序章
すみません!こんな中途半端なときに序章投稿するとか、ほんとすみません!
とある貴族の男が自身の邸の食堂で遅めのディナーを食べていた。
右手に持っていたスプーンでシチューを掬い、口の中に運ぶと、二三度噛んで飲み込む。じゃがいもや人参が喉を通り胃に達すると、男は満足げに頷き、周りの使用人達はそれに安堵の息を吐いた。
男はそのままシチューを全て胃の中に送り込むと、紅茶を口に含む。
男の執事はこれから彼が席を立つと察し、足を一歩踏み出した……その瞬間だった。
「うぐっ、がはっ」
突然男の体が痙攣をし始め、口から大量の血を噴き出された。
白を基調としたシチュー皿や紅茶のカップ、テーブルクロスが赤い斑点模様のものとなり、その上に男が倒れ込んだ。
ガシャンッ
男はそのままピクリとも動かない。
その様子を呆然と見ていた使用人達の中で一番に我に返ったのは男の執事だった。
「デトラト様!」
執事は慌てて男に駆け寄ると、テーブルに倒れ込んだ男の顔を覗き込み、息を飲んだ。
目はこれでもかと開かれ、大きく開かれた口からは噴き出された血の残りが男の唇から顎にかけて赤く色付けていた。
この日、本人に期せずして、クトー男爵家嫡男デトラト=クトーの最後の晩餐となった……。
デトラト=クトーが殺されたその翌日、シェドゥール王国、王宮の執務室にその男はいた。
その男は自身の金の髪を左手でかき上げると、持ち込まれた書類に余すところなく目を通した。そして、ひとつ頷くと、羽ペンにインクを染み込ませて自身のサインを書き入れた。
書き入れ終わった瞬間、目の前の重厚な扉からノック音が聞こえ、男はそちらに声を掛けた。
「入れ」
「失礼致します」
白銀にも負けない輝きを放つ銀の髪を項の部分で一括りにまとめた男が、書類数枚を手にしながら扉を開け、室内に足を踏み入れた。
銀の髪の男は金の髪の男の執務机の向かい側まで来て足を止めると、持っている書類を執務机の上に置いた。
「陛下、昨日、また貴族が殺されました」
「……今度は誰だ」
「クトー男爵の嫡男、デトラト=クトー。財務省人事課の長をしていた男です」
「今度は財務省の人間か」
陛下と呼ばれた男は自身の執務机に両肘を付き、組んだ手の上に額を置く。
銀の髪の男は右手でメガネの縁に触れると、報告を続ける。
「死因ですが、解剖結果によるとアオドハイドの毒によるものでした」
「アオドハイドだと? 猛毒だが特徴的な甘い香りが強すぎるあれか?」
「はい、そのはずなのですが、アオドハイドが入っていたシチューからはその香りが全くしなかったとのことです」
「……そうか」
金の髪の男……国王ドルトル=シェドゥールが組んだ両手から額を離さず唸る。
その様子に、銀の髪の男は眉間に皺を寄せて彼の執務机を両手で打ち付けた。
ドルトルは組んだ手の上から額を離すと、そんな彼の態度に目を見開いた。
「陛下! 僭越ながら申し上げます。この件に関して捜査団を設けるべきです」
「捜査団か……」
国王は目を瞑り、数秒考える様子を見せた後、口を開いた。
「少し待ってくれ、調べたいことがある……」
彼は銀髪の男を見上げた。
彼の瞳の裏に隠された何かを感じ、銀の髪の男は小さく首を傾げた。
「陛下……?」
銀の髪の男がドルトルの様子に首を傾げていた頃、王宮内の中庭を二人の若者が横切っていた。
「待ってよ~ランバル兄さ~ん」
若者二人は、有名なものから珍しいのものまで、様々な種類の薔薇で彩られる中庭に目を向けることもなく、歩みを続けた。
ランバルと呼ばれた青年は父親譲りのハネひとつない金髪を揺らしながら後ろを振り向く。
そして、メガネの位置を直しながら、後ろから追いかけてくる弟に声を掛けた。
「早くしろ、シューダル。デント教授の講義に遅刻してしまう」
ランバルの言葉にシューダルと呼ばれた青年は顔を顰めた。
「俺、あんなつまんない講義受けたくないし~。それに、帝王学なんて、次期国王の兄さんだけが学べばいいと思うんだよね~」
シューダルは、兄とは正反対のふわふわ天然パーマなブロンドの髪をひと房指に取るとくるくると巻きつけた。
「そんなこと許されるわけがないだろう。我侭ばかり言うんじゃない。全くお前は……」
「だって嫌なものは嫌なんだよね~、あ、そういえば聞いた兄さん? ま~た貴族殺されちゃったんだって~、今回は毒殺らしいよ~」
シューダルは内容とは裏腹に実に愉快そうに口を歪めて、その話を口にした。
「なんだと? またか。まだ犯人が捕まっていないとは嘆かわしい。父上も何をしていらっしゃるのか」
「結構相手もやり手で尻尾掴ませないらしいよ~。ま、それにしても、まだ捜査団も作らず、陸軍だけに捜査を任せてるとか意味わかんないけどね~。ほ~んと、な~に考えてんだか、あの狸」
「……口が過ぎるぞ、シューダル」
「ごめ~んなさ~い」
シューダルは全く心の篭っていない謝罪を口にすると、ランバルの横を通り、デント教授が待つ部屋に向かう。
口元は弧を描いていながらも、目は笑っていないシューダルに溜息を付きながら、ランバルはその後を追ったのだった。
時は遡り、クトー男爵家嫡男デトラト=クトー、最後の晩餐の日。
王宮の裏庭、もう日も落ち、辺りは暗く数メートル先も見えない中、黒髪の大男が上半身裸で大剣を振っていた。
「ひゃくごじゅういち、ひゃくごじゅうに、ひゃくごじゅうさん」
そこへ、背の高い男が軽い駆け足で首を左右に振りながらやってくる。
誰かを探しているようであったが、大男が大剣を振っている姿をその目に止めると大声を上げた。
「こちらに居られましたか、アルタイル副将軍!」
黒髪の大男、アルタイルはその声に、振っていた大剣を地面に突き刺し、やってきた男の方を振り返った。
「どうした? トンド少佐。飯の時間か?」
にっかりと笑い、白い歯と目をキラリと光らせて問いかける上司に男は首を左右に振った。
「い、いえ、夕食の時間ではありません。また貴族の死体が上がりました」
「……またか。わーった。すぐ行くから先行っててくれ」
「はい!」
部下の男が駆けていき、その姿が見えなくなったのを確認したアルタイルは左頬にある十字の傷を右手でそっと撫でた。
「……傷が疼くな」
此処は商業の街マイネ。
この街には王都や近隣の街の貴族達御用達のカフェ『カトレア』がある。
このカフェ『カトレア』はこの街で一番大きいカフェだ。
木枠で出来たステンドガラスの扉を開けると、木造の壁に大樹やリスの絵が描かれており、まるで物語に出てくるような森に足を踏み入れたような気分にさせる。
テーブルや椅子は全てアンティークで揃えられ、広い間隔で置かれている。此処に来た客は隣のテーブルの客を気にすることなく、美味しい紅茶やケーキ、おしゃべりを楽しむことができる。
また、カフェご自慢のピアニストが日毎、朝昼夜毎に、その時に合った曲を演奏し、カフェの客を楽しませることでも有名だ。
その為、若い女性の中ではこのカフェでお茶すること夢見る者も多い。
しかし、このカフェ『カトレア』でお茶の時間を楽しむためには、それ相応の身分の者でないと難しい……素晴らしい時間を得た代償は小さくないのだ。
故に、カフェ『カトレア』では、貴族達がお茶やおしゃべりを楽しむ姿が多く見られる。
その日は、森の木漏れ日を想像させるような音楽がカフェに訪れていた客を楽しませていた。
「お待たせいたしました。可愛い森の妖精さん達ご自慢モンブランと悪魔が天使に片思い、恋は切なく甘いガトーショコラです」
背が低く、まだ少年と言えるようなウェイターがケーキをテーブルに置くと貴族の令嬢達は嬉しそうに声を弾ませた。
「まあ、なんて可愛いのでしょう」
「食べるために崩すのがもったいないわ」
「ごゆっくりどうぞ。失礼致します」
ウェイターは一度お辞儀をすると、テーブルから離れた。
ウェイターの後ろで、貴族の令嬢達は可愛らしいケーキを食べながらとても物騒な話に花を咲かせ始めた。
「そうそう、お聞きになって? 王都でまた事件が起きたらしいですわ。今回は毒だそうよ」
「まあ、このようなところでお話することではないのではなくて」
「そんなこと言って、気にはなっていらっしゃるのでしょう? 今は殿方だけですけれど、もしかしたら、いつか女性もということがないとは言えないのですし」
「まあ、それはそうですわね……」
(今時のご令嬢様のお話は物騒だねぇ)
ウェイターは内心苦笑いしながら、彼女達の近くのテーブルを片付ける。
「それにしても、ご存知? この事件で使われている毒って特殊なものだそうですわよ」
(特殊?)
「特殊って?」
ウェイターの疑問を代弁するかのように相手の令嬢が疑問を口にした。
「なんでも、本当なら匂いや色、味があるはずの毒がすべて無色無味無臭なんだそうですわ」
「まあ! それは恐ろしいですわね」
「ええ、全くですわ」
(うわ、なんだよそれー。そんなことされたら、こっちの商売上がったりだっつーの)
そうウェイターの少年が思った瞬間だった。
「きゃ――――!」
奥のボックス席に注文されたケーキを運んでいたウエイトレスの叫び声が聞こえた。
そこには体の肥えた男が心臓から吹き出した血で彼の座る椅子やテーブル、そして床一面を真っ赤に染め上げ、息絶えていた。
この男、貴族ではなく貴族と繋がりのある商人で今日はこのカフェで貴族と待ち合わせをしていたのだが、その貴族が来る前に命を落とすことになってしまったようだ。
(ありゃ、ちょっと長くいすぎちった)
ウェイターの少年は人が殺されて騒然となっている隙に、カフェを抜け出した。
少年はカフェから離れたところまで来ると来ていたウェイター服を脱ぎ、そのままポイと道に捨てるとその中に着ていたシャツの皺を手で伸ばした。
「ふー、暑かったー。それにしてもちょっと焦ったぜー、もっと早く抜け出す予定だったのに、俺もまだまだだな」
被っていたカツラも投げ捨て、中から現れた真っ赤な髪をかきむしる。
「それにしても……無味無臭無色の毒薬ねぇ」
少年は先程カフェで聞いた毒薬の話を思い出し、口の端を歪めた。
「ちょーっと気になるよなー。殺し屋ナイフ様としてはさ」
少年は先程肥えた体の男の心臓を突き刺したナイフの血を拭き取りながら、次に行く街を王都に決めたのだった。