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第一話 くだらぬ仕事

 視界の端を流れていく変わりばえのしない光景は、男を退屈させるには十二分だった。


「こんなの無茶だと思いませんかぁ?」


 くあ、という欠伸とともに、左手を右肘に回して身体を反らす桜井神夜(さくらいかぐや)の声色には不満が滲む。


「行方不明になった飼い猫を見つけてこいって……俺たちは便利屋じゃないんですから。その辺の野良猫とっ捕まえてさっさと帰りましょうよ」


 そう言って唇を尖らせる男の目線の先で、葛城律かつらぎりつ)の艶やかなワインレッドの髪が揺れる。丁寧に結われた上質なシルクを思わせるそれに触れようと伸ばした男の手は、彼女が振り向くのと同時に宙を切った。


「市民の役に立つことも、我々の仕事です。それに、彼らにとってその猫は家族同然。他にとって変えられるものではないのです」

「家族ねー……」桜井は納得いかない様子で天を仰ぐ。


 天井には仰々しい鉄骨が張り巡らされ、その合間を縫うようにして夥しい数の照明が設置されている。それらは一斉に下を向いて、人々の行く先々を温度のない光で照らしていた。


「飼い主がそう思ってても、相手がどう思ってるかはわからないじゃないですか」


 見上げて早々に見る気をなくした彼は、彼女へ視線を戻しながら言った。


「それは我々の決めることではありません」


 しかし、そんな彼の戯言は、感情の起伏の感じられない葛城の無機質な声によって静かに一蹴されてしまう。彼女は桜井に目線を合わせることなく続ける。


「我々には、課せられた任務を遂行する義務があるのです」

「俺は正直、任務なんてどうでもいいですけどねー」


 彼女のまるで取りつく島のない態度を、桜井は歯牙にも掛けていないようだった。職務放棄ともとれる発言を堂々と言い放って、軽快な動きで半歩ほど彼女の前へ躍り出ると、くるりと踵を返してみせる。


「俺は律さんと一緒にいられれば、それで十分ですから」


 そう言って、ふふ、といたずらっぽく笑う男に、葛城は困ったように眉を顰めた。彼女の人形のように整った顔は、彼によってこうしてしばしば歪められる。


「桜井、無駄口を叩かない」

「律さんと喋ることに無駄なことなんて一つもありませんよ」

「……真面目に仕事に取り組む」

「やだなぁ。俺はいつだって真面目ですよ。律さんに対してだけですけど」

「……それを不真面目と言うのです」


 言動にまるで取りつく島がないのは、彼とて同じことだった。何か反論しようとかすかに開いた口からは、言葉の代わりに呆れとも困惑ともつかない息が洩れる。彼女の胸元で金色のバッジが揺れた。二人の兵士が盾と剣を手に向かい合わせに立っている紋章がトレードマークだ。その周りを取り囲むように、小さい文字で「Protect Humans Government」と彫られている。


 それぞれの頭文字を取ってPHGと略称される組織こそが、彼らの属する職場である。


 所属は特別捜査部隊。大それた名前ではあるが、与えられる任務といえばもっぱら本部で取り扱うまでもない内容ばかりの、いわゆる雑用係のようなものだ。PHGの中でも末端と言っていい。


 そんな彼らのもとに舞い込んでくる依頼といえば、やれなくなった財布を探してくれだの、やれ病人を病院へ運んでくれだの、どれもこれも通常人で事足りるようなものばかりである。今回の行方不明になった猫の捜索もその一つだ。


「でもまあ、この猫も飼い主に探してもらえてる時点で幸せ者かもしれませんねー」


 飼い主から渡された愛猫の写真をつまんで、眼前でひらひらと揺らしながら桜井は言う。


「最近じゃ猫を飼っても結局持て余してすぐ捨てるってパターンが多いせいで、この辺野良猫だらけですし」

「……問題は、飼い主が猫を捨てざるを得ない状況に置かれてしまう、今の現状にあります」

「元を辿ればなんとやら、ですね」


 しかし、彼女の言葉に対する桜井の返事は肯定とも否定ともつかないものだった。



 ビルのひしめき合う大通りを抜けると、飲食店の立ち並ぶ繁華街が見えてくる。ネオンの輝く門をくぐって真っ先に目につくのは、道端に散乱するゴミの数々だった。

 その様子を見た桜井は、うげぇ、とわざとらしく呻いてみせる。


「相変わらず清潔感のかけらもありませんねー」


 ガヤつく店内の窓からは、次々と客の食べ残しが無造作に放り投げられ、道中に落ちたそれに行き場のない動物たちが群がっていく。それらの全ては、昔飼い主によって飼われていたペットだ。去勢されているので繁殖できる個体はいない。


「飼い主のもとへ、返してあげられたら良いのですけれど」


 1匹、エサを求めて足下に擦り寄ってきた犬に、葛城は膝を折ってその痩せた頬へ手を滑らせる。


「無駄ですよ」桜井は吐き捨てるように言った。


「人間なんてそんなものです。子どもだってなんだって、好奇心で作って、飽きたら捨てる。俺たちだって……」

「違います」いつになく強い口調だった。


 彼女は立ち上がり、桜井に鋭い眼差しを向ける。その気迫に気圧されたのか、犬は小さく鼻を鳴らし走り去っていった。


「あなたは捨てられてなどいない。私も、彼らも。ただ……」彼女は胸の前で拳を作って、きつく握りしめる。

「ただ、遠く離れてしまっただけ」

「律さん……」

「……行きましょう」


 背を向けるその一瞬、彼女の深紅の瞳に微かな陰りが刺したのを、桜井は見逃さなかった。


「律さぁん、待ってくださいよー」数歩遅れて彼女の後を追いかける。


「俺は律さんを離したりなんてしませんからぁっ」

「そういう意味で言ったのではありません」


 ぴしゃりと言い切られ、桜井はそんなぁ、と肩を落とした。項垂れる彼の視界の端に、ふと、小刻みに動く黒い影が映る。


 どうやらピクピクと動くそれは耳のようだった。黒い毛並みは手入れが行き届いているのか、遠目から見てもその辺りの野良猫と比べてはっきりと整っていることがわかる。


 そして、桜井の目がはっきりと写真と同じ赤いチョーカーをその猫の首に見つけた時、彼は反射的にそちらへ人差し指を突き立て、叫んだ。


「いたっ!」


 その声に、葛城とお尋ね者の猫がほぼ同時に振り返る。しかし行動は猫の方が早かった。前方から伸ばされる桜井の手をすり抜けて、塀の上にひょいと身をかわしてみせる。


「舐められたもんですねー。飼い猫は飼い猫らしく、舐めるなら飼い主から出されたミルクでも舐めてろってんですよ!」


 言いながら、桜井は軽く跳躍し、屋根の瓦に手をかける。それから足を大きく振り上げて屋根の上へ自身の身体を持ち上げると、驚きで一瞬動きを止めたその隙を狙って、その小さな身体を持ち上げた。


「つ〜かま〜えた。もう逃しませんよ?子猫ちゃん」

 

 猫を片腕に抱きかかえ、よっと、という掛け声とともに地面へ降り立った桜井は、葛城に成果を報告しようとして顔をあげる。


「律さーん、探してた猫、無事確保しました……って、あれ?」


 しかし、桜井の予想に反して、そこに彼女の姿はなかった。


「律さん……?」

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