がないものを作ってって言ったでしょ」

「すいません・・・」


 ノンフレームの眼鏡越しに、きりっと睨み上げるとみゆきはしゅんとする。

 自分のキツい顔立ちも、口調の強さもよく分かっている。


 まあ、でも少しくらい意地悪は許して。


 ふっと表情を和らげて、みゆきに優しく言った。


「ちょっと休憩しなさい。ずっとパソコンと睨めっこしていたんでしょ。冷蔵庫に苺大福あるから、お茶でも淹れて食べて」

「いいんですか?」

「どうぞ。というか、少しは休まないと息切れしちゃうでしょ」


 おどおどしていたみゆきが、にこりと笑った。


「ありがとうございます」


 黒目がちの瞳、柔らかい印象の美人顔。大人になったら、もっとよい顔立ちになるだろう。

 笑うと可愛い。


 まあ、KAISEの趣味はいい方なんじゃない。いい子だし。


 これでも、みゆきの仕事ぶりは認めている。高校生にしてはよくやっている。

 追い詰められているせいだろうか。みゆきは親に捨てられ、奨学金で高校に通い、寮に住んでいるという。アルバイトでも一生懸命しなければ、ほとんど収入はないといっていいらしい。絵に描いたような苦労人だ。

 世の中に、こんなに苦労する高校生がいると、初めて知った。

 高校生にしては、よくやっている。逆に、それくらいしないと、生きていけないのかもしれない。


 みゆきが苺大福の箱を持って来て、皿にとりわける。

 お茶を淹れる段になって、「麗香さんはいりますか」と訊ねられ、気まぐれに「もらおうかな」と答えた。

 事務所はファンクラブ旅行の準備で大わらわで、ほとんど出払っている。今、事務室内にいるのは麗香とみゆきだけだった。

 休憩室のテーブルで、みゆきはきちんと「いただきます」と言ってから苺大福を食べ始めた。


「おいしい」

「そう。よかった」

「いつもありがとうございます。麗香さんが持ってくるお菓子、すごくおいしんです」

「大袈裟よ。実家が洋菓子と和菓子を両方やっている店なの。それでよく持ってくるだけよ」

「ええ!そうなんですか」


 ふと思い出した。

 そういえば、実家の菓子店に、彼はよく来ていたのだった。


 事務所内に流れている音楽が切り替わると、「あっ」とみゆきが嬉しそうにした。


「KAISEさんの曲だ」


 イントロだけでよく分かるな、と麗香は思う。

 KAISEは時折ROMANCEの曲を作ったり、詞を書いたりする。

 ファンクラブの事務をやっているんだから、ROMANCEのことは麗香も好きだ。

 それでも、長年ファンをやっている惰性がないというか、みゆきの反応の良さはファンになり立ての鮮やかな感性を窺わせる。

 私もこういう頃があったな。

 みゆきを見ていると度々、自分の昔の頃を思い出す。


 みゆきは曲に合わせて体を揺らす。



  聞いて 聞いて 秘密のおはなし

  届け 届け この思いを

  百倍にして返してあげる

  君の好きが僕のシアワセ



「甘ったるい歌詞ね」


 あはは、とみゆきは笑った。


「私はKAISEさんらしくて、好きです。優しいです」


 昔の自分とは違うところ。

 みゆきは正真正銘、KAISEが大切な人であるということ。

 悔しいとも思わない自分が、なんだか悲しい。




 そう、KAISEはアイドルになる前、よく麗香の実家の菓子店に来ていた。

 格好良いな、と思っていた。バンドのボーカルをやっているとすぐに分かった。いつもマイクスタンドを道具入れに入れて背負っていた。

 甘党らしく、二週間に一回、ケーキを食べるのを楽しみにしているらしかった。

 金髪に染めた、長い前髪から覗く目はキラキラしていたけれど、いつもむっすりしていたからクールな人だと思っていたし、バンドのライヴにこっそり行きはじめても、そのイメージは変わらなかった。

 ナルシスティックに歌う美麗な姿に忽ちファンになった。


 KAISEのファンは多かった。

 バンドのライヴに来るファンの半分以上がKAISEのファンらしいと分かったときは、正直戦慄したものだ。

 だけど、麗香はその他大勢のファンとは違う、優越感があった。

 何せ、KAISEは実家の菓子店の常連客なのだ。

 それを知っているだけでも、他のファンと自分は違うと思っていた。


 二、三年はバンドのライヴに通い続けた。

 KAISEは好きだったけれど、バンドの曲はそれほど好きではなかった。

 クールで、美麗なKAISEがいるから行っているようなもので、曲はライヴを盛り上げるために聴いているようなもの。

 それが顔ファンといって嫌われる人種だとは知っていたけれど、どうでもよかった。

 麗香は「KAISEの彼女になりたい」と思っていた。


 ところが、バンドはある日解散した。

 バンドのメンバーはKAISEだけを外した形で別のバンドを組んだ。

 どうやら、長い間、KAISEだけにファンが大勢つくことに、メンバーはかなりコンプレックスを募らせていたらしい。

 KAISEは一人ぼっちになった。


 そのとき、応援したファンの一人に、麗香は入っている。

 また歌って。ライヴやって。どこに行ったって、KAISEのファンだ。

 手紙を書き、寄せ書きを渡し、セッションでボーカルをやるときは必ず観に行った。


 ありがとう。


 KAISEがそう言って微笑んだとき、失神するかと思うほど嬉しかった。


 苦労の末、KAISEは今の事務所の社長と出会い、アイドルグループに入ることになる。

 バンドじゃねーのかよ!と多くのファンから突っ込まれたけれど、KAISEについていったファンはそれでもいた。


 麗香はそのとき、もっと直接的にKAISEを支えたいと思って、事務所の社員になった。

 よくまあ、ファンを事務所に迎えたと思うけれど、その頃は人も金も事務所にはなかったので、所属アーティストのために身を粉にして働く人材が必要だったのだと思う。


 これで晴れてKAISEのそばでKAISEのために働けるそしてあわよくば―――そう思っていた麗香の前に、思わぬ落とし穴があった。



 きっかけはレコーディングのとき。

 差し入れを持ってでかけたら、KAISEが泣いていた。

 驚いて、宥めているROMANCEのメンバーに訊ねたら、「歌詞に感動したんだって」と言った。

 歌詞はごく平凡な応援歌だったけれど、クールな歌詞をクールに歌い上げていたKAISEとのギャップに麗香は衝撃を受けた。


「俺、今度はこんな歌詞書けるようになるんだ!!」


 あまりクールじゃない感じ、というか感動屋さん丸出しでこう宣言していたのにも驚いた。


 また別の日に、ダンススタジオに行ったら、KAISEが鏡におでこをつけて縮こまっていた。

 スタッフに訊ねたら「出来ないステップがあって落ち込んでいるらしいです」と言った。


 クールに何でもこなすKAISE像がこのとき、ガラガラと崩れ落ちた。


「すねてねーで練習するぞ!!」

「練習しないとできないようにならないから!頑張ろう、カイちゃん!」


 このときもメンバーに物凄く宥められていた。



 事務所にいるときは、床のコードに足を引っかけるし、熱いお茶を零して大慌てしているし、当たった宝くじ(200円)を自慢しているし。

 飲み会で酔っ払って帰った後に、どうやって持って帰ったのかは不明だが、美容院の看板を持ちかえっていたとめちゃくちゃ焦っていた。

 そんなKAISEを見るにつけ、麗香は自分のどんどん気持ちが冷めていくのを感じていた。


 何これ。ただのガキじゃん。


 完全にKAISEを見る目が変わった。



 それでも、不思議なもので、ステージの上のKAISEは、アイドルだろうとオフはガキだろうと、変わらぬ『KAISE』だった。

 衣装に身を包み、スポットライトを浴びて、歌をうたう。

 ナルシスティックで、でも魅力的で、輝いていた。


 ステージの上のKAISEが好きであっただけで、別に人間としてのKAISEを自分は求めていたわけではなかった。


 容易にその答えに麗香は辿り着き、打ちひしがれたけれど、やっぱり、KAISEを、KAISEのいるROMANCEを、支えたい気持ちは変わらなかった。

 もっと、ROMANCEの良さを伝えて、ROMANCEを愛する人たちに、その魅力に触れて欲しいと思った。

 いつの間にか、それが人生になっていた自分自身のように、人間の魅力を通して素敵なものに憧れる心をつくりたいと思った。


 KAISEの人となりを知ってから、ROMANCEの初ライヴを観たとき。

 初めて麗香は、「私って、KAISEの歌が好きだったんだな」と気付いた。

 顔が好き。姿が好き。でもそれだけなら、ライヴに行く必要などなかったのだ。実家の菓子店で、KAISEを待っていればよかった。

 やっぱり、歌っているKAISEが、一番好きだったのだ。




 アイドルに群がる人々を見ていると、まるで、宗教のようだと思う。

 憧れ、崇拝し、人生を共にしてしまう。

 たまたま自分は近くにいてしまっただけ。

 彼女になりたいと思っていた頃は、KAISEと恋をすることばかり考えていたけれど、今は多くの人にKAISEに恋をしてもらいたいと思う。

 修道女のように控えて、ROMANCEというアイドルグループを愛しながら、ROMANCEが愛されるように尽力する。



 そんな風に、ファンクラブの事務には、自分のようなROMANCEのメンバーのファンがいるので、実際にほんのり恋が漂っているみゆきを見ていると、正直ハラハラすることがある。

 彼女になりたかった、自分としては悔しい気もする。

 でもそれは単に、事実が悔しいだけで、本気でKAISEと恋がしたいわけではない。

 過去が未だに燻ることがあるだけだ。

 ガラガラと崩れ去った虚像は、やはりどうしようもない。

 憧れは、憧れに過ぎないのだ。



「おいしかった。ごちそうさまでした」


 みゆきが苺大福を食べ終わったのを見て、麗香は微笑んだ。


「それね」

「はい」

「KAISEが昔、よく家に買いに来ていたの」

「・・・ええ?!そうなんですか!」


 素っ頓狂な声を上げて、少し考える素振りを見せるみゆきを眺める。


 だけど、やっぱり少し悔しいから、いじめちゃう。


「KAISEさんに、後で苺大福届けてあげて。きっと喜ぶわ」



 ほら、話をしに行くきっかけをあげるから。

 話しておいで。



 意地悪な気持ちと、年長者として恋を応援したい気持ちが、複雑に絡み合う。

 麗香は結構、自分のこの感情を、楽しんでいる。



 きっとKAISEは、麗香の実家に来ていたなんて、露とも知らないだろう。

 それでいい。

 その思い出の欠片は、麗香だけのものだ。

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