6.成仏
◎
〈どこに行くつもりなんだ?〉
〈わかんない。だけど、行ってみるよ〉
〈北海道かもしれないぜ?〉
〈寒そうだね〉
〈気にするのそこかよ〉
〈まぁ、生前行きたかったところか、行ったところだろうな。移動は車か電車じゃないかな?〉
〈方向的に行ってるの駅かも〉
〈オーケー〉
〈後、歩きスマホすな〉
〈桜坂君だって〉
〈俺は立ち止まってるって〉
〈えらい〉
◎
その男の子は改札を素通りする。ゴーストを注意する駅員はいなかった。
私は鞄の奥から電車カードを取り出し、改札を抜ける。
置いてかれないように少年の隣に並んでホームへ向かった。
振り返ると、桜坂君がしれっと着いてきている。
「これからどこに行くのかな?」
人もいるので小さな声で訊く。
男の子は真っ直ぐ前を向いて微動だにしなかった。
電車は律儀に待つんだね。
電車に乗った体でビューン、と彼方に行くかもと思ったけどそんなことはなかった。
「待つのも思い出の範疇ってことかな……」
待つこと数分、電車がやって来た。
乗ったのは第一号車。ボックス席に乗り上げ、窓に張り付いている。勢いで硝子窓もすり抜けた。
横に座って、スマホを確認する。
〈二号車の先頭にいる〉
〈了解〉
返事して少年を見遣る。
小学生、低学年くらい。
幼い子供が交通事故で死んでしまったのだ。
今時、珍しいことではないけど。
理解はできても、納得はできない。
「あ、そうだ」
私の手には文明の利器がある。
あそこで交通事故が起きたか調べてみよう。
もしかしたら情報が得られるかもしれない。
◎
――確か、あの島は……江ノ島だっけか?
ニ時間ほどの電車の旅。
幾度かの乗り換えを経て辿り着いたのは海の綺麗な街だった。ビーチがあったり、水族館があったり。
明らかにデートスポットだ。
もしくは、家族で行くようなところ。
そんなところに私は、少年と共にいた。否――一人とゴーストである。
周りから見れば一人。
制服姿というのも妙に浮いてしまう。
「……どうしてここに来たんだろう」
真っ直ぐに、彼は水族館へと向かった。
思い出、なのかなやっぱり。
制服で一人という恥ずかしさを覚えつつ、少年を追った。
そういえば、水族館なんて何年振りだろう。
前に来たのはきっとこの少年と同じくらいだった。お父さん、お母さんと一緒に色々なお魚を見て、はしゃぎまわっていたと思う。
少しだけ、嫌な気分になる。
様々な展示に興味を移しながら、彼は薄暗い通路を進んでいた。私も水の中を悠々と泳ぐ魚に目を遣る。
海月のコーナーは、円形の水槽に多種二渡って並んでいる。
真ん中にも水晶のような水槽があった。足の長い透明な海月がふわふわしている。
水に囲まれるというのは妙な気分だ。
お母さんの胎内を思い出すから?
それとも、どこまでも静謐な空間だから?
後ろ髪を引かれながらも、私は進んだ。
今日は私が感傷的になるために来たのではない。順路通りに進み、フードコートに出た。
途中、制服のカップルもいて安心したのも束の間、凄い気まずくなった。
そのまま屋外の水槽へ出る。階層的には二階で、下を覗き込むと亀が泳いでいた。
「海亀いるんだ……」
沖縄とかにしかいないと勝手に思ってたけど、水族館ともなると普通にいるらしい。
更に先に、半球のドームがあり、そこでイルカのショーが行われるようだけど、今日は全ての予定を消化してしまって飼育員がブラシを使って掃除をしていた。
最後に、グッズの売っている売店。
水族館を出た頃には空はすっかりオレンジ色に染まっていた。海原は夕陽が反射して美しく彩られている。
少年は砂浜までやって来て、波打ち際で立ち止まった。
遠く、遠く、視線を伸ばして――。
波音だけがそこにはあった。
目を閉じる。肌寒いから、鳥肌が立った。背中まで冷たさを感じる。
ゴーストの少年は小刻みに肩を揺らしていた。
流れるはずのない涙を流していた。
元々、家族の皆で遊びに来るはずだった。三人で水族館を、この景色を楽しむはずだった。
だけど、世界はそれを許さなかった。
ゴーストとなってまで来たかったのだ。
こうしてやって来て、君はまだ未練は残ってるの?
「あ」
少年の身体が薄まっていく。
風に吹かれるまま削れていき、やがてその姿を失った。
消滅ではないと思う。
成仏――してくれたと信じたい。
不幸な子供のせめてもの夢想くらいは叶って欲しい、と願いながら瞳を閉じる。
終わりと共に心臓の鼓動を確かめた。淀みなく一定リズムで刻まれている。
生きている。実感できれば何でも良かった。
砂を踏み締める足音が背後に寄ってくる。
「――終わったみたいだな」
「うん……」
彼は――桜坂君は私の隣に並び、真っ直ぐと海を見詰めた。
何を見ているのだろう?
海。
きっと、そう答えるんだろうな。
昼休み、私はどうしてか、と訊くことができなかった。
気まぐれだけど、知りたくなった。
「今、何考えてる?」
「……世界に不幸は溢れてる」
桜坂君は何気なく呟く。
「今を生きているだけでも掛け替えのないことだ……こうして景色を見られるのだって命と目があるから。だけど、人は失ってから気づく。そんな感じだ」
失ってから気づく、か――。
確かにそうだった。何気ない平穏が簡単に崩れることに私も気づかなかったから。
もしも、日頃からこんなことを思って生きているのだとしたら相当の変人。
けれど、精神年齢が高く見える理由の一端を垣間見れた。
こんな哲学の中に生きていたら私なんかは愚かに見えてしまうだろう。
「今度は俺から訊こう。こういうお節介をどう思う? 後悔はしたか?」
「後悔してない」
即答できる。
一切の後悔はしていない。どんな状況だったとしても私はここまで来ていた、と自負できる。
「意味があると思いたいけど、わかんない」
無念があるからゴーストになった訳じゃない。
たまたまだったんだと思う。
今まで出会ってきたゴースト達も、未練などではなく、偶然生まれてしまっただけ。
だけど、たまたまなんて言いたくない。
確かに私が出会ったことに意味があれば良いと思う。
桜坂君は風に吹かれた前髪を弄りながら。
「……事故原因、知りたいか?」
「うぅん。自分で調べたよ。親子の乗った車がトラックに追突したって」
曰く、乗用車の運転手がハンドル操作を誤った、と。
善悪は介在していないけど、強いて言うなら悪いのは彼の父親なのだろう。運転を誤った、運悪く対向車線のトラックにぶつかって親子共々亡くなった。
それでたまたま子供はゴーストになってしまった。
「ハンドル操作を誤った、って。恨みなんてあるはずないよね」
「即死だ、恨む間もなかっただろうな……なんてこと聞きたい訳じゃないか」
いつの間にか彼は淡い青色に染まった空を見上げていた。
私の知っている青い空ほどではない。
桜坂君の知る赤い空には程遠いだろう。
「……いつかの君みたいに路上のゴーストを人間と勘違いする人は実は結構いる。ゴースト・ハンターズではそんな人を見つけたら霊的エネルギーを励起させてるのは知ってるよな」
「…………まさか、あの子のお父さんはゴーストが見えたの?」
「どうだろうな」
返答は適当だった。
今更真偽はわからないから仕方ないけど、たまたまそこにゴーストがいた、というのも希望的観測のような気がする。全ての事故をゴーストのせいにはできない。
現実、都合の良いことはそうそう起きない――。
だから、と思った時、彼は再び口を開いた。
「――だが、可能性は高い」
「…………そうなの?」
「あの道路の近くに地蔵があった。霊的エネルギーが付与されたな」
「…………これでわかるだろ、と言わんばかりだね。ちゃんと説明してよ」
「簡単に言えば、そういうところにゴーストが引き寄せられるんだよ」
――つまり、桜坂君が言いたいのは。
男の子の父親はゴーストが見えて、お地蔵さんの霊力に引き寄せられたゴーストを人と間違えて轢きそうになったから、横に逸れた。
「――ってこと?」
「かもしれない程度だけどな。人々の生活を害を為すゴースト現象は各地で起こっている、その中の一つだとしても何らおかしくない」
「地獄も、その一つなんだよね」
「あぁ、そうだな。一緒にするのは語弊がありそうだが一応な」
「そういうゴーストの現象は沢山あるんだよね」
「そうだな」
この男の子は満足そうに消えた。消えたように見えた。
もしも、思い出がゴーストを動かし、救いを与えるのなら。
「私は助けたい」
「そうか」
期待していた訳ではないが、こうもあっさり返されると何だか私だけ盛り上がったみたいで恥ずかしい。
桜坂君は寂し気に踵を返すと、ゆっくりと砂浜を進み始めた。
「そうだ、仮に雪代の固有性質に名前を付けておくか」
「桜坂君が付けるんだ」
「嫌なら良いけど」
「い、いや聞きたい」
若干気まずそうに咳払いをし、言った。
「ゴーストと交渉するもの…………――ゴースト・スピーカーというのはどうだ?」
仮にだけどな、と保険を掛けるのも忘れなかった。
「ゴースト・スピーカー…………うん、悪くない。ダサくなくて安心した」
「お気に召したのなら結構」
すっかり暗くなった空、私達の激動でも退屈でもないけど不思議な一日が過ぎていく。
気をつけて帰ろう。




