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上憑と詩雄

「――うっざ」


地を蹴る詩雄。上憑との五メートルを一足で詰め、勢いそのままに脇腹めがけて力任せのボディーブロー。

上憑はその愛らしくも凶器じみた拳をいなし、軌道を逸らした。右の拳なので彼から見て右へ。詩雄は予期せぬ慣性に抗えず、体勢を崩して前のめりによたよたともつれた。

体勢が落ち着いた後、顔だけを振り向かせ、背中越しに上憑を忌々しげに睨み付ける。


「……なにあんた。格闘経験あり?」


「別に。ただ君みたいのを相手した事は何度か。因みに全部返り討ち」


「アハ――それはウケる――!」


コンマ数秒で一回転。遠心力を利用し、捻りを加えた、風さえも巻き起こす上段後ろ回し蹴り。

首を狙う踵を、上憑は難なく掴む。


「……そんな格好で足を上げるなよ。一応、女の子なんだから」


「一応ってなによ、一応って。てかどうでもいい奴に見られてもなんとも思わないんですけ、ど――!」


自身の頭部まで片足を上げた体勢にも拘わらず、詩雄はその足で、単純な力によって相手を押す。

上憑は喫驚したが既に遅く。抗えぬままに地面へと叩きつけられた。半身の痛みに顔を歪めるのも束の間、追い打ちをかける詩緒のスタンプから、体を急ぎ反転させて回避する。


ズ、ゥン――……


そんな、重低音。華奢な少女がコンクリートを蹴りつけただけの音。目線さえも軽く上下させてしまうその力は、一体どこから生み出されるのか――無論、人間なら誰にでも備わっている筋肉に他ならない。


いま現在の詩雄の運動能力は、成人男性九人程度という見解が成されている。研究施設での実験を重ねて、研究員たちによって導き出された値だ。

しかしその実、詩雄の気分によって強弱の変動が激しい為に、あまり当てにはならない。なので凡その推定として扱われている。


だが、たとえ仮定であっても、それほどまでの力でさえ、彼女の本当の能力の付属でしかない――


「……やれやれ。あの時から思ってたけど、君も中々に尋常じゃないね。一般的な肉体強化は三倍から五倍くらいなんだが、君は明らかに度が過ぎてる」


シンカの進化はランダムであり、同じ進化に至った者たちがいるのは珍しくない。その中で比較的多かったのが、肉体強化のシンカである。

彼らの進化は筋繊維と骨。成分と構造はそのままに、構成する層の数、密度と強度に違いが生まれている。故に見た目に変化がなくとも、それに反した爆発的な力を発生させる事が可能なのだ。


けれどそれがデフォルトになってしまっている為に、常人と同じ行動をすれば決定的なズレが出る。走れば自転車より速く、物を掴めば壊れ、跳ねるだけで人など容易く飛び越し、普通の生活など到底不可能。――勿論、自分自身が理解する前に、周りに化物だと通報されるからである。


程度が低ければ、訓練を積んで制御する事も出来なくはない。そうして施設から出ていった者もいる。

しかし、そうでない者はどうしようもなく、何より当人が諦めてしまう。あまりにもかけ離れてしまった者は上憑のいう三倍から五倍。強靭ゆえに筋肉が増えにくいのだが、減らそうにもそれも難しい。手術も現代の技術では手が出せず、施設で暮らす事を決める者が大多数だ。


それら踏まえて、詩雄の異常性に上憑は訝しんでいた。始めは期待に胸を踊らせていたが、今となっては憎たらしく思っている。


「あんたら雑魚とは違うのよ。あたしとお兄ちゃんはサラブレッドなんだから」


「へぇ……それは興味――お、ぃ――っ!?」


遠慮なしに飛び込んできた詩雄の拳を、反応が遅れた上憑は腕で防いでしまった。

――肉骨が軋みをあげ、凶悪的な衝撃が体を突き抜ける。疾走する自動車が激突してきた感覚。あまりの力に、上憑の体は浮かんで後退する。


「――っぅぅぅ……怪力女が……!」


因みに、先にも述べたが、詩雄は気分によって強弱が変わる。昂っている今の彼女の肉体は恐らく、九倍では済まないだろう。

しかし、それを受けて尚、未だ気を失っていない上憑も、並の強化を身に付けてはいないようだ。


「……む、サラブレッドじゃないや。純血?これも違うな……ああそうだ、ハーフだハーフ」


独り言で頭を整理しながら、詩雄は攻撃の手をやめない。

スニーカーを脱いで上憑に投げ付ける。これまでの乱暴かつ非常識な荷重により靴の役割を無くしてしまったので、ごみ捨てついでの投擲。ゴムと合成皮革とはいえ、時速二百キロ近くもあれば十分に脅威だ。


上憑は間一髪かわす。頬を掠めたスニーカーは後方の裏口にぶつかりけたたましい音。確認すれば、アルミのドアに突き刺さっていた。


「……っ。こいつは、」


初めてだ。上憑はそう思う。


勧誘の際、今のように敵対してくる好戦的な奴はいくらでもいた。そしてその悉くを叩き伏せて黙らせたり、時には殺してきた。

その全ては、はっきり言って弱かった。人殺しを既に実行していた者もいたが、どれも毛が生えた程度の喧嘩しか知らない素人。特に難儀だとは感じなかった。

けれどそもそも当たり前であり、むしろそうでなければおかしな話だ。皮膚を硬質化させるシンカとはいえ、硫酸並の酸性を持つ胃液を吐くシンカとはいえ、その他諸々、水に触れるまでは普通の一般人だったのだから。信念を持ち、世界の改変を志す上憑とは、殺すか殺されるかの覚悟が違う。


――だが、目の前の麗しき少女。彼女は明らかに別格。

能力もさることながら、それよりも気にするべきは躊躇いの無さ。出会ってから現在までの一連、別段変わった事ではないと言わんばかりに、女は落ち着いている。

頭は……おかしいが、だが発狂していない。つまりこれら全てが、彼女にとっての日常。彼女という人間性なのだ。――正気の沙汰でないのはいうまでもなく。何故まだまだ幼い彼女がこんな成長を遂げたのか、疑問を抱いてゆく。


「ああもう。さっさと観念しなさいよ――!」


しぶとい上憑に煮えを切らし始めた詩雄は加速。渾身の右ストレート。厚さ二十センチのコンクリートをも易々とぶち抜くそれは対象を捉えた。決まった、そう確信した詩雄は、


「――――えっ」


理解が出来なかった。


風の奔流さえ起こり、確かに、拳は上憑に当たった。両手で防がれていたのだが、それでも手の骨を砕き、止まらぬ勢いで相手を吹き飛ばすつもりだったのに、上憑は踏み留まっていた。――踏み留まれていた。


「……痛っつー……ふぅ。大体“慣れてきたぞ”。さあて、後悔してもらおうか、お嬢さん?」

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