捨て村の作業小屋
屋根が必要だった。
空は朝から低い。森の上に黒い雲が重なっている。
このまま雨が降れば、広場の廃材も、作りかけの道具も濡れてしまう。
アルトは破れた布をかけて回っていた。
ミナがそれを見つけ、眉を寄せる。
「一人で何をしているの」
「雨で材料が傷む前に」
「人を呼ぶわ」
「でも、朝の水配りが」
「水配りはレムに任せた。あなたは頼る練習」
ミナは腰の鍵を鳴らし、広場を横切った。
頼る練習。
アルトには、荷車の修理より難しく聞こえた。
ミナが選んだのは、村の端にある廃屋だった。
屋根は三分の一が抜け、扉は外れ、土間には古い炉が崩れている。壁には雨染みが走り、床板の半分は腐っていた。
「ここを作業場にする」
ミナが言った。
ダン老人が鼻を鳴らす。
「昔は共同台所だった。飯の匂いがした家だ。今は鼠も寄らん」
「なら、また飯の匂いを戻します」
アルトが言うと、老人は口の端を上げた。
「大口二つ目だな」
今日の目的は、家を立派に戻すことではない。
雨を避けて作業できる場所を作ること。
壊れた物を順番に置ける場所を作ること。
そして、火を使って飯を温められる場所を取り戻すことだった。
普通なら大工と新しい板が要る。屋根板は長さが合わず、扉は歪み、炉の石も欠けている。
このまま釘で打ちつけても、最初の雨で隙間から水が落ちる。
作業は、まず捨てる物を決めるところから始まった。
アルトは腐った板を無理に使わなかった。
「これは駄目です。踏むと抜けます」
「まだ使えないの?」
板を持ったニコが首をかしげる。
「床には使えません。薪には使えます」
「じゃあ、床としてはだめ?」
「はい。でも薪としては大丈夫です」
ニコは納得した顔で、腐った板を薪の山へ運んだ。
レムは釘を抜いて、曲がり方ごとに並べる。無口だが、手は速い。
「レム、長い釘を三本ください」
「これ」
「ありがとうございます。先が潰れているので、扉止めにします」
「扉止め」
レムは同じ形の釘をもう二本探し出した。
一方、ミナは人の流れを見ていた。
「屋根班、板を濡らさない。炉班、石を運ぶ。ニコは走らない」
「走ってない」
「走ろうとした」
広場に笑いが起きる。
アルトは笑い声を聞きながら、崩れた炉を調べた。
石は欠けている。煙道も詰まっている。
けれど、全部を作り直す必要はない。
使える石を下へ戻し、割れた鍋の底を火受けにする。曲がった鉄棒は鍋をかける支えにする。
昼過ぎ、最初の雨粒が落ちた。
屋根には、壊れた荷車の板と破れた扉が重なっている。
見た目は不揃いだった。
アルトが手を当てた場所だけ、板の白い筋が同じ向きにそろっていた。雨が流れる道だけを作ったのだ。
でも、雨は土間へ落ちなかった。
ニコが両手を上げる。
「中、濡れてない!」
「騒ぐと埃が落ちる」
ミナが注意するが、口元は少し緩い。
アルトは外れた扉を、折れた槍の柄で補強した。
扉の蝶番は死んでいる。けれど、槍の柄のまっすぐな芯が、扉を支える横木になった。
閉めると、ぎい、と鳴る。
「鳴りますね」
「鳴る扉は見張りになるわ」
ミナは扉をもう一度動かした。
ぎい。
「夜、誰かが入ればわかる」
「そういう使い方もありますね」
アルトは感心した。
自分は物の使い道を見る。
ミナは、人の暮らしの中での置き場所を見る。
夕方、廃屋は作業小屋になった。
屋根の下には廃材置き場。
壁際には釘と金具を分ける箱。
奥には小さな炉。
そして土間の中央には、村人が持ち込んだ壊れた物が並び始めていた。
穴の空いた鍋。
底の抜けた籠。
片方だけの靴。
柄の折れた斧。
アルトは思わず後ずさった。
「一度には無理です」
「わかってる」
ミナが前に出た。
「飯に関わる物、水に関わる物、怪我を防ぐ物。その次に生活を楽にする物。この順で置いて」
村人たちは不満を言わなかった。
何から直すかが見えれば、待つ理由も見える。
ダン老人が片方だけの靴を持ち上げる。
「わしのこれは、いつになる」
「歩けないなら早い」
「足は歩ける。でも靴があれば楽に歩ける」
「なら遅い」
また笑いが起きた。
その夜、作業小屋の炉に火が入った。
薄い粥に、乾かしていた野草が少し入る。雨の音を屋根が受け止め、炉の火が土間を赤く照らす。
アルトは椀を持ち、作業小屋を見回した。
昨日まで、ただの廃屋だった。
今は、人が集まる場所になっている。
ミナが隣に座った。
「ここを、アルトの場所にしていい」
名前を呼ばれて、アルトは椀を落としそうになった。
「僕の?」
「村の作業場。けれど、作る人が安心して眠れない場所は、作業場じゃない」
ミナは炉の火を見たまま言った。
「荷物は奥。寝るなら壁際。雨漏りしたら言って」
「ありがとうございます」
「今のは村長として」
ミナは少し間を空けた。
「……あと、私も助かるから」
アルトは椀の湯気を見つめた。
自分の場所。
その言葉は、まだ少し怖かった。
でも、炉の火は温かい。
外では雨が降っている。
中には、水と灯りと、食事と、人の声がある。
扉の外で、車輪の軋む音がした。
ミナが立ち上がる。
「こんな雨に誰」
扉を開けると、丸い腹の男が壊れた荷車を引いて立っていた。頭から水を滴らせ、指先はインクで黒い。
「いやあ、助かった。ここが噂の、壊れ物を見てくれる村ですかい?」
男は濡れた帳面を抱え、にやりと笑った。
「あっしはロッコ。商人でさ。車輪が死にましてね」
アルトは雨の中の荷車を見た。
車輪は割れ、鉄輪が外れかけている。
そして荷台には、塩の袋が積まれていた。
塩。
それも大量の。
作業小屋の中で、誰かが息をのんだ。
村の空気が変わった。




