7.〈霊纏〉・〈結界〉
◎
――六月も中旬。
妙な涼しさと、茹だる熱気の一端が押し寄せる、そんな日。
制服は冬服を改め、夏服へと移行された。
半袖ワイシャツで身を包む。
いやいや、近頃は暑くなりましたね。
夏服になったのは俺だけの話ではなく、暑くなったのはここら辺だけの話ではない。学校の話であり、この国のこと。
「桜坂君。清涼感があって良いね、似合ってる」
「制服が似合ってる、とは褒められているのか……」
今日も今日とて雪代は俺の近くにいた。というか、俺の席の机に座り込んで足を組んでいる。
いやいや、全く距離感を間違えている。
昔から馴れ馴れしかったが当初あった僅かな警戒心も、もはや存在しない。
「何か最近俺の恋人面してないか?」
「いつにも増して気持ち悪いこと言うね……」
クラス内ではまことしやかに交際疑惑があるらしい。
雪代が俺以外と話す時にすん、となるからそういう関係なんだ、と思われている。露骨過ぎるんだよ、体面というものをだな…………なんて説教できるほどのコミュ力は持っていなかった。
「そういうのは怜悧に言ってあげなよ。冗談でもそういうこと言わない方が良いよ」
「えぇ、ガチで説教されたんだけど……」
相変わらず信じれてくれない。
雪代は真っ黒なニーハイソックスを履いている。肌の境界である太腿がすぐそこにあった。
太腿をツンツン、してみようか。
ニーハイを触ろうか。
いやらしい身体しやがって。これだから女子高生は最高だ。
「――それはともかく、例の話だが何とかなりそうだった」
「本当!?」
「嘘は吐かない」
「やった」
控え目に喜んでいるが、隠しきれていない。凄い満面の笑みだった。
そこまでのことではないと思う。
ただ、人を紹介するだけだ。
雪代は霊的エネルギーの操作に興味を持ち始めた。
付近にいるゴーストを成仏させる中で、幾らかは武力行使を余儀なくされた。俺が出張ったことで事なきを得たが、いつもいつも守ってもらうのは申し訳ないとのこと。
要は喧嘩を教えるのだ。
気は進まない。それに教えるのは上手くないだろうから、同性の霊能力者を紹介することにした、というのが経緯である。
「俺も行った方が良いか?」
「嫌そうな顔…………やっぱり、嫌われてるの?」
「そうでもないが、色々あってな」
顔を合わせられない理由はある。
彼らみたいなノリが苦手なだけだ。
正直、雪代にもその気はある。
「大丈夫だよ。女の子なんだよね?」
「男一人、女二人」
「それなら大丈夫だね。桜坂君、気まずそうだし私一人で行くよ」
「集合場所は某大学前だとさ。時間は四限の授業終わりに」
「大学生なんだ。そういうことは早く言ってよ」
「まぁ、良いかなって。イケメンと、背の高い女子と背の低い女子、っていう組み合わせな」
俺達の二つ上で、大学の一年。
ゴースト・ハンターズからのゴースト討伐依頼も積極的に行っている。ゴーストとの戦闘に関しては適任だろう。
「一応言っておくが」
「何?」
「そいつらに俺について訊くなよ」
「…………なるほどね」
「納得すんな。嘘でもわかった、と言え」
「あ、うん。わかった」
牽制は牽制だ。
実際に訊くかはどうであれ。
これで訊いたら罪悪感が募るに違いない。
「俺は俺で用事があるからな」
「変なことじゃないよね? 君って、大事もそういう何気ないことみたいに言うから信用できないんだよ」
「それはもう重々理解してる。全然信じてくれないよな」
「自覚があるなら直して」
「わざとではないから何ともな」
深刻さがない、と言われても深刻じゃないものを深刻に思うことはできない。
雪代のことはこれでオーケー。
問題はこちらの方だ。
立浪源二郎からの連絡――。
あの男からの連絡など、ゴーストの討伐依頼だけだ。それも上級も上級の化物相手。
ということは、既に多くの被害が出ているということになる。
「全く平和だな」
「そうだね」
◎
――放課後となり、私は桜坂君に一言挨拶して学校を出た。上りで五つ程先の駅に目的の大学はある。
着替える時間はなかった。
制服で大学の前に待っている、というのはとても気まずい。
出入りする人にジロジロ、と見られていた。
えっと。
「男一人に女二人だっけ」
存外いない。
やはり、同性同士というのが多く見られた。一人でいる人は須らく足早だ。
まぁ、ハーレムみたいなものだからハードルは高そうだよね。
スマホの時計を見詰めること一〇分――。
「もしかして、君かな?」
声が掛かった。
雰囲気イケメンの吐息が混じっている。
声の先に振り向くと、情報通りの三人が立っていた。
おお、男が真ん中だ。やっぱりハーレムだった。
「えと……〈枯木の伐採〉……?」
「〈彼岸花の抱擁〉……ということは、君が新人なんだね」
枯木と彼岸花。これがゴースト・ハンターズの通し。
桜坂君に依れば、あってないようなものだとか。
「桜坂から話は聞いてるよ。僕は長谷川千斗、よろしく」
彼はナチュラルに手を差し伸べてきた。
急いで、手を取る。
「私は雪代桜子です、こちらこそ、今日はよろしくお願いします」
「あぁ」と長谷川さんは薄い笑みを浮かべた。思ったよりもイケメンパワーが高い。
こちらから見て右手から、背の小さい方の女性が一歩前に出た。可愛らしい手を振ってくる。
「私は赤羽彩葉ね、よろしくね、桜子ちゃん」
「こ、こちらこそ」
そして、最後に――。
テレビに出ててもおかしくないくらいの綺麗な女性。スタイルもさることながら、鋭い視線とは裏腹な優しげな雰囲気。
思わず視線が吸い寄せられるような人。
「関石楓美です」
「雪代です、よろしくお願いします」
愛想はなく、淡白な挨拶だった。
何となく。何となくだが思う。きっと彼女が、桜坂君の言っていた人だ。
「ここで話すのも何だしどこかゆっくりできる所に行こうか。雪代さんも良いかな?」
「は、はい、大丈夫です」
長谷川さんの提案のまま、私達は公園へと移動する。
何で公園?
グラウンドの前に置いてある机とベンチに腰掛けた。子供の一人もいない寂しいところだ。話題も話題、人目はない方が良いか。
「腰を落ち着けたところで、本題に入ろうか。桜坂から聞いた話だと、霊力の扱い方を知りたい、ってことで良いかな?」
「はい、害悪を為すゴーストを撃退できるようになりたいです」
「なら、身体能力の底上げを中心にしようか」
話は聞いていた霊力による身体強化。物理法則ではあり得ない挙動を実現する神懸かり的所業、と桜坂君は言う。
ゴーストを殴って消滅させる時には必ずしなければならない、らしい。
「後は簡単な結界も教えておこうか」
「結界、ですか……」
「この話は聞いてないみたいだ。まぁ、彼はそういうのは専門外だから仕方ないか」
長谷川さんは鞄の中からお茶のペットボトルを出した。
喉が乾いている訳ではなさそうだ。
「よく霊視して見て」と長谷川さんは言う。
ピントを合わせるように彼を見ると身体の内側から霊力が湧き出し、全身を包み込む。
空色の綺麗な流れ。せせらぎすら感じられる。
霊力は右手に集約され、秩序立った。
「これが霊力による強化――〈霊纏〉の基礎だよ」
鷲掴みにすると、ぐしゃり、とペットポトルを潰してしまう。
隙間からお茶が漏れ出し、水溜りを作った。
わかりやすい実演だけど、勿体ない。
「霊纏……」
「霊力を纏い、集中と拡散による強弱の操作。霊力でできることはこれが全てだよ。まずは、霊力を意識して移動させてみようか」
「意識して……」
言われるがまま霊力を掌に集める。
霊力が宝石のように煌めいた。
すると、赤羽さんが嘆息する。
「わぁ、綺麗な霊力だね……」
「あ、ありがとうございます」
集約しているのは確かだけど、あまり硬そうではない。試しに木製のテーブルに叩きつけてみる。
数ミリ凹んだ。ただ殴りつけてこんなことにはならない。手へ対する反作用もあまり感じなかった。
「要領はそんな感じ。より集中して、より早くできるように練習すれば良いよ。そうすればこんなことも簡単に」
拾った小石が粉状になって風に乗った。
漫画みたいなことしてるなぁ。
だけど、私にもできるようになってしまうのか。
これが〈霊纒〉――。
現時点で、少しムキムキな人並の力はあるが、ゴーストを打倒できるほどではない。
「そう簡単にできるようなものじゃないか……」
――何も特別な力じゃない。
桜坂君はそう言っていた。特別ではないとまでは言わないけど、相応の努力は必要で、他の技術や才能と何も変わらないものなんだ。
「次は結界術を教えるよ。俺ではなく、彩葉が」
「普通の結界は私が一番得意だからね」
「赤羽さん……よろしくお願いします」
場所を変え、グラウンドへ移動した。
赤羽さんは可愛らしいふりふりの服を揺らす。
「結界は霊力で物体を閉じ込める術なんだけど、応用が利くから是非覚えた方が良いんだよ!」
「は、はぁ」
「一番簡単な三角錐からやろうか」
その場に座ると地面に線を描き始めた。
驚くことに青い線だ。
赤羽さんの指先には霊力が集まってる。
もしかして霊力をペンみたいに扱ってる?
地面に青い辺の三角形が出来上がった。すると、内部が青く染まる。
「これが面の結界。これは薄過ぎるけど壁として使えるよ。そこからさらに上に頂点を作ると……!」
三つ角から丁度中央の真上に線が伸び、正三角錐が出来上がった。新しく出来上がった面も青くなる。
「で、これが立体の結界。内外で霊力の出入りがなくなるの。用途はゴーストとか霊能力者を閉じ込めたりかな」
「霊能力者?」
「あれ、私何か変なこと言った?」
「いえ」
早速真似してみるも、霊力を線にすることができない。残像のように僅かに残るが、瞬く間に霧散してしまう。
「風呂場で鏡に文字を書くように!」
見かねた赤羽さんが声を張った。
「リピートアフターミー。風呂場で鏡に文字を書くように!」
「ふ、風呂場で鏡に文字を書くように」
イメージを片隅に、霊力擦り付けることを意識すると不格好ながらしばらく消えない線を描けた。
辺を描ききった後は、霊力を途切れさせる。霊力を内側に吸おうとすると、連なった線もなくなってしまう。
「これ、結構難しいですね……」
「こればっかりは感覚だからねぇ、人によって違うから」
しばらく練習して、一筆描けるようになった。
それを三つ描いて三角形を作る。
「恋人との繋がりを確かめるように!」
「こ、恋人との繋がりを確かめるように」
頂点で交わる線は上塗りではなく、一部を混在させる。
三角形を描くだけで一苦労だ。
最後、重心の真上に最後の頂点を作り出す。
「三つの角から霊力を引っ張るんだけど、これに関しては一度見たくらいじゃできないと思う」
「…………みたいですね。うんともすんとも言いません」
一時間ほどの特訓の末、面の結界を習得した。
ふう、と息を吐くと頬に冷たい感覚が走る。全身で震えた。
赤羽さんが笑んでペットポトルを渡してくる。
「お疲れ様」
「ありがとうございます」
「後はとにかく練習だね。凄い人だとこのグラウンド覆っちゃうくらいの結界を張ったりするからね」
「そんな広くできるんですか?」
「できるみたい。その場合は線を描くんじゃなくて面を投げて作るんだけどね」
何を言ってるか全然わからない。面を投げる、って何?
霊力の世界、なかなかに奥深いのかもしれない。
少し楽しい。
こんなこと言ったら不謹慎、と怒られそうだけど。
というか桜坂君を見返したい。そういえば――。
「桜坂君……」
何してるんだろう。
「今の私に言ってないよね?」
「あ、独り言です。ごめんなさい!」
独り言を聞かれた。
それも名前を呼んでの。恥ずかし過ぎた。
頬もだけど、耳まで熱い。
「罪な男だね、桜坂君も。そういう星の下に生まれたとしか思えないよ」
「いや、勘違いですよ! 私は桜坂君のこと好きとかじゃないんで! 彼女がいることも知ってますよ!」
「彼女なんているの? 甲斐性ってものがないと思うんだけど……」
「逆宮怜悧っていう娘で…………知りませんか?」
「逆宮? うーん……… あれ? …それ騙されてない?」
「え」
え? どういうこと?