第一章4 私とは違う世界
「ねえ、怒ってないの?」
「怒る訳ないじゃん。私だって、ちゃんと理解した上でななと遊んでるんだから」
私と七葉は電車に揺られ、こんな会話ばかり続けている。
どうやら七葉は、女の子達に囲まれて私とあまり喋れなかったことを気にしているようだ。
寂しい思いをしたのは事実だが、私はそんなことで怒ったりなどしない。それに、七葉がこんなに元気がないようでは、折角用意した『あれ』が中々渡せない。
「だって今日、折角しゅんと二人で来たのに……。どこに行ったって、周囲からちやほやされるのは私だけだし。嫌な思いしたでしょ?」
ぽつりぽつりとそんな言葉を吐き出す今の七葉は、正直なところ面倒なモードに入ってしまった。七葉がいかにも図星を突いているような話し方をするからだ。
「それに、その後可愛い洋服を買いに行ったって、私にばっかり店員さんが声かけてきてつまらなかったでしょ。それに……」
「私はそんなことで怒ったりなんかしないよ。そんなのただの嫉妬じゃん!」
七葉は良く言えば優しい性格だ。悪く言えば、心が弱い。そのお陰で、昔からどうも疑心暗鬼になりやすい。
確かに七葉とは二人であまり話せなかったけど、それは彼女が頑張って人気者になった証だから。だから、仕方ないことだって分かっている。
なのに七葉と来たら、私の気持ちを全く理解してくれない。
「……ごめん。私のこと考えてくれるのは、しゅんだけなの。本当はね、友達作ってみたよ。でも一緒に出掛けても、一緒に学校行っても、皆が視線を向けるのは私」
初耳だった。上手くはいかなかったものの、七葉が自分から友達を作っただなんて。
「で、やっぱりその子はだんだん私から離れていった。でもさ、その子何も私に言ってくれなかったんだよ…?…酷いよね。裏切りだよね。言葉にしてくれないと何も分からないもん……」
「なな、もう分かったから!!」
か細い声で、壊れたロボットの様につらつら喋る七葉につい苛立ち、大声を上げてしまった。
――やってしまった。
七葉の表情は強張り、周囲の人々からの視線を嫌でも感じる。しかし先ほどのカフェの時の様に、逃げる訳にはいかないのだ。かといって場所を移動するのも余計気まずい。しかしそのお陰で七葉の暗い話にもストップをかけることができたから、この恥は我慢しよう。
「ななの気持ちは分かった。でも私はその子と違うよ。信じてほしい。絶対ななのことを裏切ったりしない」
「うん、分かってた。分かってたはずなの。しゅんだけは私を独りにしないって。ごめんね、しゅん。ちゃんと信じるから」
七葉は瞳に涙を浮かべて微笑んだ。とりあえず落ち着いたみたいだ。
「えっと……このタイミングで言うのもなんだけどさ、渡したいものがあるんだ」
「何?」
私は真っ直ぐ七葉の瞳を見つめる。
周囲を惹き付ける自分の容姿に逆に苦しめられ、自己嫌悪と疑心暗鬼を隠し切れなくなった彼女の暗い気持ちが、少しでも晴れてくれれば――。
「これ、ななと私がずっと行きたかったやつ!一緒にライブ見に行こうよ!」
「え……!?」
私が七葉に手渡したのは、今大人気の歌手、KOYUKIのライブチケットだ。
KOYUKIは、歌唱力だけでなく世の女性達を虜にしてしまう容姿まで兼ね備えている、銀髪がトレードマークの美少年。彼のチケットは入手困難で、やっとの事で手に入れたのだった。
七葉は急にそんな誘いを受け、驚きの表情を浮かべたが、それはすぐに満開の花の様な笑顔へと変わった。
「サプライズしてくれたの!?凄い嬉しい!絶対行こう!!」
「あはは、やっぱ切り替え早すぎ!」
ところで、七葉が喜んでくれたのは嬉しいことだが、一つやらかしてしまったことがある。
さっきの大声で乗客の注目を浴びた上に、この美少女が最高に可愛らしい笑顔を見せたのだ。それは、人混みの中で隠れていた蕾が花を咲かせる瞬間だった。
「あれ、上野七葉じゃない?」
「なんで今まで気付かなかったの!?」
「きゃーっ!!七葉ちゃーん!!」
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その後はとにかく大変だった。
七葉がなんとかやり過ごしている間、『ななちゃんの彼氏さんですか!?女装しているんですか!?』とかいう頭の悪すぎる質問が飛んできたおかげで、乗客の勘違いまで生み出し、自分がただの友達であること、女装彼氏ではないことを説明しなければならなかった。
「それにしても、女装って酷すぎるでしょ!あんまりだ……」
鏡に映る派手髪の少女は、そう言いながら不満気な表情で歯を磨いている。
こうやって自分の姿を鏡に映すのは、寝る前のこの時間くらいだ。
思えば、最近髪が一層伸びてきた気がする。
高い位置でポニーテールをすることに拘りのある私は、髪が重くなってもその位置をキープしている――はずだったのだが、どうも最近その重さで下がってきてしまうのだ。これは、少し切った方が良いのだろうか。
なんてことを考えながらぼーっと歯を磨いていると、
「やば、ふらふらする」
一日中外に出て疲れてしまったのだろうか、突然の目眩で鏡に映る自分自身がぐにゃぐにゃと形を変える。
こんな酷い目眩は初めてだ。
「――っ!?」
とうとう私は耐えられなくなり、鏡に飛び込む勢いで倒れ込んだ。