第十章、出来事
この物語はフィクションで、登場する人物や建物は実際には、存在いたしません。
尚この技は架空であり、実際に物理的に出来る技では有りません。
一ヶ月が過ぎて、今日は竜彦の作品の展覧会である。
市内の美術館の一角を借りて、
玲菜を描いた作品のお披露目であった。
受付には竜彦と玲菜が立っていた。
無論スケートを華麗に滑る作品が多く、
竜彦成りのアレンジが加えられていた。
広く凍った湖で一人滑る玲菜の優雅な姿や、
ジャンプして天に舞い上がる姿。
氷の湖で妖精達が周りを囲みその中で、
玲菜が回転をしている姿が描かれていた。
その他には掛け布団を巻いて、
俯いている姿や頬から涙が伝っている姿。
或いは秋の風景の並木道を、
玲菜が一人で歩く姿などが飾られていた。
どの作品もギャラリーを魅了させていた。
すると受付に一人の男性が佇んだ。
美術鑑定士の水野であった。
水野は玲菜を見るなり、「いつ見ても美しいね勝田君のフィアンセは。
いつ結婚するんだい」と、称えられると竜彦は、
「はい、来年挙式を挙げるつもりです」と、答えた。
玲菜も一つ頭を下げて、「頼りっ放しの情けない嫁に成りそうですが、
これからがんばって彼のお役に立てる様、
心掛けて行きたいと思っています。
宜しくお願いします」と、謙遜すると水野は、
「今でも十分役に立っているよ。
もう全ての作品が高額で買い手が付いている。
これは全てフィアンセである、玲菜ちゃんのお陰だろ」と、
尋ねると竜彦は、「はいその通りです。
と、言うよりそうさせました。
彼女はいつも僕に頼るのが、申し訳なく感じている様なので、
彼女を使って作品を出す事で、彼女にも僕の創作活動に、
一躍買って貰うつもりです」と、出展への趣旨を述べた。
水野は趣旨を把握した様で、「なるほど、
それも玲菜ちゃんに対する、勝田君の愛情だな」と、納得していた。
玲菜は、「有難う御座います」と、頭を下げると、
水野は微笑んで、作品を鑑賞しに受付を跡にしたのであった。
玲菜はその夜、大滝スケートリンクで練習をしていた。
リンクの上には、玲菜と真理だけが滑っていた。
真理は時より玲菜の手解きをする為に、スケートシューズを履いて、
一緒に氷のリンクの上で滑っていた。
自ら玲菜の手を引いて、
励ましていたり、技の指導をしたりともう既に専属のコーチであった。
真理は高校中退後、直ぐに美容師に成り努力して、
自力で美容室を開業し、若い美容師達を多く育てて来た経験もあり、
元スケーターでは無くても、教えると言う事には優れていた。
今では美容室のオーナーではあるが、経営の方は口を出さずに、
スタッフ達に任せていた。
そうする事でスタッフ達は、仕事に対する意欲が増して行った。
真理は自分の担当するお客からの、予約が入ると店に出向く様で、
売り上げも経費を除いて、
スタッフとオーナーは対等で支払われていた。
そんな玲菜と真理をリンクの外でベンチに座り、
スケッチブックにデッサンする竜彦だった。
真理と玲菜はリンクの上ではしゃぎながら、練習に励んでいた。
はしゃぎながら玲菜は、切れの良いルッツを決めると、
手を叩いて玲菜を称える真理であった。
そして玲菜の手を取り、社交ダンスを踊る様に玲菜を回転させると、
その場で玲菜を抱きしめる真理は、「最初に玲菜をここで見た時よりも、
数段技の切れが良くなったね。
ふっきれたんだ」と、
問いかけると玲菜は抱きしめられながら、
「まだ完全に吹っ切れた訳ではないけど、
少し安心したかな」と、告げた。
真理、「そうだね、今は守られているからね」と、優しく語った。
そんな二人をリンクの外のベンチで、見守る竜彦であった。
次の日の午後三時頃、舞台は大滝スケートリンクで、
大勢の人々に見守られ、玲菜はフリーでリンクで舞っていた。
既に玲菜は横浜では有名に成り、男性ファンが詰め掛けていた。
その美しさに翻弄されて、
玲菜を人目見ようと普段の日の午後にも関わらず、
大滝スケートリンクは活気に満ち溢れていた。
大半が男性客ではあったが、
噂を聞きつけ地元の若い女子スケーターも、鑑賞しに来ていた。
技を一つこなすと拍手が沸いた。
大滝スケートリンクのホームスケーターの復活に、
支配人の大滝も喜んでいた。
拍手をしてくれた前列で見ていた、男性客にウインクをすると、
男性客は玲菜の名前を呼んで喜んでいた。
その中に真理と竜彦が居た。
真理は滑っている玲菜を見詰めて、
隣で玲菜の演技を見ている竜彦に何気なく、
「ねえ、承知しているよね」と、
問いかけると竜彦は、「ああ、覚悟している」と、答えた。
真理、「あの子の笑顔を絶やさない様、
これから訪れる試練に、どう対処するかが勝負ね」と、
告げると竜彦は真理に振り向いて、「それは彼女の試練だ。
俺が幾ら玲菜を守っても、玲菜自身が強く決断して、
有田裕子に立ち向かわなければ解決はしない。
必ずその試練を超えて行かなければ、本当の輝ける未来は来ない。
傷つけられるだろうが、俺がそれをサポートする」と、
篤い決意に真理は何も言わず、
竜彦から離れてそっと、リンクの大扉を開けて出て行った。
その時、竜彦はリンクの上の玲菜を見詰めながら、
思いに更けるのであった。
次の週の日曜日の昼の出来事である。
竜彦と玲菜は名古屋の有名ホテルのレストランで、
玲菜の母を交えて食事をする事に成った。
雰囲気の良いフランスレストランで、
食事をしていた双方であった。
竜彦はテーブルを挟んで一人で座り、
玲菜とその母は向かい側に座っていたが、
その真ん中に何故か弘美が居た。
母である静香は二人の婚約を認め、
喜ばしく感じている様であった。
弘美は幼いが、喫茶店の娘でもあるが為に、
洋食は慣れており喫茶店での賄い料理で、
フォークとナイフを使い慣れていた事で、
慣れた手付きでフランス料理を、美味しそうに食べていた。
静香、「昔はお父さんも不良だったのよ。
やはり親子ね似た男性を好きになるなんて。
それから更生して不動産を立ち上げ、
持ち前の根性で努力したら、事業が波に乗ったの」と、
夫の才覚を称えると弘美が、
「兄ちゃんは横浜ではワルと呼ばれていたけど、
本当は優しい人だったんだよ。
格好や目付きが怖かったから、
モテなかったけどね」と、自分なりの評価を述べた。
それを聞いた母静香は、口を押さえて笑った。
その時、竜彦は弱った顔付きで、「玲菜、これ連れて来ると、
何を言われるかはらはらするよ」と、怯えた。
静香、「でも今はそんな風には見えないけど、
玲菜とお付き合いする様になってから、
落ち着いたのでしょうね」と、
悟ると弘美はフォークとナイフを持ちながら、「そうだよ、
お姉ちゃんがワルと付き合っているなんて、
周りから言われたくは無いから、
髪型も格好も大人しくなったの」と、自信を持って述べた。
すると更に分が悪くなる竜彦であった。
そんな弘美に玲菜は笑いながら、「私達の縁結びの天使だもんね」と、
弘美に問い掛けると弘美は、「へへ」と、
笑って自慢気にフォークとナイフを持ちながら、人差し指で鼻を擦った。
それを見た静香は、「二人の子供みたいね。
玲菜も婚約して私は家で一人で寂しいから、
この孫を私が預かろうかしら」と、
冗談を言うと竜彦はここぞとばかりに、「それは有り難い。
この生意気なガキに家の近所を、
ウロチョロされなくて済むな」と、笑った。
それを聞いた弘美は顔が強張り、
「自分だって昔はやんちゃで生意気で、
うるさいバイクに乗って帰って来るから、
迷惑だって近所の人が言ってたぞ」と、
対抗すると竜彦は、「やれやれ」と、呆れて 一つ溜息を付いた。
その時、玲菜と静香は笑ったのであった。
静香、「仲が良いわね。
お姉ちゃん焼き餅焼くはよ」と、
玲菜をからかうと玲菜は、
「ついこの間まで、恋敵だったのよね」と、弘美に語った。
竜彦が空かさず、「この頃甘えるのは、焼き餅を焼いた方だってな。
お姉ちゃんに頼んで、遊びに連れて行って貰って」と、
嫌味気に弘美に問いかけると弘美は俯いて、
「だってお姉ちゃんは兄ちゃん寄りも優しいし、
私の事を解ってくれるんだもん」と、拗ねた。
玲菜は静香に、「子供の頃、私は母子家庭で育って、
お母さんは土日になると、
仕事で疲れて家でゴロゴロしていたでしょう。
この子も両親が喫茶店を営んでいるので、土日は忙しいの。
その分私が時間が空いたら、この子と遊んで上げるから、
私に親近感が沸くの」と、庇って上げた。
静香、「そうだったわね。
玲菜を育てる為に必死で働いていたから、
親子とのスキンシップが、疎かになってしまっていたわね」と、
後悔していた。
すると竜彦が、「俺も幼い時から、親の夫婦仲が荒れていまして。
父が弁護士で母は専業主婦でしたが、
父は家庭を顧みずに外で女を作り、その影響で母は酒びたり。
ですが腕利きの弁護士である為に、稼ぎが良かったのでこの御時世、
母は離婚しても目ぼしい就職先は無いと考え、
仕方なくそんな父でしたが、我慢をしていた様です。
俺が中学生に成る頃から、日曜日でも父親は愛人の所に入り浸りで、
その事で悩み母は朝から酒を呑み、寝室で寝ている毎日でした。
無論の親子とのスキンシップなど有りません。
そんな時、この子の父親がまだ若くて近所でもあり、
昼間俺をバイクに乗せて、仲間と走り回っていました。
血の繋がった兄貴の様に感じていました。
昔の俺みたいに不良では有りましたが、
優しく俺を可愛がってくれました。
俺は思春期を迎える頃やはりバイクに乗って、
昔の兄貴の様に夜な夜な走り騒ぎ続け、
街の至る所に落書きをして回りました。
でも悪友はやはりエスカレートし盗難、ドラッグ、
詐欺、悪友の女は売春などに走り、
耐えかねた俺はそこから脱却して、更生しようとしました。
ですが中々悪友はそれを許してくれず、
俺を脅かして元の闇の世界へ、引きずりこもうと企みましたが、
俺は無理やりそんな悪友を捻じ伏せました。
それと同時に僕の母親も、父親と離婚する事を決意して、
裁判の結果母親が得た慰謝料の一部を、
今住んでいる俺の自宅の経費に回してくれました。
母が唯一残してくれた酒浸りだった母の愛情で、
俺に対する罪滅ぼしにと言って、父親との苦い思い出がある、
俺が今住んでいる自宅から出て行きました。
それから面倒を見てくれた兄貴が、知り合いの美術鑑定士に、
俺が至る所に街の壁に、落書きをした絵を写真撮影して、
見せたら絶賛してくれて今に至ります」。
話し終えると静香は、「今はアーチストとして認められて、
素敵な作品を描いているのね。
私の高校時代の親友である、
今は大学の美術講師に成った方から聞いたけど、
全国の絵画関係者には竜彦君の名はもう、
轟いていると聞いています。
いくつか写真ではあるけれど、作品を見せて貰いましたが、
繊細でそれでいて奥行きがあって、
玲菜の涙が頬を伝った作品に、心奪われました」と、
絶賛すると竜彦ははにかみ、
「済みません、娘さんのあんな姿を描いてしまって。
ただ彼女のあの姿が、あまりにも繊細であった為に、
作品にしたいと思いまして」と、陳謝した。
玲菜、「彼に私は何もして上げる事が出来なくて、
全て彼に頼る一方である事が、心苦しい毎日でいたの。
でも彼はそんな私の気持ちを汲んでくれて、
私を描いて作品を出しているの。
今は自分が彼の役に立っている事が嬉しくて、
要約恩返しが出来る様に成ったの」と、母に事情を説明すると、
静香は微笑んで、「素敵な人を見つけたわね。
羨ましいわ。
それと母として誇りに思います。
竜彦君は常に玲菜の気持ちを感じている様ね。
玲菜が求める物全てを、叶えて上げ様としている。
でも決して押し付けたりはしない。
そうでしょ」と、竜彦に問い掛けると、竜彦は微笑んだのであった。
竜彦はレストランの窓の外を見詰めながら、
「玲菜は正直で真面目な子です。
それ故に利用されてしまったと思います。
頑なにコーチを信じて、
自分の寂しかった幼少時代から少女時代に至り、
良き相談相手で話し相手でもあった為に、
コーチの願いを叶えて上げ様としましたが、
有田 裕子は玲菜の神技を見た時から、
裏腹な態度を示す様に成りました。
玲菜が練習中足を挫いて、一時練習が出来なく成ると、
チーム全員に玲菜が編み出した、神技を伝授しました。
ですが玲菜の元々持っている、
フットワークと柔軟性には及びませんでした。
結果的に教え子の一人を、死に至らしめました。
もう彼女は自分がフィギュア界に、君臨し続ける事しか頭に無く、
嘗て得る事が出来なかった栄光を望んで、
それを玲菜に置き換え託しもう一度、
フィギュア界の一員としての座を得たいと、
企んだ結果玲菜を追い込む形で、ストーカー行為に走っています。
ですが」と、口にした所で静香が口を挟んだ。
静香、「玲菜は既に、身も心もボロボロだった。
私はあの人に言ったの。
『そんな安易な考え方で、
フィギュア界があなたに注目する訳が無い』と。
実は彼女は四位の成績で終わった後、
スケート連盟幹部に加盟するつもりだったの。
話は付いていたのだけど、彼女はプロに転じたいと言って、
プロの道を歩もうと練習に励んでいた矢先、
足に激痛が走り、救急車で病院に運ばれて、
レントゲン写真を見たら、半月板が損傷していた。
その箇所以外にも足は何年もの間、
過酷な練習に耐えかねていた事もあり、
極度の負担が重なりもうこれ以上、
スケートを続けたら、歩けなくなると言われてしまった。
医者からもうスケートは断念する様にと、
宣告されてしまったらしいの。
普通ならばそこでプロを諦めて、連盟幹部に加盟するはずが、
悩んで鬱病で何年もの間、家に引きこもっていたと聞いたわ。
その内、連盟からの誘いも無くなり、知り合いが見兼ねて、
個人が経営するスケート教室の、アシスタントとして働く場を与えた。
その時、玲菜はその教室でレッスンを受けていて、
アシスタントである有田 裕子は、幼い玲菜を可愛がった。
同時に玲菜のスケーターとしての才能を伸ばした。
でも全国には優秀なスケーターは沢山居るから、
幾ら玲菜が才能があったとしても、全国レベルからすれば、
大した事は無かった」。
竜彦、「だが玲菜は体が人一倍柔軟な為に、
誰も行う事が出来ないで有ろう技を、こなしてしまった」。
玲菜、「引っかけ技。
普通のスケーターならば、誤って足が縺れつっかかって、
酷く氷に叩き付けられるけど、私はつっかかった瞬間、
ジャンプを試みてしまった。
その瞬間、体が完全に真横になり、
スクリューの様に横に回転しながら飛んで行った」。
竜彦、「アクシデントが神技を生んだ瞬間だった」。
静香、「鬱を併発すると、躁にもなるものなの。
家で鬱状態で引きこもっていた分、躁の状態で希望が沸くと、
一心不乱に玲菜を追いかけた」。
竜彦、「玲菜を追いかけるのは良いが、過酷な練習を有田 裕子が、
納得行くまで行わせれば、必ず玲菜はアクシデントを引き起こし、
また犠牲になる」。
静香、「それを恐れているから、竜彦君の気持ちとしては、
スケートを遣らせたくは無いけど、玲菜の本当の気持ちは、
人々にスケートで、魅了されたいと願うから続けさせる」。
竜彦、「有田 裕子は玲菜がチームを辞めても、
スケートを続けたいと言う気持ちは、察知していると思います。
必ず嗅ぎ付けて来ます。
それが世界中の、何処かのスケートリンクだとしても。
例えそれが横浜の、
個人経営のしがない寂れたスケートリンクだとしても、
目立たない様にひっそりと、
スケートリンクで滑っていても、時間の問題です。
裕子は虱潰しに全国いや全世界に存在している、
スケートリンクを訪れて、調査するでしょう。
裕子から目の届かない所に、玲菜が逃げて雲隠れしても、
必ず何処かで玲菜はスケートを、続けていると踏んでいる。
何故なら長い間、玲菜をコーチして来た、
玲菜の心理を突けるから。
でも俺はあえてスケートを行わせています。
目立つ様に。
何故ならもう俺だけの玲菜じゃないから。
玲菜は皆んなに愛される喜びが願いだから。
そんな輝かしい玲菜が俺は好きだから。
地元ではアイスエルフィンと、
名付けられた妖精である玲菜だから」。
その時、急に弘美が、
「お姉ちゃんは悪い魔法使いに、操られては駄目だよ。
横浜の人達皆んなに、魔法を掛ける事が役目だから」と、
唐突に述べると静香は、
「どんな魔法を掛けるのが役目なの」と、尋ねた。
すると弘美は、「皆んなが笑顔に成り優しく成れる、
魔法を掛ける役目なんだよ」と、語ったのであった。
静香はその話を聞いて感動し、
急に弘美が愛しく成り、弘美を強く抱き締めるのであった。
次の日、喫茶店サファイヤで働いていた玲菜であった。
午後の二時頃、客も捌けて二人の男性がテーブル席で、
遅いランチタイムであった。
その客は以前竜彦の悪友ではあったが、
今は更生して、建物の内装工事業を営んでいた。
玲菜を見て嬉しそうにしている男性客二人は、
テーブルの後片付けをしている玲菜に話し掛けていると、
それを見ていた秋山は顔を強張らせて、
「テメーらなにニヤ付いてるんだよ。
玲菜ちゃんに触れたら、
タダじゃー済まねーからな」と、
忠告すると客の一人である、坂東 健一が、
「秋山さん簡便して下さいよ、ここは喫茶店でしょう。
お触りがどうのこうのって、
キャバクラじゃーあるまいし」と、秋山を敬遠した。
もう一人の男性客である山田 博も、「そうですよ、
竜彦のフィアンセに触れる訳ないじゃないですか。
殺されますよ」と、やはり敬遠した。
秋山は、「ニヤ付き百円」と、
告げると玲菜と男性客二人は大笑いで健一が、
「その百円って言う根拠はなんですか」と、
尋ねると博も、「ニヤ付いただけで百円は高いっすよ。
近頃スナックのカラオケだって、
一曲五十円程度ですから」と、非難した。
それに対し秋山は、
「なら五十円に負けて置いてやるよ」と、豪語した。
するとまた三人は大笑いで健一が、
「おい半額にしてくれたぜ」と、
博に告げると博は、「ご、五十円ですか。
もう一声掛ければ、もう少し負けてくれますか」と、秋山に尋ねた。
秋山は、「びた一文負けねー」と、あっさりと値引きを否定した。
するとやはり三人は大笑いであった。
健一は笑いながら、「秋山さん他の客が居ない事をいい事に、
俺達をいじめるなんて、酷いじゃないですか」と、
冗談で文句を言うと博も笑いながら、「そうですよ。
いくら知り合いだからって」と、やはり文句を言うと秋山は、
「おめーらこの頃やけに、頻繁に来る様になりやがったな。
どう言う風邪の吹き回しだ」と、
尋ねると健一は、「そ、そんな事ないっすよ。
週一ペースは変わりませんよ」と、言い訳をした。
秋山、「そうか、それにしちゃー、
今までと違って来ると元気じゃねーか。
前は景気の悪い話ばっかりで、
難しい顔してやがって、いたのによお」と、嫌味気に答えた。
すると健一と博は同時に、「やっぱりいじめられてるよお」と、
嫌気が差したのであった。
そこに竜彦が来店して来た。
竜彦は健一と博に気が付いて、
「よお、元気そうだな」と、声を掛けると健一は、「そうでもねーよ。
公共事業を扱っている業者が羨ましいねー」と、
嘆くと博も、「仕事は減ってるよ。
不景気でリュニューアルする会社が少ないんだ」と、やはり両名とも、
あまり仕事が芳しく無い様子だった。
それを聞いた竜彦は、「どこも大変だな」と、
嘆いてカウンターの席に座った。
そしてカウンターの中で、洗物をしていた明子に、「明子さん、
日替わりランチまだ出来る」と、尋ねると明子は、「出来るわよ、
作るの私でいいのそれとも、
可愛いフィアンセに作らせた方が良いわよね」と、
意味し気に聞いて来ると竜彦は呆れて、
「帰るよ今日は」と、席を立った。
すると一斉に皆んなは笑ったのであった。
明子は笑いながら、「冗談」と、
言うと竜彦は浮かぬ顔で再度カウンターの席に着いた。
それと同時に健一は、「竜彦お前大分落ち着いたよな。
身形だけじゃなく目付きも雰囲気も」と、関心した。
博も、「近付き易くなったよ。
以前は普通に声掛けただけでも、
ガンくれてるみたいに、眼光が鋭かったしな」と、思い返した。
健一、「やっぱり妖精に愛されると違うね」と、
からかうと竜彦は、
「言われるよ街の元ワル共から同じ事を」と、嘆いた。
それを聞いた博が、「お前怒らないのかよ。
以前ならそんな事言われたら、
それこそガンくれていたのに」と、不思議そうに首を傾げた。
竜彦は一つ溜息を付いて、「慣れたよもう。
街中のOBも現役も含めてワル連中全に、
同じ事を言われるから」と、やはり嘆いた。
するとそこに上機嫌で、弘美が奥から店にやって来て、
竜彦を見るなり、「やい、妖精に惚れたお陰で、
毒を抜いて貰った元不良兄ちゃん」と、威張った。
すると皆んな苦笑いで健一、「おい、
これが一番きつい事言うな」と、顔を片手で覆った。
博も小声で、「明子さんの血をバリバリ引いてるな」と、
弱った顔で首を傾げた。
竜彦も呆れて、「やっぱり帰るわ」と、
また椅子から立ち上ると秋山が、「まあまあ、
こいつの言う事をまともに聞いてると、気が滅入るから流せ」と、
気を紛らわした。
竜彦はまたゆっくり席に着きながら、
「弘美、お姉ちゃんの前で言うなよな。
正直恥ずかしいから」と、心の内を明かした。
玲菜は、「私は正直嬉しいけどね」と、答えると秋山は弘美に、
「お前なー、昨日随分と美味い物を奢られた身分で、
幾ら兄ちゃんを褒めるのが、照れ臭いとは言ってもだな、
奢られた立場を考えろよ」と、
忠告すると弘美は、「両方を褒めたんだよ今」と、
自分では貶したつもりは無い様子であった。
竜彦、「弘美は俺達の縁結びの天使でも有るが、
毒気を吐かしたら世界一きついの幼女だよ」と、
呆れてしまったのであった。
その夜、竜彦の自宅で遅い晩御飯を食べていた二人であった。
竜彦は玲菜の作った料理を食べながら竜彦は、
「悪いな身の回りの世話をさせて」と、
礼を言うと玲菜は、「いいのよ、
もう妻みたいなものだから」と、微笑んだ。
二人はもう新婚の様である。
竜彦、「俺が描いた玲菜の作品の報酬の半分は、
玲菜の口座に振り込んで置いたから」と、
告げると玲菜は、「別にいいのに。
竜彦君が描いた作品なのだから、
竜彦君の全利益でいいの」と、遠慮した。
竜彦、「これでフェアーだろ。
君を描いて君がその半分の報酬を得る。
もう玲菜は今まで俺に頼ってきた分は、
玲菜が支払った事になる」と、理屈を述べた。
その時、玲菜は竜彦のそんな思い遣りに心打たれて、
「有難う、私の蟠りを解いてくれて。
あなたに頼るばかりでいた私の辛さが、
少し和らいだわ」と、感謝した。
竜彦、「それと君の魅力をより一層引き立たせれば、
もっと大勢の人々が君の魅力に引かれて、リンクで君は魅了される。
その時リスクも伴うが、それが本当の君の願いだと思うから。
強くなれよ。
俺は君を守るその目的は、
どんな柵からも負けない君を作り出す事だ。
逃げてばかりでは解決しない。
俺はこれから君が立ち向かう試練から君を守る。
それを超えて初めて強い精神で、
演技をこなす事が出来るスケーターに成れる。
その精神力を得たら、一生の幸せを得られるはずだから。
本当の幸せを自分で勝ち取るんだ」と、玲菜に活を入れた。
玲菜は思いに更けて、「そうね、私が追われなければ、
あなたと出会えなかった。
こんなに優しくこんなに強く、
私を愛してくれる人に巡り合えなかった。
それも神が与えた私の幸せと試練ね。
試練に打ち勝つ事で、本当の幸せが訪れる」と、
悟ると竜彦は微笑んで、「だが実際試練が訪れた時は、
相当ダメージを受けて泣いてばかりだと思うが、
それをサポートして行くよ。
俺だけではなく俺の仲間達が玲菜をな。
皆妖精から笑顔を与えて貰った分、
その恩返しをされるよ」と、
悟ると玲菜はその事に対して、頷いたのであった。
次の日、スケートリンクの営業が終了した後に、
今日もオーナーの計らいで、ホームスケーターの練習の為、
営業終了後もリンクの照明が点されていた。
今日は竜彦が玲菜の練習に付き合っていた。
二人だけのスケートリンクは、とても穏やかな様相であった。
竜彦は玲菜の手を取り、二人は楽しそうにリンクの上を滑っていた。
すると玲菜は立ち止まり、甘えて竜彦に抱きついた。
竜彦も玲菜を抱きしめていた。
玲菜は冷えた体をこうして温めて貰う事が、
何よりも嬉しかった。
愛してる竜彦の温もりを感じると、
硬くなった体の力が抜ける為であった。
すると竜彦は抱いている玲菜の体を放すと、徐にキスをした。
目を瞑りながら竜彦にキスを受けると、
体の力が寄り一層抜けて行く感覚を覚えた。
しばらくキスをした後、玲菜は竜彦から離れて、
リンクの中央に立つと、上を向いてポーズを決めた。
そしてリンクの上を軽快に滑り出す。
竜彦はそれをリンクの上で見詰めていた。
縦横無尽に滑る玲菜は一つ ループを決めた。
決めるとリンクの上に佇んでいる竜彦を、誘うようにウインクをした。
そして体を真横にして滑ると、キャメルスピンをこなす。
今度は腕を広げて軽快に滑り出すと、
活き良いを付けてフリップを舞った。
すると両足を広げてイーグルの体制から、 飛んでバタフライを行うと、
微笑んで滑走し体制を低くすると、片足でしゃがんでシットスピン。
そして上半身を起こしながらスピン。
スピンしながら天を仰ぐ様は、
まるで恋に落ちた喜びの妖精を、演じている様であった。
はしゃいで足を高く上げて両手で靴のブレードを掴むと、
そこでビールマンスピン。
片足を肩に乗せてもう片方の足でスピン。
玲菜は乗って来るとまた勢いを付けて、
大きくジャンプをして羽ばたき、
回転してトリプルアクセルを行うと、綺麗に着氷を決めた。
決めると嬉しそうに竜彦の回りを滑った。
そしてリンクの端に滑って 行き、
勢いを付けて竜彦の前に滑って来た瞬間、
玲菜は片方の足のエッジを真横にして、
もう片方の足を真横にした方のエッジに、
垂直に引っ掛ると、カンっと歯切れの良い金属音と共に飛んだ。
体制が真横になり、スクリューの様に回転した。
空中で体制を起こし、見事着氷して腕を広げたのであった。
見事な演技でこれが玲菜が編み出した、通称アクセルスクリューであった。
体の全ての力を目いっぱい抜く事で、出来る技である。
そしてリンクの中央に滑ると立ち止まり、腕を天高く上げてポーズを決めた。
するとまた竜彦の胸に飛び込んで、甘える玲菜であった。
いつから居たのかベンチに座っていた、
スケートリンクのオーナー大滝と、真理が拍手をした。
それを見た玲菜と竜彦の二人は、互いの腰に腕を巻いて仲良く、
リンクの外へと滑って行った。
そしてリンクから上がり、二人が座っているベンチの前に佇むと、
竜彦が、「真理、仕事帰りか」と、尋ねると真理は、
「気を利かせて、遅く来たのよ」と、からかった。
竜彦、「よく言うぜ。
仕事が忙しかったのだろ」と、問いかけると真理は、
「ちょっとね。
今日はお客が夜に集中したのよ」と、正直に答えた。
大滝、「随分上手くなったな、以前と比べると見違える様だ。
まったくぎこちなく無い。
以前ここに来て間も無くは何度も転んでいたが、
まるで人が変わった様に、切れの良い滑りが出来ている」と、
褒めると玲菜は一つ頭を下げて、
「有難う御座います」と、礼を述べた。
真理はベンチから立ち上がり玲菜を抱き締め、
「体の力が完全に抜けてるね。
以前は玲菜をこうして抱き締めると、体中の筋肉ガチガチで、
いつも抱き締めながら、体の力を抜く様にと指示して、
力が抜けるまで抱き締めていたけど、
自然に体の力を抜く様な、体質になったのね」と、
関心すると竜彦は、「まだ完全では無いが、
以前よりかは数段自力で緊張を解している様だ。
だがちょっと甘えている節もあって、
甘えたいから抱かれに来る様だな」と、玲菜の本音を見破ると、
玲菜はてれながら、「ごめんなさい、
滑っていると竜彦君や真理さんの、愛情が欲しくなるの。
私は今までリンクの上では、甘やかされた事が無く、
常にコーチの激が飛んでいたから、
愛情に溺れてしまっているの」と、
自省すると真理は、「まあ、良いけどね。
今までムチばかりだったから、今度は飴でコーチすれば」と、
語ると竜彦は笑いながら、「今度は褒めて伸ばす手か。
玲菜はその方が成長するだろ」と、踏んだ。
大滝、「この子にムチを打っては駄目だ。
打てば打つ程体が膠着して、軽やかな演技が出来ない。
この子の本質的なコーチは、ここに来てこの子の華麗な姿を見て、
魅了してくれるお客に有るんだから」と、念を押した。
真理、「そうだね、お客さん皆んなに喜ばれれば喜ばれる程、
どんどん滑りが軽やかに成る。
それと竜彦に毎晩愛されれば愛されるほど、綺麗に成って行く」と、
軽くからかうと竜彦は、
「お前はさり気なく余分な事を言うな」と、咎めた。
真理は、「へへ」と、ほくそえんだ。
玲菜もその時、微笑みながらベンチに腰を据えると、
大滝と真理そして竜彦の三人が、玲菜を見詰めた。
真理、「でも本当に綺麗に成ったよね」と、
答えると大滝も、「思い出すよ、
昔ここで舞っていたあの子の事を」と、
当時ここで滑っていた、女子スケーターの事を思い返した。
竜彦、「言って置くが綺麗にしたのは何も、
俺のせいだけでは無いからな、
真理を含むここに玲菜の演技を見に来る客が、
玲菜を美しくそして、華麗にさせたんだ」と、断言したのであった。
そんな大きな器である竜彦の事を、更に頼もしく感じた玲菜であった。
その夜、二人は同じバスルームに居た。
シャワーを 一緒に浴びながら、キスをしていた。
何気なく玲菜は竜彦の腰に手を宛がうと、腰の傷に触れた。
それを感じた竜彦は、「俺がまだ十七の時だった。
街で喧嘩してジャックナイフで刺された跡だ」と、
告げると玲菜は、「聞いてはいけない事だと思って、
あえて聞かなかったけど、私が思った通りね」と、
確信すると竜彦は、「別に構わないよ、でも俺は刺されても喧嘩し続けた。
怖い事を知らない俺は、死ぬ事も怖くは無かった」と、
平然と答える竜彦に玲菜は、「私は死ぬのは怖いけど、
あなたに抱かれて死ねるならば、死ぬのは怖くはないわ」と、答えた。
それを聞いた竜彦は、「怯えている様だな、
最悪裕子に殺されると思っている様だが、それは絶対に有り得ない。
何故なら俺が守るから」と、
励ますと玲菜は不安気に、「あの女には殺されたくは無いの。
望むならあなたに、息の根を止められたい」と、口にする玲菜に竜彦は、
「いつも息の根を止めているだろ、ベッドで」と、意味し気な事を口にした。
玲菜はその時、少し微笑み、「いつもあなたに息の根を止めてもらうと、
このまま本当に妖精の世界に、旅立てる様な気がするの。
目が覚めなければいいと思う時があるわ。
あなたにベッドで抱かれていると」と、同調した。
竜彦、「もう弱気に成っている様だな。
それでは本当の妖精が住む世界に旅立てないぞ。
自分の精神を強く保たなければ、解決出来ない柵なんだから」と、忠告した。
玲菜、「竜彦君は今でも死ぬのは、怖くないのね」と、
尋ねると竜彦は、「今は怖いさ、震える程怖いな」と、
その心境の変化に玲菜は驚いて、
「どうして急に臆病に成ってしまったの」と、
問いかけると竜彦は、「君が居るからさ。
あの時の俺は捨てる物が無かった。
一家断絶状態で俺が死のうが生き様が、悲しむ者は誰もいない。
逆に死ねば良いと、思っている奴らばかりだったろう。
何も怖い事など無かった。
だが今は俺が死んだら、君を路頭に迷わせてしまう。
こうして抱いて上げる事も出来なくなれば、
君はきっと気が狂うだろう。
身も心も俺に預けてしまった今となっては、
君はもうベッドで俺しかその身を、預ける事は出来やしないだろうから、
繊細な心の持ち主である妖精は、その身を一人の男に託してしまうと、
もう後戻りは出来ないのさ。
俺が死んだら君はどうなるか考えただけでも、
恐ろしくて自分の身を案じたくなる。
今まで自分の為だけに生きて来た俺は、愛した者の為に生きる事を知ると、
俺は臆病になった。
俺が恐れる事はたった一つだけだ。
君を残して死ねない事だ」と、語り終えると玲菜は一頻り泣いた。
泣きながら玲菜は、「そうよあなたを失ったら、私は生きて行けないわ。
あなたがスケートを止めろと言うなら、
明日からでも止めるつもりよ」と、
感情的になると竜彦は、「残念ながら玲菜が今、即座にスケートを止めても、
継続していても同じ事なんだ。
現に三年間近くスケートを行っていなくても、
裕子は君を追いかけた。
そう裕子は君を監視しなくても、スクスク育つ君の才能を見抜いている。
君が年を取りスケートが出来る体力が無くなるまで、
あの女から逃避行し続けるか。
それとも上手く成って、裕子の納得が行く演技を達成させるかだが、
逆に達成した方が危険だ。
何故なら君の元コーチである有田 裕子は欲が出る。
オリンピックでメダルを取り続けるまで、君を放さないだろう。
どの試合にも出場させるだろうが、あのコーチの指導では、
コーチと同じ障害を抱えてしまうだけだ。
玲菜は年老いても妖精で有り続けて欲しい、
それが俺の願いなんだ。
何故なら君はその事を望んでいるから。
メダルなんて取れなくてもいい、身近で自分の演技を称えてくれて、
毎日直ぐそこで拍手が聞こえる、スケートリンクで滑っていたい。
君は横浜の華であるやんちゃな妖精、
大滝スケートリンクに現れる、アイスエルフィンでいたいから」。
それを聞いた玲菜は言葉を失ってしまった。
本質的な要素を突かれてしまったからである。
玲菜と有田 裕子からの柵を解く為には、スケートを止める事だが、
それでは解決しない柵に、路頭に迷っていた。
スケートを止めても追いかけて来る裕子。
裕子の指導の末、身も心もボロボロにされてしまった事に怯え、
逃避行を続けた玲菜。
だが裕子とは逆の指導を受ける事で、技に磨きが掛けられ鮮麗された事。
今脚光を浴びる玲菜は、毅然とした態度で裕子に臨むしか、
解決の糸口は見付からなかった。
その時、玲菜は自分の置かれている現状を把握して、
自分の意思を貫き抜こうと、強い決意を抱いた。
それは愛する竜彦と、自分の望みだからでもある。
オリジナル:http://blogs.yahoo.co.jp/kome125/folder/1536491.html




