第二十七話 ドラゴン様と従者さん
今のゴシュジンの心を象徴するかのように固く閉ざされた待機の間。その扉を開いたのは俺では無かった。
「巣の防衛も部下の訓練もまだまだだね。こんなに簡単に侵入出来てしまったぞ」
扉を開くなり軽い口調でそんな事を言われたゴシュジンは眼を丸くしている。
それは言葉を発した赤毛の優男に向けてか、情けなくも優男に抱えられたボロ雑巾のような俺達に向けてか。
ちゃんと謝れない内にこんな形の顔合わせとなるとは、泣けてくる。
何故俺がこんな惨めな体勢に甘んじているのかと問いかけられれば、答えは簡単。動けない。
正にボロ雑巾の如くこの優男に負けたからだ。
侵入者。深紅の外套を翻し、レティ、レティ、レッティと叫ぶ狂人じみた優男は、終始飼い犬と戯れるかのような爽やかな笑顔で俺を打ちのめした。
相手が悪かったと言えよう。それは、優男のもう片方の腕の中で、自称生と死を併せ持つ不死王が目を回している事からもわかる。
いや、ホント。何で俺の戦う相手は格上ばかりなんだろうね。
こっちに来てからゾンビ以外まともに倒した記憶が無いんだが。
情けなくも侵入者をゴシュジンの前に通してしまった訳だが、それでも俺の心に焦りは無い。
爽やか美青年が拳を交えながら言っていた言葉。それを証明する外套と強さ。
「父……上……?」
「パパと呼びなさいレティ」
ゴシュジンのお父上なのだ。この御方。ヘラヘラ顔も髪の色も、全く特徴は似ていないが。
深紅の外套は俺達に見慣れた物で、ゴシュジンのいつも纏っている物と同じ紋様が描かれている。
レティとはゴシュジンの愛称。それを呼べると言う事は、ゴシュジンの名を知っているという事。
そして、何より自分をパパと言って憚らない。こんな奴は侵入者である筈がない。
俺達とてそれを疑いもしていなかったのだが、このお父上は「掛かってきなさい!」と何故かやる満々で人型のまま俺とフェイランを蹴散らした。
結果。ボロ雑巾が二枚お父上の腕の中にある訳である。
「捜したよレティ! 私の用意した巣にいない時は驚いたが……うん。元気そうで良かった」
お父上は軽やかに俺達を投げ飛ばして、ゴシュジンへと歩み寄る。
狙って投げてくれたのか、エリザベスの上にぽよんと着地する。なんだか、もう、泣いてしまいたい。
「何をしているのですか貴方は!」
「へ?」
と、ゴシュジンにしては珍しい怒声が響く。 顔を上げると、険しい表情のゴシュジンが赤毛を睨んでいた。
そのまま、後ろ姿だけでも萎縮しているとわかるお父上の横を抜けて、忙しない足取りで俺達の元に歩み寄るゴシュジン。
「大丈夫ですか? 二人とも」
「あ、あぁ。俺は大丈夫だが、フェイランは気をやってしまった」
合わせ辛いと思っていたご主人の顔に浮かぶ憂慮の色。
それに僅かに戸惑いながら答えると、ゴシュジンは再び背後のお父上へと視線を向ける。
「父上。何故二人がこのような状態になっているかお答えして頂きましょうか」
お父上は尚も笑顔を崩さず、しかしてその頬を引きつらせながら肩をすくめる。
「いやぁ……ハッハッハ。巣の防衛機能があまりにも芳しく無いようなので、少し訓練を付けてやろうと思ってね」
「誰がそのような事を頼みましたか!」
「な、何を怒っているんだいレティ? あっ、わかったぞ。大好きなパパが急に来たからビックリしているんだね?」
プチ。スイッチが入ったような、切れたような。
とにかくそんな効果音が似合う、ゴシュジンの瞬間的な雰囲気の変化。
狭い部屋に結構な人数がいるにも関わらず、寒気を感じた。
「貴方はいつもそうです! ちゃらんぽらんと行動しては、素知らぬ顔で責任をとろうともしない! 私が振り回されるならば良いでしょう! しかし、私の仲間を傷付けておいてなんですかその態度は!」
「ひぃっ!?」
お父上が手を前に出して、突風に煽られたように顔を守る。何だか解らない内に竜の父娘喧嘩が始まった。
「出ていって下さい!」
「で、でもねレティ……」
「出ていけ!」
「はい!」
そして、その喧嘩はすぐに収まった。父竜の退室という形で。
お父上が駆け足で出て行くと、ゴシュジンは体中の空気を抜かんばかりに深く息を落とした。
そして、沈黙。発言しにくい雰囲気。
「なぁ、ゴシュジン」
けど、そんな空気を読まずに口を開く。
勝手に開かれた扉だが、今、眼の前にゴシュジンがいる。なら、俺には話さなければならない事がある。
「悪かった。いや、ありがとうと言うべきか……」
ゴシュジンが怪訝な表情を浮かべる。
言ってから、俺も脈絡の無い言葉だと感じた。こんな時に言う言葉では無いのかもしれない。
「俺の命はゴシュジンに救われた。だからありがとう。そして、ゴシュジンを傷つけたこと。悪かった」
だが、そのまま続けた。
ゴシュジンは俺が何の事を言っているか理解したようで、その細い眉を折り曲げて憂いの映る眼を逸らした。
「感謝など……謝罪など……。私が勝手にやってしまった事です。マシロに不快な思いをさせてしまった事……こちらこそ謝らねばなりません」
「違う。俺はそんな事思っていない」
「マシロ。本当の事を言って下さい」
嘘なんて付いていない。
俺は本当にゴシュジンに感謝している。この命は二度も救われた。
一度目は捨てる筈の命を。二度目は失いたく無い命を。
なのに、何故それを嘘と言うのか。何故こちらを見てくれないのか。
「気味が悪いなんて言って悪かった。でも、それは本心じゃ無い事はわかってくれ」
「……それ以上嘘は止めてください。あの時のマシロの言葉は確かに本心でした」
言葉が届いていない。俺の一言一言にゴシュジンが傷付いている。それが伝わり胸が締め付けられる。
辛いな。何故、俺は否定してしまったのか。何故、そんなにも俺を否定するのか。嘘だと信じるのか。
「……あぁ」
そうかと心に答えが導かれる。
あの時、俺を見ていたからだ。嘘を見抜く竜の眼が。
そして、俺を見ようとしていないから。本心を語る俺を。
だから、今俺が何を言ってもゴシュジンは心を傷付ける。
嘘だと信じてしまうから。
なら、簡単じゃないか。
「ゴシュジン。俺を見ろ」
震える膝を掴んで、無理矢理体を起こす。
痛め付けられた体は何とか俺の命令に答えてくれた。
尚も床に向けられたゴシュジンの眼。いつもの自信に溢れた眼じゃない。臆病な眼。
「逃げないでくれ。ゴシュジン」
その細い肩を掴むとビクリと強張る感覚が伝わる。
何故、こんなに臆病な眼をしているのかわかった。俺の嘘に怯えてるんだ。そんなに信頼されていたんだ。俺は。
「俺も逃げない。何でも聞いてくれ」
本心をぶつける。そして、本心を受け取ってもらう。
そうだな。フェイラン。
ゴシュジンの眼がおずおずと。だが、しっかりと俺を捉える。
「……私の血は不気味ですか?」
あとは何も混ぜなくていい。どうせ口下手考えるな。思うままに。
「気味が悪い訳なんて無い。知ってるか? ゴシュジンの本当の姿を見る度に。その雄大さに。その美しさに。俺は頭が痺れてる。その偉大な命を分け与えてもらった事を誇らしく思うよ」
一息に言い切り、少し息が苦しくなる。
ゴシュジンはそんな俺をじぃと見詰めた。ただ、真っ直ぐに。
俺がそれを受け止めると、ゴシュジンはその瞳に憂いを含ませて口を開く。
「……不安だったのです」
ボソリと。耳を澄まさなければ聞こえないほど小さな声。
けど、その碧玉の瞳は神秘的に俺を映して。
「マシロから伝わる感情は希薄で……本当は私の事を迷惑な竜だと思っているのではないか……と」
感情が伝わる? ……まさか。契約の魔法陣の事か?
いや、そう言われればゴシュジンの感情が一方的に俺に伝わるのはおかしな話だ。そうか。俺の感情もゴシュジンに伝わっていたのか。
「感情の伝導が少ない主従は絆が薄いと言われています。それを考えると私は……」
ゴシュジンは言いながら体が当たる距離まで近寄り、こちらを見上げながら俺の胸をぎゅうと握りしめた。
「違う。俺はずっとゴシュジンの事を考えている。ゴシュジンの為なら何でもやってやる。不安なら何度でも誓ってやる。俺はゴシュジンの従者だ」
魔法陣なんざどうでも良い。この気持ちは胸を張って言える。誰にも負けないと。
その心に嘘など無い。
「わかっています。でも、私は何も返していません。やっと返せたと思えば……マシロは……気味が悪いと」
「うっ……」
それを言われると耳が痛い。
けど、ゴシュジンの眼はもう怯えていない。
多少の茶目っ気を含ませた、悪戯ぽい顔。
これはただの意地悪だ。ため息を一つ吐いて、ゴシュジンに頭を下げる。
「それについては悪かった。でも、もうわかってるだろ。それは俺の本心じゃ無い」
「はい。嘘ではありませんね」
ゴシュジンは夕凪を象徴するかのように穏やかさで、微かな笑みを含ませた。
「俺はゴシュジンから十分貰ってるよ。返しきれないくらいだ」
「私は竜ですよ。人と相容れない畏れられる存在です」
「俺とゴシュジンもそうなのか?」
俺の問いにゴシュジンは含み笑いで答えた。
「まさか」
もう。不安は無い。威厳を従えた顔がそこにあった。
「キィィィッサァマァァァァッ!」
そこに突然扉が開かれ、響く声。
手の中にあるゴシュジンの小さな肩がビクリと震える。
振り返るとすっかり忘れていた赤毛の優男ことお父上が、その中性的な顔を夜叉のように変えていた。
そして、どうやら夜叉の狙いは俺のようである。
「レティはまだまだ嫁になどやらないぞ! キミ! その手を離したまえ!」
と、なにやら見当違いな事を叫んでらっしゃる。
何をどう勘違いしているのかは何となく分かる発言であるが、その内容は大変面倒臭そうだ。
俺の辟易した感情とは相反して、ゴシュジンの表情は烈火。
そう言えば、お父上は赤竜だそうで、当然ゴシュジンもその血を引いている。
その竜としての特徴は怒りの激しさ。その遺伝子を受け継いだゴシュジンの怒りは如何程か。
さて、またゴシュジンを宥めねばならない状況となりそうである。




