Elección
青い髪に山羊の角、茶色い瞳をした亜人の少女。
凛とした立ち振る舞いと、芯のある、涼やかで澄んだ声。
目の前の少女をじっと見つめながら、ゆっくりと記憶を辿る。
おぼろげな思い出の中に、彼女の姿を探し求めて。
失った記憶を取り戻すために、過去を旅する冒険者のように。
その旅路は遠く深く、俺という存在の深淵へと続いていく。
そして、その最果てに。
遠い昔の、まだ幼い彼女の姿が――――。
「はい? まったく知りませんよ。以前お会いしていたなら、申し訳ないですけれど」
「だよな。うん、知ってた」
もちろんあるわけがなかった。
メリムは貴族の娘で、俺とはまったく別の場所で生まれ育っている。通りですれ違うことさえあり得ない。
そもそも、俺はつい最近まであの島で暮らしていたのだ。彼女に限らず、外の世界に知り合いなど、居るはずがないだろう。
「なぜそんな質問を私に?」
「いや、忘れてくれ。たぶん、ちょっと遊ばれただけだ」
「あの子たちの言っていたおかしな話ですか? 確かに、身内がどうとか話していましたけれど」
「やっぱりずっと見てたんだな」
「偶然です。だいたい、あんな目立つ騒ぎがあったら、私でなくても気になります」
「偶然? ここに隠れているわけじゃないのか?」
「ふざけないでください。誰がこんな逢引き宿なんて、いかがわしいところに潜むものですか」
「逢引き宿?……あぁ、そういう」
言われて部屋を見渡せば、確かに変わった部屋だった。
行燈の明かりや調度品を含めた内装が、すべて桜色の狭い室内。部屋の大部分は、大きな二人用のベッドに占領されている。
お香が焚かれているせいか、身体に纏わりつくような甘ったるい匂いが漂っていた。気づいて意識してみれば、両隣の壁からは、かすかに嬌声が洩れ聞こえてくる。
なるほど。これはさすがに、ずっとは居られない部屋だ。
「騒ぎが気になって見に来たのですけど……シヴィラが居ましたから。様子を窺うために、この部屋が最適だっただけです」
「すぐに離れるべきだったんじゃないか? 見つかる可能性もあったぞ」
メリムは床に視線を落とすと、硬く、張り詰めた表情を浮かべた。
「シヴィラが――あの子が人を殺してしまうのではないかと……そう思ったら、動けませんでした。本当は、私が止めなくてはいけないはずなのに」
感情を押し殺したような、抑揚のない声だった。
どうやら俺は、メリムと悪魔たちの関係を、少し誤解していたのかもしれない。てっきり相当険悪なものだとばかり思っていたが……。
「お前が止めに入ったところで、無駄だっただろう。仮にシヴィラが手を止めたとしても、符穏は止まらなかった」
「かもしれません。けれど、それは関係のない話です。私には雇い主の娘として、二人を止める義務がある」
「雇い主? お前とアイツらはどういう関係なんだ?」
「見たままですよ。あの子たちは、当家の使用人です。もちろん、言葉通りの扱いではありませんけれど」
「要は家出したお嬢様を、使用人が連れ戻しに来たって話か。なぜ帰らないんだ?」
「それは言えません。でも、私は帰るわけにはいかない。なにがあっても、お父様の願いを叶えてはいけないから」
そう言うとメリムは、なにもない床を睨みつけた。
まるでそこにいる誰かを、厳しく非難するような眼差しで。
コイツの話を要約すれば、悪魔との関係は単純なものだ。
メリムの親父が悪魔と契約した。
そしてその願いを叶えるためには、娘が必要らしい。
あの二人は親父の指示で、メリムを追いかけているのだろう。
メリムの役割なんてものは、聞かなくてもだいたい想像がつく。そりゃ帰りたくもなくなる話だ。
『山羊と悪魔の物語』なんてものは、相場が決まっている。
だが、親が子を利用するなんて、別に珍しい話じゃない。
貴族ならよく聞く、政略結婚やなんかと同じことだ。
捧げるのが身体か命かの違いでしかないのだから。
「そうか、まぁ頑張れ。だがどうせ逃げるなら、国外にでも出たらどうだ?」
「貴方は私に、お父様を見捨てろというのですか!」
適当に言った言葉が、見事に地雷を踏みぬいたようだ。
呼吸も荒く、顔を真っ赤にするような勢いで、怒鳴られてしまった。
「別に変わらんだろう? どこにいるかの違いでしかないと思うが」
「――それは、でも」
メリムが珍しく言い淀んでいる。
たぶん、返す言葉が見当たらないのだろう。
「……そう気にすることでもないと思うけどな。自分の命が一番大事なのは当然だ。恥ずかしい事じゃない」
「勘違いしないでください。私は、我が身可愛さで逃げているわけではありません」
一切の感情を排したような、冷たい視線に射抜かれる。
よほど気に障ったのか、俺の言葉に食いつく勢いだった。
「お父様のお役に立てるなら、この身体も、命も、喜んで差し出します。けれど――」
凛とした声が、ズシリとした鉄の塊のような音に感じた。
無表情で語る彼女の内側にある、静かな怒りを乗せたように。
「これだけは違います。悪魔に願うだなんて、協力するわけにはいかない。絶対に」
その表情は彼女の、強固な意志を物語るようだ。
同時に父の行為がメリムにとって、いかに受け入れ難いものなのかを感じさせた。
「破滅すると分かっていて協力するのは、見捨てるのと同じことです」
「……分からんな。だったら逃げていないで、悪魔を何とかする方法を探せばいい。それこそ、符穏に協力すればよかっただろう」
「それは……そうですけど」
さっきまでの決意の固さはどこへ行ったのか。
途端に歯切れの悪い口調で、尻すぼみにボソボソと喋り出した。
「なにかできない理由でもあるのか?」
「……分かってはいるんです。けれど、あの子たちは……私が物心ついた頃からずっと一緒にいて……だから」
「情が移ったとでも? 偉そうに語った割りに、ずいぶんと半端な覚悟だな」
「貴方には人の心がないのですか!? 自分にとって大切な人を、そんな簡単に切り捨てられるわけがないでしょう!」
メリムがまた、強い怒りを露わに叫んでいる。
その姿を俺は、自分でも驚くほど冷めた目で見つめていた。
「出来る。少なくとも、俺はそうした」
「え――――?」
俺は親父を殺し、イヴを選んだ。
どちらかを必ず選ばなければいけなかったから。
大切なものを、どちらか一つだけ選ぶ。
その時、どちらも選ぶなんて都合のいい選択肢は存在しない。
出来るかできないかではなく、選ぶしかないのだ。
そうして自分の選択を、一生背負いながら生きていく。
メリムの様に迷うのは無駄だ。
他に方法なんて、ありはしない。
「せいぜい、よく考えるんだな。とにかく、知りたいことは聞かせてもらった。これで貸しは無かったことにしてやる」
言いたいことを告げて、窓を開ける。
やはり俺には関係のない話だった。
もう二度と会うこともないだろう。
彼女たちがどんな結末を迎えるか、興味がないと言えば嘘になるが。かといって、積極的に知りたいわけでもない。
実は、たった一つだけ。
悪魔も親父も守りたいという、メリムの願いを叶える方法はある。けれど、それをわざわざコイツに教えてやるほど、関わるつもりもなかった。
だからこれでお終いだ。
そう結論を出して、入ってきた時と同じように、窓から外に出る。
「待って下さい!」
出ようとした矢先に、今度は俺が呼び止められた。
「あの……貴方、悪い人ですよね? 先ほども、貴方は何もしていないのに、必死に逃げようとしていましたし」
頭に浮かんだ明確な違和感。
明らかにメリムの様子がおかしく、とても嫌な予感がする。
「――面倒が嫌いなだけだ」
「そうですか。では、いまから統制局……警ら隊に通報しても、なんの問題もないのですね」
「お前……」
「やっぱり困りますか? でしたら――」
俺は忘れていた。
コイツがとんでもなく、切り替えが早い女だということを。
そして――、
「私に、協力していただけますか?」
地頭のいい女だということも。
読んでくださっている方、ちらっと覗いてくださっている方もありがとうございます。烏です。
年内、割りと多忙になってしまうので、更新頻度が落ちます。すみません。
可能な限り投稿する予定ですが、基本的に週1~2くらいのペースになってしまうと思います。




