第一話 「神隠し?」
田んぼの上を、温い風が吹いていた。
夏休み。
実家に帰って三日目になる。
帰省したところで、何かが変わるわけでもない。それは自分が一番よくわかっている。
就活サイトを開けば、お祈りメール。
面接では笑って、頭を下げて、帰り道で、「ああ、また駄目だろうな」とわかる。そんなことの繰り返しだった。
父さんが死んでから、母さんは「無理しなくていい」というようになった。
でも、そんなわけないじゃないか、と思う。
僕が、早く就職して家にお金を入れないと……
地元を離れて東京の大学に進学してからも、僕はお金のことばかり心配していた。
世間が思い描くキラキラしたキャンパスライフとは無縁。
サークルも、ボランティアも、趣味もほとんど何もしていない。ただ、アルバイトと節約をビルの間であわただしく繰り返した。
母さんに負担をかけたくなくて、仕送りはもらわず、奨学金と自分でアルバイトをして学費と生活費を賄った。
お酒にも、ギャンブルにも手を出していない。
授業にも毎回出席した。
なのに…
何もうまくいっていない。
なんで世間の企業は、こんなにいいやつを採らないんだろう。
大学四年の夏なのに、未来が全く見えなかった。
だから、というわけでもない。
ただ家にいるのが苦しくて、俺は外を歩いた。
これは一種の逃避行だ。
幼少期に見慣れた田んぼ道を、あてもなく進む。
蝉の声。
用水路の水音。
軒先の風鈴と、無駄に音量のでかいテレビの音が田んぼ道の古民家から聞こえる。
それは、まるで映画に出てくる神隠しの舞台のようだと、夏が来るたびに思っている。
ぼんやりと歩いていると、不意に視界の端に細い道が映った。
草に半分埋もれた、山へ続く脇道。
小さい頃から存在は知っている道だった。
けれど、だれかがそこを通っているのを見たことは一度もない。
「…こんな道、あったな」
気まぐれだった。
僕は足を踏み入れる。
最初はただのあぜ道みたいだった。
けれど、進むにつれて道幅が狭くなっていく。
汗が首を伝う。
人々の生活音が遠ざかる。
二十分ほど歩いたころだった。
急に視界が開けた。
「……え?」
古い道路だった。
昔の県道か何かだろうか。
標識は根元から曲がり、ガードレールは赤茶けて崩れている。
白線はほとんど消え、アスファルトには無数のひび割れがある。
廃村や世紀末の景色みたいだ。
なのに、木々の隙間から差し込む光だけが妙にきれいだった。
その少し開けた場所に―—小さな人影が座っていた。
「…?」
女の子だった。
小学生くらいに見える。
白い髪が肩のあたりで揺れていて、薄い水色の着物を着ていた。
こんな山の中に。
一人で。
普通なら、それは魑魅魍魎か何かだと確信し、慌てて逃げる状況だろう。
だけどその少女は、輪郭だけは妙にはっきりしていて、不思議な存在感があった。
僕は思わず声をかけた。
「ねぇ、君」
少女が顔を上げる。
琥珀色の瞳だった。
どこかぼんやりとした目で僕を見つめて―—次の瞬間、ぱっと表情が明るくなった。
「……あっ」
その顔は、驚くほどうれしそうだ。
「お参りの人?」
「……は?」
予想外の言葉に、思わず間の抜けた声を出してしまう。
少女はガードレールから飛び降り、とととっと駆け寄ってきた。
「すごい、すごい! 本当に来た……!」
近くで見ると、やっぱり子供だ。
背も低いし、顔だちも幼い。
「え、ちょ、待って。君こんなところで何して―—」
「お参り、してくれるの?」
期待に満ちた目だった。
僕は言葉に詰まる。
その視線に妙な息苦しさを覚えた。
「……いや、俺は別に」
そう言いかけると、少女の表情が少し曇る。
「……違うの?」
手を前で組んで、もじもじしている。
なんなんだ、この子。
「もうすぐ夕方だし、早く帰らないと危ないよ……」
「かえる?」
「うん。親、どこにいるの?」
「おや?」
本気で意味が分からない、という顔だった。
少女は小さく首を傾ける。
「スイ、ひとりだよ?」
当然のことみたいに言った後、少女はくるりと後ろを振り返った。
木々に埋もれるようにして、石段があった。
「ここ、スイの神社だもん」
風が吹いた。
葉擦れの音が、やけに大きく響く。
僕はしばらく黙ったまま、崩れかけた鳥居を見上げる。
そしてもう一度、少女を見る。
彼女はどこか誇らしげに笑ってた。
「スイは、スイって言うの。幸福の神様なんだよ」




