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金と飯と色恋のために魔王軍を全滅させたら、なぜか人類の救世主として崇められている件  作者: 臥裳斗真


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第1話「救世主じゃない。金貨五百枚だ」


 金がない。


 正確には、銅貨が七枚と銀貨が二枚だけ残っている。


 ミラ・ヴァーミリオンは宿屋《銀の匙》の二階、朝日が差し込み始めた客室で、その九枚を小机の上へきっちり並べていた。念のためもう一度数える。銅貨が七、銀貨が二。変わらない。もう一度数えても、やっぱり九枚だった。


「……ない」


「何がだ」


 背後から声がした。振り返ると、二つあるベッドの片方でゼノ・クロウが寝転がっている。

 黒に近い銀髪が枕の上で乱れ、肩口まで伸びた髪の隙間から鋭い目がこちらを見ていた。無駄に整った顔に、旅人にしてはやけに上等な黒い外套。寝起きですら腹が立つほど様になる男だ。


 顔だけなら。


「金」


「くだらん」


「くだらなくない!」


 ミラは財布を投げた。ゼノは起き上がりもせず、片手でそれを受け取る。中を覗いて、ようやく少しだけ眉を動かした。


「本当にないな」


「誰のせいだと思ってんのよ」


「俺ではない」


「昨日の酒場!」


「酒場がどうした」


「知らない女三人に酒奢ってたでしょうが!」


「知らない女ではない」


 ゼノは至極当然のように言った。


「三人とも美人だった」


 ミラは三秒黙った。


「名前は?」


「知らん」


「知らない女じゃん!」


 昨夜、宿へ戻る前に立ち寄った酒場で、ゼノは隣の卓にいた女性三人分の勘定まで勝手に払った。理由を聞いたら美人だったから、と返ってきた。それだけだった。


「美女との出会いに金を惜しむ男は三流だ」


「その結果、宿代払えなくなってる男は何流?」


「超一流」


「死ね」


「朝から物騒だな」


「誰のせいよ」


 ミラは硬貨を財布へ戻した。宿代を払えば残りはほぼ消える。朝飯まで食べたら完全終了だ。本来なら昨日受けた小さな依頼の報酬がまだ残っているはずだった。酒代さえなければ。


「今日中に稼ぐからね」


「そうか」


「何、その完全に他人事みたいな返事」


「他人事だからな」


「財布共用!」


「なら俺の金でもある」


「ないけどね!」


「そうだな」


 認めるな。殴りたい。ただしゼノを殴ったところで金貨は湧かないし、そもそもまともに殴らせてくれるとも思えない。



 階下へ降りると、さらにひどい現実が待っていた。


 肉である。


 食堂の厨房で厚切りの肉が焼かれていた。熱した鉄板へ脂が落ち、そのたびに香草と焦げた脂の匂いが立ち上がって、狭い食堂の隅々まで行き渡っている。


 ぐう、と腹が鳴った。


 ミラは無言で腹を押さえる。金のない朝に限って、どうして肉というものはこんなにいい匂いをさせるのだろう。


「食うか」


「食わない」


「腹が鳴っているぞ」


「鳴ってない」


「聞こえた」


「幻聴」


「便利だな、その耳は」


「耳じゃなくてあんたの頭の問題」


 そんなやり取りを無視して、ゼノは食堂の椅子へ堂々と座った。


「主人。肉を二つ」


「頼むな!」


 厨房から出てきた《銀の匙》の主人が、太い腕を組んだまま二人を見る。非常に分かりやすい顔をしていた。先に金を払え、という顔だ。まあ、正しい。


「昨日の宿代もまだなんだけどね」


「今日払う」


「昨日も聞いたよ」


「今日は本当に払う」


「根拠は」


「これから作る」


「根拠ないじゃないか」


「作るって言ったでしょ」


 人間、追い込まれると強くなるものだ。特に財布が空の時は。


 主人は深いため息をついた。


「夕方までだよ。払えなかったら働いてもらう」


「分かった」


「お前が?」


「こいつが」


 ミラは横のゼノを指差した。


「なぜ俺が」


「宿代使ったのあんたでしょうが」


 主人がゼノの体格を上から下まで眺める。


「薪割りなら役に立ちそうだね」


「俺を何だと思っている」


「宿代を払ってない客」


「正しい」


「そこで納得すんな!」


 これ以上ここにいたら、本当に薪割り要員として確保されかねない。ミラは空腹を抱えたまま、ゼノの腕を引いて宿を出た。



 地方都市ラドネの冒険者ギルドは、朝から混んでいた。


 西方戦線から少し離れた交易都市だけあって、商人も冒険者も多い。入口近くには荷運びの依頼を探す若者が固まっていて、酒場側では夜通し飲んでいたらしい冒険者が机へ突っ伏している。


 腕を吊った男が壁際に座っていた。その隣で、旅商人が荷を解いて数を数え直している。


 ミラはそんな人々を横目に、入口右側の依頼掲示板へ向かった。見る場所は決まっている。仕事内容、危険度、所要日数。そして何より、報酬。


「薬草採取、銀貨八枚」


「安い」


「商隊護衛、金貨十二枚」


「安い」


「大型魔獣の討伐、金貨四十枚」


「少ないな」


 横からゼノが言った。


「あんた基準で言わないで」


「俺の基準以外を知らん」


「じゃあ知って」


 金貨四十。悪くはない。宿代を払い、保存食を買って、旅用の外套を新調する。残れば肉。いや、肉は最初から確保する。


 そう考えながら次の依頼へ目を移したところで、掲示板の端に貼られた赤い紙が視界へ入った。戦時高危険度依頼。


《西街道旧遺構・魔王軍補給拠点排除》


 推定兵力、二十〜三十。目的は物資集積所の破壊、駐留部隊の排除、周辺街道の安全確保。備考欄には、数日前より偵察情報に欠落あり、とある。


 そして報酬。


 金貨五百枚。


 ミラの目が止まった。


「……これ」


 依頼書を剥がす。ゼノが横から覗き込んだ。


「安い」


「五百枚よ!」


「五百程度で魔王軍と遊べというのか」


「昨日の夜まで知らない女に酒奢ってた奴が相場語るな」


 受付へ持っていくと、女性職員は依頼書を確認したあと、二人の顔を見て、少し嫌そうな表情になった。失礼である。たぶん正しい。


「一応言っておくけど、危険度はB相当以上だからね」


「五百枚」


「最近、偵察へ出た冒険者から情報が上がってないの」


「五百枚」


「……聞いてる?」


「聞いてる。二十から三十。情報欠落あり。五百枚」


「最後しか頭に残ってないでしょ」


「そんなことない」


 半分くらいは残っている。


 受付がゼノを見た。


「止めて」


「無理だ」


「でしょうね」


 職員は諦めたように帳簿を開いた。


「二人なら受注条件自体は満たしてる。ただ、現地情報が古いの。増援が入ってる可能性もあるから、危ないと思ったら戻ってきて」


「分かった」


「ほんと?」


「五百枚を取れそうになかったら戻る」


「自分の命で判断して!」


「命より高い?」


「比較するな!」


 近くで聞いていた冒険者たちから笑いが起こった。


「あいつら行くのか」


「また何か壊すぞ」


「今回は魔王軍だ。むしろ壊していいだろ」


 最後の一言には同意したい。まだ何も壊していないけれど。まだ。


「それで、どうする」


 ゼノが聞いた。


「受ける」


「即答か」


「宿代、飯、装備、魔晶石。全部まとめて解決する」


「酒もだな」


「それはあんたの取り分から」


「俺の取り分など存在したのか」


「あるよ!」


「なら今くれ」


「昨日の酒代引いたらマイナス」


「ではお前が払え」


「何で!?」


 受付が額を押さえていた。


「……本当に大丈夫かな、この二人」


 その疑問には、誰も答えなかった。



 ラドネの西門を出て、街道を進む。目的地は街道沿いの小村ベルクを越えた先で、二人の足なら村まで半日もかからない。


 空は晴れていて、道も平坦だった。周囲は低い草原と疎林で、遠くまで見渡せる。今回の依頼だけを考えれば、悪くない条件だ。


 半刻ほど、二人とも何も喋らなかった。ミラは頭の中で報酬の使い道を三度組み直し、三度とも肉から始めた。


「何を睨んでいる」


「別に」


「腹が減ったか」


「それは減ってる」


「なら先ほど食えばよかっただろう」


「誰のせいで食えなかったと思ってんのよ!」


 どうしてこんな男と旅をしているのか、たまに考える。強い。それだけは本当だ。



 昼前、ベルク村へ着いた。


 人口百人少々の小さな農村だった。木造家屋が街道沿いに並び、小さな広場に井戸があり、その向こうには畑と家畜小屋が見える。食堂兼酒場もあった。


 ミラの目がそこへ吸い寄せられる。


「飯」


「依頼はどうした」


「腹が減って戦える?」


「俺は戦える」


「あたしは嫌」


 扉へ向かって、止まった。閉まっている。


「……休み?」


「今日は運がないな」


「昨日からでしょ」


 扉には営業休止の札が下がっていた。仕方なく、近くで木箱を直していた老人へ声をかける。


「食堂、今日は開かないの?」


「ああ。食材がないんだよ」


「何で?」


「魔王軍に持っていかれた」


 ミラの眉が動いた。老人は二人の装備を見る。


「冒険者かい?」


「一応」


「西の遺構へ行くのか?」


「そのつもり」


「なら、あそこにいる連中だろうな。ここらの村から食料を集めてる」


「肉は?」


「……肉?」


「肉も持ってかれた?」


「家畜も干し肉も、ずいぶん持っていかれたな」



 老人と話していると、近くの家から若い女が木桶を抱えて出てきた。二十歳くらい。栗色の髪をひとつに結び、袖を肘までまくっている。


 ゼノの視線が動いた。ミラには嫌な予感しかしない。


「孫娘か」


「ロッタだが」


「ロッタか」


「何」


 ミラが先に聞いた。


「別に」


 ゼノはもう女の方を見ている。


「名は聞いた。俺はゼノだ」


「聞いてないです」


 強い。ミラは少しだけロッタを見直した。


「西へ行くんですか」


 今度はロッタの方から聞いてきた。


「そう」


 ミラが答える。


「魔王軍のいる遺構」


「やめた方がいいですよ」


「危ない?」


「危ないというか……変なんです」


 ミラの耳が動いた。ゼノはまだロッタの顔を見ている。たぶんこの男は、今の一言を情報として聞いていない。


「何が変なの」


「兵士の数です。昼は二十人くらい。でも」


 ロッタは少し考えた。


「夜になると、もっと荷車が来ます」


「増援?」


「分かりません。ただ、荷を積んでるだけかも」


「何を積んでる」


「食料とか、樽とか。うちから持っていかれた物も」


「遺構に入る?」


「正面からは入らないです」


 ミラが止まる。


「どこから」


「知らないですけど」


 ロッタは西の山際を見た。


「夜に、あっちへ行くんです」


 旧遺構とは少しずれている。北西、木の多い斜面だ。


「道あるの」


「昔の水路跡があります。今は使ってないけど」


「水路」


「祖父たちは《西の抜け》って呼んでます」


 ミラは頭の中で位置を組み直した。表の補給基地、夜だけ来る荷車、正面には入らない動き、古い水路。


「……なるほど」


「何がだ」


 ゼノが聞いた。


 ミラは振り返る。


「あんた今まで何聞いてたの」


「彼女の名はロッタだ」


「そこじゃない!」


 ロッタが小さく吹き出した。


「それで」


 ゼノがロッタへ向き直る。


「今夜、暇か」


「暇じゃないです」


「明日は」


「もっと暇じゃないです」


「残念だ」


「立ち直り早っ」


 ゼノは本当に残念そうな顔をしていたが、数秒後にはもう普通の顔に戻っていた。


「行くぞ、ミラ」


「待って」


「何だ」


「いま手に入った情報、誰のおかげだと思ってる?」


「俺だな」


「会話の九割あたし!」


「俺が話しかけなければ始まっていない」


「……」


 腹が立つ。もっと腹が立つのは、否定しきれないことだった。



 村へ少し入ったところで、ミラの足が止まった。


 襲撃された村ではない。家が焼かれているわけでも、死体が転がっているわけでもなく、人々は普通に暮らしている。


 だから余計に、食料の少なさが目についた。干し肉を吊るしていたらしい棒が、何も下げないまま軒下に渡してある。畑の横では、腕を吊った男が一人、何をするでもなく座り込んでいた。


「あの人は?」


「取り返そうとしたんだ」


 老人が言った。


「向こうは兵が十人以上。こっちは農具しかなかった。止めたんだがな」


 無理だ。普通なら。


 さらに向こう、家の前では小さな女の子が椀を抱えていた。中身は薄いスープで、刻んだ野菜が少し浮いているだけだ。


「お母さん」


「なあに?」


「夜は肉ある?」


 母親が一瞬だけ黙った。


「……帰ってきたらね」


「いつ?」


「もうすぐよ」


「ほんと?」


「ほんと」


 母親は笑い、女の子も笑った。


 ミラは何も言わなかった。


「無理なら戻っていいんだぞ」


 老人が言う。


「魔王軍が相手だ。若い二人が命まで張ることじゃない」


「五百枚だから行くの」


「そうか」


「そう」


 それだけ言って、ミラは歩き出した。


「目的地はこっちだぞ」


「分かってる」


「歩くのが速い」


「腹減ってんの」


「そうか」


 ゼノはそれ以上言わなかった。



 ベルク村から一時間ほど進むと、荒れた土地の向こうに旧遺構が見えてきた。


 古い石造建築で、半分は地面へ埋まり、外壁の一部は崩れている。そこへ最近作られたらしい木柵、見張り台、兵舎、仮設倉庫が雑に追加されていた。荷車、樽、食料袋、武器箱。外見だけなら、本当にただの補給拠点だ。


「見張り十五。奥にもいる」


 ミラが数える。


「少ないな」


「昼間だからね」


「何?」


「村で聞いたでしょ。夜は荷車が増える」


「そうだったか」


「聞いてなかったんかい!」


「女の話は聞いていた」


「女が話してた内容を聞け!」


 ゼノが遺構を見た。


「正面から入るか」


「その前に一個確認」


 ミラは遺構ではなく北西を見る。木の多い斜面。


「《西の抜け》」


「何だそれは」


「だから聞いてないじゃん!」


 二人は正面を避けて斜面へ回った。


 しばらく進むと、草に半分埋もれた石組みがあった。水路跡だ。乾いている。ただし、地面に薄い轍が残っていた。新しい。土には何かを引きずった跡もある。


「当たり」


 ミラがしゃがみ込む。


「ここから運んでる」


「なら入るか」


「待って」


 水路の奥へ魔力を伸ばす。地下から返ってくる量が大きい。兵士二十人どころではなかった。


「……これ」


「何だ」


「補給拠点だけじゃない」


 水路の暗がりを見る。


「下に何かある」



 水路の暗がりを潜り抜けると、遺構の雰囲気が一変した。


 古い石壁に、天井の低い回廊。壁面には摩耗した紋様が残っている。その上を黒い金属管が何本も這っていた。魔王軍が最近追加したものだろう。


「後付けね」


「ああ」


「古代施設に、魔王軍が設備を足した」


「雑な工事だ」


「そこ気になる?」


「崩れる」


「それは先に言って!」


 実際、一部の壁には亀裂が入っていた。配管の固定も荒く、急いで作ったのが分かる。


 奥へ進むにつれて、古い紋様がはっきり残る場所が増えてきた。ミラは壁の前で立ち止まる。


「……これ」


「何だ」


 指先で紋様の一部をなぞった。


「学院で習った基底接続式に似てる」


「現代の術式は知らん」


「でしょうね」


 ゼノも壁を見た。


「ただ、その下の構造は古い」


「分かるの?」


「この線の通し方は昔のものだ」


 ミラも改めて見る。似ている。でも同じじゃない。


「……混ざってる?」


「そう見えるな」


 学院の教科書に、こんな話は載っていなかった。気になる。かなり気になる。


「止まるか?」


「五百枚が待ってる」


「なら進め」


「言われなくても」


「そこまでだ」


 暗がりから声がした。三人。黒い外套に、胸元へ銀色の身分章。見たことのない紋章だったが、国側の人間なのは服装で分かる。つまり、面倒な相手だ。


「ここから先は国家管理区域に指定する」


「こっちはギルド依頼を受けてるんだけど」


「状況が変わった」


「報酬は?」


「依頼自体が凍結される可能性がある」


 ミラは黙った。一秒ほど。


「敵ね」


「違う」


 男が即答した。


「ミラ、殺すな」


 ゼノが言うと、調査員の男がほんの少しだけ安心した顔になった。


「尋問してからだ」


「お前も黙れ!」


「騒がしい女だ」


「誰のせいよ!」


 調査員が額を押さえる。


「……封術局だ」


「何それ」


「術式災害や古代遺物を調査している」


「で、何でここに?」


「三日前から追っている」


「じゃあ三日前に来なさいよ」


「異常だと判断したのは昨日だ」


「それまでは?」


「この遺構は前から数値が揺れる。周期変動として処理していた」


「読み違えたんじゃん」


「そうだ」


 妙に素直だった。


「地下に何があるか、そっちは知ってるの」


「知っていたら三人で来ていない」


 ゼノが鼻で笑う。


「無能同士の会話は終わったか」


「誰と誰が!」


 ミラと調査員の声が重なった。二人とも一瞬黙る。同類みたいで、ちょっと嫌だった。



 封術局の三人は、遺構裏側の古い管理通路から入ったらしい。彼らも同じ異常を追っている。目的は違って、こちらは依頼達成、向こうは遺構の保全と調査。だが、とりあえず進む方向は同じだった。


 地下二階へ下りたところで、全員が黙った。


 巨大な導管が何本も走っている。内部を流れる魔力が、管の隙間から淡く発光していた。一方向ではない。西、北西、南西。複数。


「……補給基地じゃない」


 ミラが呟く。


「何?」


「いや、補給基地ではある。ただし、物じゃない」


 導管へ手を添え、魔力の流れを読む。遠い。だが確かに繋がっている。


「魔力を送ってる。たぶん西方軍の複数拠点へ」


 調査員の顔色が変わった。


「軍用供給網?」


「もっと大きいかも」


 螺旋状の通路をさらに下る。魔力が濃くなり、皮膚がぴりぴりしてきた。


 そして最深部。巨大な円形空間へ出た。


「……でか」


 直径百歩近い地下空間で、天井も高い。床一面には古代の環状紋様が刻まれていた。


 中心に、黒い魔導炉。それだけが明らかに新しい。古代の設備へ、無理矢理巨大な心臓を載せたような形だった。


 周囲には制御石盤、太い分配導管、地脈へ潜る吸収管。中央から各方向へ供給線が伸びている。見れば、仕組みは分かる。


「軍脈炉……」


 封術局の一人が言った。


「知ってるの?」


「名前だけだ。戦時構想として存在するのは知っていた。ここまで巨大な実物は初めて見る」


 ミラは中央炉へ近づき、解析にかかった。吸収、蓄積、分配。三段階。単純な構造だ。ただし規模が馬鹿げている。


「西方軍全部とは言わないけど……かなりの範囲がこれに依存してる」


「止めた場合は」


「魔導兵器。結界。通信設備。強化術式。接続してるものは一斉に弱るか止まる」


 封術局の男が息を呑んだ。


 ゼノは簡単に言った。


「なら壊せ」


「駄目」


「なぜだ」


「地脈と直結してる」


「それがどうした」


「今ここで炉を割ったら、蓄積魔力が逃げ場をなくす」


「なら上ごと吹き飛ばせ」


「何を?」


「全部」


「先にあんたの頭を吹き飛ばすぞ」


 封術局の男が青ざめた。


「被害は?」


「待って。計算する」


 ミラの声から、さっきまでの軽さが消えた。


 炉に溜まっている量。地脈から入ってくる量。地表までの深さ。


「地質、この辺は」


「砂岩層が浅い」


 封術局の一人が即座に答えた。それだけは向こうの方が詳しい。


「……最悪ね」


「何がだ」


「抜けやすいってこと」


「ベルク村は確実に巻き込む」


「街道は」


「条件次第。最悪ならラドネ近郊まで影響する」


「破壊は却下だ」


「だから言ってる」


 止めるしかない。だが急停止もできない。吸収だけ切れば、今ある蓄積魔力が暴れる。分配だけ止めても同じだ。外へ流しながら、少しずつ吸収を落とす必要がある。


 その経路を探している時だった。空間の奥から足音が聞こえた。


「そこまで好き勝手に見られるとは、こちらも舐められたものだな」


 細身の男。魔族。軍装。片手に黒い杖。立ち方だけで、外にいた兵士とは格が違うと分かった。


「誰」


「西方軍魔導参謀、ヴァルガス」


「長い」


「名前だけだ!」


 男の視線が、ミラの後ろへ流れた。


「封術局まで来ているのか」


 調査員が身を固くする。


「あの連中は、いつもこうだ。壊れてから来る」


「知り合い?」


「三度、邪魔をされた」


「それで」


 ミラは中央炉を指差した。


「これ止めたら困る?」


 ヴァルガスの目が細くなる。


「当然だ。ここは西方戦線を支える要だ」


「じゃあ止める」


「理由を聞いてもいいか」


「金貨五百枚」


「……何?」


「依頼報酬」


「貴様は何の話をしている」


「こっちの話」


 ヴァルガスが杖を上げた。床の一部が光り、六本の光の槍が生まれる。


 ゼノが前へ出た。


「ミラ。炉は任せる」


「最初からそのつもり」


「十秒で終わらせろ」


「そっちこそ邪魔すんな」


 それだけ。長い相談はいらない。



 六本の光槍が飛ぶ。ゼノは一歩だけ前へ出て、剣を振った。一閃で、六本すべてが途中から砕け散る。


 ヴァルガスの眉が動いた。


「ほう」


「遅い」


 ゼノが踏み込む。速い。ヴァルガスが防壁を三層張るが、ゼノは止まらなかった。一枚目が割れる。二枚目も止められない。三枚目ごと、剣が首へ伸びた。


「待って!」


 ミラの声。


 刃が止まる。首筋から、血が一筋だけ流れた。ヴァルガスが動けない。


 ゼノだけが横目を向けた。


「何だ」


「斬らないで」


「なぜだ」


「あいつ、炉と繋がってる」


「知っている」


「そうじゃない」


 ミラは制御盤へ手をついた。分配線を追う。西方軍、各拠点、ヴァルガス。そのさらに下に、もう一本ある。普段は閉じている線だ。


「……何これ」


「封術局!」


「何だ!」


「この記号!」


 男が制御盤を覗き込み、顔色を変えた。


「緊急還流……」


「何それ」


「軍用魔力設備の防衛処理だ。管理者が死亡した場合、炉内の魔力を――」


「どこへ逃がすの」


 調査員が黙る。


「早く!」


「最寄りの地脈排出口だ!」


 ミラが供給線を追った。西、上、浅い。その先。


「……ベルク村」


 空気が止まった。


 ゼノがヴァルガスを見る。


「殺せば?」


「こいつの契約が切れる。炉が緊急停止に入って、溜まってる魔力を一番近い逃がし口へ吐く」


「村か」


「村」


「どの程度だ」


 ミラは残量を見て、一瞬だけ計算する。


「たぶん消える」


 封術局の男が青ざめた。


「村が」


「村が」


「たぶんとは何だ!」


「じゃあ試す!?」


「試すな!」


 ヴァルガスが笑った。首へ剣を突きつけられたままで。


「気づいたか」


「知ってたのね」


「当然だ。軍事施設とはそういうものだ」


 ヴァルガスの傷へ光が集まる。ゼノが一歩離れた。切った首筋が塞がっていく。


「……面倒だな」


「だから斬るなって言ってんの」


「では、どうする」


「考えてる!」


 ヴァルガスが杖を振る。黒い杭。ゼノが弾く。二本、三本、全部。ヴァルガスは距離を取った。


「なるほど。貴様は私を殺せない」


 ゼノが鼻で笑う。


「勘違いするな」


「何」


「殺せる」


 一歩。


「殺さないだけだ」


 剣が走る。杖が真っ二つになった。返す刃で右肩、左脚。致命傷だけを外して斬っていく。


「ぐっ……!」


 傷は炉から魔力を受けて塞がっていく。ゼノはつまらなそうにそれを見た。


「ミラ」


「何!」


「まだか」


「急かすな!」


「俺はこいつを殺さないよう斬るのに飽きた」


「贅沢な悩みね!」


「五秒やる」


「勝手に決めるな!」


 ミラは制御盤へ向き直る。ヴァルガスが死ねば、村へ流れる。なら先に止めるしかない。


 緊急還流、管理者識別、地脈排出口。そこへ繋がる線を追う。管理者が死んだこと自体を検知しているわけじゃない。契約回路の消失。それが引き金になっている。だったら。


「ゼノ!」


「三秒」


「ちょっと黙って!」


「二秒」


「見つけた!」


 ゼノが笑った。


「なら早くしろ」


 ミラは管理者認証へ魔力を差し込んだ。ヴァルガス本人。現在、接続中。その識別だけを、ずらす。


「何をしている!」


 ヴァルガスが初めて焦った。


「死んでも死んでないことにする」


「何?」


「正確には違うけど説明してる暇ない!」


 認証線を固定する。緊急還流側には、まだ管理者が存在していると読ませる。同時に補修供給だけは生かしたまま。


「ゼノ!」


「終わったか」


「斬っていい!」


「遅い」


 一閃。首が落ちた。再生しない。


 ゼノが剣についた血を振り払う。


「雑魚だったな」


「あたしが仕込み終わるまで倒せなかった奴が言う?」


「倒さなかっただけだ」


「はいはい」


「事実だ」


「はいはいはい」


 その瞬間、軍脈炉が低く鳴った。ヴァルガスの首を失った身体へ、補修魔力が流れ込もうとする。だが契約相手はもういない。行き場を失った供給が、代わりに周辺の分配系統を揺らし始めた。


「まだ終わってない!」


 封術局の調査員が叫んだ。中央炉が大きく震えている。


「分かってる!」


 吸収を落とす。同時に、西方軍へ残りを逃がす。ただし通常量より大きく、向こうの設備が耐えられない程度に。でも爆発するほどではなく。


「三番分配路閉じて!」


「どれだ!」


「右から三つ目!」


「最初からそう言え!」


「見れば分かるでしょ!」


「分からん!」


 封術局の二人が制御盤へ走る。もう一人は退路を確認していた。


 ゼノだけが立っている。


「手伝って!」


「何を」


「そこの固定弁!」


「熱いぞ」


「我慢して!」


「嫌だ」


「五百枚なくなる!」


「俺には関係ない」


「美女に奢る金もなくなる!」


 ゼノの顔が変わった。


「どこだ」


「そこ!」


 役に立った。理由は最低だが。


「一番線、流量落として!」


「これ以上は制御石盤が持たない!」


「持たせる!」


「どうやって!」


「壊れる前に止める!」


「それを持たせるとは言わん!」


 中央炉の光が弱くなっていく。地脈からの吸収量も落ちていく。蓄積残量、十分。


 最後に、ミラは中枢制御式の一部だけを焼いた。再起動用の認証回路。これで魔王軍はすぐには動かせない。ただし古代基盤そのものは残る。


「切る!」


 接続、停止。軍脈炉の光が消えた。


 地下に、急に静寂が戻る。


 数秒、誰も動かなかった。それから遠くで何かが崩れ、天井から細かな石が落ちてきた。


「退避!」


「完全崩落は?」


「しない! たぶん!」


「たぶん!?」


「嫌なら先行って!」


 全員、走った。



 その頃、西方戦線ではもっと大きな異変が起きていた。


 魔王軍の砲台が止まり、都市攻略用の結界破砕機が沈黙した。通信塔の灯が消え、兵士へ施されていた広域強化術も次々と効力を失っていく。


 昨日まで押されていた七旗諸王国連合軍からすれば、敵軍の手足が突然まとめて止まったようなものだった。


 何が起きたのか、誰にも分からない。ただ一つ、好機だということだけは分かった。



 地下から脱出した頃には、日はかなり傾いていた。


 封術局の調査員は、入口近くの石へ座り込んでいる。


「何てことをした……」


「止めたじゃん」


 ミラは服についた埃を払った。


「古代制御部の一部を焼いただろう!」


「再起動されたくないし」


「貴重な資料なんだぞ!」


「村吹き飛ばすよりいいでしょ」


「それはそうだが!」


「じゃあいいじゃん」


「よくない!」


「面倒くさいな、役人」


「誰のせいだ!」


 だいたい、こっちのせいだった。


 ただ、全部を壊したわけではない。旧遺構は残っているし、調査もできる。軍脈炉だけは、すぐには使えない。十分だ。


「西側の導管、まだ生きてるから」


 ミラは思い出したように付け足した。


「切れてない?」


「切れてない。数日は自然に落ちると思うけど、見といた方がいいわよ」


「……それを先に言え」


「今言った」


「じゃ、帰る」


「待て!」


「何」


「名前を記録する」


「報酬に必要?」


「国家記録に必要だ!」


「じゃあ早くして」


「ミラ・ヴァーミリオン」


「そう」


「隣は」


「ゼノ・クロウ」


 ゼノが答えると、調査員は二人の名前を書き留めた。


「後日、事情聴取を――」


「その時、飯出る?」


「知らん!」


「じゃあ行かない」


「来い!」


 話が長くなりそうなので、ミラは歩き出した。



 ベルク村へ戻る頃には、すっかり夕方だった。


 村の入口から、すでに人の声が聞こえている。食料を徴発していた魔王軍の部隊が、慌ただしく撤退していったらしい。


 軍脈炉が止まった影響までは、村人たちは知らない。ただ、兵士がいなくなって、倉庫に残されていた食料も取り戻せた。それだけで十分だった。


「帰ってきた!」


 老人が二人を見つけると、村人たちが集まってくる。


「魔王軍が引いたぞ!」


「何したんだ!」


「遺構の設備を止めた」


「やっぱり二人が!」


「ありがとう!」


「本当にありがとう!」


 ミラは人々の向こうを見た。食堂の扉が開いている。


「肉」


「え?」


「肉料理、ある?」


 老人が一瞬固まった。


「あ、ああ。今夜なら出せるぞ」


「泊まる」


「即決だな」


 ゼノが横で言う。


「何のために戦ったと思ってるの」


「金」


「飯も」


「そうか」


 人の間から、小さな女の子が走ってきた。昼間、薄いスープを飲んでいた子だ。


「お姉ちゃん!」


「何?」


「お肉、戻ってきた!」


「うん」


「夜、食べられるんだって!」


「よかったね」


「お姉ちゃんも食べる?」


 ミラは少し考えた。別に考える必要などない。


「いっぱい食べる」


 女の子が笑った。


「うん!」


 ミラも少しだけ笑う。


 横から視線を感じた。ゼノだ。


「何」


「何も言っていない」


「じゃあ見るな」


「顔がある以上、視界には入る」


「腹立つなあ」


 それでも、肉がある。今日は許すことにした。



 翌朝、二人はベルク村を出て、昼前にはラドネへ戻った。


 街へ入った時から、妙に騒がしいとは思っていた。でも戦時中の交易都市だ。何かあったのだろう。その程度だった。


 ミラにとって大事なのは一つだけ。金貨五百枚。


 ギルドへ入り、受付へ向かう。昨日の職員を見つけて、依頼書を置いた。


「終わった」


「え?」


「西街道旧遺構」


 職員が固まった。


「……何したの?」


「軍脈炉止めた」


「軍脈……何?」


「地下にでかい魔力供給設備があったの。それを安全停止。ついでに再起動しにくいよう中枢ちょっと壊した」


「ちょっと?」


「ちょっと」


「ほんとに?」


「たぶん」


「怖い言い方しないで!」


「それより五百枚」


「待って、今、西方戦線から連絡が――」


 その時、外で鐘が鳴った。一回、二回、三回。


 通りを人が走っていく。


「号外!」


 紙が配られている。


「西方戦線、魔王軍後退!」


「七旗諸王国連合軍、三都市を奪還!」


「敵軍の魔導兵器が広域停止!」


「西方魔力供給網が崩壊した模様!」


 ミラは受付を見た。受付もミラを見る。


「……」


「……」


「何?」


「まさか」


「何が」


 職員の視線が、ミラとゼノの間を往復した。


「あなたたち?」


「何が?」


「西方軍の供給網」


「たぶん、さっき言った炉じゃない?」


 職員の顔が青くなる。


「ちょっと待ってて!」


「五百枚」


「今それどころじゃない!」


「こっちはそれどころなの!」


 職員は奥へ走っていった。


 嫌な予感がする。金を払うだけなら、走る必要はない。


 ゼノが外を見た。


「騒がしいな」


「戦争だし」


「そうだな」


「関係ないでしょ」


「そうだな」


 二人で外へ出た。


 そこで、人々の視線が一斉に集まった。


「……何」


 一人が指を差す。


「いたぞ!」


 嫌な予感。


「旧遺構を落とした二人だ!」


 もっと嫌な予感。


「救世主だ!」


 当たった。


「救世主様!」


「待って待って待って」


 人が集まってくる。どこから持ってきたのか、花びらが一枚、ミラの頭へ乗った。


「……何これ」


 横を見ると、ゼノは両腕を広げていた。


「俺を崇める気持ちは理解できる」


「あんたほとんど一人殴ってただけでしょ」


「重要な役目だ」


「炉止めたのあたしなんだけど」


 ゼノは聞いていなかった。


「何その顔」


 そこへ、人混みをかき分けて男がやってきた。上等な服に、王国紋章。役人だ。


「ミラ・ヴァーミリオン殿! ゼノ・クロウ殿!」


「何」


「国王陛下がお二人の功績をお聞きになり、ぜひ王都へ――」


「その前に」


 ミラが遮った。


「はい?」


 手を出す。


「金貨五百枚」


「……」


 役人が黙った。周囲も一瞬だけ静かになる。


「救世主とかいいから、先に五百枚」


「い、いや、その件についてはギルドと確認を――」


「昨日から宿代滞納してんの」


「は?」


「肉も食べたい」


「はあ」


「だから五百枚」


 鐘が鳴っている。花が舞っている。知らない人間がミラの名前を叫んでいる。


 その中心で、ミラだけは、ものすごく真剣だった。


「宿代払って、肉食う!」


 ゼノが鼻で笑う。


「その程度で満足するのか」


「まずはそこから!」


「俺なら酒も頼む」


「昨日の分まだ許してないからね!」


 歓声がまた上がった。二人には、何を喜ばれているのか、いまいち分からなかった。


 その日の号外には、二人を《救世主》と書いてあった。


 ミラはまだ、金貨五百枚の方を気にしていた。




第1話「救世主じゃない。金貨五百枚だ」 終

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