第五十四話 ドラゴン様への執着
天命を授かり十と半。
武技を鍛え数多の武人と矛を交わす機会があった。
だが、単騎でサイクロプスを倒し得る武人がどれほどいるだろう。
恐らく我が騎士団に両手の指ほども数えまい。その身に戦仕度も纏っていないのならば尚の事。
奴隷は肉を解体し、執事は膳を配し、主はそれを食す。当たり前の光景だ。
少女は銀の食器を静かに鳴らし、小さく切り分けた肉を粛々と、しかし、素早く口に運んでいる。
この山の中で不可解なほどに常の如く。
加えて。何よりの不可解が一つ。
「……良く食べるな」
外に言い様が無い。だが、眼前の光景はその言葉に耐え得るものだろうか。
胃袋どころかその身を満たして有り余る量を平らげながら、満面の笑みを崩さない彼女の姿に。
「お前がそれを言うか? ゴシュジンと同等に食べ競う女は初めて見たぞ」
答えたのは執事だった。
確かに未だ食指を休めない私が言うことでは無いのかもしれない。
だが、理由も無い大飯喰らいだと思われるのは少々面白くないな。
「この身は人から外れた戦の化身だ。常人と一緒くたにされては困る」
「まさか……戦えば戦うだけ飯が進むとでも言うのか?」
「当然ではないか。私は戦乙女だぞ。人に過ぎたる力を維持するには、人を越えたエネルギーをとらねばならないからな」
「……急にお前に親近感が湧いてきた」
何だ、その生暖かい視線は。
「して、そちらのお嬢様はどんな人外だ? この国に、私のような存在が生まれたとは聞いていないが?」
「……言っている意味がわからんな。ウチのお嬢様はただのお嬢様だ。最近は物騒だからと格闘技の教師も雇ってる所為で、少しばかり足癖が悪いが」
流暢に答えるが、その答えに僅かな間。そして、僅かに視線が滑った。
告げるは動揺。
「口とは違い、目は隠し事を嫌うものだ。ただの貴族の娘として扱うには些か無理がある」
執事の目が警戒を孕んだ。
やはり、彼らは何かを隠している。
疑念が膨らんでいく。
「傾城傾国の美貌を持ち、人を越えた力を宿す。そんな生物を私は一つだけ知っている」
それは疑念の域を出ない推測であり、確信を抱くにはあまりに足りないものだ。
だが、何故だ。
はっきりと言葉にすると、鼓動が音を上げる。
「何が言いたい?」
「貴方は、空の覇者では無いのか?」
私の内に駆け巡っていたものは、疑念では無く希望だったか。
そうであれという希望。
この感情は、いつか聞いた恋慕の情のようだ。
「何を言い出すかと思えば……」
「動くな。私は彼女に聞いている」
執事が顔を綻ばせて答えたその言葉を遮り、少女に視線を放つ。
顔が綻ぶ間に、執事の瞳が帯びた僅かな敵意。
この場所。その力。無くもないちっぽけな可能性。
半ば当てずっぽうの言葉だったが、彼の瞳は私の言葉が全くの的外れでは無いと意味している。
少女が酒精に濡れた瞳で私を捉えた。
弛緩と緊張の狭間。弛緩から刺突への刹那に身を置けば、私の槍は雷をも捉える。
例えこの言葉が引き金になろうとも、この距離ならば不覚を取りはしない。
「私が空の覇者とは。異なることれす」
だが、少女の言葉は否定だった。
その目は純真無垢に。何も告げてはいない。
緊張がほどけ、鼓動が音を落とし、心臓に穴が空いたように気が抜ける。
彼女が誇り高き覇者ならば、その身を欺く筈も無い。
この食事の量は、本当の姿を養う為のものだと思ったが……人は見たいものを見る。私も逸ったか。
「私は一匹のドラゴンれす。それ以上でも、それ以下れもありません」
最後に、小さなしゃっくりを堪えたようにしながら。
何でもないように告げたその言葉を理解するのに掛かった数秒の間に、執事は悔やむように額を押さえ、奴隷達は素っ頓狂な声を挙げた。
そして、私はきっと笑っている。
この出会いに。これから起こることに。
「私を知っているか?」
彼女は私の言葉に不思議そうに首を傾げた。
あぁ、解らないだろうとも。
私など取るに足らない、小さな存在だろう。
だがな、それでも私という存在はここにいるのだ。
「私は戦乙女。空の民。アリア・ヴィルヘルム・フォン・エスペリア。同じく空に生きる者として、どうか手合わせ願いたい」
昂る心をそのままに、竜へと槍を突き付けた。
「……おい、やめろ。やめてください」
「私は彼女に聞いていると言った筈だ」
執事の懇願と相反して、彼女は玩具を見る赤子のようにその矛先を指で突き、視線を執事へと滑らせて再び首を傾げた。
「ダメなのですか?」
「ダメです! ここには、他のモンもいるんだぞ!」
「ましろがダメだと言っています」
「ふざけているのか?」
殺気をぶつけてみせるが、彼女は惚けた表情を崩さない。
私ごとき、相手をするまでもないという事か。
「ならば、その気にさせるまで」
突き付けた槍に半円を描かせ、少女の顔を掠める。
「ふぇ?」
触れれば裂ける神槍の刃。
竜は桜色に染まる頬を撫で、不思議なものを見るかのように指先に着いた赤を眺める。
その瞳がじわりと潤み、今にも涙が溢れそうだ。
竜であれば、人に傷つけられる屈辱に耐えられる筈はない。さぁ、その姿を晒――
「女の顔に何してくれてんだゴラァァァッ!」
不意の拳。しかし、さほども速くも無い。
反射的に返した石突きが執事の鳩尾にめり込んでいた。
何故、この男が反応する。
「……ッいでぇなゴルァッ!」
めり込む柄を掴み、再び男は拳を振りかぶる。
効いていない? この男も人間では無いのか?
「無粋だぞ。お前に用は無い」
武技の欠片もない稚拙な拳打を首だけで躱し、体捌きにて地に倒す。
背を打ち付けると、踏まれた蛙のような声を漏らした。
邪魔な男だ。ここで気を絶っておくべきか。
槍を振り上げ――ピクリとも動かない。
「ましろに、何をするのです」
槍を掴む、少女の細い手があった。
一変。人形のようであった少女が、その姿で激情を表す。
雷光を纏い、総毛立った金糸の髪。
怒りを具現したようなその姿に、肌が粟立った。
「ゴシュジン、落ち着け。今竜化したらどうなるかわからんぞ」
「……ごめんなさいましろ」
パチパチと空気を弾く雷光は光を強め、少女の体から溢れ出す。
「逃げてください。私は……私を抑えられない。きっと……全部壊してしまう」
初めて見る光景にも関わらす、すぐに理解出来た。彼女は竜になろうとしている。
「お前ら逃げろ! 出来るだけ身を隠せる場所にだ!」
執事の男が走り去る。
それで良い。
私達の戦場は空。翼を持たない者は、この戦いに参加する資格などない。
ここには、私と彼女だけが相応しいのだ。
疼く。翼が疼く。
待ち望んだ姿が、目の前で象られていく。
それが実像に至る前に、空へ。
相応しき戦場へと身を委ねた。
私を追い掛けるように、狂おしい咆哮が大気を揺らす。
見下ろした地上に、その姿はあった。
陽の光を帯びた黄金の鱗を纏う、紛れも無いドラゴンの姿が。
「……貴方に会いたかった」
昂るままに呟くと、言葉が熱を帯びる。
ドラゴンは私の言葉に反応すること無く、その場で体を反転させ尾を振るった。
圏内の木々が吹き飛び、円状に土の色が露になる。
無造作に散らかしたそれらには見向きもせず、次いで尾は鞭のようなしなやかさで地に打ち付けられる。一面に亀裂が走った。
圧倒的な力。
だが。
「何をしている?」
破壊。破壊。破壊の限りを尽くすその姿は、我を失っているかのようだ。
いや、そんなことは問題では無い。
ここに至り、何故私を見ていない。
大きな翼を持ちながら、何故地上に留まっている。
未だ私を侮るのか。
「竜よ。そんなことは許されないぞ」
ドス黒い感情が胸を伝った。
真下にて暴れるその姿に照準を定め、穂先を竜に定める。
残弾四。くれてやるに惜しい相手では無い。
「慢心はその身を以て償え」
出し惜しみ無く魔力を込め、照準を定める。
これで死ぬならばそれまでの相手。
「その力をありのまま示せ! ブリューナク!」
天上の戦いにて振るわれるこの槍は、神により造られた、正しく神槍。
その神器は魔力を光に。そして、その光を集束させ、閃光となって地上へと降り落ちる。
狙うは背を貫き心臓。
如何にその生命力が常軌を逸していようと、生命の源を穿たれればただでは済むまい。
暴れ続ける竜が閃光に気付き、長い首を持ち上げる。
手遅れだ。その大きな体躯を逃がす術は無く、最早、穿たれるのを待つのみ。
槍がその身に触れ、焼き伐らんとした、その直前。甲高い音が響き渡り、何かがキラリと舞う。
「……は?」
弾かれた閃光が、槍となって宙を舞っていた。




