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アズサ王都に向かう⑧

「しかし、先程は素晴らしかったですよ、アンナ殿」

 ルーカンスは宿屋の食堂のテーブルで夕食として出された魚のソテーをフォークに刺しながらアズサに声を掛けた。

 アズサはそれに自分なりの微笑み、他者から見たらほぼ口一文字、を返しながら、フォークに盛ったサラダを口に含んだ。

「副将軍もそう思いましたよね?」

「ん? ああ……」

 アルタイルはそれに上の空で答え、ルーカンスは眉を顰めた。

「なんです? 上の空ですね」

「別にそんなことねえよ」

 アルタイルはルーカンスの言葉に口をへの字にしたかと思うと、そのまま、口を大きく開けて魚のソテーをその中に放り込んだ。

(まあ、悪くはなかったよな)

 アルタイルは先程のことを思い出した。



「私、売られた喧嘩は100倍にして返す質なんです」

 アズサが告げると、ムルゲルタは声を上げた。

「わ、私がいつ、貴様なんぞに喧嘩を売ったというんだ!」

「え? 自覚なしなんですか? その嫌味。……貴方、口は災いの元を地で行く質でしょう」

「な、なんだと!?」

「「「ぶふっ」」」

 アズサの言葉にムルゲルタ本人は、心外だと声を荒げたが、軍人仲間達は的を得たその言葉に吹き出してしまう。

「何を笑っているんだ! お前達!」

「今は私と話しているのではないのですか? それとも、貴方の言う、王都の貴族というのは、人の話を聞かず、失礼な態度を取るのが常識なんですか?」

 ムルゲルタはそんな仲間達に苛立ちの声を浴びせるが、アズサの言葉に、視線を彼女に戻し、睨みつけた。

「き、貴様……!」

「先に失礼な態度をとったのはそちらでしょう。怒るのは筋違いです」

「……この!」

「ムルゲルタ!」

 ムルゲルタは、アズサに掴みかかろうと手を伸ばした。

アルタイルの制止の声が食堂内に響き渡る。


「ほんと、男というのはどうしようもありませんね」


 アズサは、溜息を吐くと、右足を右斜め前に動かし、ムルゲルタの手を避ける。そのまま左手で、ムルゲルタの腕を掴むと彼の背に回り、腕を彼の背につけ、テーブルに向かって押し倒した。その際、彼の足を払うことも勿論忘れない。

 

ガシャンッ

 まだ料理が運ばれていないテーブルには、水が入った四人分のコップと水差しが置いてあったのだが、それらがただ一つのコップを除き、彼が押し倒された衝撃で倒れる。

 テーブルに腹を付けることになったムルゲルタは、今の状況に呆然としていた。

 そして、それは他の軍人達も同様だった。

 それはそうだろう、彼は体術面において、陸軍で中の上辺りに位置する男なのだ。

それを地方貴族の令嬢が押さえつけている……彼らの中では有り得ない光景だった。


(腕を掴む程度にするつもりが……つい押さえつけてしまいました。それにしても、弱いですね。これならお嬢様でも押さえつけられますよ)

 アズサは自分とオードリューによって護身術を教え込まれたアンナを思い浮かべた。

『あらあらあら、こんな簡単に捕まるなんて、軍人さんて弱い人もいるのね』

 アズサがもしお嬢様がいたら……を考えていると、彼女の下でムルゲルタが声を発した。


「は、離せ!」

 ムルゲルタは我に返ると、彼の両腕を押さえ込んでいる彼女の手を離そうと藻掻き、それによって前の衝撃を免れたただ一つのコップが倒れる。

 だが、アズサの押さえる手は彼から手から離れない。

(相手は少女とも言える華奢な女だぞ?! 何故離せないんだ?!)

 混乱しながらも、必死に藻掻くムルゲルタをアズサは仮面越しに見下ろす。


「離しても構いませんけれど、冷静になってくださいね」

「私は冷静だ!」

「その状態がですか? 随分と荒々しい冷静ですね?」

 アズサの口元が僅かに歪み、声にも若干の皮肉めいたモノが込められる。

 それは、押さえつけられ、上手くアズサを見上げることのできないムルゲルタにも伝わった。

「このっ、地爵令嬢風情が、ビークォート子爵家の私に、こんなことをして許されると思っているのか!」


「何かにつけては地爵令嬢、地爵令嬢とうるさいですね。貴方、人のこと身分でしか見れないんですか? ……ああ、違いますね。貴方自身が身分しか誇れるものがないんでしょう?」


 アズサが鼻で笑ったその瞬間、全身の血が頭に上ったかのような錯覚が彼を支配した。

ムルゲルタは腕に渾身の力を込めると、彼の自由を奪っている手を外そうと大きく暴れた。すると、先程はどんなに藻掻いても外れなかった手が外れ、彼の体は自由になった。

 それを理解した瞬間、ムルゲルタはテーブルに両手を付いて身体を起こすと、後ろにいるアズサへと振り返った。


 彼の瞳に、緑の仮面に水色のドレスの女が映る。 

 緑の仮面の女の口元は小さく歪み、笑みを作っていたのだが、それがわかるのは彼女の主だけであり、ムルゲルタにはただ無表情に自分を見据えているようにしか見えない。

 だが、ムルゲルタは彼女が己を鼻で笑うのを耳で聞いていた。

(この女は心の中で、私を馬鹿にしている。没落した地爵令嬢風情が、子爵家の私を……!)

ムルゲルタはそのまま、腰に差している剣に手をかけようとし、そんな彼の動きにアズサは誰も気づかない笑みを浮かべた。


「そこまでだ、ムルゲルタ」


 しかし、その剣が鞘から抜かれる前に、大きな手がムルゲルタの肩を掴んだ。

それにより、ムルゲルタの顔は痛みで歪み、アズサの眉尻は微かに動いた。

「……アルタイル副将軍」 

ムルゲルタが後ろを振り向き、己の肩を掴んでいる男の名を呟いた。

アルタイルは自分の部下の目に“何故止めるのか”という非難が込められているのを見てとり、溜息を吐いた。

「お前な、此処を何処だと思ってやがんだ? ああ? こんな所で剣を抜くのを俺が許すと思ってんのか?」

「あっ」

 ムルゲルタは、アルタイルの一言でやっと冷静さを取り戻すと、今度は自身の行動を省みて青ざめた。

「も、申し訳ございません! アルタイル副将軍!」

「阿呆、謝る相手が違ぇだろうが」

「相手……」

 アルタイルは己に深く頭を下げる部下の頭を小さく小突くと、頭を上げた部下に顎でアズサを差し示した。

 アズサは何も言わずにその場に立っていた。

「……」

 ムルゲルタはアズサをじっと見据えるが、何も言わず、頭を下げる様子もない。

 そんな部下の様子にアルタイルは一つ溜息を吐くと、ムルゲルタの頭に手を置き、強引に頭を下げさせた。

「ぐっ」

「アンナ殿、悪かった。こいつには俺から厳しく言っておくし、罰も与えるから、今回のことは許しちゃくれねえか」

 アズサはムルゲルタの頭を押さえつけながらも、揃いの良い歯を見せて笑うアルタイルを真っ直ぐに見つめ、口を開いた。


「……今は彼と私の時間だとお伝えしたはずですが?」


「……は?」

 アルタイルはアズサが何を言いたいのか理解が出来ずに、首を傾げた。

「私は暗にしゃしゃり出てこないで欲しいと伝えたつもりだったんですが……伝わりませんでしたか?」

 アズサは仕方ない者を見るような目を仮面越しにアルタイルに向けた。

「い、いやいやいや、流石にこれは出てくるだろ?! こんな所で部下に剣を抜かせる上司なんていないだろ?!」

「……そうですか?」

 アズサの脳内に、買い物で訪れた店の中でも容赦なく小型ナイフを自分に向けてくる上司、オードリューの姿が思い出されたが、今は思い出す時ではないと、その記憶に蓋をした。

「まあ、世の中の上司がそうなら仕方ありませんね」

「アンナ殿の思う上司像がすげぇ気になるんだが……」

 アズサが納得したように頷くと、アルタイルは好奇心に満ちた目を向けた。


「まあ、そんな話は置いといて。何故、アルタイル様が私とムルゲルタ様の喧嘩にしゃしゃり出てきたのかは理解致しました」

 アズサはそんなアルタイルの言動を黙殺すると、言葉を続けた。

「本当は、ムルゲルタ様の剣をサッと躱して、ここにいる皆様を驚かせようと思ったのですが……仕方ありませんね」

「なっ」

 アズサは首を振り、残念そうな声で言った。

ムルゲルタはそれを聞くなり、またカッとなって頭をあげようとしたが、アルタイルの手が押さえていたため、動かせなかった。

「……」

 アルタイルは何も言わなかった。

 先程の彼女の体捌きを見るに、きっとムルゲルタの剣は躱されたと予期されたからだ。

 アズサはアルタイルに目を向けた。

「アルタイル様、その方の頭から手をどけて頂けますか?」

「ん? いや、だが……」

「お願いします。伝えたいことがあるんです」

 眉を寄せて渋るアルタイルだったが、アズサの瞳と声が真剣なものであることが分かり、一つ溜息を吐いて、部下の頭から己の手を外した。

 手が離れた瞬間、ムルゲルタは勢い良く、顔を上げ、アズサを睨みつけると、口を開き、彼女を罵倒しようとしたが、その前に彼女の声が先に発せられた。


「ムルゲルタ様、貴方は自分や相手の身分を気になさる前に、もっと自身の言動を気になさるべきです」


「なに?」

「……」

 ムルゲルタは苛立った声を上げたが、隣にいたアルタイルは注意をしなかった。彼はアズサが続ける言葉に耳を傾けていた。

「私、アンナ=サンタマールは確かに、現在地方貴族の令嬢で貴族としての身分は貴方よりも低い。ですが、私は国王の妃となる身です。これがどういうことかわかりますか?」

 アズサの問いをムルゲルタは鼻で笑い、吐き捨てるように答えた。

「ハッ! つまり、国王の妃となる自分をもっと敬えと言いたいのか! 流石は地爵令嬢、卑しい考え方だ! 身の程知らずが!」

「違います」

 アズサはそんなムルゲルタに対して、溜息を一つ吐き、顔を横に振る。

「そうですね、こう言えばわかりますか? 確かに私は今、貴方よりも地位が低いですが、王都に着けば、私は国王と話せる妃という地位につけます。つまり、今の貴方の言動を逐一伝えることも可能なんです」

「っ!? この、私のことを脅しているのか!? お前のような地爵令嬢風情が陛下の妃など、ありえん! あっても一時的な寵愛だろう! 自惚れるな!」

 ヒステリックに叫びだしたムルゲルタにアズサは呆れたような眼差しを向けた。

 最も、仮面越し故に誰もそれには気がつかなかった。

「そんなこと言っていません。どうしてそうなるんですか? 被害妄想猛々しいですね。そうではなく……貴方は相手の今の地位ばかりを見て、その先を考えない言動が多いと言っているんです」

「……?」

(ほう……)

 ムルゲルタは苛立った様子でアズサを睨みつけ、アルタイルは片眉を上げた。

「ですから、貴方は私が地方貴族の令嬢だから、そんな態度を取っていらっしゃるのでしょうが、もし、私が国王陛下の隣にいたら、同じ態度を取れますか? 取れないでしょう? その時の私は地爵令嬢ではなく、陛下の妃、陛下のもの。同じ態度を取ったら、それは陛下への冒涜に繋がり、不敬罪です」

「……」

 ムルゲルタは押し黙り、アルタイルは頷いた。

 周りの彼の部下達もじっとアズサの言葉を聞いている。

「そして、もし、陛下からの寵愛が短いものだとしても、妃が陛下のものである限り、それは変わらないでしょう?」

「……」

 ムルゲルタの顔が青ざめていく。


「不敬罪は、下手をすれば身分剥奪になることもあります。つまりですね、貴方の言動で、貴方ご自慢の身分を失い、家族もそれに巻き込まれる可能性もあるということです。しかも、今回の私への冒涜に関しては、陸軍の皆様の前でされていますからね、もし、私が国王陛下にお伝えしたら、貴方だけでなく、アルタイル様や陸軍の仲間の方まで、処罰されてしまうかもしれませんよ?」


「ふ、ふん! お前のような地爵令嬢が妃になったところで、国王陛下が耳を傾けられるわけがない! 私はそんな脅しには屈しない!」

 ムルゲルタは顔を青ざめさせながらも、声を張り上げ、アズサを睨みつけた。

 ムルゲルタの口から飛んだ唾を嫌そうに避けながら、アズサは溜息を吐いた。

「確かに傾けられないかもしれませんが、傾けられるかもしれないでしょう? だからこそ、言動を考えろ……と言っているんです」

「……」

 ムルゲルタは憎々しげに、アズサを睨みつけたまま口を開かない。

(まったく、ここまで言ってもこの態度、呆れる他ありませんね)

 アズサは溜息を吐くと、ムルゲルタの頬から手を離した。

「まだ納得できていないみたいですね?」

 アズサは仮面で隠していない部分、唇を精一杯歪ませてみせる。

「いいでしょう。貴方の言動がどういうことを引き起こすか、見せて差し上げます」

 アズサはムルゲルタに向けていた顔を彼の隣に立つ上司、アルタイルに向けた。

「アルタイル=ヒャダイン副将軍」

「……なんだ?」


「床に膝をついて頭を下げてください」


「「「?!」」」

「なに?」

 食堂内が一気にざわつき、言葉を掛けられたアルタイル本人は片眉を上げた。

 ムルゲルタは怒りを露に口を開こうとしたが、アルタイルの手が彼の腕を掴んだことで、それを思いとどまった。

「私は貴方の部下によって、ひどい心の傷を受けました。これを他の臣下の方がいらっしゃる前で国王にお伝えしたら、どうなるでしょうか?」

「……」

アルタイルは一言も発することなく、静かにアズサを見据える。

「私は国王の妃です。その私が、臣下の方達の前で貶められたという発言をしてお咎めなし、というわけにはいきませんよね。国王の威厳というものがあります」

「その通りだ」

 アルタイルは今にも噛み付かんばかりのムルゲルタの腕をつかみながら、静かに頷いた。

「まあ、先程も言いましたけれど、お咎めとして、彼の身分剥奪と彼を放置していたアルタイル副将軍、そしてこの陸軍へ何らかの罰が下ることは確実ですよね? それは困りませんか?」

「ああ、困るな」

ザワリ

 食堂内がもう一度ざわめいたが、アズサもアルタイルもそちらには目も向けない。

 お互いに一瞬たりとも目をそらさずに話し続けた。


「なら、今ここで“床に膝をついて頭を下げてください”。そうすれば、この件、忘れて差し上げます」


「……わかった」

 アズサの口が満足そうに弧を描いたが、それに気づいたものはいない。

「アルタイル副将軍! お止めください!」

 アルタイルがムルゲルタの腕を離した瞬間、今度はムルゲルタが彼の腕を両手で掴み、彼が膝をつこうとするのを止める。

「離せ、ムルゲルタ」

 アルタイルはムルゲルタの腕を振り払おうとするが、ムルゲルタは離さない。 

アズサがまるでそんなムルゲルタを嘲笑うかのように、楽しげな声で彼に声をかけた。

「どうですか? 自分の言動のせいで尊敬する上司に膝をつかせるご気分は?」

 ムルゲルタは憎々しげにアズサを睨むが、アズサはそれに笑みを浮かべて歌うかのように声を紡いだ。

「何故、私を睨むんですか? この状況の原因は全て貴方ですよ? 貴方が、私を国王の妃としてではなく、地爵令嬢としか見なかったから起こったんです。部下の尻拭い、というやつですね」

「……っ」

 ムルゲルタの腕を掴む力が弱くなったのに気がついたアルタイルは、勢い良く腕を振り、ムルゲルタの手を振り払った。

 そして、いざ、床に膝をつこうとした瞬間……。

「もう結構です。アルタイル将軍」

 アズサがの声が彼の動きを止めた。

アルタイルは顔を上げると、仮面越しに薄桃色の瞳がこちらを見ていた。

「すみません。貴方なら自分のプライドを捨てても、貴族としての義務と上司としての義務を果たしてくれると思っていたので、このようなことを言ってしまいました」

「いいのかい? 俺は床に頭をつけても構わねぇよ?」

「結構です。元々、このことを国王陛下に伝えるつもりはありませんから」

(私、偽物ですし……お嬢様もこういう告げ口はお嫌いなんですよね)

 アズサは自分の真意を探ろうとする黒い瞳に、安心させるための精一杯の笑みを向けた。

 そして、ムルゲルタに向き直った。

「貴方と貴方の上司の違い、なんだかわかりますか?」

「な……に?」


「自分のプライドと貴族の誇りを天秤に掛けて、貴族の誇りを取れるか取れないかです」


「!」

「アルタイル副将軍は貴族の誇りを取り、貴方は自分のプライドをとった」

「わ、私は貴族としての誇りを守っている! だから……」

 淡々と己を見据える薄桃色の瞳に、ムルゲルタは声を荒げようとするが、アズサはそんなの気にも止めずに、言葉を続けた。

「だから、地爵令嬢の妃が気に食わなかったと?」

 アズサは溜息を吐いた。

「貴方、馬鹿じゃないんですか……それは、貴族である自分のプライドでしょう?」

「!」

 ムルゲルタは息を飲んだ。

「貴族の誇りは、貴族の義務を果たした者だけが持つことを許されたものです。国王の妃を地爵令嬢だと馬鹿にし、身分が剥奪される可能性があるにも拘わらず、自分のプライドを守るために謝罪を拒む、そんな今の貴方に貴族の誇りが持てているとは思えません」

「……」

 ムルゲルタの全身がカタカタと震え、アズサはそれを静かに見つめている。

 アルタイルもルーカンスも、他の軍人達も何も口を挟まない。

「気持ちはわかりますけどね、自分より低い身分の娘が国王の妃になる。自分より下だと思っていた者に頭を下げなくてはならない……納得したくない気持ちはわかります」

 アズサがムルゲルタに向けて足を踏み出すと、ムルゲルタの肩がビクリと動いた。

「でも、したくないからしないなんてことが許されるのは赤ちゃんだけです」

「!?」

 健康的な白い手が、ムルゲルタの角ばった手を優しく包み込み、持ち上げた。


「貴族の義務には、色々なものが含まれます。領民を守ること、国に貢献すること、そして……家を、貴族の誇りを守ること」

「っ」

「貴方が貴族であることを、身分を誇りに思い、口にするのなら、尚更、貴族の義務は果たさないといけません。よく考えてください。貴族の誇りとは何か、貴族にとっての家名とは何か、それを守るためにどのように過ごしていくべきかを」


 ムルゲルタは何も言えなかった。

 ムルゲルタの隣に立つアルタイルは驚きの眼差しをアズサに向けている。


 食堂全体が静寂に包まれた……が、それもものの数秒で終わった。


「さて、喧嘩も買い終えましたし、食事にしましょうか。もうお腹がペコペコです」

 アズサは今までのことが嘘のように、ムルゲルタの手を離した。

 そして、近くのテーブルのコップやら水差しやらが倒れているのを見て、「あっ」と声を上げると、近くに置いてあった布巾でそのテーブルを拭き始めた。

「すみません! お水掛かりませんでしたか?」

 アズサの行動にギョッとしたのは、そのテーブルの席の者達だ。

「お、お止めください! 自分達で拭きますので!」

 叫びながら、アズサから布巾を奪う勢いで取り上げると、猛スピードでテーブルを拭き始めた。

「えっと、そうですか? じゃあ……」

 アズサはその席から離れ、自分の席に行こうと振り返ると、自分を呆然と見ている六つの目に首を傾げた。

「アルタイル様、ルーカンス様、ムルゲルタ様、そんな唖然とした顔をしてどうしました?お腹が空きすぎて、おかしくなってしまったんですか?」

 頭に「?」を浮かばせて、首を傾げるアズサに三人を代表してアルタイルが口を開いた。

「アンナ殿、変わり身早すぎねぇか?」

「あれ以上、言うことなんてありませんから。というか、皆さん早く席についてください。宿の方が食事を運びたくて待ってますよ」

 アズサが手で示す先には、宿屋の主人がお盆に料理を乗せて運ぶのを待っている。

「あ、ああ、そうだな。おい、ムルゲルタ、お前も席につけ」

「は、はい」

 ムルゲルタは小さく頷くと自分の席に戻っていき、アルタイルはそれを確認すると、近くにいたルーカンスにも声をかけた。

「ルーカンス、お前も席に……」

「一つ、お聞きしてもよろしいですか? アンナ殿」

 ルーカンスはアルタイルの言葉を遮り、アズサに声をかけた。

「はい、なんでしょう?」

「アルタイル副将軍に、謝罪を迫ったのは何故ですか? 彼もムルゲルタのように謝罪を拒んだかもしれなかったのに」

「それはないかと」

「ほう、何故? この方は国王の妃になられるという貴女に不埒な真似をした張本人ですよ? ムルゲルタより質が悪いと言ってもいい」

「……」

 ルーカンスは楽しげに問いかけ、アルタイルはそれに口をヒクつかせながらも、興味があるのかアズサを見ている。

「確かにそうですけれど、アルタイル様は陛下と親しい関係なのでしょう? ムルゲルタ様とは事情が違います」

「「……」」

 二人は驚いたようにアズサを見つめた。

「誰かに聞いたのですか? アルタイル副将軍が陛下と友人関係にあると」

「いいえ」

「では、何故?」

「アルタイル様が私の姿に大笑いされた時に、陛下のことを『ドルトルの奴』と仰っていましたから、たぶん親しい関係なのだろうと推測しました。流石に親しくなければ、国王陛下の妃になる女性にこんなことしないでしょうし」

「成程、鋭くていらっしゃる」

「ありがとうございます」

 納得したように頷くルーカンスに、アズサは淑女らしく礼をする。

 アルタイルは驚きの瞳をアズサに向けている。

「しかし、それなら尚更、彼が謝罪しないとは思わなかったのですか?」

「自分の言葉に偽りないことを家宝の剣に誓い、その証明としてその剣を私に預けようとする方が、貴族の誇りより自分のプライドを取るとは思えません」

「ふむ」

「それに……」

 アズサは内心クスクスと笑いたいのを必死で我慢した。

「それに?」

「目が似てるんです」

「目?」

 アズサの脳裏に口髭を撫でながら、自分を特訓してくれた上司、オードリューの顔が通り過ぎる。


「私の知っている……表では助けないけど、裏で隠れて助けくれる部下思いの人の目に、似ているんです。事実、部下の言動を叱責という形で止めて、さりげなく、最悪の形、つまり陛下に告げ口をする程の怒りを買わないように部下をフォローしていましたし……謝罪してくれるだろうと確信してました」


「っ!?」

 懐かしそうに笑うアズサの言葉に、アルタイルは火が出そうなくらい顔を真っ赤にすると、それを片手で覆って隠した。

 ルーカンスはそんな上司の様子を楽しそうに眺め、頷くと、アズサに顔を向けた。

「成程、これで納得できました。お待たせしてすみません。さあ、食事にしましょう」

 そう言うとさっさと自分の席についてしまった。

「はい」

 アズサは席に腰を下ろすと、不思議そうに顔を上げた。

「アルタイル様、席につかないのですか? というか、何しているんです? 顔痛いんですか?」

「いや、痛くねぇ」

「ふふふっ」

 アルタイルの動かない様子にアズサは首を傾げ、ルーカンスは楽しそうに口に弧を描く。

「ふぅ、さーって飯だ飯だ! 食うぞ!」

 アルタイルは一つ大きく息を吐くと、自身の席に腰を下ろした。

 その時、彼の髪から雫がテーブルの上に落ちた。

「なんで濡れているんです? アルタイル様」

「いや、アンナ殿がぶっかけただろう? 水差しの水」

 アズサの他意の全くない純粋な質問に、アルタイルは呆れを存分に含んだ苦笑いで答えた。

「あ!」

 アズサはその答えによって、少し前に彼に水をかけたことを思い出し、慌てて宿の人間に大きめのタオルを頼んだのだった。


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