第三十六話 英雄さんの苦悩
マシロ達が巣を構えるグリム山を内包するヴェルキア王国。
ここは遥か昔、群雄割拠の戦国時代に礼節深く勇猛なる騎士を従える国として大陸に名を馳せた国であった。
しかし、長き興亡の果てにその領土の多くは削られ、食の国と呼ばれるほどに落ちぶれてしまった。
その弱国に突如頭角を表した英雄。彼を迎えた女王は歓喜と共に宣言した。
「天は何故我らに英雄を遣わしたのか。今こそ我が国を脅かす竜を討ち、ヴェルキア騎士の誉を天下に知らしめる時である」
英雄。天下。ヴェルキア騎士の誉。久しく使われなかったその言葉に、ヴェルキアの騎士は湧いた。
出番と言えば大国の露払い。援護。補給物資の輸送。
騎士らしい仕事は無く、鍛えた武勇を奮う事無く終える日々。
そこに漸く訪れた、栄光を取り戻す場。
「この英雄に聖騎士の称号と宝剣を与え、王家の旗を預ける。命を越え、誉れを重きとする者。志願せよ」
それは、強制では無いにも関わらず。竜と言う無比なる相手にも関わらず。誰もが声を挙げた。
流石に自国内の騎士全てを出す訳にはいかず、その中で精鋭が絞られたが、それでも総数五百の騎士。
しかし、女王の思惑は別にあった。
その思いは伝国の宝剣が与えられる場に於いて、密かに英雄にのみ告げられる。
「私はまだ死ぬ訳にはいかぬ。必ずや竜の血肉を持ち帰れ」
女王の体は病魔に蝕まれていた。
女王を突き動かすものは騎士道に反するもの。生への執念。
その執念の源は、王家の跡取り問題にある。
女王は先代王との間で一女に恵まれたが、娘は生来体が弱く二十を待たず世を離れた。
だが、その一女もまた男子を授かった。
女王が倒れた時この王子が王位を継承することになるが、未だ齢十五。一国の主となるには若すぎる。
権力の座と言えば聞こえは良いが、そこは一歩入れば心を喰らう伏魔殿。
彼が王位を継げば、王子は早々と権力の座を引き摺り下ろされると女王は考えていた。
「あの人が私以外に産ませた子に、国を好き勝手にされるなど……死んでも死にきれぬ」
最早、その姿は怨霊。女の身でありながら三十余年その座を守り続けた女王の眼には、喜怒哀楽に愛憎が混ざり合い濁りを放つ。
その眼は、聖騎士の称を得た英雄をもってして心胆寒からしめた。
◇◇◇◇◇
英雄――フランツ・クラウス・フォン・コルドコールは王城に与えられた一室に戻った途端に膝を震わせて、深くため息を吐いた。
ため息を吐けば幸せが逃げるなどと言うが、そんなものに構っている暇は無い。今は胃に穴を開けようとするストレスを逃がす事が先決である。
彼は用意させた装飾をあしらえた椅子にも座らず、扉にもたれてその場にへたりこんだ。
「……ヴェルキアの女王があんな人外だったなんて」
フランツは扉の前に控えるであろう衛兵に聞こえぬようボソリも吐き出すと、先の女王の眼を思い出しぶるりと肩を震えさせた。
若者の燃えるような気概とも、百戦を越えた武人が放つ研ぎ澄まされた殺気とも違う、腐肉に這い寄る蛆のような妄執に。
「なんで……なんでこんな事になったんだ。僕は尊敬されたかっただけなのに……」
言いながら、震える膝を押さえる。
八つ当たりに部屋を荒らしてやりたい気分であったが、そんな事をすれば衛兵が部屋にやってくる。
だから、彼は押さえ込むしか無いのだ。己の中の葛藤を己の中だけで終わらせるべく。
彼を包むは後悔の念。
半月前。彼は竜退治に赴き見事に失敗したが、竜は何を思ったか自らの巣を破壊し尽くして、何処ぞへ飛び去ってしまったのである。
それをありのまま報告したところ、あれよあれよと言う間にフランツは竜を追い払った英雄になってしまった。
フランツも悪い気はしなかったので強くは否定せず、その栄誉をやんわりと受け入れた。
それが失敗であった。
竜は何故か四つ隣の山に再び巣を構え、女王は先の宣言を以て、フランツにこれを討てと命じたのである。
天から地どころか、一気に地獄へと突き落とされた心境であったろう。
「嫌だ嫌だ嫌だ……もうあんな怪獣と戦いたくなんか無い」
その日以来、彼は悪夢を見続けている。
夢の内容はいつも同じ。あの日、彼の見た竜。
フランツ達など眼中に無いように暴れ狂い、無差別に破壊の息を吐く暴力の顕現。
しかし、夢から醒めてもまた悪夢。
竜の巣攻略作戦を練るという悪夢である。
「あんなの……人間に勝てる訳が無いのに……」
しかし、そんな事を言う訳にもいかず、日々作戦内容という名の死に様と、作戦決行日という名の命日を決める話し合い。
地位。名誉。欲しいものは確かに手に入れた。今では威張り散らしていた父親が、猫撫で声で彼の機嫌をとるようになった。
だが、たった一つ。未来が無い。
英雄には憧れても、その代償に二十そこらで英霊になるのは真っ平ごめんである。
「聖騎士様!」
ノックの音に、フランツはビクリと体をすくませる。
何故この国の騎士は皆、声が大きいのだ。
そんな不満を抱きながら、やはり口にする訳にはいかず、彼は一度小さく咳払いして喉を整えると緊張を悟らせないように返した。
「……どうした?」
「聖騎士様に面会を求める者が来ております!」
またかと肩を落とす。
彼が王城に住み出してから、彼の知己を名乗る者が面会を求めて後を絶たない。
やれ、安全を祈らせろだの。やれ、マジックアイテムを買えだの。やれ、遠い親戚だのと。
フランツはうんざりとしながらも、扉の外へ尋ねてみた。
「どんな方かな?」
「若い女です! 追い返しますか!?」
「……少し待ってもらえ」
若い女と聞いては放っておけぬと、フランツは素早く身嗜みを直して別室に向かった。
待っていたのは、簡易な皮鎧を着ている所を見ると、冒険者であろう女。
丈の短いスカートの癖に椅子に座って際どく足を組み、艶かしい太股を露出させている。
フランツがその一点に集中していると、女が先んじて口を開いた。
「あら。アナタがフランツ様? どんなゴリラが来るのかと思っていたけど、こんなに素敵な方だとは驚いたわ」
言いながら足を組み直し、熱っぽくフランツを見つめる。
春。そんな言葉がフランツの頭を過った。
「初めましてお嬢さん。私はフランツ・クラウス・フォン・コルドコール。一応、聖騎士を名乗らせてもらっている」
「私はマキア・ガゼット。初めましてフランツ様。この国でアナタを知らない人なんていませんわ。一応だなんて、フランツ様は思っていたよりずっと謙虚な方のようね」
「ハッハッハ。そうなってしまうのかな? ところで君は、私にどんな用があって来たのだい?」
歯が光りそうなスマイルでフランツが問い掛けると、女は意味深げな笑みを浮かべて返した。
「アナタみたいな素敵な方がドラゴンとの戦いに命を懸けるなんて、とても残酷な事だと思うの」
その言葉に、フランツは現実を思い出して顔をしかめた。
しかし、女の言葉は「だから」と接がり。
「簡単な黄金竜の殺し方。教えてあげましょうか?」
―To be continued―




