二十一話 元服式なんです
お腹とパソコンの調子がよろしくないのと、とある理由(後書き参照)によって短めです。
1569年、初夏。
徳川家への援軍を終えて織田領に帰還した後、
俺達は兵を休ませ、奇妙丸と鶴千代の元服式の準備を行っていた。
鶴千代の元服はまぁ史実通りなんだが、奇妙丸の元服は史実より三年程早い。
これも歴史が変化している影響なのだろう。
ちなみに奇妙丸は今年で十四歳だ。
確か戦国時代の武士の元服の年齢で一番多かったのは十五歳だったが、十四歳での元服も珍しいことではない。
鶴千代は今年で十三歳だ。二人とも比較的若い年齢での成人となるので、織田家中にも一気に若い風が吹くことになるだろう。
俺は一足先に成人を迎えた先輩であるので、二人のサポートをしながら、共に準備を進めていった。
〇〇〇
元服式は信長様の居城・岐阜城で行われた。
当主・織田信長の跡継ぎになる奇妙丸の元服式なので大々的に行われ、織田家の名だたる重臣達も皆が岐阜に集まって奇妙丸の成人を祝った。
鶴千代の元服も同時に行うが、扱いは奇妙丸のオマケである。
まぁ当主の嫡男と、ただの一家臣で扱いに差が出るのは仕方がない。むしろオマケであっても、多くの参列者に祝われて元服の儀を行えるのだから、充分恵まれている方だと言えた。
童髪を切り落として成人用の髪に改め、烏帽子をかぶり、幼名を捨てて新しい名を名乗り、それを参列者総出で祝う。
これが我が織田家の元服式で行われることの大まかな説明である。
言ってしまえば、武士にとってはこの元服式よりも、その後に待っている初陣の方が余程大事な晴れ舞台となる。
土佐の姫若子・長宗我部元親だって初陣で自身が受けていた評価をひっくり返したからな。
やっぱり武士は戦場で結果を残してナンボだし、その最初を飾るのは形式だけの元服式なんかよりも遥かに重要だってことだ。
そんなこんなで、元服式はサクサクと進む。
「俺は今日より、奇妙丸の名を改め、織田勘九郎信忠と名乗る。皆よ、これからもよろしく頼む」
「お、俺も、蒲生鶴千代改め、蒲生忠三郎氏郷と名乗ります。信忠様のため、一層努力して参りゅ・・・参る所存です・・・」
奇妙丸・・・改め信忠と、鶴千代・・・改め氏郷が、家臣団に向け挨拶をした。
信忠はいつも通りの堂々たる調子だが、氏郷は大勢の先輩家臣団の前で、慣れない敬語と緊張でガッチガチなようだ。
大事なとこでセリフを噛んで、一同の笑いを誘っていた。うん、氏郷らしい。
そんな和やかな雰囲気で、無事に元服の儀は終わった。
◇◇◇
そして後日、俺・信忠・氏郷の新星三人衆は信長様に呼び出しを受けた。
「前々から話はしていたが、以前に一益が進めた伊勢の攻略を再開しようと思う。
そして、この戦は信忠・氏郷の初陣となる戦だ。
二人の初陣を良い形で飾るため、先輩である一益には是非ともお膳立てをしてもらいたいのだ」
信長様はニヤリと笑い、小姓に地図を広げさせた。
そして俺達に、次の戦・・・南伊勢征伐、史実で言う大河内城の戦いの戦略について話始めるのであった・・・。
1569年、初夏。
信忠と氏郷が元服式を終え、彼らの初陣となる戦・南伊勢征伐が始まろうとしているのです。
ぶっちゃけると、元服式がどのように行われていたか今一つ資料が無かったので、Wikipediaを見て当たり障りの無さそうな内容にしたらすごく短くなりました。
ちなみにツッこまれそうなので先に言っておきますが、「信忠⇒信重 氏郷⇒賦秀 じゃねぇの?」と思われるでしょう。
盛大なネタバレになりますが、この作品ではストーリーの都合上、賦秀の名前を氏郷に変える理由がないのです。
なら「最後まで賦秀で行くくらいなら最初から氏郷にしてしまえ!」ということで氏郷を名乗っています。賦秀じゃ誰かわからないですし。
奇妙丸も折角なので同じく信忠にしています。ご了承ください。
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