第二十一話 従者さんの貧血
高位の魔物は、何の術式も用いずにアンデッドとして甦る場合がある。
必要な物は二つ。一つは血石。もう一つは未練。この世への強い意志だ。
グリム山。先代山の主は高位の魔物で、高い知性と残忍性を持つと恐れられ忌み嫌われていた。
それ故、人族のみならず他の魔物までも、山に近寄る者は居無かったと聞いている。
但し、それは外敵に対してだ。彼女は己の群れだけを山に置いた。
高位になるにつれ、足手まといとなる群れを離れる魔物も多い。
だが、彼女は己の欲より、群れの安寧を望んだ。この山に小さな楽園を築く事に生涯を費やしたのだ。
だからこそ、リザードマン達は未だに彼女に忠誠を誓っているのだろう。それが例え変わり果ててた姿であっても。
「ガギギギィアアアアァギギァァ」
腹筋が潰れ、喉だけで無理矢理発声したかのような雑音。音の羅列。
空へと運ばれる中、そんな彼女の声を聞いた。
山が手の平に隠れる大きさになった時、体に掛かる重圧が解ける。
空中に投げ出され、毛穴という毛穴からふつふつと汗が吹き出るのを感じる。
死。その一文字が眼下に広がる。
リザードの長のだらだらと涎を垂らした顔がこちらに振り向き、縦長の瞳孔が虚空を透かして俺に視線を定めた。
三度目の失敗をするほど、俺はアホではない。
あれは弓。次の瞬間には俺を刺し貫く矢となって放たれる。
「来いっ! 『聖棺人形』!」
騎士人形を展開。長との直線上に現れたそれが鈍い金属音を響かせ、車に撥ねられたかのような衝撃が胸に走った。
「ギッ!?」
騎士の向こう側に、衝突したであろう長の翼。
敵の姿を捉えた事は、この窮地に於いて絶好の機。
十字板を展開し、最速で『繰糸』を騎士鎧に通す。
ぶつかっただけの肋骨が酷く痛んだ。それは、敵の攻撃力が『聖棺人形』を上回っている事を意味する。
敵は遥か格上。シチュエーションは最悪。
本格的な空中戦に持ち込まれれば、肉弾戦しか戦闘手段を持たず、翼も無い俺は終わる。
だから、この一瞬。活かす。
「逃がさんぞっ!」
『繰糸』という神経が通った騎士の長い腕が敵の足を掴む。機動力。それを駆使される前に潰した。
「ギイイイィッ!」
「ぐぅっ!」
安堵は一瞬。長はゾンビらしい反応の鈍さは見せてくれず、躊躇無く騎士に爪を振るった。
肩から腹に向かい鋭い痛みが走る。服の下で肉が裂け、赤黒い染みが広がった。
やはり格上。『聖棺人形』が盾の役割を果たせないほどに。
だが、ここは空。進退は極まっている。敵の攻撃が防げないならば、攻撃のみに専念するしかない。
「らああぁぁッッ!」
「ギビィッ」
無理矢理に敵を引き寄せ、空いた拳を顔に叩きつける。
鋼の衝撃に敵の体が仰け反り、空中に涎を撒き散らした。
耐久力だけは多少ゾンビ化しているのか、想定以上の脆さ。
攻撃は通る。ならば、それだけが唯一の対抗手段。
「悪いな。女だからといって容赦出来るほど俺は強くないんだ」
再び足を引き寄せて、拳を振るう。振るい続ける。腹。肩。頭。どこでも良い。敵に付け入る隙を与えぬように。
鋼が鳴り、玩具のように弾かれる長。だが、その瞳は苦痛では無く常に俺を映していた。
純粋で本能的な欲求を込めて。
――ニクヲクワセロ。
音となり、鼓膜を揺らすかのような直情。
恐怖を抱き、哀れでならなかった。
甦るほどの未練を抱きながら、食欲に貪られている彼女が。
「……お前の無念は仲間を残して死んだ事だろ? だが、お前は――っ!」
「ギイッ」
長が翼をはためかせ、叩き込もうとした拳が頭を掠めた。
「あっ……?」
馬鹿が。怯んでいた。思考を止めていた。無闇に拳を振るって勝てる相手か。
長が無防備な騎士に手を振り下ろす。その形は手刀。長く鋭い爪が騎士の身体に突き立てられた。
それは打ち込まれた鉄杭。
ずぶり。腹を異物が突き破る。
どぷり。中から血が漏れ出るのがわかった。
「があああぁぁぁぁぁっ!?」
考えるより先に痛みを拒絶し、喉から悲鳴が溢れる。
意識が急激に狭まる中で、手に衝撃。長の足を掴む騎士の手が弾き飛ばされたのが見えた。
「ギヒィッ!」
長の体が離れていく。騎士の手の届かぬ所に。
笑っているように見えた長は、大きく息を吸い込むように仰け反り頬を膨らませた。
何が来る?
思考が追い付かない。痛みが邪魔をする。
膨らませた口から、僅かに零れるゆらめく炎。
ブレス。
そう言えばコイツはドラゴン様の眷属だった。
空中では『聖棺人形』を盾とする事も出来ない。防ぐ術が……無い。
あぁ、クソ。脆いのは俺の方だ。心を乱すからこうなった。
「三十秒? もうちょっとか? 俺にしちゃ耐えた方だ」
「ギイイイィィィィッ!」
勝利の雄叫びか。食への歓喜か。それとも、何の意味も込められていないのか。
開かれた長の口からは焔が溢れ、夜空を染める赤が押し寄せた。
「タイムアップだ」
同時にそれを霞ませる眩いばかりの黄金も。
優しく受け止めるように輝く大地が俺を迎え、左右に立った山のように雄大な翼が翻ると、激しい風が空を照らした焔を掻き消えてしまった。
「悪いな。その姿は腹が減るんだろ? ゴシュジン」
「ええ、とても」
返ってくる声が、何とも俺の心を安らげてくれた。
助かった。溜め息を漏らすと、身体中の傷か途端に痛みを訴え出す。
「傷はありませんか? マシロ」
「……あぁ、大事無い」
ゴシュジンは傷に気付いていない。タキシードと夜の闇のせいか。
ならば、俺は隠さなければならない。
「凶暴化は大丈夫なのか?」
空気に鉄の味を感じたが、出来るだけ平静な声を作って問い掛けた。
俺の傷でゴシュジンが心を乱せば、それこそ洒落にならないブレスがここら一帯に降り注ぐ事になる。
「多少怒っていますが、一分程度なら問題ありません」
ウルトラの三分の一の制限時間を宣告された。
どうやら、ゴシュジンも平静を装っているらしい。だが、平静を装えるという事は、一分あれば十分と言う事。
「ギィ? ギガグギッ!」
突然現れたゴシュジンを邪魔物として捉えているのか、威嚇音らしき声を出す長。
長は再びゴシュジンの背に立つ俺へと視線を定める。
あくまで狙いは俺か。
眷属でありながら、ドラゴン様の存在すらも理解出来ないとは。最早、種としての意思も残っていないと見える。
長が翼を広げる動作を起こし、俺が身構えた時。その加速する瞬間にゴシュジンの角が雷を纏った。
直後、轟音。否。轟雷。
角から四方八方へ稲光が駆け巡る。それは、雷の結界。
「ギイィィィィィィッ!?」
その結界内に飛び込んだ長は、腹から下が焼け落ちた姿を晒した。だが、それでも。全身を焦がして尚。俺へと突き進む。
まだ。まだだ。そんなになっても、まだ瞳に宿るのは俺への欲望だけ。
そこに俺の聞いた、群れを守る為に生きた先代山の主はいない。ただ歪な、長の身体に棲んだ何か。
「お前は死ぬべきだ」
肉を食む為だけに眼前に迫ったゾンビに、鋼の拳を叩き込む。
「ギ……」
群れを守る為に練磨したであろう、何度も鋼の拳を受け止めた長の身体は、空気を殴るみたいに手応えが無く、炭の破片となり砕け散っていった。
「済みませんマシロ。思った以上の生命力で、そちらに逃がしてしまいました」
「いや。片付いたよ。それよりもゴシュジン。時間は大丈――アレ?」
長い首を回して振り返ったゴシュジンに、大丈夫というジェスチャーで手を振ろうとすると、突然景色が曲がり平衡感覚が朧気になる。
何だこれ。立ってられない。
俺の意思とは別に膝が折れ、その場で尻餅を着いた。
「マシロ? どうしたので――っ? この匂いは……血! 傷を負ったのですか!?」
ちょっと待ってくれ。そんなに早口で言われても解る訳……あれ? ゴシュジンの背中、こんなにぐにゃぐにゃだったか? これは……幻覚というヤツだろうか。
自分が自分で無いみたいな。
「マシロ! 傷を見せて下さ――」
「落ち着かれよラティーシャ殿!」
あん? 誰の声だ?
ここには俺とゴシュジンしか……。
「確かに主殿は傷を負っているが、まずは地上に降りる事が先決です!」
あぁ、やっぱり幻覚だ。いや、幻聴か?
だってこんなの……あり得ない。
『聖棺人形』が喋るなんて……あれ、意識が……そう言えば……俺……腹に穴……。




