11.護衛と側近、あるいは密会
「それで、話したいことは何ですか?」
ヴェルメリオが退出してから、空になったバスケットを返しに行くと言って魔王様の元を離れた。厨房に向かう途中で、思っていた通りと言っていいのかヴェルメリオが待っている。待ち合わせでもしていたような自然さで隣を歩きだしたヴェルメリオに、つい険しい視線を向けてしまう。
「魔王様の護衛を担う者としては、側近であるあなたと話をするのは不自然ではありませんよ」
「ならばあの場で話を切り出せるはずです。わざわざ、魔王様のそばを離れて話すような内容なのでしょう?」
「あなたも、魔王様の前で話せないと判断したからここに来た。それが答えですよ」
そう言われてしまえば、反論ができない。そうだ、魔王様のいる場で話を切り出しても良かった。それをしなかったのは、おそらく魔王様に聞かせたくない話がある。そう感じた自分の直感を信じたから。
「まあ、お互い時間もないし手短に済ませましょう」
こちら、と手招きされたのは中庭の人目につかないところに置いてあるベンチ。そっと腰掛ければ周りの草が自分たちの姿を隠しているうえに、周りの音も遮ってくれているらしい。
人のざわめきも耳に届かない静寂のなか、話し始めたのはヴェルメリオ。
「魔王様は、どのような人物なのか」
手短に、そう言っていた通り告げられたのはあまりに簡潔だが、今の気持ちを的確に表現していた。ヴェルメリオが求めているのは執務室で頭を抱えながら書類仕事をこなし、厨房からの差し入れを食べて嬉しそうに笑う魔王様の姿ではない。
「先代魔王の側近が連れてきたのは知っています。ですが、この城に連れてこられる前にどこでどのように生活していたのか、それが分からない。あなたも、興味はありませんか。グランバルド」
魔王様に見せている穏やかさはなく、獲物を捕らえたような笑みを見せるヴェルメリオ。少しだけ背中を冷たいものが滑り落ちていったような感覚に飲み込まれそうになったが、ぐっと唇を引き結んでこらえる。
「……少し前に、書庫の整理をしていた時に見つけたものがある。ついてこい」
「おや。それが素の口調ですか。なかなか微笑ましい」
「取り繕う時間が惜しいからな」
「それもそうですね。書庫はどちらに?」
外向きの口調でいたらヴェルメリオの空気に負けそうになってしまうので、自分の一番話しやすい言葉に戻す。こんな話をしている相手に取り繕うこともないだろう、という思いも少しだけあったが。
そうして、書庫を案内するためにベンチから立ち上がる。
歴代魔王様が集めていたり使っていた書物をまとめて保管している部屋、書庫は城の一角を占めているほどに数が多い。そのなかでも今から向かうのは、あまり人の出入りのない書庫。
下働きの時に偶然見つけて、ちょくちょく人目を避けての休憩をしたいときに使っていたけれど、今まで一度も誰かがいることを見たことがない。今回は、人目を避けているのでちょうどいい。
「今の時間なら、人の通りは少ない。が、念のために鍵をかけておくぞ」
そして今日も、誰かがいる気配はない。おそらく話をしている間に誰かが来ることはないだろうが、万が一がないとも限らない。ヴェルメリオを先に通してから、廊下の様子もうかがってみるけれど、通りかかる人もいなさそうだ。
「それなら私が。防音もかけましょうか。破れる者は私よりも魔力の高い者だけですよ」
「……魔王様は、別の書庫で勉強中だ」
「側近も護衛もなしに、一人で?」
「書庫の前に警備の兵を置いている。お前の推薦があった者たちをな」
ヴェルメリオよりも魔力が高い、そう言われて思い当たるのは一人だけだ。魔法に明るい者ならもしかしたら解けるのかもしれないけれど、そんな人物がここに来ることなどおそらくないだろう。
自分たちが魔王様のそばを離れているのだから、代わりを置くのは当然なのに驚いた顔をしたヴェルメリオは、何かに思い当たったように小さく笑った。
「ならば、何かあったら責は私に。それで、見せたいものはどちらですか」
「……これだ」
魔王様がいったいどのような人物なのか。それが気になっているのはヴェルメリオだけではない。下働きを側近にするという酔狂な人選をしたのだ、どうして自分がそんな位置になるのか分からずにいた当時にあれこれ調べ回った。そのなかで見つけたのが、この書庫に放置と言って間違いない扱いをされていた書類。
いずれ時間を見つけてまとめ直さなければ、と思っていてただ掃除のためだけに来ていたこの書庫で、役に立つとは考えもしなかった。
「これは、貴族籍の」
「アンシアーズには王の血が流れている。だからこそ、魔王様は王冠を戴いているわけだが。そして、婚姻したり子が生まれたら報告する義務もある。最後のほうだ、よく読んでみろ」
前魔王様が書類処理に全く精を出していなかったのは知っていたが、ここまでだとは思っていなかった。よくぞこれで王として政務がこなせていたな、と呆れたくらいだ。
ぱらり、と静かに書類をめくる音だけが響く。そうして、いつしかその音すら止まる。しばらくその手の先にある書類を凝視していたヴェルメリオが、はぁと長く息を吐いた。
「先代魔王は、これを許可したのですか」
「ああ。おそらく、書類の意味も理解しないままに署名をしたのだろう。だが、どんな理由であったとしても、魔王の署名があればそれは正式なものとして認められる」
前魔王様の側近をはじめ、近くにいた方々が気づかないはずがない。魔王様が生家であるアンシアーズから籍を抜かれることを許可するなんて。これが残っているのを見つけた時の衝撃を、ようやく誰かに伝えられたことに安心して、自分も深く息を吐きだしてしまう。
「あの方が、魔王としてこの城に来たのは幸運だったんだ」
貴族籍のある魔族が、その籍を抜かれた結果は悲惨だ。家から追い出されるだけなら、まだ優しい。場合によっては、魔族を嫌悪している人族の国のそばにわざと置き去りにされたりもする。そうされた時の結末など、調べるまでもないだろう。
魔王様の籍は、王となる直前に抜かれていた。アンシアーズと名乗るあの方は、自分の籍が生家にないことをもしかしたら知らないのかもしれない。
「血を引いていたのは、当主でしたか。それならば今のアンシアーズは」
「当主が人族に討たれる前、後妻との間に一人子をなしているそうだ。薄皮一枚だが、繋がってはいる」
籍を抜いたのが、誰の手なのかはわからない。これでアンシアーズは魔王の生家という手札を失ったが、王の血まで失ったわけではない。後妻の子、つまり魔王様のあとに生まれた子供は、一応王の血を継いでいるのだから。
「その辺りの探りも入れる予定でしたから、これは助かりましたね。ヘンドリック様には報告しても?」
「この書庫に置いてあった部分に関しては。だが、現地で得た情報をどこまで伝えるのかは、お前に任せる」
「それは、重要な任務を仰せつかってしまいましたね」
書類仕事の合間に話をするようになったが、あの方はあまり自分の過去のことを話そうとはしない。それらしき言葉をこぼされても、踏み入った話までは出来ないからこうして、散らばった書類などから断片を拾い集めるしかない。
いつか、魔王様から直接聞かせてもらいたいとは思っているが。
「ああ、それとひとつ言っておきますが、魔王様の資質を疑っているわけではありませんよ」
書類をもとの場所に戻しかけ、もっと奥のそれこそそこにあると分かっていないと見つけられない奥にしまい込んだヴェルメリオは、にんまりと笑う。
「だって面白いじゃないですか。政治を学んでもいないのに、いきなり王という責務を背負った。それなのに日々の業務に泣き言をもらすこともなく働き、下働きとやる気のなさそうな部隊長を自分のそばに置く。ね。興味深いでしょう?」
自覚があったのか、そう思ったが代わりに口から出たのは、別の言葉。
「では、自分はこれで。ヴェルメリオ、くれぐれもよろしくお願いします」
防音魔法も解いてもらって、一応廊下の様子もうかがってから書庫を出る。思っていたとおり、ここには誰も近づかなかったようだ。
空っぽのバスケットを抱えて、ヴェルメリオに一礼すると面白そうにぱちぱちと瞬きを繰り返している。ああ、今日はなんだか今まで見たこともなかった表情をよく見るな、そんな考えがふっと頭をよぎった。
「別にそのままの話し方でも構いませんよ。側近と護衛の仲なのですし」
「いいえ。年長者は、敬わねば」
にやりと笑って踵を返したので、その後のヴェルメリオの表情は見ていない。
どんな酔狂だろうと気まぐれだろうと、自分を選んでくれたのは、あなたです。
魔王様のためならば、どんな仕事だってこなしてみせましょう。
「興味深い? 当然だ。我らの魔王様なのだから」




