高級素材しか使えない王都工房
王都工房の床は、いつも磨かれていた。
炉の前でさえ煤が少ない。壁には高級素材の見本が並び、職人たちは同じ形の革手袋をしている。
主任バルドは金縁眼鏡を押し上げ、書類の角をそろえた。
「勇者パーティーの馬車修理が、なぜ止まっている」
若い職人が背筋を伸ばす。
「高硬度の車軸材が不足しています。王都外からの入荷が遅れており」
「代替材は」
「規格外になります」
バルドは書類の角をもう一度そろえた。
「王都工房の看板で、規格外は出せない」
そこへ、レオンが入ってきた。
銀の鎧は磨かれているが、白いマントの裾には薄い泥跡が残っている。
「まだか」
「安全を保証するには素材が要ります」
「辺境で車軸が折れた。予備も灯りもなかった。遠征が遅れている」
レオンの指が剣の柄を叩く。
バルドは静かに見返した。
「予備の管理は、使用者側の責任です」
「荷物持ちがしていた」
「その荷物持ちは」
レオンは答えなかった。
カシアが宝石付きの杖を鳴らす。
「追放したわ。ゴミしか直せないハズレスキルだったもの」
バルドの眉がわずかに動いた。
「ゴミしか直せない」
「割れた魔石を貧乏くさく光らせたり、古い縄をつないだり」
「……現場では、それが必要だったのでは?」
カシアは口を閉じた。
バルドは職人へ向き直る。
「名前は」
「アルト・リーフ」
「記録を探せ。廃材直しの男が、どこへ消えたか」
同じ頃、捨て村では古い水路跡の泥をかき出していた。
目的は、畑の全部に水を通すことではない。
昨日見つけた石の溝を、畑の一角までつなぐこと。
毎日、井戸から畑へ水を運ぶ手間を少し減らすことだった。
普通に水路を直すなら、崩れた石を積み直し、板を削り、何度も水を流して角度を見る。人手も日数も足りない。
ミナは膝まで泥に入り、村人へ指示を出す。
「石は捨てない。割れたものも端へ。ニコ、深いところへ入らない」
「入ってない!」
「足が入ろうとしてる」
ニコは足を引っ込めた。
アルトは水路の石組みに触れた。
石の並びは崩れているが、水が通る道は残っている。必要なのは、新しい水路ではない。古い道を、使える分だけ起こすことだ。
指先の下で、石の端に白い筋が浮いた。
水が当たっても動かない石だけが光る。浮いた石や割れすぎた石には、何も出ない。
「全部直すと、時間がかかりすぎます」
ミナが泥のついた手で鍵の輪を弾いた。
「畑に水が届く分だけでいい」
「なら、板と石で細く通します。水が多い時は、横へ逃がす溝も作ります」
「逃がさないと、どうなるの」
「板が外れます。土も削れます」
「じゃあ、逃げ道も先」
ミナは後ろを向いた。
「ダン爺、浅い溝を右へ。レムは腐ってない板」
「人使いが板より固いな」
「溝が曲がったら、文句はあとで聞く」
ダン老人は笑いながら鍬を持った。
レムが割れた板を運んでくる。
「この板、腐ってない」
「水に触れる場所に使えます」
「こっちは?」
「乾いた場所の支えに」
レムはうなずき、板を分けた。
作業小屋で作った割れ魔石の灯りを、水路の暗い場所へ吊るす。青白い光の下で、古い石組みが浮かび上がる。
アルトは錆びた鉄片を留め具にし、壊れた桶の板を流れを整える板に変えた。
桶の板は薄い。水路の壁には弱すぎる。だが《再利用》で木目の残った部分だけを水の向きに合わせると、細い流れを受ける板にはなった。
「桶の板で、水が曲がるの?」
ニコが覗き込む。
「桶には戻せません。でも、水の向きを少し変えるだけならできます」
午後、井戸から引いた水が水路へ落ちた。
細い流れが、畑へ向かって進む。
ニコが両手を握る。
「行け、行け」
水は途中で一度よろめき、石の隙間へ吸われかけた。
ミナが身を乗り出す。
「左、漏れてる」
「板を一枚」
レムがすぐに板を出した。
アルトは押さえ板を差し込み、流れを戻した。
水が畑の端へ届く。
乾いた土が、じわりと色を変えた。
村人たちが声を上げた。
ミナは笑わなかった。
ただ、泥のついた手で額を拭こうとして、頬に茶色い筋をつけた。
「これで、毎日運ぶ水が減る」
「ミナさん、頬に泥が」
アルトが言うと、ミナは手を止めた。
「どこ」
「右です」
ミナは左を拭いた。
「そっちじゃないです」
「最初に右って言った?」
「言いました」
「もう一回」
「右です」
ミナは今度こそ右を拭いた。
ニコが笑いそうになり、ミナに見られて口を押さえた。
「ニコ」
「笑ってない」
「肩が笑ってる」
アルトは泥だらけの手袋を見て、口元を隠した。
ミナはそれにも気づいたが、何も言わなかった。
夕方、ロッコの荷車が村の前に止まった。
「王都で妙な話を聞きましたぜ」
ロッコは汗を拭き、帳面を開いた。
「王都工房が、廃材直しの男を探してる。もしかしてあんたのことじゃねえですか?」
ミナの手が、腰の鍵へ伸びる。
アルトは水路の流れを見た。
王都工房。
レオンたちだけではなく、王都の工房までこちらを見始めている。
「連れて行く話なら、断る」
ミナが先に言った。
ロッコは帳面を閉じた。
「まだ誰も来てませんぜ」
「来る前に言ったの」
ミナは泥のついた手で、水路の板を押さえた。
「この水路、まだ半分よ」
アルトはその手を見た。
泥の下で、指先が赤くなっている。
「はい。途中では行けません」
ミナは小さくうなずいた。
水は細いまま、畑へ流れていた。




