第二話 異変
彼が飼い猫を捕まえるのに躍起になっている最中、葛城はさっと路地裏を通り過ぎる別の人影に意識を奪われていた。視界に入ったのは一瞬だったため詳細は分からないが、大きな麻袋を担いで人目を避けて動くその行動は、見てすぐに異常だと分かる。
麻薬の密売か、あるいは……。浮上する疑惑をいくらか脳裏に浮かべながら、葛城はその人影の跡を追った。
それは、体格から判断するに男のようだった。頭から臀部まで覆える薄手の小汚い布を身に纏っており、追う葛城の目からはその姿ははっきりとは見えない。男は建物の隙間を巧みにすり抜けながら、早足で移動していく。
男はしばらく入り組んだ裏通りを歩いていたが、大通り手前にきたところで、はたと立ち止まった。
気づかれたか。葛城は建物の裏に隠れて気配を殺しながら、男の動作を注視する。
しかし、男が次にとった行動は、後ろを振り返るでもなく、指を交差させながら腕を高く突き上げることだった。怪訝に思っていると、男は突然麻袋を担ぎ直し走り出す。
仲間を呼んだのだろうか。そうであれば、早く捕まえないと逃げられてしまう。葛城は男の動向を窺うのをやめ、男を取り押さえることに素早く脳内プランを変更すると、男が走り出すのとほぼ同時に地を蹴った。
先ほどとは一転、大通りへと身を翻した男は、後ろを振り返り追いかける葛城の姿を視認していながらも、その足取りにはどこか余裕がある。人混みをかき分けながら進み、曲がり角に差し掛かったところで、再び男が例の合図を出した。
「そこまでです。止まりなさい」
男が曲がり角を曲がり切るすんでのところで、葛城が彼の背中へ声をかける。しかし男は葛城のそんな呼びかけにも動じることなく、両手を上にあげて悠然と振り返った。
「へえへえ。降参降参。てめえらもよくやるよなぁ」
男はへらりと笑って、ほらよ、と麻袋を彼女の足元へ蹴ってよこす。中から小さく呻く声が聞こえた。
葛城は、男が自ら麻袋をこちらへ寄越したことに少し面食らいながらも、麻袋を縛る紐を解いてゆく。そして縁をゆっくりと開くと、そこには年端もいかないような男児が一人、黒い布で目隠しをされた状態でうずくまっていた。その身体は恐怖で硬直し、ぶるぶると小刻みに震えている。
急いで彼を拘束する縄をほどき、目隠しを解いてやる。突然目に飛び込んできた光が眩しかったようで、少年は確かめるように目を何度も瞬かせた。
「怖かったでしょう」
葛城を怯えた眼で見つめる少年に、彼女は微かに表情を緩ませて言う。
「もう、大丈夫です」
その言葉に、男の鼻で笑う声が重なった。
「見た通り、例のブツだぜ。苦労したんだ。報酬は弾ませてくれよ、PHGさん」
「……貴方は、一体何を言っているのですか」
「はぁ?」
男は素っ頓狂な声を上げ、葛城の姿をまじまじと見つめる。
「お嬢ちゃん、さっきから散々俺のこと追いかけて来ておいて何言ってんだよ」
しかし、男ははっと何かに気づいたようになって、
「もしかしてお前、外野か……?」
刹那、乾いた銃声音が空気を切り裂いた。
短い呻き声と共に、男の身体が平衡感覚を失ったようによろめく。男はその場で数歩足踏みをした後で、膝から地面に崩れ落ちた。
咄嗟に音のした方を振り返る葛城の目に、見慣れた制服が映る。
「馬鹿め。余計なことをベラベラと」
PHGの職員の制服に身を包んだ男は、先ほど発砲した銃の弾の装填をしながら忌々しげに呟いた。
「だから半端者に任せるなと言ったのだ」もう一人が男の横に立って言う。
「ふん。まあいい。どうせこいつは口減らしに始末する予定だったのだ。今更人数が一人や二人増えたところで構いはしない」
「それはそうだが、職員を殺害したとなれば我々への責任追及は逃れられまい。どう説明するつもりだ」
「何を今更。どうせこいつも職員の端くれ。端数調整に使われるだけの捨て駒なのだから、上官とて殺したところで文句は言うまい」
隣の男は納得したように頷く。
「お待ちください」彼らの話す内容を聞いていた葛城は、二人を睨みつけながら言った。
「どういうことか、説明していただけますか」
「貴様のような下等職員に説明することなど何もないわ」
「お前にはここで死んでもらう。恨むなら自身の無駄な探究心と正義感を恨むのだな」
街灯に照らされた男たちの胸元で、金色のバッジが鈍色に光る。銃を構えた職員が、彼女を嘲るように笑った。
「本当に何も知らぬようだな。ならば冥途の土産に教えてやろう。我々の任務は何も、限られた人員で人間を守ることじゃない」
その傍ら、もう一方は壁にもたれる少年の頭を無造作に掴み、嫌がるのも無視して地面に顔を擦り付ける。
「『こういうこと』も我々の仕事の一つってわけさ。さぁ、これで満足だろう?」そちらへ顎をしゃくって見せた男は、徐に銃の引き金に手をかけた。




