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【完結】あなたは知らなくていいのです  作者: 楽歩


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30.ドナドナ

「あら、仮病でしたか? 私はてっきり、生まれ持った病かと。危機が訪れたら安易で楽な道へと逃げる病。死ぬまで治らない不治の病……そうだわ、原因不明の不治の病。そういうことにしたらどうでしょう」


 軽やかな声音とは裏腹に、その言葉は鋭く、容赦ない。


 笑みを浮かべたまま放たれる断罪ほど、残酷なものはない。



「……ああ、そうだな。覚悟はできた」


 喉が乾く。否定する言葉も、抗う力も、すでに失われていた。


「仮病が治った後のことは、何も考えていないと思いますわ。そんな者が国王となり国が危機に陥ったら……考えただけでも恐ろしいこと。そうは思いませんか?」



 決断しない私を見透かされているようだ。それは進言ではなく、説得でもなく、宣告に近い。



「……わかった。静かで自然に囲まれたところで療養をさせる。クレスト地方はどうだろうか。」




 言葉にした瞬間、それが追放とほとんど変わらぬものであると理解していた。




 クレスト地方。


 緑は豊かだが、人の往来は乏しく、商人すら滅多に訪れない。人々は土地とともに生き、自給自足に近い暮らしを送っている――王都から最も遠い場所。



「ええ、賢明なご判断かと」


 セレナ嬢は満足そうに微笑む。




「病は治らないのですから、夜会に出る必要も着飾る必要もなく……ああ、お金も過剰に必要ないですわね。でも、想い合うミレーヌが傍で看病し、ずっと一緒にいてくれるのですもの。今と変わりませんわ。地位やお金がなくても、幸せに暮らせるのではないでしょうか。」


 幸福という言葉が、これほど空虚に響くことがあるだろうか。




「……ああ」


 返事はそれだけだった。


 なぜ、こんなことになったのか。どこで、何を、間違えたのか。




「……親は私一人と甘やかし……王妃がいたら、違っていたのだろうか?」


 弱音が、ふいに零れ落ちる。



 一瞬の沈黙。


 その後、セレナ嬢は静かに、しかしはっきりと首を振った。




「亡き王妃陛下……いえ、母がいないせいにするのは違うと思いますわ」


 その言葉は、否定であると同時に、逃げ場を断つ宣告だった。




「……そうか。そうだったな……」


 深い後悔が、波のように押し寄せる。セレナ嬢の母は、彼女が生まれてすぐに亡くなった。彼女自身、母の記憶すら持たないはずだ。




「私は、私のお母様が生きたこの国を捨てる気はありませんわ。」


 凛とした声。


「もちろん、臣下としてこの国のために力を尽くすことはやぶさかではありません。そうですわね……妹君のご子息、幼いながら利発だと聞きました。陛下にはまだ頑張っていただくとして、幼いころからしっかりとした情操教育は、やはり大事だと思いますわよ。病を持ったものを更生させるより、手っ取り早く安全策ですもの」



 微笑を崩さぬまま、未来を選別する。



「まあ、そのようにがっかりなさらなくても。退位なさったら、ご一緒にという手もありますわね。ふふふ。」




 ……私に責任がないわけではない。


 私は、アレクに対して、適切な支援も、指摘も、そして何より、親としての評価を、与えなかった。


 傍に寄り添って生きていくか……


 そうだな。切り捨てて終わりでは、あまりにも――



 セレナ嬢が、帰った後。私は重い腰を上げた。



 告げねばならない。夜を越せば、決断はさらに鈍くなる。


 私は一人、王太子の私室へ向かった。


 長い回廊は静まり返り、足音だけがやけに大きく響く。かつてこの廊下を、幼いアレクが無邪気に走り回っていたことを思い出す。


 叱ることもなく、ただ笑って見送った。その積み重ねが、今に至ったのだろう。


 扉の前で、しばし立ち止まる。深呼吸を一つ。逃げることは、もう許されない。


 扉を叩くと、しばらくして、静かな声が返ってきた。



「……どうぞ」


 私が入室すると、視線だけをこちらに向け、すぐに伏せた。悠々自適に部屋で過ごしている、そう思っていたが、思ったより憔悴していた。



「……父上」


 その声音に、かつての甘えはない。すでに、何かを察しているのだろう。




「体調はどうだ」


 あまりにも形式的な問いだった。父として、最初にかける言葉ではない。


「……問題ありません。ですが、陛下の望まれる体調ではないかもしれません」


 自嘲気味な微笑。




「……アレク」


 名を呼ぶと、彼はわずかに肩を震わせた。



「望む体調でないのならば、お前には療養に出てもらう」


 一瞬、空気が止まる。


「療養……ですか」


「ああ。王都を離れ、静かな場所で、身を休める。クレスト地方だ」


 いやだと言うだろうか。仮病だったと、心を入れ替えこれから必死で頑張るのだと、そう言うだろうか。



「クレスト地方……そう、ですか」


 安心したように、静かに目を伏せる。


 その様子に、もはや驚きはなかった。怒りも。ただ、失望、それだけだった。そうか、お前は逃げることを選んだのだな。



 私が守ろうとした“王太子としての未来”を手放した。


 私は、拳を握りしめた。




「お前の病の原因は、導くべき時に導かず、叱るべき時に叱らず、期待を伝えることもしなかった私だ」


 王としてではない。一人の父としての、懺悔だった。それ以上の言葉は何も出てこなかった。




 部屋を出る直前、背後から、かすかな声が届く。


「父上」


 振り返ると、アレクは、困ったように微笑んでいた。


「自分は大丈夫だと、病を治療しなかったも完治させようともしなかったのは、私です。父上のせいではありません。クレスト地方でしっかり療養します。……今まで、ありがとうございました」


 その言葉が、別れの挨拶のように聞こえた。

 





 *****





 ーside ミレーナー





 外には一面の霧が広がっていた。


 白いヴェールのような霧が大地を包み、遠くの山々は輪郭だけを残して溶け込んでいる。



 この先の未来も、きっと同じ。


 行き先の見えない、曖昧で、冷たい世界。




 国王陛下に告げられた、療養という名の日々。



 それが実質的な追放であることを理解していた。


 重い心を抱えたまま馬車へ向かうと、その傍に見慣れた二人の姿があった。






「……セレナ、レティシア。なぜ、ここに?」




 人知れず、アレク様と旅立つつもりだった。誰にも見送られず、静かに消えるように。




「あら、ミレーナを待ち伏せしていましたのよ、ふふ。」


 セレナが楽しげに微笑む。




「私たち、婚約者候補として共に学んだ仲ですもの。療養先、クレスト地方でしょう? 遠く離れてしまうあなたを、見送りに来たのですわ。ああ、もちろん王太子殿下のことも」


 私とは違う華やかなドレス。


 完璧な微笑。


 その裏に、確かな毒を感じて、心が冷えた。


 ……それでも、怒りが湧き上がる。




「っ……セレナ! これは、あなたが仕組んだのでしょう!? そうに決まっている! 私たちの……私たちの幸せを、返して!!」


 声は震え、視界が滲む。



「あなたたちの幸せ? どうでもいいわ。私は、私の幸せのために、あなたたちを犠牲にしても、ちっとも構わないの」


 セレナは、あっさりと切り捨てる。冷たい光が、その瞳に宿る。


「自らを省みず、私を蔑み、陥れようとしたあなたたちを再び自分の人生に受け入れるという選択。私には、ないわ」


 その時、もう一つの声が割り込んだ。


 柔らかく、優しげで、けれど、どこか空虚な響き。



「あらあら、そういうことを言わないの、セレナ」


 レティシアが、穏やかに笑う。


「ミレーナ、月日が経つと、だんだん忘れられていくわ。きっと。しだいに疎遠になるの。……寂しいわ」


 その言葉は、慰めでも忠告でもない。ただ、断絶を告げるだけだった。


 ――忘れられる。王太子と共に、王都の記憶から消えていく。霧の向こうに、何も見えないのと同じように。


 私は、唇を噛みしめた。泣いてしまえば、完全に負けてしまう気がして。



 馬車の扉が閉められる音が、やけに大きく響いた。


 アレク様は外套の裾を整えることもなく、座っている。



「……アレク様」


 声をかけると、彼は一瞬だけ視線をこちらに向けた。けれど、何も言わない。口を開くことすら、拒むように。


 私は、向かいの席に腰を下ろした。


 馬車が動き出す。ゆっくりと。アレク様は、窓の外を見つめている。



「……何か、言ってください」


 思わず、縋るように口にしていた。


「このまま……何も言わずに、行くのですか? 聞いていたでしょう? あの二人が企んだのです」


 それでも、返事はない。


 ふと。何かに引き寄せられるように、私は窓の外に視線を向けた。


 そこにいた。


 セレナと、レティシア。


 二人並んで立ち、こちらを見ている。見送っている、というよりも、見物しているのだわ。


 まるで、舞台の幕引きを眺める観客のように。

 まるで、すべてが思い通りに運んだことを確認するように。



 昔から変わらない。


 セレナの、余裕に満ちた微笑。勝者であると疑いもしない、あの表情。

 レティシアの柔らかく、穏やかで、どこまでも優しげな腹黒い笑み。



 勝ったと思っていたのに……。




 奥歯が、ぎり、と音を立てた。




『月日が経つと、だんだん忘れられていくわ。きっと。しだいに疎遠になるの。……寂しいわ』


 さっき、確かにそう言った。私を気遣うような声で。別れを惜しむような顔で。


 でも、今、目の前にあるその笑みは少しも寂しそうではなかった。


 やはり、嘘。同情の形をした、残酷な嘘。寂しいなど、思ってもいない。こちらが消えていくのを眺めているだけ。


 怒りが、込み上げる。


 ――ふざけないで。


 今、声を張り上げれば、セレナのあの笑みを、レティシアの“寂しい”という嘘を、全部、引き裂ける気がした。


 震える唇をかみしめ、胸いっぱいに息を吸い込んだ。





 *****




 ーside セレナー


『思ってもいないくせに!』『許せない!』


 馬車の中で、甲高い声が響いている。無理やり乗せられ、感情をぶつけるしかできない哀れな姿。


 好きなだけ、キーキー言えばいいわ。


 王太子は――病弱設定に演じているのか、それとも、すべてを諦めたのか。


 魂が抜け落ちたように、一言も発さず、視線も合わせず、ただ座っている。


 ……ああ。見送りにヴィクター様を誘わなくて、本当によかった。この光景を見たら、きっと彼は後悔し、心を痛めてしまうもの。


 王太子とミレーナを乗せた馬車が、ゆっくりと動き出す。


 揺れる車体が遠ざかっていく。



 ふふ。


 私は、ヴィクター様から聞いた鉄道の話を思い出していた。


 二人とも――私の敷いたレールの上に乗って、そのまま進んでいきなさい。


 流れに任せて。そのまま、終わりまで。





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