俺を捨てた勇者たちの荷物
捨て村の朝は、水の音で始まった。
井戸の取っ手が回り、桶を作り直した水受けが上下する。
レムが縄を引き、ニコが木の椀を並べ、ミナが配る量を決める。
「今日は飲み水が先。洗い水は午後」
「畑は?」
「今日は水が優先よ。欲張らない」
村人たちはうなずいた。
井戸が直っても、水を無限に使えるわけではない。夜に魔物が出れば、井戸へ近づけない。誰かが怪我をすれば、水を運ぶ人手も減る。
だから、この日の仕事は水をためることだった。
アルトは広場の端で、割れた樽を見ていた。
雨水をためていたものだが、胴板が開き、輪も曲がっている。
普通なら桶職人の仕事だ。新しい胴板とまっすぐな鉄輪がなければ、水は隙間から抜ける。
村には職人も新しい板もない。
「これ、貯水桶にできます」
ミナが振り向く。
「水をためる桶?」
「はい。井戸だけに頼ると、夜や怪我の時に困ります」
ミナはすぐにうなずかなかった。
広場の水椀、畑、壊れた樽を順に見てから、真鍮の鍵の輪を親指で弾く。
「材料は」
「割れた樽三つ。曲がった鉄輪。油の抜けた布。あと、火であぶれる場所」
「人手は」
「板を押さえる人が二人。水漏れを見てくれる人も」
「レム、ダン爺。ニコは離れて見る」
「見るのはいいの?」
「離れてなら」
ニコは灯り石の下に座り、手を膝に置いた。本人なりに、ちゃんと離れているつもりらしい。
アルトは樽を元の樽に戻そうとはしなかった。
胴板の割れ目に触れると、使える板だけに白い筋が浮かぶ。腐った板には何も出ない。
「光らない板は?」
ニコが離れた場所から聞いた。
「水を受ける場所には使えません。薪にします」
割れた胴板は内側へ重ねた。アルトが手を当てると、板の反りが少しずつそろう。
隙間には、油の抜けた布を詰める。鉄輪は輪として使えない部分を切り、押さえ金具にする。
曲がった鉄輪が、ぎり、と板へ食い込んだ。
「叩いてないのに締まった」
レムが手元を見つめる。
「締まる場所だけ使っています。全部は無理です」
「新品の桶ではありません。長くは持ちません」
「どれくらい」
「丁寧に使えば、ひと月」
ミナは樽の内側をのぞいた。
「ひと月あれば、その間に次を考えられる」
「はい」
「じゃあ、作って」
ミナは短く言って、板を押さえた。
その手は荒れていた。村長の手ではなく、毎日水と土を運ぶ人の手だった。
昼前、広場に三つの貯水桶が並んだ。
見た目はつぎはぎ。
でも、水を受けても漏れない。
ダン老人が桶の腹をこつんと叩いた。
「穴だらけの樽だったのにな」
「桶に戻したわけじゃありません。水を逃がさない箱にしたんです」
ニコが拍手しそうになり、ミナに見られて手を止めた。
「これで、今夜は子どもが井戸へ行かなくていい」
ミナが言った。
その意味は、村人全員に伝わった。
暗い中で井戸へ行かなくていい。
森の目を気にしながら、水差しを抱えなくていい。
水があるだけで、夜の怖さが少し減った。
一方その頃、森の向こうの街道で、勇者パーティーの馬車は止まっていた。
「なぜ動かない」
レオンは銀の鎧のまま、泥の中に立っていた。白いマントの裾に、茶色い染みがついている。
御者が車軸を見て、青い顔で答える。
「折れています。応急の金具もありません」
「王都で買った馬車だぞ」
「王都で買った馬車でも、折れる時は折れます」
レオンの指が剣の柄を叩いた。
カシアは馬車の中から裾を持ち上げて降りた。
「泥が跳ねたわ。最悪」
「予備の荷縄を出せ」
レオンが命じると、荷箱を探していた兵士が顔をこわばらせた。
「ありません」
「ない?」
「古いものは捨てました。アルトが持っていた分も」
空気が止まった。
カシアが視線をそらす。
「王都で買い直せばいいと言ったのはレオンでしょう」
「おまえも同意しただろう」
「私は、あの貧乏くさい荷物を見たくなかっただけよ」
レオンは舌打ちした。
そこへ、魔道具係が野営灯を抱えて来る。
「こちらも点きません。魔石が割れています」
「新品の魔石を使え」
「予備はありません。昨日の夜、最後の一つを使いました」
カシアの顔がわずかに歪んだ。
いつもなら、アルトが割れた魔石を選び、弱い灯りに変えていた。
いつもなら、切れかけた縄を先に見つけ、壊れる前に直していた。
いつもなら、濡れた保存袋を乾かし、破れた所をふさいでいた。
その「いつも」が、今はない。
「荷物持ちは、どこへ行った」
レオンが低く言った。
誰も答えなかった。
「追放した場所へ戻る」
「今さら?」
カシアの声は尖っていた。
だが、森の暗さを見てすぐに口を閉じた。
灯りのない夜が近づいていた。
捨て村では、三つの貯水桶が満たされていた。
アルトは最後の鉄輪を叩き、漏れが止まったことを確認する。
ミナが水面を見た。
「今夜、ニコは井戸に行かなくていい」
「ほんと?」
「ほんと。だから桶に登らない」
ニコは足を下ろした。
アルトは手袋を外し、擦れた手のひらを見た。
痛い。
でも、嫌な痛みではない。
ミナが布を差し出した。
「アルト。手」
初めて名前を呼ばれた気がして、アルトは一瞬遅れた。
「大丈夫です」
「大丈夫かどうかは、手を見てから」
ミナは返事を待たず、布を広げた。
アルトは黙って手を出した。
布が巻かれる。
ミナの指は仕事の時より少し遅い。強く巻きすぎていないか、何度も確かめている。
「痛い?」
「少し」
「少しなら、明日は半分」
「仕事をですか」
「手の無茶を」
ミナは布の端を結んだ。
「あなたが昔の仲間をどう思っているか、私は知らない。でも、この村はもう、あなたの手を使い捨てにはしない」
アルトは返事ができなかった。
アルトは布を巻かれた手を開いて、また閉じた。
すぐに礼を言うと、声が裏返りそうだった。
「……ありがとうございます」
「それは、ちゃんと寝てから言って」
ミナは立ち上がった。
その夜、勇者パーティーは灯りのない野営をした。
捨て村では、割れた魔石の灯りの下、貯水桶の水が静かに揺れていた。
同じ辺境の夜なのに、明るさはまるで違っていた。




