消えた記憶⑤
読んでいただければ、幸いです。
過去編は今回で最後です。
ジルベルトは準備ができるまで自分の部屋で待っていて欲しいと言い、アナベルを部屋に残して、侍女や下働き達にアナベルが泊まるから用意して欲しいと伝えた。
それを聞いた使用人達は、一瞬呆け、次に嬉しそうにお客様を迎える準備を始めた。
ジルベルトは、厨房へ行くとアナベルは甘い物があまり得意ではないのだと伝え、アナベルが待つ自分の部屋へと引き返した。
部屋ではアナベルがソファに座って本を読んでいた。
ジルベルトが帰って来たのに気付くと本から顔を上げて、おかえりと言葉を投げ掛けてくれた。
「なんの本読んでるの?」
「特性について書かれた本です」
「難しいの?」
「あまり難しくないです。魔術師なら誰でも持っている自分だけの性質の事を長々と書いただけの物です」
それからは魔法関連の話から逸れ、趣味や好き嫌い、お気に入りスポットなど話していると、アナベルの部屋の準備ができたと侍女が呼びに来たので、挨拶を交わして部屋を出ていった。
夕食の席で両親は今日は夜会に出席するのでお留守番をよろしくと言ってきた。
夕食を食べた後、お風呂に入り、後はベッドに入るだけになった。
今日、アナベルが同じ屋根の下にいると再確認したジルベルトは顔がにやけて、照れくさくて、胸がドキドキするのを押さえられずにベッドの上をゴロゴロと転がっていたら、いつの間にか寝てしまっていた。
深夜を回った頃だろうか、ジルベルトは物音で目を覚ました。
寝ぼけ眼で起き上がり、まだ働かない頭を一瞬、過ったのは、両親の帰宅という言葉だったが、それならば使用人が出迎えるので、こんなに静かで暗くない筈だと思い、音のした階下へと階段を降りていった。
明かりの灯っていない廊下は薄暗い。
今日は満月で窓から差し込む優しい月明かりだけが足元を照らしていた。
薄暗い影の中で何かが動いているのを感じたジルベルト。恐怖を感じる反面好奇心もまた頭を擡げた。
「誰?」
答えが返ってくる事は期待していないが、ほぼ無意識に聞いてしまう。
「青い薔薇の持ち主かな?」
まさかの返答が返ってきた。誰?に対してのものではなかったが声の主は、ジルベルトとそんなに変わらない年頃の少年のようだ。
「そう…」
「ジル?」
ジルベルトの後ろからアナベルが近付いてきた。
月明りの為か、彼女の着ているシンプルなナイトドレスは薄い青色に見える。
「侵入者ですか」
「そうだ。青い薔薇の持ち主に用がある」
影が蠢き、一人の黒ずくめの衣装の小柄な人物がジルベルトにも見える位置に近付いてきた。
影に隠れているが、まだ侵入者は複数いるみたいだと感じた。
「僕に何の用?」
「青い薔薇を寄越せ」
その言葉で誰からの依頼なのか、直ぐに分かった。
先日のコブトーが、どうしても欲しいと恐らく暗殺者を差し向けて来たのだろう。
それにしては、若い気がする。何故こんな子供を遣わしたのか。
「断る」
「そうだよな」
何処か落胆とも納得とも取れる溜め息を溢す暗殺者に違和感を覚えた。
恐らく彼等にとっては不本意な依頼なのだろう。そう感じるのは、殺気が感じられないからだ。
「君達はなんでこんな事を?」
「依頼…と言いたいが、強制なんだよ」
「?」
「お坊っちゃんには分からないよな。俺達は奴隷紋に縛られた奴隷なんだよ」
「この国に奴隷制度は無かった筈ですが」
アナベルが美しい眉間に皺を寄せている。
「あるんだよ。闇市場で売り買いされてる。特に高いのは貴族の子供だな」
「なんて事を…」
「で、なんで俺達奴隷が来たかと言うと、死んでも替えがいくらでもあるからだ」
貴族の屋敷ならば、手練れの護衛や傭兵がいる。そんな彼等の手にかかって殺されてもいくらでもまた買えば良い。替えのきく玩具だとでも思っているのか。
「…ご主人様が命じたのは、あんたを殺す事なんだよ」
「……」
それはとっくに予想できていた。父が欲しい物の為なら手段を選ばない男だと言っていた。
「俺達には拒否権が無いんだ。体が俺の意思とは関係無く勝手に動く」
そう彼が言った瞬間、小刀を抜き、ジルベルトへと斬りかかった。
「ジル!!避けて下さい!!」
それを寸前でかわしたジルベルトだったが、影の中から、もう一人飛び出してきて小刀を取り出し突き出した。
―――アナベルに向かって。
「アナは関係無い!!青い薔薇は僕のだ!!」
咄嗟にアナベルを守るべく立ち塞がるとなんの抵抗も無く、ジルベルトの体へと小刀は吸い込まれた。
「渡してくれないから殺すはめになった」
刺されたと思ったのは、暗殺者の体がドンッと接触した時だった。
アナベルを狙えば、ジルベルトが自分から凶器の前に体を差し出すと分かっていたのだろう。
暗殺者の小刀は腹部から上に向かって刺されていた。
「ぐっ」
感じた事の無い激痛に顔を歪め、耐える。
覆面を被った顔は目の部分だけが見えている。
見えている部分から覗く瞳は濁り、感情がなかった。
「!」
ひゅっという音に目を向けるとアナベルと目が合った。彼女の瞳が大きく開かれ口許を手で覆っている。
この間が何秒だったのか分からないが、暗殺者が体を離し、ジルベルトの体から真っ赤になった小刀をどこか他人事のように抜かれる様を見ていた。
抜かれた刃を伝い、血が床へと落ちて音をたてる。
―――熱い、――痛い
「ジル!!」
膝から力が抜け、倒れかけた体をアナベルが受け止めるが、バランスを崩して二人で一緒に倒れた。
「ジル!!ジル!!」
「アナ、怪我はない?」
「無いですよ」
「そっか、良かった」
ニコッと笑ったジルベルトの汗で貼り付いた亜麻色の髪を優しく取る。
ひゅーひゅーと苦し気な喘鳴が聞こえる。
小刀はジルベルトの肺を刺し貫いていた。
息が出来ないのかゴホゴホと咳をする度に口から血を吐き、咳をする為に身体に力が入ると傷口から勢いよく血が溢れる。
どんどん流れるジルベルトの血で赤く染まる床と反対にジルベルトの顔は白くなっていく。
どうして良いか分からないアナベルは気付くと頬を何かが伝っているのを感じた。拭いとると雫だった。
泣いているのだと分かった。ジルベルトに何もしてやれない自分の無力さに悔しくて、悲しくて泣いていた。
心を開かなかった自分に親切にしてくれ、笑いかけてくれた。
そして、自分を知ろうとしてくれたジルベルトにいつの間にか癒され、心惹かれていた。
何をしていてもジルベルトを思い出し、いないと分かっていても夜に目を覚ますと広い王宮内を一晩中探した事もあった。
傍にいるだけで、安心する。でも、同時に不安にもなる。矛盾しているけれど、それでも心地好かった。
そんな存在が、自分の腕の中で消えていく。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ジルベルトの顔へ優しく、悲しい雨が降り注ぐ。
アナベルの心が、ジルベルトを無くすかもしれない未来に壊れてしまいそうになる。
突然、アナベルの周りが揺らぎだし、藍色の魔力が漏れ出す。それは制御を失い、渦を巻き、荒れ狂い始めた。
これには暗殺者も驚き、動揺している。
「………アナ…落ち着いて…」
顔が苦痛で歪むが、ジルベルトはアナベルを気遣う。そんな彼の優しさが愛しくて、切ない。
荒れ狂った魔力はそのままにアナベルはジルベルトと目を合わす。
「ジル…死なないで下さい」
嗚咽を含んだアナベルの声。ジルベルトは、こんな顔をさせた自分が不甲斐なかった。
「死なないよ」
「本当ですか」
答えたかったが、急に強烈な眠気が襲ってきた。抵抗する間も無く、目蓋を閉じた。
「ジル!!ジル!!」
何度呼び掛けてもジルベルトの優しげな鳶色の瞳は開く事は無い。
「死なないで下さい」
アナベルの切実な願いを叶える為、彼女から漏れ出た藍色の魔力が形を変える。
藍色の魔力は渦を激しくさせ、収縮していく。
小さく小さく凝縮かれた魔力は小さな珠になった。珠は、蕾が花開くように内側から開き、開花した。
開花した花は金色の鱗粉のような魔力を撒き散らし、やがて弾けた。
ジルベルトの上に降り注いだ魔力は彼の傷を癒し、残滓を残しながら消えていった。
ぼんやりと暗殺者とアナベルは先程までの光景に意識を持っていかれていたが、遠くから足音が聞こえだした。
「どうしたんだ!!」
走ってきたらしいナルサスは汗だくで息が上がっている。その後ろからは、今まで何をやっていたのか護衛が着いてきていた。
「大丈夫で…」
す、と言おうとしたがアナベルはくたりと後ろに倒れた。
力が入らないし、怠い。後、手足が痺れている。
魔力切れの症状だと直ぐに分かった。
「アナベル様!!」
「大丈夫です。彼等を保護して下さい」
彼等は暗殺者だが、同時に被害者だ。そんな彼等を厳しく罰すれば、ジルベルトが悲しむ。
「すみません。少し此方に来ていただけますか?」
護衛達によって、連れて来られた暗殺者達は何処か迷子になってしまった幼子のように不安そうだ。その彼等に手を伸ばし、何かを掴むような仕種をするアナベル。
ぐっと手を引くとパキンッと破砕音がした。
暗殺者達は首を傾げ、次に何かに気付いたように胸元を開ける。
恐らくそこに奴隷紋が刻まれていたのだろう。
「アナベル様、無理はいけません!!貴女は魔力切れを起こしているんですよ!!これ以上魔法を使うとどのような副作用が…」
「これは必要な事です」
そう言って、アナベルはジルベルトの呼吸を確かめ、彼の頬を両手で包んだ。
「おやすみなさい」
悲しそうな顔でジルベルトと額をくっつけて目を閉じる。
接触させた額がふわっと藍色に光り、アナベルは額を離した。
「さようなら…ジル」
ナルサスがアナベルを抱き、支えるとそのままアナベルは意識を手放した。
ジルベルトの伏せられた睫毛についていたアナベルの涙が、まるで別れを悲しむ様に零れていった。
読んでいただき、ありがとうございます。




