03.魔力の扱い方
「しかし、よくやったよなあ」
「よくやった、とはどういう意味でしょうか」
魔王様は、魔力の扱いに不慣れだ。強大で、魔族の中で一番の魔力量を誇っているというのに、それを使う術をあまりにも知らなすぎる。
幼子でも成長の過程で魔力の扱いを知っていくというのに、あの方はそれが許されない環境にあった。
魔王に就任してから少しずつ、自分ができる範囲で魔力の制御や扱いを教えさせていただいているが、魔王様の飲み込みは早い。魔力の感知だけでいうのならば、自分のほうがまだ魔王様の魔力を正確に感知できずにいることに、焦りを感じるほど。
そこで魔王様から提案された事を実行しているこのタイミングで、耳に届いたのはここ最近よく聞くようになった男の声。思わずその場で身を隠すようにしゃがみこむ。
「とぼけるなよ。分かってるんだろ」
「とぼけてなどいませんよ」
「あの魔王に取り入って、今や護衛だもんな。いち部隊長が、大出世だろ」
相手は、前魔王様の時の軍の仲間だろうか。今の魔王様は自分の扱いきれない力を持つつもりはないと言って、軍隊を一度解体した。というか、魔王の代替わりで自然と軍隊の形を作れなくなってしまった。
魔王様に反発して勝手に軍隊を解体した兵士たちは、一応まだ城にいるけれど今までのような仕事を与えていない。だからだろう、閑職扱いされていた部隊の隊長が魔王様の護衛をしていることが気に食わないらしい。
もしかしたら、ヴェルメリオは自分たちに見せないだけで、今までもこのような絡まれ方をしていたのだろうか。溢れ出しそうになる感情を抑えるように、ぐっと唇を噛んだ。
「それで? いつまで書類を拾っているんですか?」
しばらく言いたい放題させていたのだろう。ヴェルメリオの声はほとんど聞こえなかったが、相手の声はそれなりの時間響いていた。なかには、耳を塞ぎたくなるような言葉もあった。それを全て受け入れたヴェルメリオが、明らかに自分に向けて声をかけてくる。
「……気づいていたのですね」
「これでも、魔王様の護衛を仰せつかっていますから。」
ふふ、と微笑んでいるように見えるけれど、その碧眼は全く感情が読み取れない。ヴェルメリオがどうして魔王様の護衛になったのか、その理由は聞いても教えてもらえない。魔王様から聞いた話だと、誰か頼むと軍に伝えただけらしいけれど。さっきまでの言葉の応酬を聞くに、誰かに押し付け合った結果、ヴェルメリオに役目が回ってきたようだった。
ちらりと視線を先ほどまでの相手が去っていったほうへ向けたからだろうか、ヴェルメリオがため息交じりで呟いた。
「ああ、先ほどまでの相手は気づいていません。その程度の実力ですよ」
「あなたは、そうではないと? ヴェルメリオ」
「それは、あなたのほうが良く理解しているのではないですか」
先ほどまでと違う笑みは、自分の実力を理解しているからだろう。確かに、ヴェルメリオは今までの軍の中でもあまり現場に出されることのない、やる気のない者たちが集まる部隊に所属していた。
だからといって、実力がないとは限らない。戦闘訓練を積んでいるわけでもない自分の拙い魔力の抑え方でも気づかない兵と、しゃがみこんだ位置まで正確に読み取ったヴェルメリオ。どちらの実力が高いか、なんて比べるまでもないだろう。
「まあ、自分が勝てるとは思ってもいませんが」
「適材適所、ってやつですよ。私はそれを処理したくありませんし」
とんとん、と抱えた書類を指さしてにたりと笑う。下働きという肩書ゆえ、この城で数えきれないほど粗雑な扱いをされてきた。別に今更そのことについてどうこう言うつもりはないし、その時間があったから学んだこともある。
これは、人を見下している笑い方ではない。ヴェルメリオのことは未だに良く分からないし、正直どうして魔王様の護衛をしているのかも理解できないが。
今はこの笑みの理由が分かっただけで、十分だ。
「それで? 魔王様の魔力は関知できたんですか」
「ど、どうしてそれを……」
「魔王様から相談されましたから。魔力の使い方について」
そういうことか。どうして魔王様がこのようなことを言い出したのか、少しだけ疑問に思っていたけれど、ヴェルメリオの助言からだったのか。
城の中の業務でしか魔法を使わない自分よりも、戦闘などでも使っているヴェルメリオのほうが扱い方をよく知っているだろう。戦いの場において、魔力を暴走させる危険などについても、きっと詳しい。
「そういうことですか。自分では魔力の扱いを上手く伝えられませんから」
「だから、適材適所ですよ。さ、行きましょう」
悔しく思わなかった、と言えば嘘になる。けれど、魔王様が今よりも魔力を上手に扱えるようになるのであれば、自分の感情など些細なことだ。
そうして迷いなく城を歩き始めたヴェルメリオの後ろをついてゆく。自分でも、魔王様の魔力を探りながら。
「見つけましたよ」
辿り着いたのは、中庭。自分が魔王様の魔力を探っていたのは同じ中庭だけど反対側の廊下の端だったので、近いけれど正解ではなかった。
「ヴェルメリオ? グランバルドと一緒だったのか」
見上げないと気づけない、いい位置でうたた寝でもしていたのだろうか。魔王様の声はいつもよりものんびりとしているように聞こえる。
ストンと軽い音を立てて自分たちの目の前に飛び降りてきた魔王様は、二人で一緒に行動していることに驚いているようだ。自分だって、あの場で話など聞いていなかったら一緒には来なかった。
「ええ。この側近が魔王様の魔力を上手く関知できていませんでしたので。保護してまいりました」
「ヴェルメリオ! 保護とはどういうことだ!」
こういうことを、涼しい顔して言うからだ。あの兵の言葉を受け流していたことと、魔王様の魔力を感知できない自分のことを馬鹿になどせずここまで案内してくれたことで、少しだけ見直していたのだが。
どうやら、そんな程度でヴェルメリオに対する認識を改めてはいけなかったようだ。
「あー……悪かったな。俺が上手く魔力を使いこなせていれば良かったんだが」
「魔王様のせいではございません! 自分の感知能力が未熟なばかりに、お手間をおかけしてしまって申し訳ありません」
城の地理は、すべて頭の中にある。問題は、魔王様の魔力が強大すぎて感知しようにも大雑把な場所しかわからないことだ。魔力の濃いところに魔王様がいるのはわかるのだが、その範囲が広すぎて詳細まで読み取れないから、こうして子供が遊んでいるように隠れてもらって、感知した魔力を頼りに魔王様を見つける訓練に付き合っていただいたのに。
「ま、こればかりは慣れとしか言えませんね。先の調査でしばらく私が遠くに行く予定は終わりましたし、お付き合いいたしましょうか?」
「それは助かる! あ、でも軍の訓練だってあるのに、大丈夫なのか?」
その軍は、ほとんど機能してないけれど。前魔王様のように何部隊も編成を組んで、任務にあたらせるほどの人数だって残ってはいない。
城に残って自主訓練を積んでいる兵たちを集めて、ようやく前魔王様の一部隊分になるかどうか、といったところか。それでも、残ってくれただけ助かっている。それをまとめるような働きをしてくれているのも、ヴェルメリオなのだが。
「おや、魔王様が心配なさるようなことは何もありませんよ。それに、護衛する側から言わせてもらうなら、自分の身を守る程度の魔法が使えないのはいささか不便ですので」
「だから魔王様にそのような言い方を」
「いや、グランバルド。ヴェルメリオが言うことは正しい。俺は足手まといになりたいわけじゃないからな」
足手まといも何も、貴方を守ることが護衛の仕事なのですが。そう言いかけたけれど、言葉は飲み込んだ。魔王様の金の瞳が、力強くヴェルメリオを見ていたから。
その視線を受けたヴェルメリオは、とても満足そうに笑っているけれど。
「結構です。それでは、明日から少しお時間をいただきましょう。スケジュール調整をお願いしますよ、側近さん?」
「もちろんだ」
それが、自分の仕事なら。きっちりとスケジュールを作り上げてみせる。
スケジュール調整は、思ったよりも簡単だった。
魔王様の署名が必要な書類は毎日上がってくるが、今のところあまり大量でもない。
魔力の扱い方を学べば、業務にも魔法を使えるだろう。
こればかりは、ヴェルメリオに感謝だな。