8.逆宮怜悧
◎
「――何で嘘吐いたのよ!」
「だからごめん、って。悪気はなかったんだよ?」
「違う、謝らなくて良いから理由を知りたいの!」
「止むに止まれぬ事情があってさぁ。まぁ、落ち着いてよ桜子ちゃん」
「怜悧!」
――ここはゴースト・ハンターズの本拠地、法院寺。
雪代の霊的エネルギーの励起のために来た以来だから、およそ一ヶ月振りだ。
夏が近づき、大自然はうねりを上げている。
草むらは膝程の高さに成長し、虫が忙しなく視界を行き来した。
寺内に植えられた大樹は木陰を作り、風が心地良い。
そして、雪代桜子と逆宮怜悧の喧嘩。
喧嘩腰なのはあくまでも雪代の方だが。
「桜坂君と付き合ってなかったじゃない!」
「これからなる予定をね」
「ほら、思いっきり首を横に振ってるじゃん!」
「あんな態度だけど二人きりになると意外と乗り気なんだよ」
「もう騙されないから!」
俺は首を振って関係を否定する。しかし、未だ無理のある言い訳を続ける怜悧。
だが、まだ余裕がありそうだった。
「告白しても答えをくれなかったんだもん。それって暗黙の了解ってことじゃないの?」
あたかも俺が悪いかの言い草だ。
確かに保留はしている。ただ、言い訳させてもらうなら、それは冗談の範囲での話だったからだ。真剣なものならばっさりと断っている。
「それ本当?」
やはり、というか雪代は怜悧の罠に嵌まった。ヘイトは俺に向く。
そもそも告白における暗黙の了解、って何だよ、って話だ。それで付き合ったつもりになるとか病んでるにも程がある。
さて、何と答えるのが最も収まりが良いのか。
「決して嘘ではないな」
答えてはいない。
「最低」
端的な罵倒だった。
男らしさの欠片もない、とでも言いた気な目だ。
「じゃあ、今返事しようか?」
「そういうことじゃないでしょ」
ガチでお怒りの雪代。
「二人に何があったのか知らないけど、曖昧な態度取るのは良くないよ。あまつさえ人を騙すようなことを」
「俺はしてねぇよ」
「大して否定もしなかったじゃない」
「いや、まぁ…………面白がってた部分がない、と言ったら嘘だけど」
信じてくれなさ過ぎて笑えた。
むしろ、本当のことを知った時にどんな顔をするか楽しみだったまである。
「あんたら同類じゃない!」
少女の叫びが法院寺に木霊した。
「嘘は吐いちゃダメでしょ。人の信頼を裏切るようなことは何が何でもダメ。一度失ったら取り返しがつかないんだよ」
「……………………」
そんなことがわからない俺じゃない。
失念していたとすれば、この世界の中心が自分ではない、ということだ。
俺の人生、何をしても俺の自由。
だが、この世界には俺以外の人間が俺よりも沢山いる。
俺の都合は誰かの不都合なのだ。
ゴーストによって人生を狂わされた雪代の心の叫び。
何も響かないほど枯れてはない。
が、不服はある。根本的な問題だ。
どうして俺が怒られる――。
「何でそんな全く響いてなさそう顔なのよ」
「突っ込みどころがあるからな」
「はい?」
「俺はそもそもそこにいる怜悧に告白されてはいない」
告白を受けたのは事実。返事をしていないのも事実。
だが、そこにいる少女には言われてはいない。
感情値の限界に達したように雪代は脱力して目を丸くするのみだ。困惑の息が漏れる。
「は?」
「怜悧さん、雪代は純粋な奴なんだよ。どうしてくれる?」
「え、えぇ? 私のせい?」
「そりゃそうだろ。告白してないじゃん」
「いやいや、しましたよ」
罪悪感を微塵も抱いていなさそう声音。
そこに悪気はない。
そういう設定なのは重々理解しているがな。
「……結局どういうことなの?」
雪代は頭から湯気でも出てそうな放心状態で言葉を紡いでいた。
「怜悧、本当のことを言うからな」
「何のことかはわかりませんが、ご自由に」
怜悧は頑なに認めないが、事実はこうだ。
「俺が告白されたのは確かだが、それは怜悧ではなく、怜悧の三つ子の姉妹のどちらかだ」
三つ子が答えになる定番のなぞなぞがあるが、逆宮はまさに三つ子姉妹。
本格的にこんがらがって来てるようだ、雪代は相槌の一つも打ってくれない。そりゃそうか。
霊的エネルギーを見れば判別できるが、逆宮は識別のための名前を入れ替えている。誰が本物なのかは三人しか知らない。いや、三人も知らない可能性すらあるんじゃなかろうか。
「とにかく、三つ子の誰かが告白したと覚えておけば良いから」
「三つ子……」
「鋭利、怜悧、乖離、ってな。ゴースト・ハンターズの会合の時もたまに入れ替わってる」
気づいたのは俺だけだった。
だから、彼女らは俺に付き纏うようになった。挙句の果てに告白だ。
「あ、はい」
「理解を放棄した顔だ」
雪代のライフはもうゼロよ。
結局のところ、逆宮が何故こんなことをするのかはわからない。
意味はない、という線も考えられる。
だが、やりたいのならやれば良いとも思う。だから、文句は言うまい。
「いやぁ、思ったよりもバレなかったよ。思い込み激しいタイプなんだね、桜子」
「悪用するなよ」
「やだなぁ、冗談じゃん」
怜悧は悪気の欠片も見せず、笑った。
なかなかの悪者である。
そこに、カツカツ――と、石畳を打ち鳴らす音が会話に割って入った。
こんな寂れた寺院でハイヒールを履く女は一人しかいない。
風車寧色。
八坂真尋の恋人。
それだけで途方のない罪悪感が湧き上がる。気を遣わせるので表立っては見せないが、あまり穏やかではいられない。
「女の子二人して桜坂君を取り合ってるの? 私も混ぜて欲しいな〜」
「違います。むしろ、まとも取り合ってもらえなくてこんなことになってました」
「えー? 詰まんないの」
風車さんは子供みたいに言い捨て、真顔になる。
「鋭利ちゃん。依頼のこと良い?」
「うん。今回はこの二人も連れてくことにしたよ」
「そうなの? それなら上級ゴーストでも安心ね」
「上級……」という小さな呟しを誰が漏らしたかなど考えるまでもない。
「じゃあ、三人共いらっしゃい」
風車さんの案内に従い、境内から移動する。
やって来たのは四畳半程度の建物だった。何年も手入れされていないようで、どこもかしこもボロボロ。
中には生活雑貨が幾つか置いてあるが、生活感は皆無だ。
雪代は何故か顔を赤くしていた。
「こんなところでごめんね。人目がないところ、って言ったらここしかなくて」
「そこら辺に結界張れば良いじゃないですか」
「露骨だと怪しまれるじゃない。桜坂君、そういうところ直した方が良いわよ」
「そうだよ、デリカシーをね」
風車さんに諭される。
そして、怜悧が追撃してきた。君には言われたくねぇよ。
◎
「――また、空を飛ぶゴーストが見つかったわ」
風車さんはそう切り出した。
幽霊なんて浮いていそうなものだろう、という意見があると思う。全くその通り、人型ではないゴーストは浮遊していることが多い。
しかし、それを空を飛ぶ、と言うのは抵抗がある。
飛んでいる鳥に対して浮遊、という言葉は不適だ。
「でも、いつもの鳥獣型ではないわ」
「へぇ?」
怜悧は興味深そうに耳を傾ける。
「報告によると甲虫だって」
「甲虫? 夏に子供が捕まえるあれ?」
「そう。昆虫の甲虫。だけど、大きさは人間大って話よ」
等身大の虫か――漫画に出てきそうな奴だな。
甲虫も実にらしい。が、少し不可解だ。それは風車さん、怜悧も感じていること。
「虫型なんているんだね。ママは虫のゴーストは見たことある?」
「ないわ。動物は数回見たことがあるけど……」
「どんな動物がいた?」
「犬と兎ね。でも、大きさは本来のものと同じだったわね」
勝手に話を進める二人を他所に、困惑気味の雪代に軽く解説しておこう。
「一般にゴーストは人型だが、それは初級と中級に限る。上級はほとんど形がないんだよな」
「形がない……?」
「スライムだと思ってくれれば良いんだが、たまに動物とか存在する生き物になぞらえたものが出たりする」
「それが犬とか兎ね。昆虫はいないの?」
「虫が持つ霊的エネルギーなんてたかが知れている。ゴーストに至るほどのエネルギーはないはずなんだが…………例外はあるらしいな」
「例外ね」
甲虫、しかも巨大。
ゴーストが突然変異したか? あり得ない、とは言えない。悪魔の証明だ。
「こちらの見解としては上級ゴーストが甲虫の特性を吸収した、っていうのが濃厚かな。固有能力の可能性が高そうね」
風車さんは肩を竦めながら言った。
上級以上にもなると、こちらと同じように固有スキルを持つ奴もいる。それが上級が圧倒的に強い理由だ。説明しろ、って後で雪代に文句を言われるな。
しかし、吸収なんて聞くと嫌な想像が浮かぶ。
「まぁ、大丈夫でしょ。京都がいるしー」
「それもそうね。ヤバかったら何とかしてねー」
最終的に俺に丸投げすれば良い、という風潮がゴースト・ハンターズの中にはある。
それは俺がどこにでもいる例外だからだ。
「……善処します」
「善処してくれ給え」
「君は何様だよ、逆宮」
「じゃあ、任せたわよ三人共。イレギュラーだからくれぐれも気をつけて」
どこか憂いた表情をする風車さんだった。
人はすぐ死ぬ、と知っているからかもしれない。
◎
――翌日の日曜日、俺達三人は上級ゴーストの目撃情報があった都会近郊へとやって来た。
そこは小さな森だった。何のための土地なのか知らないが、堂々と不法侵入をしている。
その中、生い茂った木々を貫く一筋の影。
全長三メートルもある黒い羽が刃と枝を両断し、こちら目掛けて突っ込んでくる。青色に黒が混じったオーラが残像となってその身を追っていた。
「おいおい! これはマジでヤバいって!」
二方向に広がる一本角を咄嗟の〈霊纒〉で受け止める。
想像の一〇倍力強かった。踏ん張りが効かず、押し出されるように森林を貫いていく。
霊的エネルギーを背中に集中する。
ゴーストは俺を先端に引っ掛けたまま樹木に突撃した。運の悪い木はギギギ――と、けたたましい音を立てて薙ぎ倒される。
角に乗り上げたまま俺は森林の手前側と進んでいた。
「あうあうあうあう…………怜悧、どこにいるんだ!? 早くしろ! こいつはマジでヤバい。ただの上級ゴーストじゃない!」
甲虫のゴーストは角を振った。
錐揉み回転しながら俺は空を吹っ飛んだ。