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今はいない大切な君への贈り物  作者: 宮久啓平
2/71

ーちはるー ①

―ちはる―


「ちはる、ご飯できたよ」


 台所の方から母の甲高い声が聞こえた。


「すぐ行く」


 私は鏡に向かい直し身支度を整えた。見れば見るほど嫌な制服だ。

紺のスカートに紺のハイソックス、ここまではまだいい。

そこに黄緑色と黄色のピエロが着ているような柄のネクタイが飾られていた。


「はぁー」ため息が自然と漏れてしまう。ネクタイを隠すように、

白いタートルネックのセーターを着て、その上からブレザーを羽織った。


 急いで食卓に行くと、いつもの朝食があった。

チーズがのったトーストが二枚、目玉焼き、サラダにコーンスープ、

全て私の好物だ。しかし、今日あるはずの物がない。今日はあるはずなのに。


「お父さんは?」


「シャワー浴びている」母はコーヒーを淹れながら素っ気なく答えた。


「最悪」と、声に出してしまったがお構いなし。


父がシャワーを浴びているという事は、

大きく分けて四つの内一つが起きた又は起こる前兆である。


 一つ目は、『悪夢』これならいい。父の悲壮感漂う顔が見られるから。

しかし、シャワーを浴びるのは朝食を済ませた後、今朝は既に片付けられているのでたぶんなし。


 二つ目は、『説教』これは百歩譲って許せる。

長かろうが短かろうが、「はいはい」言っていれば終わるから。

しかし、私が座る前に父が座っていないのでたぶんなし。

 

 三つ目は、『良い悪い知らせ』これも百歩譲って許せる。

先程と同じで長かろうが短かろうが、状況に応じて返事をしていれば終わるから。

しかし、母が明るくも暗くもないのでたぶんなし。


 四つ目は、『家族イベントの発表』これは百歩、いや千歩譲っても嫌だ。

母とならともかく、家族3人で行動したくないというか、父と何時間も同じ空間にいたくない。

しかし母が鼻歌を歌っていないどころか、機嫌も良いとはいえないので、ありえない。


 父が朝シャワーを浴びるという事は、この四つの内一つのことが起きた又は起きるのだが、

生まれて初めてどれにも当てはまらない。

まさかの五つ目と思ったが、考えるだけ無駄だと思い直し、

朝食を済ませることにした。どちらにしても四つ目はないのだから。


 朝食もあとコーンスープのみになったところで、ようやく父がシャワーから上がってきた。

表情を観察すると、眉間にしわをよせぶつぶつ独り言を言っている。

どうやら一つ目の悪夢か、三つ目の悪い知らせらしい。父が座るとほぼ同時に母も椅子に座った。


 私はコーンスープを少し残し、父の言葉を待つために姿勢を整えた。


父は咳払いをし母の方を見ると、母は小さく頷き私の方を見てきた。

どうやら母はこれから父が話す内容を知っているようだ。

悪い知らせというのが確定した瞬間だった。

父は私の方に向き直り口を開いた。


「ベリーズへ旅行に行こう」


「……」


「冬休み五泊七日だ」


 私はパニックになっていた。

悪い知らせだと思っていたのに、まさかの家族イベントの発表だった。のか?

旅行と言ったような気が……、五泊七日ということは海外?

いや、その前にベリーズって何?え、え、え……。


「分かったな。空けておけよ」


「ちょ、ちょっと待ってよ……」


声を挟んでみたが、何を言っていいのか分からず固まってしまう。

二人の視線が痛い。

無言の空気で、「分かった」という返答を待っているように感じ、

私だけ別の空間に飛ばされたかのようにも思えた。


「ちはる、ちはる」母が私の名前を呼んでいるのに、

『ちはる』が私の名前だと気付くのに数秒掛かってしまったと思う。


「えっと……、ベリーズって何?」恐る恐る聞いてみた。

父は慌てて椅子のわきに立て掛けてあるバックの中から本を取り出し、私に見せてきた。

その本の表紙には、何かの遺跡と民族衣装を着た大人と子供が手を繋いでいる絵が描かれ、

さらにその上には中米と大きく書かれている。その横に聞いた事がない単語がいくつかあり、

その中の一つにベリーズという文字が確かにあった。

それを見て父の言いたい事をようやく理解し、落ち着きを取り戻すと同時に、

体の芯が熱くなっていく。


「受験生だよ、バッカじゃないの」


そう、私は受験生。ただの受験生ではない。

後一ヵ月程でセンター試験を控えているのだ。

それも冬休みに行くという事は、試験の二週間前だ。

このご時世にセンター試験の二週間前に、のんびり一週間家族旅行なんて聞いた事がない。


「お父さんとお母さんは一浪したらしいけど、私は絶対現役で行くから」


さらにまくしあげると、父は明らかに狼狽していた。

元々気の弱い人間なのだ。こういう時には偉そうにしているが。問題は……。


「ちはる」母が微笑んでこちらを見てきたが、瞳には陰りがあり口元はピクピクしている。

完全に怒っている証拠だ。


「たかが六、七日勉強しないくらいで落ちる大学なら行かなくていいのよ。

それに旅行先でもできるでしょ。もし、行かずに勉強するのなら、

大学が決まるまで勉強に必要がない物は全部お母さんが預かっておくね」


語尾にハートマークがつきそうなくらい優しい口調だったが、心臓がえぐられるかのような思いだ。


「全部?」恐る恐る聞いたが、


「ええ、全部」母は微笑み返してきた。


最悪だ。全部ということは、おこずかい、娯楽関係のすべて、

寝巻と制服以外の洋服も全部没収されてしまう。

普通の親ならそこまではしないが、相手は私の母だ。

本当に全てどこかに持っていかれるのかもしれない。

最も懸念している事は、預かる=捨てるという事だ。考えれば考える程頭が痛くなってくる。


「ちょっとトイレ」


私は席を立ち食卓を後にした。

別にトイレに行きたかったわけではないが、一人になりたかった。

便座に座り込むと自然と数年前の出来事が頭の中を駆け巡った。


あれは中学校の時だ。テーマパークに行く発表があり、行く気もなく当然のごとく反対した。

最終的に、「それでいいのね」の母の言葉に、「いい」と言って学校へ行き、

家に帰ってくると母の嫌がらせが待っていた。

私を視界から遠ざけすべて無視。ここまでなら他の親もするのかもしれない。

しかし、母はそれだけでは終わらない。


夕食は私の分を作らず、お風呂の栓も入る前に抜かれ、

カゴに入れたはずの洗濯物も私のベッドの上に投げ捨てられ、

冷蔵庫には、『家族でない者は開けるべからず』という張り紙まで貼ってあった。

寝静まった後冷蔵庫の中をあさりに行ったが、その冷蔵庫の前には母が寝袋にくるまっていた。

その瞬間全てを諦め、翌日の朝食の席で、

「ごめんなさい。やっぱり行きます」と一応申し訳なさそうに言うと、

「そう、よかった」と母はわざとらしく胸の前で手を叩き、

台所の奥から朝食ではありえない程の豪華な食事を運んできた。

母の思い通りに事が運ばれた事に無性に腹が立ったが、

空腹には勝てず、目の前にある物をむさぶるようにかきこんだ。

母はそんな私を見ながら鼻歌を歌っていた。


あの日から私の辞書に二文付け足されていた。


『母の逆鱗には絶対に触れてはいけない』

『家族イベントはどんなに嫌でも絶対参加』


そう、今ここで悩んでも仕方ない。断ればひどい嫌がらせが待っているのだから。

「はぁー」大学の判定がAからB判定に落ちた時よりも大きなため息がまた漏れてしまう。


数分前よりも何十キロも重くなった体を無理やり起こして食卓に戻り、

「分かった……」と、絞り出すように吐き捨てた。


 母は何も言わず台所に戻り、父は安堵したかのよに大きく息を吐きだしたが、

私は冷めたであろうコーンスープをただただ見つめる事しか出来なかった。

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