2.対霊互助機関〈ゴースト・ハンターズ〉
◎
不可思議現象により絶息させられている雪代を前にして俺は目を閉じた。
幽霊、ゴースト、レイス――。
創作には欠かせない正体不明の敵。
そんなものは現実にはいない、と思いつつ、いる可能性を夢想する。幽霊がいても良い、いても不自然じゃない。
自己暗示するように繰り返す。
見える。見える、見える。
幽霊が見える。
「…………見えている」
ゆっくりと目を開ける。
そこには両の手で雪代の首を締め上げる極彩色の人型がいた。全体的に緑色をしたそれは、間違いなくゴーストだった。
身体を蠢く緑色の靄は実に不快だ。
右手を硬く握り、その頭部らしき位置に裏拳を打ち込む。
ゴーストは襤褸雑巾のように吹き飛んだ。雪代は絞圧から解放され、咳き込む。
「大丈夫そうだな」
「っ――…………桜坂っ」
「一応、俺の名前は知ってるのか。わざわざ君と呼んでたんだな」
「どう、して…………こんな…………!?」
「その分だと所謂ところの悪霊には出会ったことがないみたいだな」
「悪霊?」
「霊を知覚できる者に害を為すゴーストのことだ」
眉を寄せ、困惑の表情を見せる雪代は置いておき、先程吹き飛ばしたゴーストに注視する。念入りに殴らなければ消滅させることはできない。
怒った風に緑のヘドロが距離を詰めてくる。
「こいつみたいな奴だ」
ドゴッ――と。
渾身の蹴りで地面叩き伏せる。この程度のゴーストならば回避行動は取らない。本来、油断しなければ害にもならない存在なのだ。
「あなた何してるのよ!?」
息を整え切ったのも束の間、雪代は俺に縋り付いてきた。ゴーストに乗った足を退かそうとしているようだが、今の俺の足は梃子でも動かない。
「君の言いたいことはわかる。だが、これは人間じゃない」
足に意識を集中すると、全身からオーラが立ち上り踵に集約する。暗示により、このオーラのようなびっくりエネルギーを五感で知覚できるようになったのだ。
重みを掛け、ゴーストを踏み潰す。
まるで人間を潰しているかのような生柔らかな感触が返ってきて複雑な心境だが、もう慣れた。
返ってくる反動は突如消え、足底はそのまま地面にぶつかる。
ゴーストは煙になって霧散した。
雪代は俺の足を見詰め、茫然自失してへたり込んだ。
「ここはスーパーだから、とりあえず移動しよう。ここまで来たら全部説明するしかない」
「…………わかった」
手を差し伸べる必要はなかった。
雪代は壁に手を付きながら、立ち上がる。晴れて赤くなった首を摩りながら出口へと向かって歩き始めた。
俺は買い物を再開する。林檎を買い物籠に入れた。
「え、買い物するの?」
「そのために来たんだが」
「今の流れ的にすぐ移動する奴だったじゃん」
「知らんよ」
特に買い物に時間を掛けるタイプでもない、一〇分で会計まで行えた。持ってきたバッグに商品を詰め込み、スーパーを出る。
その間、雪代は「ちゃんと一人暮らししてんだ」などと頬を引き攣りながら呟いていた。
馬鹿にしてんのか。
◎
――とあるマンションの一室、安っぽいソファーに腰を下ろす雪代はどこか緊張気味だった。
込み入った話をするにも手荷物は邪魔だ。一旦、家に帰るつもりではあった。
ならば、ついでに俺の部屋で話せば良いじゃんか。
という訳で、狭っ苦しい一室に雪代をご案内していた。
「…………綺麗にしてるんだね」
「普通だ」
「結構高そうだね、ここ…………」
「親の金だよ」
「それはそうだろうけど」
やたらと部屋を見てくる。
やましいものなど一つもない、掃除もしている。ご自由にどうぞ。
客人に出すお茶はなく、ミネラルウォーターをコップに注いで差し出した。
自室から椅子を持ち出し、彼女の座るソファーの正面に陣取る。
「さて、何から話したものか。訊きたいことはありますか?」
「全部教えてよ。君の言ってたゴーストのことも」
「じゃあ、大きく分けて三つ、ってところか。ゴーストと、その対処と、俺達みたいな奴の話だな」
ゴーストとは何か。
スーパーで見せた対処法。
そして、俺と同じような存在。
雪代が知りたいことはこれを説明するだけで解決されるはずだ。
「まぁ、難しいことはない。ゴーストは君のイメージ通り人ではない存在のことだな」
「うん」
「発生原因な不明だが、フィクションでよくある怨念が核となってるとは言われてるな。学校とか病院とかはたまにいる」
「あの学校にもいたの?」
「俺が全て滅したけど」
「……………………」
学校でまでゴーストに煩われるのは勘弁願いたい。
残念ながら、雪代という同類が現れてしまったが、話が通じる分まだマシな方だ。
「そこで一番重要なのが、ゴーストは俺達みたいな奴に攻撃してくる、ってことだ」
「そんなことは…………ない、と思う…………」
「そこが不思議なんだがね。普通は攻撃される、さっきみたいにな」
雪代は自らの首筋を摩る。
思い出しているのだろう。
「…………もしかしたら、それが固有の性質なのかもしれない」
「性質?」
「ゴーストが見える奴の中にたまにいるんだよ。例えば、霊的エネルギーでバリアを作ったりな」
「待って待って、霊的エネルギーって何?」
「ゴーストとか、俺達が持つ不可視かつ、不明なエネルギーのことで、これがあるからゴーストを見ることができてるらしい」
霊的エネルギーが何なのかはわからない。エネルギー保存則に従っているとは思えないが、確かに何かが存在し、名前がないと不便だからそう呼んでいるだけ。他の奴らは霊力と呼んでいるが、俺はそんな中二病みたいな呼び方はしたくない。
「霊的エネルギーを励起させればゴーストと人間の見分けが付くようになる」
「励起…………君には見分け、ついてたの?」
「そりゃそうだろ。そうでなくちゃ殴る蹴るはできない」
「…………そうなのね…………」
俺が当たり前だと思っていたことも、彼女からすれば驚愕の事実。
わからなかったからこそ、彼女は人と同じように手を差し伸べていた。壁に向かって話し掛けるのも、路上に飛び出すのも分け隔てないただの善意。
きっと優しい人なんだろう。
凄い奴だと思う。
だからこそより可哀想だとも思う。
「俺がやっても良いが、得意な奴がいるから励起はまた今度で」
「…………うん」
「で、対処法なんだが――霊的エネルギーで核を破壊するしかない。俺がさっきやったみたいにな」
大抵は心臓、頭を潰せば霧散する。
これはあまり強くないゴーストの話。
「たまに強い奴がいるが、その場合は逃げるしかない。できなければ死ぬ」
「死…………何でそんなことするの?」
「霊的エネルギー目当てだな。ゴーストは場に縛られてるから逃げること自体は難しくないが」
ゴーストへの対処法は確立されている。
無茶をしなければ共生できないこともない。
「なんか物語に出てくるのと同じ感じだね」
「言っただろ、フィクションって。最後の話もフィクションみたいな奴だ。俺らみたいなゴーストを見ることのできる人間はまぁ、二〇〇万人に一人くらいはいる。そいつらは己を守るためにある組織を作った」
それを対霊互助機関と言う。通称ーー。
「――それがゴースト・ハンターズ」
「映画みたいな名前……」
「それは確かにそう。由来は創設者の固有性質から来てる。ゴースト・ハンター、ってな。機関に入ったら性質を分類するために付けられるんだよ」
「桜坂君にもある?」
「ゴースト・オーバーライダー」
「どういう意味?」
「書き換える、だな」
ハンターならばわかりやすいが、全てがそう単純ではない。
俺の場合、名前からは絶対に想像できない性質だ。
「ともかく、そういう組織があって情報交換とか合同で討伐とかしてる」
ある単語に反応して、雪代が眉を顰めた。
「討伐ってゴースト? をよね」
「そうだ」
「……そんなに危険なのがいるの?」
追求したら何かでてきそうな顔を浮かべていた。
心当たりがあるのなら、訊かなければならない。
「俺が知っているのだと、唐突に知らないところに飛ばされて精神を錯乱させる空間とかな…………機関では地獄と呼んでる最上級霊災だな。赤い地獄、とか」
「赤…………――青じゃなくて、赤?」
奇妙な質問だ。色の指摘、それも間違えてないかの確認。
それは丸々答えである。
「赤い地獄だ、間違いない。そして、君は青い地獄を知っている、と?」
「……そう、なの? でも、あれはどう考えても青い地獄、だった」
呟く雪代は何かを思い出してか、身震いしている。
俺も心臓の鼓動が強まっていた。脳裏に焼き付いた赤い世界が今も情動を乱してくる。
「そうか、雪代さんも地獄から帰ってきたんだな」
「も? 桜坂君もなの?」
「あぁ」
俺の探して求めている霊災ではなかったが、貴重な情報。機関へ加入する時に有効に働くだろう。
赤い地獄に、青い地獄。一体何のために存在しているのだろう。
雪代のキリッ、とした強い瞳が俺を貫いた。
「私は、もう一度あそこに行かなくちゃならないの」
「何故?」
「大切な物を置いてきちゃったから」
「落とし物かよ」
「形見だから」
「それは随分と大切なものを落としてきたな。まぁ、あんな世界なら仕方ないかもしれないが」
青い地獄は、俺のいた赤い地獄とは効能は違うと思われる。
だが、込められた心を挫いてくる恐ろしい権能は相違ないはずだ。注意力が散漫になるのは致し方ない。
そうでなくては地獄とは呼べないだろうし。
「……偶然にしては出来すぎてるな」
「何が?」
「俺は俺の事情で赤い地獄を探している。で、君は君の事情で青い地獄を探している。奇妙な因果だと思ってな」
「まさか桜坂君も落とし物したの?」
「違うわ、一緒にすんな」
即、否定すると彼女は柔らかそうな頬を膨らます。
実際にやる奴、初めて見た。
これはあれだ、泣く時も「うぇーん」とか「ひっく」とか口で言うタイプか。教科書を音読する時も「)」と言うタイプだ。
まぁ、それは冗談だが落ち込んだ時は本当に頭を抱えそうな印象はある。
「雪代は本当は結構社交的な人なのか」
「本当は、って何よ」
「喧嘩腰にならないでくれ」
我が強い、と一言で表すのは語弊がある。
芯が強い、と言うべきか。
形見とは言え、あの地獄に積極的な理由で行こうなど体験した身としては考えられない。
「それで結局、桜坂君は赤い地獄を目指してるの? 話を逸らしたら蹴るから」
凄い喧嘩越しだ。
蹴られたくはないし、嘘を吐く必要もない。
俺はあれからずっとこれだけのために戦ってきたのだ。
「簡単な話だ――赤い地獄を破壊したい」