28.嵐の前の静けさ
ーside国王ー
……来てしまったか。
ヴィクターと、セレナ嬢が。
玉座の前に並び立つ二人を見た瞬間、空気が張り詰めるのを肌で感じた。
ヴィクターの瞳には、やはり燃え盛る炎のような怒りが宿っている。その視線は、隣に控えるアレクを射抜くかのように鋭く、少しでも動けば斬りかかってきそうなほどだ。
一方で、セレナ嬢は唇に、かすかな微笑を浮かべている。
それもまたやはり、想像していたように完璧に描かれた肖像画のように静かで、穏やかで、見る者の心を不思議と落ち着かせる微笑。
……だが、私は知っている。
どちらが恐ろしいかと問われれば、迷いなく答えよう。
ホフマン家の血を、色濃く、あまりにも色濃く継いだセレナ嬢だ。
微笑んでいるからといって、決して油断してはならない。あの穏やかな表情の裏で、何を思い、何を計算しているのか――見当もつかない。
ああ……味方であったなら、これほど心強い存在もなかっただろうに。
それにしても、両家の親が同席していないということは……。
もうすぐ成人を迎える我が子たちに、すべてを任せるという意思表示か。それとも、これ以上事を荒立てぬという判断か。
……考えても始まらない。
これから始まる話し合いの展開を頭の中で幾通りも思い描いているうちに、ついに待ちきれなくなったのだろう。
ヴィクターが一歩前に出て、口を開いた。
「陛下、発言の許可を願います」
一瞬の沈黙ののち、私はゆっくりと頷いた。
「……よい。申せ」
「事のあらましを聞きました……王太子と血が近いことを、恥じたのは今回が初めてです」
……私はもっと近いのだがな。
胸中で苦く呟きながらも、口には出さない。
「自分の地位が脅かされる? だからといって、努力もせずに人を蹴落とすことを選ぶだなんて……なんて恥知らずな!」
「うるさいヴィクター! 努力はした!!」
……無駄な努力だったがな。
「王太子の地位のために私、いや、セレナに迷惑をかけるなど言語道断! 陛下、私には必要のない王位継承権、今この場で放棄することを許可願いたい!」
「なっ……それは駄目だ」
思わず声が強くなる。
万が一、王太子に何かあった場合、王位継承権を持つ者は他にもいるが、妹の子どもはまだ幼い。
軽々しく切り捨てられる話ではない。
「下手にこんなものを持っているせいで、王太子は愚かな考えを持ち、エヴァン皇子にも迷惑をかけました。次男である私は、小さい頃から公爵家のスペアだった。王位継承権第2位? 結局、スペアではありませんか。私は、卒業してセレナの唯一の夫となる。だから、必要ないのです!!」
……っ!
そばに控える愚息が、必死に笑みを隠そうとしているのが目に入る。
――隠しきれていない。まったく、愚か者め……!
「……ヴィクター、分かった。そこまで言うなら、了承しよう」
場の空気が、一段重く沈む。
「では、継承権を持っていたお前に最後に問う。今回の件について、我が息子にどんな罰を与えるといいと思う」
「……私の父は、実害がないのだから大目に見ろと。仲が良いのであれば、エヴァン皇子にもお前がとりなせと言いました」
「王弟が……いや、身内だとしても甘い顔をしなくていい。一番お前に迷惑をかけたのだ。率直な意見を聞きたい」
その瞬間、アレクの顔色が目まぐるしく変わる。喜び、青ざめ、引きつり、怒気が浮かぶ。
貴族であれば、感情を表に出してはならない。……そんな基本すら守れなかったか。
なぜ、私はこれに気付かなかったのだろう。
「……アレクは、気弱な文官を脅し、ミレーナ嬢はメイドに嘘の証言をするよう買収したと聞きました。陛下、文官たちの処遇はどうなったのでしょう?」
静かな声音で、ヴィクターが問う。
だが、その静けさがかえって重い。
「ああ……経緯はどうあれ、己の立場にふさわしくない行動をした。もう王宮にはいない」
「そうですか。では――」
ヴィクターは一呼吸置き、はっきりと言い切った。
「アレクの王位継承権を一時的に剥奪し、学院は休学。アレクは文官、ミレーナはメイドの仕事をするというのはどうでしょう。二人は、臣下や使用人たちがどれだけの努力をしているか、どれだけ重要な役割を果たしているかを理解し、その労働を軽んじていた自分たちの行動を、深く反省する必要があります」
王位継承権の一時剥奪、その言葉に驚きはなかった。一時どころか、永久の剥奪すら予想していた。
だが同時に、安堵し、静かに頷く自分もいた。
「……期限は?」
「人への敬意と感謝の気持ちを深く理解し、未来の王国にとって真に価値ある者へと成長したと感じた時まででよいでしょう。そうでなければ、アストリア国にも顔向けができない。自らの行動の重さを理解し、改める機会を与えるべきです」
その言葉は、重く、深く胸に落ちた。
権力を持つ者として、責任を負うとはどういうことか。それを、王太子は、いや、私は今まさに突きつけられている。
「……それは、どうやって判断する?」
「そうですね……」
少し考える仕草のあと、ヴィクターは続けた。
「一週間の終わりに、アレクとミレーナ嬢が、宮殿の臣下と使用人たち一人一人に、感謝の手紙を書くというのはどうでしょう。どれだけ感謝しているか、どれだけ彼らの仕事が大切だと理解したか。その手紙を読んだ者たちに、判断を委ねるのもよいかもしれません」
――その瞬間。
それまで黙っていたアレクが、ついに怒りをあらわにした。




