第三十九話 従者さんとハイエナの群れ
いつも鳴っている空港みたいな音が止んでいたので冷蔵庫を開けてみると、中に充満していたのは冷気では無く、むっとした熱気と嫌悪感を覚える腐臭だった。
五年。大型家電の寿命としては早目である。
夏の暑さにやられたという訳では無いだろう。
「糞親父が……」
原因の顔を浮かべると、頭に血が上る。
親父がコイツに八つ当たりするようになったのが二年前。
航空機みたいな音をあげるようになったのが一年前。
そして、今日。その生涯を終えた。
額に流れる汗を拭いながら腐りかけの肉と野菜を選別していると、不意に玄関から音が聞こえる。
廊下を進む無遠慮な足音。
それは背後にまで来るとピタリと止み、代わりにため息を落とした。
「……何だテメェか」
振り返ると路傍の空き缶を眺めるような視線を向けた糞親父が、忌々しげに舌打ちを鳴らしているところだった。
「相変わらず無愛想なツラだ」
こっちだって顔の批評なんざ求めてない。
見てないところから殴られるのが、怖いから振り向いただけだ。
「――がっ!」
奴の目にはやはり俺と空き缶に大差は無いようで、俺の背を当たり前のように足蹴にする。
痛くも痒くも無いが、押されるままに開きっぱなしの冷蔵庫に頭から突っ込んだ。
「何でテメェみたいな無愛想なガキにっ! 何で……テメェが……テメェが消えりゃ良かったんだ!」
無遠慮な音を奏でていた足もやはり無遠慮に、頭だけ隠した俺の体を踏みつける。
内側から見る冷蔵庫は真っ暗で、その奥はどこまでも続いていた。その中に二つ。怪しく丸い何かが光る。
「にゃう」
ネコ……いや、ミーア?
「にゃ?」
ミーア。ミーアがペロリと俺の額に舌を這わせた。
あの死んだ夜みたいだ。
死んだ夜。ミーアがいた夜。ホームレス狩りの金属バットに殴られた夜。
……死んだ? ホームレス狩り?
俺はいつホームレスになった?
違う。これは、それよりもっと昔の話だ。
昔……あぁ、そういう事か。
この世界は……。
「いつもの夢か……」
そう口にした瞬間。夢は急激に色を失った。
目を開くと、岩を削っただけの部屋。逆さまのミーアの顔が、俺の顔を舐めている。
「……良いタイミングだったぞ」
人差し指で顎を撫でると、ごろごろと心地良さげな声を漏らす。
あの糞親父も飽きずによく夢に出てきやがるな。
家族が増えて十年目。
家と家電が変わって五年目。
親父の会社が潰れて、冷蔵庫を殴るようになって二年目。
音を気味悪がった親父が冷蔵庫を殴らなくなって一年目。変わりに俺の傷が増えるようになったのもその日から。
それから一年目の冷蔵庫が壊れた日。見たくも無いのに、何故か最近良く見る夢だ。
あぁ、気分が悪い。
狐娘の薄苦い茶が飲みたい。
◇◇◇◇◇
昔、不思議な絵を見た事がある。
森で佇む少女の周りに多くの動物が集まり、少女の声に耳を傾けている絵。
丁度、今そんな感じだ。
「――と、言う訳で、アンタらさえ良ければドラゴン様の巣に来てくれ」
俺を囲んでいるのがハイエナを模した魔物という点に目を瞑ればであるが。
岩に腰掛けるノールの長は俺の言葉を聞き終えると、背後に控える二匹と顔を見合わせ、独特の高い鳴き声で意思の伝達を始めた。
言語で無い為その内容は解らないが、たまにチラりとこちらに寄せる視線には剣呑とした色を含んでおり、どうにも落ち着かない。
山の魔物の受け入れ。
その旨を伝える為、リザード達に各魔物の縄張りへと走って貰ったのだが、ノールの群れだけはリザードマンと折り合いが悪いらしいので俺が出向いた次第である。
だが、コイツらに囲まれるこの状況。内心穏やかではいられない。
まず、風貌が怖いのだコイツら。
猫背で立つ姿はあまり大きくは無いが、二足歩行でありながら肉食獣を思わせる。
なんたって、長が俺を見た時の第一声は「不味そうだ」である。
俺を見るなり味を想像しやがったのだ。そんな奴らに囲まれて気が安らぐ筈も無く、ついつい魔力を張り巡らせてしまうのである。
一応ミーアを連れてはいるが、コイツの実力は不明瞭。些か不安を拭えない。
「竜の従者よ」
掠れ声の長の言葉にハッと意識を戻すと、肉食獣の瞳が俺を覗いていた。
「巣に赴けば竜は我らを守ると言ったな?」
「あぁ」
「我らが人族如きを恐れると。そういう事か?」
「フーッ!」
ギラリと光った長の目に反応してか、ミーアも魔力を放って威嚇した。
止めろ。刺激すんな。
「アンタらは人間と戦うつもりか?」
「人が剣を抜けば牙で応える。それがノールの誇りだ」
長の言葉に周りのノールが甲高い声で吠えた。
やる気満々かよ。
自分達の行動が山全体を巻き込むという意識が無いのか。まぁ、俺達が言えた事では無いが。
しかし、コイツらこんなに喧嘩っ早い癖に、縄張りは一番人里に近いのだから始末が悪い。
なんとか巣に引き入れておきたい所である。
「人間相手に一度牙を剥けば、今度は倍の数がやってくるぞ」
「望むところだ」
「それを討てば、また倍。いつまでもそれを繰り返すつもりか?」
「おう。山が荒らされる限り戦い抜く。人族如き、どれだけ来ようと軽くあしらってくれるわ」
はぁ? 何言ってんだコイツ。
「さっきから人族如きって……アンタらそんなに強く無いだろ」
ピシリ。と空気が凍りついた。
「あっ」
「にゃ?」
失言である。
周りからの視線が熱い。元々良くも無かった場の空気が一気に冷えていく。
だが、ノールから感じる魔力はリザードマンと同程度かそれ以下なのである。
長にしてもカルラの方が上だ。特に最近彼女はメキメキと力を付けている。
喋りはコイツのが流暢だが、カルラの方が愛想も礼節もある。これは関係無いか。
「貴様……我らが人族よりも弱いと言うのか!?」
「いやいや、違う……訳でも無いんだが……」
我が巣の防衛時は情報を元にした戦術で押しきっているが、そのリザードマンより強い奴なんてのも、侵入者には幾らでもいるのだ。
それを、何故コイツはこうも自信満々にふんぞり反って、勘違い発言ぶっ放てるのかと思うと……つい。
ノール達が甲高い叫びを挙げて威嚇してくる。
さて、どうしたものかと思っていると、長が己の腰を置いている岩に手を叩きつけた。
「良かろう。それだけ大口を叩く人族の力を見せて貰おうか!」
何が良かろうか。俺が強いと言った覚えは無い。
軽く二十以上を相手に見せる実力など俺は持ち合わせてないぞ。
「待て! 俺に敵対の意思は無いぞっ?」
しかし、俺の心情など知った事かと、長の言葉を切欠としてノール達がジリジリと距離を詰める。
これは、やっちまったかもしれん。
一発二発浴びる覚悟で『逃走』を使って逃げるか? 逃げ切れるだろうか?
「掛かれ貴様ら――ぐぉっ!?」
そんな算段を立てていると、真っ正面から迫る長の右肩に突如として矢が突き刺さる。
俺に向かっていた殺気がぐるりと方向を変え、ノール達が矢の飛んで来た方向へと一斉に視線を向けた。
「ギャィィッ!」
しかし、そちらとは別の方向から飛来した矢がノールを襲う。
俺は見た。
今向かってきた矢が這う蛇のように畝って軌道を変え、矢尻からは薄らと光が放たっていた事を。
これは只の矢では無い。スキルだ。
「タキシードの方! 今の内に逃げなさい!」
どの方向にいるのかわからない、山彦のように響く声。
これもスキルだろうか。
その声を追うようにまたもや長に矢が迫るが、何度も食らうかと爪ではたき落とす。
何者かがノールを狙っている事は間違い無さそうだ。
そして、何者かは先の言葉から察するに、ノールに囲まれた俺を襲われていると見て助けようとしているのだろう。
まぁ、勘違いでは無いのだが。
つまり、ノールは『不幸』にも俺が襲われた瞬間に、たまたま居合わせた冒険者の襲撃を浴びたのだ。
「これもお前……だよな」
「にゃん」
わざとらしく一音あげた返事をくれるミーア。
さぁ来いと言わんばかりに差し出す頭を撫でてやった。
恐ろしいネコである。認識を改めねばなるまい。
「貴様ら、声と矢に惑わされるな! 匂いが無いという事は敵は風下だ。風下に掛かれ!」
当惑していたノール達は長の檄にハッと意識を取り戻し、叫びと共に風下へと一斉に駆けた。
だが、それを迎え撃たんと飛び出す影一つ。
外套を翻して両手剣を構える少年。
弓を持っていない事とその背後からノールへと矢が放たれている事を鑑みるに、放った者は別。最低二人いる。
「もう大丈夫だ! なんたって俺が来たからな!」
少年は軽妙に言い放つと、木を経由した三角跳びの要領でノールの群れの真上へと跳び上がった。
「あぁ! また敵の真ん中に!」
「“大衝撃”!」
なにやら咎めるような声が木陰から聞こえたが、少年は構う様子無く光を帯びた剣を上段に構え、ノールでは無く地面へと勢いそのまま振り下ろした。
それは斬撃と言うより爆撃が相応しい。
土が抉れ、爆心地となった少年の付近にいたノールが、余波と礫に打ち据えられて吹っ飛んだ。
なるほど、あんなスキルもあるのか。
ちょっとした魔法代わりになりそうなスキルだが、隙がデカイな。
「さぁ、掛かって来い! ダガゴ村の勇者様が相手してやる!」
すぐに構え直す少年。えらく狭い範囲の勇者である。
しかして、数分前に人間を軽くあしらえると鼻息を荒くしていたノール達は茫然と見守っている。
何してんだコイツら?
機先を取られたとは云え、やられたのは少数。四方八方から攻撃出来るチャンスなのに。
「何だあの道具は……あれは剣では無いのか?」
長のぼそりとした呟き。それを聞いてハッとする。
この山の不可侵誓約。人は山を侵さず、魔物は人を襲わず。
いつからの決まり事かは知らんが、もしかしてコイツら……人間と戦った事無いんじゃないのか?




