13.これはどこに置こうか
執務室の片付けから、魔王様が掃除にはまり始めた。確かに片付けて机が広くなったり今まで資料で埋め尽くされていた床の見える面積が増えていくことに、ある種の達成感がなかったとは言えない。だが、埋まってしまった棚を増やすために魔王様自ら新たな棚を作るまでになるとは。
おかげでここしばらくの業務は半日書類に費やしたら、残りは執務室をよりよくするための改装の時間だ。
「魔王様、これはどちらへ?」
「んーっと、こっちの奥に入れるか。あんまり使ってないよな?」
「そうですね。最近はあまり確認していませんね」
あまり人手を増やしてしまうと指示がこんがらがってしまうだろうという魔王様の配慮から、大きな棚や机、ソファーなどを動かすときには下働きに声をかけて手伝ってもらった。けれど、それ以外は魔王様と自分だけで模様替えを進めている。
そのおかげか、執務室は魔王様と自分が仕事をしやすい配置になっているので、効率は前よりもだいぶ上がっている。なのでこうして半日ほどを改装に使っていても、今までと同じ程度の書類を捌くことは出来ているのだが。
「失礼します」
「ヘンドリック? 何かあったのか?」
コンコンコン、と控えめなのにしっかりとした音のノックが響いた。入室の許可を出した後に顔を出したのは、ヘンドリック様。
軍の再編は、ヘンドリック様を中心として進めている。ヴェルメリオは部隊長ではあるが、魔王様の護衛として過ごす時間がほとんどだ。その辺りの人選も含めての再編をお願いしているので、時間がかかるのは承知の上だ。
そのヘンドリック様が、わざわざ通る人の少ないこの時間に執務室に来たのだから、魔王様でなくても何かあったのかと思うだろう。
「いえ。魔王様に報告するようなことは、なにも。ただ、ヴェルメリオが不在ですので」
「お気遣い、ありがとうございます。おかげさまで魔王様は何事もなくお過ごしですよ」
「何事もなく、ですか……」
苦笑してから向けられたのは、あちらこちらに積まれている資料の山。そして動かしているだろう形跡の残る家具。書類を書き上げるための魔王様の机はそのままだけれど、他の部分についてはかなり大幅に手を入れた。下働きに手伝ってもらって動かしてこれで大丈夫だと思っていたものが、今になって別の場所にあった方が使いやすいと気づいてしまった家具については、自分たちだけで動かしているから少々置き方が雑だ。
「ま、まあ多少騒がしいのは目を瞑っていただきたく。この部屋の使い勝手を少々整えておりまして」
「あー、もしかして、どっかから苦情でも入ったか? 最近ちょっと物の移動をしているからなあ」
文官たちから書類が届くのはたいてい昼間。魔族という単語のイメージから夜に強いと思われがちだが、別にそんなこともない。そこは個人差だが、この城の文官たちの業務としては朝から夜まで働いて、その後はしっかりと休んでもらっている。
そんな休むべき時間に物音が響いていたら満足に眠れないのだろう。それは分かるので、魔王様も自分も注意は払っていたのだが。
「苦情までは聞きませんが、様子をうかがう声は私の耳にも届いております。ですが、どうやら心配は杞憂だったようですね」
「申し訳ございません、ヘンドリック様。おそらくもうそこまで困らせることはないかと思います」
魔王様が作ることを存外楽しんでおられたので予定よりも多くなった棚。それでも、これ以上作ると置き場所に困ってしまうので先ほど色を塗ったもので終わりにする予定だった。
配置を変えるのだって、あと二日ほどあれば終わるだろう。そうなったらこの部屋に動かすべきものは何もなくなる。
「……魔法を使わなかったのですか?」
「使ってみたんだが、これがまた細かい調整には向いてなくてなあ。グランバルドと、下働きの連中には悪いと思ったんだが、人の手でやらせてもらった」
ヴェルメリオから魔法のレッスンを受けて魔王様も自分も、魔法の使い方は以前よりもかなり上達した。重いものを動かすための補助魔法があることも、もちろん知っている。
けれど、細かく位置を指定することは、魔法ではいまいち上手くいかなかったのだ。自分がもっと魔法を学んでいたらと思ったが、そんな後悔は動かすべき棚の前では全く役に立たなかった。
魔王様は書類仕事で凝り固まった体を解すのにちょうどいいと笑っていたけれど。
「なるほど。次があるようでしたら、このヘンドリックをお呼びください」
「助かる。次はそうさせてもらうわ。まあ、たまにはこうして運動するのも悪くないけどな」
腰を折ったヘンドリック様に、魔王様はにやりと笑っている。他の者だったら家具の位置を変えるだけで、軍の再編と指示で忙しくしているヘンドリック様を呼び立てようなんて考えもしないだろう。
魔王様のあの笑い方だと次の機会があったら何の躊躇もなく呼び立てるのだろうけれど。ヘンドリック様もそれを期待してああ言ったようにも見えたから、おそらくにこやかに応じてくれるのだろう。
「それで、部屋は整いましたか」
「ああ、ばっちりだ! これで書類も捗る、といいんだけどな」
「魔王様の署名が必要な書類が多すぎますからね。目を通すだけの物もありはしますが……」
どうだと言わんばかりに両手を広げた魔王様は、自分の作った棚を嬉しそうにヘンドリック様に教えている。まだ色を塗ったばかりだら触れてはいけないと注意してあったのに、それを忘れていたのかバンバンと棚を叩いた魔王様の手は、染料で茶色くなっている。
苦笑いしたヘンドリック様が洗浄魔法を使ってくれたので、一瞬で元のきれいな手に戻っていたが。
そんな二人の様子が、年の離れた兄にじゃれる弟のように見えてしまって、ぎゅっと目をつぶって緩く頭を振ることで自分の考えを外に追い出した。
ヘンドリック様は古参の方なのだから、そんな気安い考えをもっていい相手ではないのだ。
「そこはおいおい、調整していくさ。若手も順調に育っているみたいだしな」
「その日が待ち遠しいですね」
待ち遠しい、そう思われているのだったらなるべく早くその日を迎えたいじゃないか。ヘンドリック様の穏やかな笑みが、どうしてだか自分に向けての挑戦に見えた。
「さて、もう少し話に付き合っていただいても?」
「構わないぞ。それに、前から話をしたいと思っていたんだ」
「なんと。それは光栄なお誘いですね」
それから夜通しヘンドリック様と話した。大切なこともいくつか話したし、それはメモを残したけれど、それ以外の内容は、あまり覚えていない。ただずっと魔王様とヘンドリック様が穏やかに笑っていたのだけは、とても鮮明に頭に残った。
執務室の模様替えの話をしていたと思ったのに、いつの間にか軍にどんな人材が必要かという内容に展開していた時にはメモを取る手が少々止まった。
正しく、配置換えの話をしていたのだ。




