9 彼女を殺したのは僕だけのものにしたかったからです
「検察官が公訴事実を立証する証拠は以上のとおりです」
若宮検事がそう言って結んだ。
「では弁護人の方はいかがですか」
岡田裁判長が弁護人の方を向いて言った。
「弁第一号証として診断書を提出します。また被告人質問を申請します」
「検察官、ご意見は」
若宮検事が立ち上がった。
「同意します」
「では、弁護人、弁第一号証の立証趣旨を説明して下さい」
弁護人が立ち上がった。
「被告人は現在膵臓がんで、ステージ3まで進行しています。量刑におかれましては、被告人の現在の健康状態も考慮していただきたく証拠として診断書を提出いたします」
ステージ3という言葉に、法廷からざわめきが起きた。
その後は、被告人本人の質問だった。
まだ、30代なのに抗がん剤の影響なのか、頭髪は薄く顔はむくんでいて顔色は悪かった。
最初に弁護人が質問をした。
「被告人はどうして被害者を殺害しようと思ったのですか」
被告人はうなだれたままだった。
「責めているのではありません。どうしてあなたがそういうことをしたのか法廷で述べてもらいたんです」
被告人は泣き出した。
「好きだったんです」
「誰のことですか」
「被害者のことです」
「どうして好きな人を刺したんですか」
「もちろん、最初はそんなつもりはありませんでした。CDやグッズを買いライブに行ったりする普通のファンでした。でも被害者を応援しているうちに本当に好きになってしまったんです」
「本当に好きになるとは具体的にはどういうことですか」
「被害者のことしか考えられなくなりました。朝起きたら、真っ先にSNSをチェックして、通勤の電車でも、会社でも、何をしていても被害者のことばかりを考えているようになりました」
そこで被告人は言葉をつまらせた。
「それで、その後どうなりました」
「僕がこんなにも被害者のことを思い、苦しいのに彼女は僕をどう思っているのだろうと思いました。それで彼女のSNSのアカウントに自分がいかに被害者のことを愛しているかを知らせるためにDMを送りました」
白髪の弁護人は眼鏡の奥の目で優しく頷いた。
「ところが、ところがです。こともあろうに僕のDMやコメントをブロックし始めたんです。別に返事をしてくれなくてもいい。だってアイドルですから。でも僕の気持ちは受け止めてくれている。喜んでくれていると信じていたのにブロックしたんですよ」
被告人は興奮した口調で証言台を叩いた。
「被告人、証言台を叩かないで下さい。落ち着いて」
岡田裁判長が注意をした。
「申し訳ありません」
被告人が頭を下げた。
「僕の彼女への気持ちと、心の苦しみは高まるばかりでした。そして彼女のSNSを見ると、僕がこんなに苦しんでいるというのに、友達と美味しいスイーツを食べたとか、どこに遊びに行ったとか、そんなことばかりが並んでいます。僕はそれを見ているうちに憎しみというか、怒りのような気持ちが沸き上がって来ました」
被告人は当時の感情が蘇ってきたのか言葉を震わせた。
「そんな中、ネットで彼女が他のアイドルグループの男性と付き合っているという記事を見つけました。僕の怒りは頂点に達しました。アイドルグループの男性と付き合うなんて裏切り行為じゃないですか。僕の告白をブロックして、その裏でアイドルグループの男といちゃついている姿を想像したら、抑えが効かなくなりました。自分だけのものにしたい。誰にも渡したくない。そう思うようになりました」
そこで被告人は言葉を切るとまた下を向いた。
「それで被害者を刺したのですか」
「そうです! 自分だけのものにしたかった。僕にはそれしか方法がなかった」
「自分のやった行為について今はどう思っていますか」
「本当に馬鹿なことをしたと今は思います。あの頃の自分は少しおかしくなっていたとしか思えません」
「どうして自首したのですか」
「健康診断で膵臓がんが見つかったからです」
「どうしてがんの発見が自首につながるんですか」
「見つかった時はもうだいぶ進行していました。まだ若いのでがんの進行のスピードが早く、治療が追いつきません。すぐにステージ4になるはずです。もう余命はいくばくもないと思いました。そこで、罪を告白し、償いをしてから死にたいと思いました」
「以上です」
弁護人の質問が終わった。
その後、検察官が尋問したが、同じような答えの繰り返しだった。
「では、裁判官から質問をします」
「はい」
「被告人は前科前歴もなく、優秀な成績で明慶大学を卒業し、大手の企業に勤務していましたね」
「はい」
「君の経歴だけを見ると、とてもこんな凶行におよぶ人には見えないんです。しかも犯行時は十分に分別もつき落ち着く年齢でした。実際にお付き合いしたことも無い芸能人への恋愛感情から、こんな犯行するとはにわかに信じがたいのですが、どうしてこのようなことをしたのかその心情をもう一度話してもらえますか」
「初めてだったんです」
「何が、ですか」
「恋をしたことです」
「被告人はこれまでお付き合いをした女性はいましたか」
「いません」
岡田裁判長はまだ納得はできかねるという表情だったが、それで質問を終えた。
「では、最後に質問のある裁判員はいらっしゃいますか、何かあれば手を挙げて被告人に質問をして下さい」
誰も手を挙げなかった。
私には一つ訊きたいことがあった。
「あのう」
恐る恐る手を挙げた。
「どうぞ」
「質問があります」
「では裁判員から質問してください」
「はい。ではおうかがいします」
被告人が私のことを見た。
「あゆ……」
おもわずあゆみちゃんといいそうになったが言葉を飲み込んだ。
「被害者の素顔を見たことがありますか」
法廷には、何を訊いているのだという空気が満ちた。おそらく素顔がどうこうという意味がわからないのだろう。
検事が使ったモニターにはあゆみちゃんの顔写真が何度も映し出されていた。もちろん仮面なしの素顔だ。
それを見て、あゆみちゃんは美人だから被告人が恋をしたというのも納得したのだろう。
だけど、仮面舞踏会は仮面をかぶったアイドルだ。素顔を見せていない。それほど、あゆみちゃんを好きだったのなら、被告人はその素顔を見たことがあるのだろうか。
被告人は固まったような様子だった。何か考えているようだった。
「被告人、今の裁判員の質問はいかがですか」
岡田裁判長がしびれを切らしたように言った。
「素顔は見たことはありません」
被告人が答えた。
法廷からざわめきが聞こえた。
私は、素顔を見なくてもそこまで恋するというのは、Vチューバーのファンのガチ恋勢と一緒なのかしらと思った。Vチューバーのガワであるアバターに本気で恋愛感情を抱くガチ恋勢は確かにいる。もちろん中身の素顔は見たことが無い。
しかし、ガワが顔を仮面で隠しているということは通常は無い。
アバターの容姿に恋するのだ。仮面をしていては顔が見えない。だから普通はそこまで熱を上げることはないはずなのだ。
それに、あゆみちゃんの声は可愛くなかった。
顔を隠していて声が可愛くないあゆみちゃんに、実際に付き合ったこともないのに、そこまで強い恋愛感情を抱くものなのだろうか。
そんなことを考えているうちに証拠調べは終わった。
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