第四十三話 ヴェルキアの三騎士
人の営みが絶えず音を鳴らすヴェルキア城下都市にて、今日ばかりは一風変わった声が挙がっていた。
それは民営新聞社の一社員が、一世一大の大仕事と言わんばかりに景気良く空に紙を撒き散らし、世界に向けて張り上げた声である。
「号外! ごうがい! グリム山のドラゴンがお怒りだぁっ!」
同時刻。王城内。
貴人麗人が行き交う回廊にて、それらを蹴散らす勢いで猛進する男の姿があった。
見たところでは髪は白に染まり還暦を過ぎた歳の頃であるが、その鍛えられた体は一目に強靭だとわかる。
彼はその牛のような体を以てして扉を破壊する勢いで開き、山にでも話しかけるような大声で叫んだ。
「おい! 聞いたかクロエ! ドラゴンはわしらと戦争したいみたいじゃ……んん?」
しかし、扉を開いた位置からすぐ見える大仰な執務机。
そこには天井近くまで積み上がった書類はあれど、彼の目当てとした姿は無い。
男は二度三度蓄えた髭を指で撫でると、机に視線を定めて歩み始めた。
「そりゃ」
男は重厚に見える上に紙を積載した机を、まるで綿で構成されているかのようにひょいと持ち上げた。
積まれていた紙が舞い上がる中、机のあった場所から膝を抱えた女性が転がり出る。
黒髪を後ろで纏め、中性的な顔立ち。
抱える足は折り畳まれていてもその長身をうかがわせ、男装でもすればそこらの男よりよほど婦女を惹き付けるだろう。
しかし、その眼は一晩夜更かしをした幼子のように無垢で曖昧に、天井近くまで飛び立ってしまった己の背を支えていたであろう机へと注がれていた。
「まぁたサボりかお前さんは」
「…………おはよう隊長。……机……返して」
黒髪の女性は怨めしそうに机を見上げるも動こうとはせず、億劫そうにその一言だけに唇を動かした。
「仕方の無いヤツじゃのぅ。ホレ」
男が乱雑に机を降ろすと、女性はもそもそとした動きで本来椅子を仕舞うべき窪みに姿を消し、ほぉと落ち着いた息を響かせる。
「全く。そんなトコに引き込もって何が楽しいんじゃ」
「凄く……安らぐ……よ?」
「……国が大口きって送り出す討伐隊の副長がそんな様だと知ったら、ヴェルキアは天下の笑い者じゃぞ」
彼女はドラゴン討伐隊の副長の一人を務める、クロエ・ヴィルヘルム・フォン・エスペリア。
世に曰く、『剣に嫁いだ女』。
才色兼備。剣の才と抜群の容姿を兼ね備えるが、反して人間としてギリギリの生活能力しか持たない奇人。
若くして剣技大会で幾度も優勝を飾り、女性のみで編成された騎士団、戦乙女騎士団の副長の座を勝ち取ったエリート。
が、意志薄弱にて日光を嫌い、隙あらば日陰で眠り、男性嫌いで周りと軋轢を生むなどと、今では軍部の厄介者と扱われる一人である。
「うん……ごめん」
その声は舞い落ちる紙の音に紛れるほど小さい。
「まぁ良いわ。机の下におっても街の喧騒くらいは耳に入るじゃろ。その騒ぎの原因が何か知っておるか?」
「……知らない。おやすみ」
「寝るな。少しは考える素振りくらい見せんか」
そして、そのクロエを叱るこの巨躯の男はドラゴン討伐隊の総指揮官。
名をオルド・フェリクス・フォン・ザバイル。
曰く、『生まれる時代を間違えた男』。
四十年も前の戦で、平民の出自ながら義勇兵を纏め大功を成した一世の豪傑。
しかし、とかく荒事を好み、国境に置かれた際には他国に私闘をふっかけ、内地に置いては私兵を増やし過ぎて反乱を疑われた経歴を持つ。
こちらも、戦の無い今代のヴェルキアにとっては厄介者として扱われる一人である。
「知らんようじゃから教えてやろう!」
オルドが懐から取り出したのは、街に飛び交っている新聞の一枚。
返事を待たず、彼はそれを意気揚々と読み上げる。
「タイラン砦! 竜の吐息に呑まれる!」
「…………」
「先日グリム山より放たれたドラゴンのブレスにより、旧軍事拠点タイラン砦灰塵となる! 幸いこの施設は現在使われていない為、死傷者は見つかっていない。じゃと!」
「…………」
「ぶははははは! 情報封鎖じゃ箝口令じゃと儂らにさえ口を噤んどった事が、当たり前に民衆にバレとるわ! これも時代の流れじゃな!」
「…………」
「こんなもん何時までも隠せる事じゃ無いじゃろうに! のぅ、クロエよぉ!?」
「……………………すぅ」
「起きんかい!」
「――ッ!? 何者っ!?」
ゴンっと音が響くと共に、机が一瞬持ち上がった。
その後にドサリと崩れ落ちる音が続き、「あうぅ」と悶える声が続く。
「……頭……痛い」
「相変わらずアホじゃのうお前さん。そんなんじゃから良い年こいて婿の一つも貰えんと、いき遅れなどと言われとるんじゃ」
「……ほっとい……て」
容易に泣き顔の想像できる声が机の下から漏れた。
「わしらの相手は弱竜じゃなんじゃあ言いよったが、ぶはは。なんのこたぁ無い。怖くて強いドラゴン様じゃわ」
「……そう」
「んで、お前と妹に話があるんじゃが、妹は何処に行った?」
ボルドの声に答えるように机の下から手がひょいと上がり、それは人差し指を残して握り拳をつくった。
天井を指す手の主は、平坦な声で一言だけを告げる。
「……空」
◇◇◇◇◇
この世には神託を授かって生まれ落ちる命があり、それらは総じて常人を越えた力を宿して生まれる。
例えるならば、無限の命を備えた勇者。真理を見通す賢者。
その内の一つに、戦神への信仰の元に生まれる聖女。戦神の遣い。戦乙女がある。
古くは初代国王の元に遣わされたとされ、ヴェルキア建国に大きく尽力し、国名の由来ともなった。
その身は天女のようであり、率いる軍に常勝無敗の加護を与える。
しかし、それは魔法が確立していなかったほど昔の、古き古きお伽噺。
それより今代までその力を継ぐ者は戦乙女騎士団長を務めているものの、戦乙女の力を宿した者は初代より三人しかおらず、大概はお飾りとして軍部に席を置くのみである。
城郭四方に置かれた見張り台。城で最も空に近い場所。
その更に屋根の上で、身の丈ほどもある槍を己の子を守るかのように大事に抱えて眠る少女がいた。
今代の戦乙女騎士団長であり、もう一人のドラゴン討伐隊副隊長。アリア・ヴィルヘルム・フォン・エスペリア。
空が溶け出したかのような蒼の髪は、腰を撫でるほど長く、陽の光を十分に浴びながらもその白い肌は焼ける事を知らないとでも言いたげだ。
その彼女の真下。見張り台の屋根の下から、砲音にもひけを取らない大声量が放たれる。
「くぉらぁぁぁッ! 起きんかぁぁぁぉいッ!」
ビリビリと大気を揺らすそれは、城内の庭で佇んでいた鳥が空へと逃げ出すほどであり、寝ていた者が飛び起きるには十分過ぎるものであった。
が、そこは彼女の性質と言うべきものか。
夢から戻ったのはアリアの半分の半分といったところ。
辛うじて瞼を開く程度の意識を取り戻した彼女は、猫のように丸まったまま薄く唇だけを微かに動かした。
「……やぁ。オルド第二騎士長じゃないか」
それは本当に微かな。耳元で秘密を語るような声であったが、名を呼ばれたオルドは屋根を挟んで再び騒がしく声を響かせる。
「おぅ! 目ぇ覚めたかぃ! お前さんら姉妹は本当にいっつもグースカピースカ眠りおるから……ゴルァ! クロエ! 起きんかい!」
下には姉もいるのか。
アリアはそう思いながら飛び行く群鳥を瞳だけで追い、徐々に意識を覚ましていく。
「アリアよぉ。お前さん新聞読んだか? ぶは。とんでも無い事になっとるぞ」
「新聞は読んでいないが、それは上層部の隠したがっていた砦壊滅の件かな? 或いは、竜の村の件?」
「なんじゃ知っとるんかい……って、竜の村ってなんじゃい!? 初耳じゃぞ!」
「おっと……違ったなら聞き流してくれ。どうせいずれは耳に入る事だ」
アリアは神託を授かった身として教会に独自のパイプを持つ。
その繋がりから彼女が上司であるオルド以上の機密を知っている事は珍しく無く、それはオルドも承知の事である。
故にオルドも深くは突っ込まず、「まぁ良いわぃ」と簡単に機密を漏らす彼女に呆れのみを含ませて流すと、改めて口を開いた。
「こっからマジメな話じゃ。目ぇかっ広げて聞け。お前もじゃクロエ」
どうやら下にいる姉はいつの間にか寝ていたらしいと僅かに頬を緩ませながら、アリアは信頼する上司の言葉に徐々に光を遮り出していた瞼を押し上げた。
「お前さんら。ドラゴン討伐隊から降りろ」
それは、平素と違わぬ武骨な声でありながら、老いた者が放つとは思えない迫力を含んでいる。
「……どういう事かな? 討伐隊長にそんな権限は無かった筈だ」
「おう。これは命令では無く、儂個人のお願いじゃ。今回の件でわかったじゃろ。儂らの相手は弱竜などでは無い。大体にして、その情報元の英雄扱いされとる小僧がキナ臭いわ。アイツからは武人の気を感じん上に、最近は何やら隠れてコソコソと動き回っとる」
「……あれは……凡愚……私もそう思う」
「それは同感だ」
一方は空を。一方は足場の木目に視線を走らせながらも、二人は重ねるように言った。
「そうじゃろ。ならば、じゃ。ドラゴン討伐なんぞ自殺と変わらんわ。この戦いは延命に狂った女王の自己満足でしかないわぃ」
「オルド第二騎士長。少しは口を憚った方が良い。王家への陰口は、陰口で済まないと貴方も解っているだろう」
「侮辱罪……打ち首……」
「ふん。今さらどこで尽きようと悔いは無いわぃ」
そこまで言ってオルドはふぅと息を落とすと、彼の声とは思えない物憂げな声で告げた。
「なぁ。死地は老兵に任せとけや。ババアやジジイの為におめぇらみたいな若い身空が死ぬなぞ、間違っとるじゃろ?」
それは、心から出たとわかる真摯な言葉であった。
だからこそ。アリアは真摯に受け止め、そして答える。
「間違っているな」
その返事は屋根の上からでは無く、オルドの眼前より。
「オルド第二騎士長。貴方が。だ」
空色を透かした翼をはためかせたアリアが、ふわりと浮かぶ雲のようにそこにいた。
その魔素で形成された翼こそ、戦乙女と呼ばれる彼女の特性である。
「私が空を我が物とする為に、空の覇者を討たねばならんのだ。私の戦う理由にそれ以上があるか?」
そして、その翼こそアリアが戦う理由でもある。
そう告げるアリアに、クロエの言葉が続く。
「……アリアを……空を守るのが……私。……だから……私は戦う……うん……隊長は間違ってる……」
手摺の小さな日陰に長身を小さく折り畳み、木目を指でなぞりながらコクコクと頷いている。
それは、誰に言うでも無い。
ただの自己確認。独り言。
この姉妹の答えにオルドはと言うと、あぁそうかと。これはそういう姉妹であったと。ひたすらに呆れていた。
彼女らは、元より王や国の名誉の為に動いてなどいなかったのだ。
不倶戴天と守拙時頑。例えドラゴン相手であろうと、それを貫き通す。ただそれだけであったのだ。
自身の信念の為に動いているのならば、それはどうあっても覆る物では無い。
ならば、やるしかない。勝つしか無い。
重戦騎士たる己が。
戦乙女と暗黒騎士の姉妹と共に。
ヴェルキア騎士を率いて、最強に挑むしか無いのだ。
それは重圧である。
だが、その程度の重圧は彼にとって好ましい。
姉妹の答えが希望に背くものであったにも関わらず、彼の心は曇りが晴れたようであった。
後は己の人生最後にして最強となる軍を率いる事に費やすのみ。つまり、平常通りのオルドであれば良いのだ。
しかし、老兵は知る由も無い。
その戦いが彼が聖騎士の称を持つ怪しい英雄と、小賢しい竜の従者が軸となることを。




