第六十一話 従者さんの孤立
我が巣には揺るがないものがある。ゴシュジンの生活リズムである。起床から三度の食事とティータイム。そして、就寝。
そのペースは決して乱れること無く、ここにオヤツの時間を加えてあげることが俺の最近の夢だったりする。
本日の夕食はスープにパン。そして、防衛祝いに肉と少しの酒をおまけ。
頭数が急激に増えたためか、その見た目は粗雑に映る。
恐らく料理などしたことの無い魔物達を厨房の手に加えているのだから、それ自体はさもありなん。
俺もゴシュジンに大量の飯を宛がう時には、水鍋を用意したものだ。
少ない人手で量を賄う為の魚と野菜を雑多に煮込んだスープ。豆を材料にしたパンの偽物はとても個性的な形である。
しかし。しかしだ。
素人の手が多分に関わっているにも関わらずこれらの料理が美味いのは何故だろう。
俺の水鍋は生臭い味と匂いが付きまとっていたというのに。
「食材の前処理はきちんとなされましたか?」
「……ふむ」
毒にならん程度には。とは言えず、深く考えているフリをして誤魔化しておく。
「食材には適した処置。適した時。適した温度が御座います。それらさえ気に留めていれば、味は自然と定まるものに御座いますよ。今宵の食事も見た目は不揃いに御座いますが……」
優しげな笑みを浮かべる狐娘は、言いながら赤ん坊の拳ほどしかないパンに口をつけた。
パンをこねたのはインプ族の子供達だ。
不馴れな子供達がつくったと思えば、不揃いも楽しめるというものである。
などと、そんな穏やかなことを考えていた飯時だ。
今回の防衛戦に於けるイレギュラーが決闘の間を塞ぐ重厚な扉を開いたのは。
「おぉ、ここじゃったか! ようやっと見つけたわ!」
扉を蹴り開いたであろう赤い足裏をこちらに見せながら、赤鬼がかんらかんらと笑い上げる。
「うは。なんすかあのマニアックな格好」
垂れ耳娘が赤鬼の姿にテンションを上げた。
毛皮の下着にタキシードの上着だけというファッションは、確かに異世界出身の俺から見ても目に新しい。
「いやぁ、竜の巣とは面白いのぅ。あっちに行ってもこっちに行っても人間が力比べを挑んできおる。まぁ、ウチを満足させる輩はおらなんだがの」
言いながらずんずんとこちらへ歩み寄る赤鬼。
彼女に蹴散らされた冒険者達はたまったものでは無かっただろう。ダンジョン半ばでボス格にエンカウントするという、クソゲー紛いの事象に巻き込まれたのだから。
赤鬼は歩み寄りながらも俺達一人一人に視線を滑らせると、にまりと牙を見せた。
「しかし、ここには楽しませてくれそうな面構えが揃っておる」
「うわ。悪そうな顔っすよ……」
「この方は敵ですか?」
フェイランが俺の前に立ち、垂れ耳娘がさっと俺の背に隠れた。
二人が真逆の対応をする中、良く言えば沈黙を守っていた。ありのままに言えば食事を続けていたゴシュジンが言葉を放つ。
「止まりなさい。仲間に危害を与えるつもりなら、容赦はしませんよ」
ゴシュジンが焼き魚の骨を取り除かせていたフォークを赤鬼に翳す。ドラゴン様の癖に、食器が得物として似合ってしまうというのはどうなのだろう。
赤鬼はその言葉に首を傾げて。
「危害じゃと? 何故ウチがそんなことをせねばならん?」
「……そうですか」
赤鬼の表情を眺めると、ゴシュジンは食事を再開した。
ゴシュジンが突っ込まないというのならば、赤鬼の言葉に嘘は無いのだろう。
てっきり昨日の仕返しに来たと思っていたのだが、それならば……。
「赤鬼。お前の狙いは何だ?」
「おぉ、おんしはウチを“おぉが"と呼ばんのじゃな。流石は……はっはっは。よぅ考えればおんしの名も知らんわ」
俺の問い掛けは虚しく、話題をすり替えられてしまった。
「名乗ってなかったか? マシロだ」
「ましろ……ましろ。ふむ。変わった名じゃ」
「で、お前は何の用事で来たんだ?」
「む」
身長差から俺を見上げる赤鬼は、眼をなんとも怨めしそうな形に変える。
「……うぅむぅ。ウ、ウチの口から言わせるつもりか。この卑怯者めが……」
卑怯か。やはり、先日の文句でも言いに来たか。
しかし、まぁ。騙したのは確かだ。文句を受け止める程度ならしてやるべきか。
「そんなことを言うために態々来たのか……。仕方ない。聞くだけなら聞いてやるから言ってみろ」
「ぐぬぅ……いや、あいわかった。良いか、人の仕来たりは知らんが、今から吐き出すウチの言葉は鬼族に伝わる生涯一度のみ放つことを許される言葉じゃ。心して聞け」
「……一度だけ?」
「応とも。一生一度の誓いの文句じゃ。一言一句聴き漏らすでないぞ」
一生に一度きりの鬼族に伝わる怨み言……だと? 待て。それは呪いの類いでは無いのか?
鬼族は魔法と違う異能を操ると聞くぞ。呪い耐性の無い俺がそんなものを受け止められる筈が……。
当惑を他所に、赤鬼はわざとらしく咳を落とした。
言うぞ。
ギラリと光る赤い眼がそう告げる。
鬼の呪いが来る。ダメだ。聞くな。
「イッカク族が頭領・カンラの娘。イッカク・エイラはここに生涯の伴として――」
バンッ! と、唐突に音が消えた。
いや、自分で耳を塞いだのだから、唐突でも何でも無いのだが。
言葉を介する呪いなら、音を消してしまえば防げるとの着想である。
視線を落とせば、赤鬼は時間が止まったかのように動きを止めていた。
「……終わったか?」
唇が動いていないのを確認して耳を放すと、赤鬼は言葉を吐かず、ただぱくぱくと口を開閉させ始める。
一生に一度の呪いを防がれたのがそんなにショックだったのだろうか。しかし、俺もそんなものを浴びる訳にもいかんのだ。
「スマン。思いの外凄いのが来そうで……つい、耳に手が……」
素直に頭を下げ、頭を上げた時。
赤鬼の表情にぎょっとなる。
オモチャを壊された子供のような。泣きそうで泣かない。涙を必死に堪える顔がそこにあったのだ。
「いや、本当にスマン。お前は鬼で俺は弱い人間だろう? だから、俺には受け止めれん。わかるだろ?」
言い訳である。至極真っ当な言い訳。
「……あ……ぅ……」
しかし、遂に赤鬼の涙腺は崩壊を始め、大粒の水滴がぼろぼろと彼女の頬を流れ始めた。
それを手の甲でぐしぐしと拭うと、赤鬼はさっと踵を返した。
「アホッ! ましろのアホー!」
「む、ちょ、待て」
俺の制止もなんとやら。
赤鬼は健脚を以て、あっという間に決闘の間を後にした。
何故だろう。その去り行く背中に俺の心が酷く痛むのは。上着を返してもらえなかったからか?
「マシロ様……貴方がそのような御方であったとは……」
「ボクはいつだってマシロさんの味方です。……ですが、今のはあまりに……」
周囲から浴びる音が凍てついているように感じられるのも何故であろうか。俺は自己防衛を行っただけなのに。
「ましろ。えりーね、すごくざんねん」
「にゃー……」
猫とスライムまでもが、である。
「おい待て。俺は当然のことをしただけだろ」
「マシロ」
ゾクリと背筋が凍った。
ゴシュジンの目力にお母様を感じる。
赤と青から黄金が生まれるなどという遺伝を超越していそうなドラゴン様だが、受け継ぐものはあったらしい。
「貴方を軽蔑します」
ザクリ。切れ味鋭い一太刀が、俺の心を切り裂いた。膝から力が抜けるほどに。
「……プロポーズに耳塞ぐって……お兄さん……うわぁ。流石のアタシもドン引きっすよ」
垂れ耳娘が、何かをぼそりと呟いている。
周囲の変化に着いていけない。
頭はどこか冷静に。去来するのは、罪悪感と一つの言葉。“鬼の目にも涙"という、実にどうでも良い諺が俺の頭の中を駆け巡っていた。
◇◇◇◇◇
我が巣には揺るがないものがある。
飯が美味いことである。
「どういうつもりよ?」
「……何が?」
「何でアンタが売ってる弁当を、アンタが買ってくのって聞いてんのよ」
「そんなもん俺の勝手だろうが。色々あるんだよ」
「ふぅん。色々ね。巫女様と喧嘩でもしたの? アンタ、今の顔酷いわよ。この寒いのに上着も着て無いし。ほんとに大丈夫?」
「……ほっとけ」
痛いところを突く女だ。
正確には、狐娘どころか巣の全員からは冷えきった反応を頂いている。
しかし、光明はある。
何度思い返してみても俺が無視される謂われは無い。と、比較的態度の柔らかい垂れ耳娘に相談してみた結果、
『呪いって……お兄さんそりゃまた壮大な勘違いしてやがりますね。まぁ、皆の誤解は解いときますんで、お兄さんは村にでも消えてて下さいよ』
「うひゃひゃひゃひゃ」「ふひひひひ」と前後に大笑いを挟み。そのような答えを頂いた。
どうやら、巣の皆と俺との間で、何か誤解が生じているらしい。
俺がいない間にその解消を任せるのは些か不安ではあるが垂れ耳娘はその方がやり易い。と。
よって、俺はペタに降りてきた次第である。魔女文字翻訳の報酬を貰うためという言い訳を従えて。
そして、弁当を買っている次第である。弁当を作ってもらえなかったのである。巣に戻る頃には、皆の態度が軟化していることを願うばかりである。
「アンタがネコちゃんを連れてないのも珍しいわね」
「男はたまに一人になりたくなるんだよ」
本当に痛いところを突く女だ。
だが、言われてみれば、確かに一人で行動するのは久方ぶりだ。
こんな時にトラブルに巻き込まれでもすれば……と考えてしまうのは、生来の悪い癖か。
「あら、いらっしゃい」
尖り帽子が俺の背後に営業スマイルを浮かべた。
「いいや、弁当に用は無い」
振り返れば二人の部下を引き連れた髭面の兵士と目が合った。
この男は確か、ペタに配属された新しい兵長の一人だったか。
言った側から……では無いが、考えた側から嫌な予感。そして、俺の嫌な予感は生来的中してしまうものであったのだ。
「用があるのは、そこのドラゴンの関係者に……だ」
藪から棒のその一言は俺の鼓動を跳ね上がらせるに十分だ。
それはどういう意味で言っている? 竜の巫女の隣に立つ保険屋としての俺に対してか? それとも、誰も知らない筈である竜の従者としての俺に対してなのか?
「“逃"……」
「まぁ、待ちたまえよ」
スキル名を唱え終わる前に、兵長に口を塞がれる。
流石熟年兵士、俺みたいなのの扱いには慣れてやがるか。
「王命により、マシロ・イッシキ。貴殿を拘束する。弁明は王都にて聖騎士様に行うが良い」
王都? 聖騎士?
そういや、いたな。俺がドラゴン様の手下だと知っているヤツが。
あぁ、くそ。ふざけんなキザ男。何で今日なんだよ。
俺の叫びは、ふがふがと言葉にならない声となった。
―To be continued―




