七話 虹の橋
東の空に、うっすらと紫色のグラデーションがかかる。
ほのかに朝の匂いがし始める頃、シドはすでに身支度を始めていた。
冷たい水で顔を洗い、歯を磨く。
髭を丁寧に剃り、髪の毛に櫛を入れる。
「少しでも印象を良くしないと」
そう呟いたシドは、手持ちの数少ない服をベッドの上に並べた。
「どれも、似たような服だけど……」
「失礼のない服装にしないといけないな」
シドは、ぶつぶつと喋りながら、服の組み合わせに苦心している。
「張り切ってるようだな」
「そうだね……」
ハルとソラは、まだ夜の残る部屋で、せっせと身支度するシドを見守っていた。
「よし、これで大丈夫なはずだ」
そう言って、シドは一組の服を手に取った。
窓の近くまで来ると、自分の体にあてがってみる。
「うん……やれる事は全部やった」
「きっと大丈夫……」
そう言った後、ふぅっと大きく息を吐いた。
「独り言が多いね……」
「不安を紛らわしているんだろうな」
「別に珍しい事ではない」
「そっか……」
ハルにとっては普通ではないが、そうなんだろうな……と納得した。
柔らかな光が、窓から差し込む。
部屋がいつもより、少し明るく感じた。
シドは、軽い食事を済ませ、入念に選んだ服に袖を通す。
パンパンと、頬を両手で叩き、
「昨日はありがとう」
「おかげで今日は、うまくいく気がするよ」
と、ハルに声をかけた。
「うまくいくといいね……」
ハルもシドに、言葉を返した。
もちろん、シドには届かない。
しかし、昨日の特訓のせいか、ハルは自然に返答してしまう。
「お前達、本当に会話してるみたいだな」
ソラは、からかうように言う。
「ソラのせいだよ……」
「まあ、そう言うな」
「お前達二人にとって、良い訓練だ」
「僕にも?」
「そうだ」
二人がそんな会話をしていると、
「いってきます!」
シドはそう言って、意気揚々と部屋を出て行った。
「……いってらっしゃい」
ハルは、もういないシドに見送りの言葉をかける。
「しかしだな……」
ソラが呟く。
「早すぎないか?」
ハルは、窓の外を見た。
やっと、太陽が全ての姿を見せた頃だった。
早朝の街中――
「さすがに早すぎたかな?」
シドは、そう言いながら街を見て回っていた。
「あ、あそこに本屋がある」
「あれは……衣料品店かな?」
昨日、挨拶を済ませてから街を見て回る予定だったが、すぐに退散してしまっていたので、この朝は発見の連続だった。
「おはようございます」
「おはよう」
シドは数少ない通行人と、すれ違いざま挨拶を交わす。
少し早めに背を折り、すれ違いざまに頭を上げる。
「この時間なら、人も少ないからゆっくり見て回れるな」
シドは、うっかり早く飛び出して来たのを正当化する理由を見つけた。
パン屋に、金物屋。
果物屋に、飲食店。
多種多様な店がある。
シドは、多くの人と顔を合わせる仕事をしたいと考えていた。
淡い期待が、シドの足取りを軽くする。
キョロキョロと街を見ながら歩いていると、あっという間にシドの家との反対側、街の外れまで来ていた。
そよそよと風の音を奏でる草原。
ちょろちょろと流れる小川。
その川には、古びているが小さく愛らしい橋がかかっていた。
「気持ちの良い場所だなぁ……」
シドは、しばらくの間、景色の一部になっていた。
「うん。うまくいったら、またここに来よう」
シドは呟くと、踵を返し街の方へ歩く。
「さあ! 頑張るぞ」
シドは不安を書き消すようにそう言うと、一軒の飲食店を訪ねて行った。
「すみません……」
「はーい」
店主と思われる女性に、声をかける。
シドは腰を折りながら、
「昨日、この街に越してきました。
シドと言います。年齢は二十三です。
現在仕事を探しています。何かお役に立てる事はありませんか?」
練習の成果か、穏やかだが聞き取りやすい声で、淀みなく話した。
「あら。ちょうど厨房のお手伝いを探してたんだけど……料理は出来るかしら?」
店主は、シドの態度に好感を持ったのか、シドに一つの提案をしてきた。
シドは、バッと顔を上げ、
「何でもやります! 料理も少しはできます!」
そう言って、あの笑顔を作った。
「あぁ……でも、やっぱり……」
「女性ばかりの店だから……あなたも気を使うでしょ?」
「今回は、遠慮させていただくわ……」
シドの顔を見るなり、店主は体裁よく断りを入れる。
「……わかりました。話を聞いてくれて、ありがとうございます」
シドは、もう一度深々と頭を下げ、店を後にした。
「これくらいは、想定内だ」
「次は、もっと元気に声を出してみよう」
次は、朝に目をつけていた本屋に入る。
店の入り口に座る男性に声をかける。
「おはようございます。シドと言います。
仕事を探しています。雑用でもかまいませんので、何か仕事をいただけませんか?」
シドは男性の顔を見ながら、元気よくそう言った。
「……ウチは、間に合ってるよ……」
男性はシドから視線を外しながら、素っ気なく断りを入れた。
「わかりました」
シドは落胆した様子は見せず、店を出る。
「まだまだ。これからだ」
「あんなに練習したんだ、きっと大丈夫」
シドは、自分を奮い立たせるよう呟く。
その後も、花屋、衣料品店、雑誌屋、果物屋……
片っ端から、声をかけていく。
「シドと言います」
「何でもやります!」
「仕事を下さい」
挫ける事なく、何度も何度も……。
「ごめんなさい」
「結構です」
「他を当たってくれ……」
結果は、散々だった……。
次第に、シドの表情も暗くなる。
「やっぱり厳しいかな……」
シドの肩に、そっと暗い影が手をかける。
しかし、シドはブンブンと頭を振り、
「僕は変わるんだ……今度こそ」
そう言って決意を固め、前を睨みつけるようにして歩み始めた。
しかし、鬼気迫るその表情は街の人々を、たじろがせるには十分だった。
あの、いびつな笑顔の方が数段マシと思える程。
夕刻
シドの家
「あの男、遅いな」
ソラが待ちくたびれた様子で呟く。
「……きっと、うまく行ってるよ」
「あんなに練習したんだから……」
まるで自分に言い聞かせるように、ハルは答える。
「どんなに努力しても、うまくいかない」
「何もしてないのに、なんでも叶う」
「そんな不条理があるのが、お前達の住む世界だ」
ソラは、淡々とハルに語りかける。
「お前は理解できるはずだ……」
ソラにそう言われたが、ハルは何も返事をしなかった。
ギィ……。
力なく、ドアの開く音がした。
シドが部屋に入ってくる。
「……おかえり」
ハルは、聞こえるはずもない出迎えの言葉をかける。
「ただいま……」
シドは、小さく呟いた。
歩いてるのもやっとの様子だ。
シドは、いつものように独り言を言うでもなく、部屋をうろうろ徘徊するでもなく、静かに椅子を引き、ゆっくりと腰を下ろすと、頭を抱え込んで動かなくなった。
「どうやら、駄目だったようだな……」
少し同情した様子で、ソラは呟く。
「みたいだね……」
ハルも、それ以上何も言えなかった。
朝日と共に芽生えた期待は、夕陽と共に沈み、世界には闇だけが残った。
シドは、呪った。
人を、自分を、強く呪った。
何をやっても、うまくいかない……
どこに行っても、爪弾き……
自分だけが、違う色。
自分の居場所は、どこにも無い……
そんな事は、今までの人生でわかりきっていた……
でも、どうしても期待してしまう……
そんな自分に、心底嫌気がさしていた……
シドは小さく肩を震わせていた。
そんな様子を二人は黙って見ていた……。
翌朝
空には雲が広がる。シドの心模様を表すかのようだ。
シドは、テーブルに伏して寝てしまっていた。
「おはよう……」
シドはそう言うと、のそのそと動き始めた。
「おはよう」
ハルも、朝の挨拶を返す。
シドは、ゆっくりとハルの方へ歩み寄ってきて、窓を開けた。
部屋の淀んだ空気が、少しずつ澄んでいく。
「ごめんね。水を変えずに寝てしまったよ」
そう言うと、シドは丁寧に花瓶の水を変えた。
元の位置に花瓶を戻すと、
「あんなに、練習に付き合ってもらったのに……駄目だったよ」
ハルに向かって呟く。
「気にしなくていいよ……」
ハルもシドに呟く。
シドは、また部屋をぐるぐる回りながら独り言を始めた。
「やっぱり……厳しいだろうな……」
「でも、何軒か当たってない店もあるし……」
ぶつぶつと言いながら、今日の行動を思案してるようだ。
「一晩寝て、少し落ち着いたみたいだな」
「そうだね……」
「今日もまた、仕事探しに行くつもりかもしれんな」
「……」
「この男、案外骨があるようだな」
「……そうかもしれないね」
二人は、シドが少し元気を取り戻したのを見て、安堵しているようだ。
しばらくの間、黙ってシドの決断を待つ。
「よし、もう一度頑張ってみよう……」
シドはそう呟くと、そそくさと身支度を始めた。
昨日よりも、更に入念に準備をしているようだ。
「今日は、うまくいくかな……?」
「ん?」
「仕事、見つかるかな?」
「……厳しいんじゃないか?」
「……」
「お前だって、そう思ってるだろ?」
「……うん」
「昨日より、おそらく状況は悪いだろ……」
「断定はしないがな……」
二人は、シドの行く末を占う。
「僕みたいに……一人でやれる仕事なら……」
「ハル……」
「それも解ってるんだろ?」
「……」
「この男は、単に仕事が欲しいわけじゃない」
「人との繋がりが欲しいんだ……」
「……うん。解ってる」
「この男がもう一度傷つくのは、見たくないか?」
「……わからない」
「でも……そんな気もする……」
「まあ、お前の気持ちも解るがな」
「見守ってやれ」
「……うん」
二人は、それ以上は言葉を出さなかった。
そうしていると、
「よし……行ってきます!」
シドはそう言って部屋を出て行った。
昨日ほどの元気は無いが、覚悟を決めた雰囲気があった。
「頑張って……」
ハルは、そっと呟いた。
しばらくして、
シドは、街中を早足で歩いている。
自分に向けられる視線から逃げるように歩いていると、自然とそうなった。
この二日、シドは街で何人かの住人と言葉を交わしてきたが、どうやら悪い噂が広がったらしい。
「怪しいわよね……」
「何かしでかして、他所から流れて来た……」
「皆で見張ってないと……」
ヒソヒソとした声と冷たい視線が、容赦なくシドを貫く。
根も葉もない噂だが、シドは自分の風体が人に与える印象も、痛い程理解している。
こんな事は慣れていたが、今回は、あまりに早すぎた。
昨日、日が暮れるまで店を巡っていたせいで、小さな誤解が尾ひれをつけて、多くの場所から広まった。
「あっ……」
昨日、勇気が出ずに入りそびれた店が視界に入る。
シドは立ち止まり、店の方へ体を向ける。
足が、ガクガクと震えた。
慣れてるとは言え、毎回この瞬間は挫けそうになる。
シドは、大きく深呼吸をして一歩足を出そうとする……。
しかし、立ち止まった事で、かろうじて避けてた偏見の目が一斉にシドに向けられた。
シドはたまらず体の向きを変え、更に早足で歩き出した。
あっ、あの店……
昨日、閉まってた所……
今日の微かな希望が、次々と通り過ぎる……。
「あぁ……駄目だ……」
シドは、立ち止まる事なく歩き続けた……。
そうして、逃げるようにして街の外れに来たシドは、崩れるように座り込んでしまった……。
「この街も、やっぱり駄目だった……」
シドの声は震えていた。
ゆっくりと顔を上げたシドの目に入ったのは、小川に架かる古い小さな橋。
あの橋を渡って、街を出よう……。
そう思ったシドは、ゆっくりと立ち上がり、ふらふらと橋へ歩んだ。
「もういい……良くやったさ……」
そう言いながら、橋の欄干に手を触れた時、ある事に気付く。
橋の両端には、ロープが幾重に張られており、通行が禁止されている。
古い橋だ。
何か問題があるのだろう。
しかし、シドは、
「そうだ……逃げて何になる!」
「今までも、逃げて何も変わらなかったじゃないか……」
「この街で頑張るって決めたんだ!」
独り言とは言えないような、叫びとも取れる声で自分の決意を再確認した。
よし、もう一度頑張ろう。
そう思い、振り返る途中、小川の下流で新しい橋が架けられているのを見つけた。
五、六人程の人間が、せわしく働いている。
シドは、ぐっと拳を握りしめ、ゆっくりと近づいて行った。
「あの……すみません……」
シドは、恐る恐る一人の男に声をかける。
「あぁ? 何だよ?」
「忙しいんだ。後にしてくれ……」
男はそう言いながら、シドの方を見る。
「なんだ? お前、何か文句でもあるのかよ?」
男は、シドを睨みつけてきた。
シドは避けられるのも慣れていたが、絡まれるのにも慣れていた。
しかし、やはり怖いものは怖い。
だが、勇気を出し、
「あの……この街に越して来たシドと言います……」
「それがどうした! この野郎!」
男は、シドが喋り終わる前に怒鳴りつけてきた。
ガクガクと膝が揺れる。
「あの……話を聞いて下さい……」
「声が小さくて聞こえねぇよ!」
男は、シドに詰めよってくる。
「おい! 何やってんだ!」
騒ぎを聞き付けた仲間達も集まって来た。
シドは、強面の男五人に囲まれてしまった……。
「何だコイツ?」
「知らねえよ! いきなり睨みつけて来やがってよ!」
シドは、決して睨んでない。
むしろ、にこやかに近づいたつもりだった。
「あれ……? もしかしてコイツか?」
「街で噂になってる……」
「ああ! あれだろ? 他所の街で滅茶苦茶暴れて逃げて来たってヤツだろ?」
「そうだな……確かに悪そうなツラしてやがる……」
シドは、いつの間にか犯罪者になっていた。
「ち、違います……僕は!」
シドは、必死に弁解をしようと叫んだ。
「なんだ? 大声出しやがって!」
「川へ放り込んでやろうぜ!」
駄目だ……話が通じない……。
シドは、覚悟を決めた。
「何やってんだ! 仕事しろ、お前ら!」
離れた所から、更に大きな声が飛んで来た。
声の主は、男達の方へ近づいて来た。
「早く仕事に戻れよ!」
そう言われると、男達は「すみません」と口を揃えて頭を下げた。
助かった……。
シドがそう安堵してると、声の主はシドに視線を向けた。
「何だコイツ?」
シドを見て、男達に尋ねる。
男の一人が、
「それが親方……最近、この街に流れてきた悪党らしくて……」
「俺が働いてたら、睨みつけて来たんですよ!」
親方は、ふーん……と言いながら、目を上下に動かし、値踏みするような目でシドを見た。
「別に、睨みつけてないだろ」
「それに……悪党?」
「そうは見えねーな……」
親方はそう言うと、男を睨みつけた。
「でも親方……街で――」
男が言い訳をするのも聞かず、親方と呼ばれる男はシドに話しかけた。
「怖がらせて悪かった」
「で? 兄さん……何か用があるのか?」
もの凄い貫禄だ。
「あ……あの……」
「僕は、シドと言います……」
「し、仕事を探してます……何かお役に立てる事はないでしょうか?」
シドは、覚悟を決めて話した。
「仕事?」
親方は、再びシドの全身を見る。
「お前、ガリガリじゃねーか。見ての通り力仕事だ」
「お前には、勤まらねえよ」
「悪い事は言わないから――」
「何でもします! 働かせて下さい!」
シドは、親方が喋り終わる前にそう叫んで頭を下げた。
「うーん……」
親方は、頭をボリボリと掻きながら思案した後、
「まあ、ウチの奴らが迷惑かけたみたいだしな……」
「とりあえず、この橋の工事……一週間程だが……」
「やってみるか?」
「はい!」
「ありがとうございます!」
シドは、飛び上がりそうなのを堪えながら、力一杯返事した。
「給料は安いぞ? じゃあ早速手伝え!」
「向こうから、材料を運んで来てくれ」
親方はそう言って、資材置き場を指さした。
「はい!」
シドは、風のように駆けて行った。
「あんな悪党雇って大丈夫か?」
「本当だな……見たか、あの顔?」
「極悪人の顔だぜ?」
男達は納得してないようで、ブツブツ文句を言っている。
「いいから、黙って働け!」
「大体、お前ら鏡見た事無いのかよ?」
「人の顔を言える立場じゃねぇぞ!」
そう言って親方は、持ち場に戻った。
男達は、川に自分達の顔を映し、へへっと笑った。
日が沈み、朝の曇り空が嘘のように、綺麗な半月が空に浮かぶ頃――
街の通りには人気が無く、代わりに立ち並ぶ家の窓からは、柔らかな灯りが漏れ出ていた。
シドは、ずるずると足を引きずるように重い足取りで帰宅していた。
これまで肉体労働とは無縁の生活だったシドは、棒のようになった足を交互に前に出す作業を、必死に繰り返す。
普通なら、ゆっくり歩いても三十分程の道だが、一時間以上も歩いていた。
「疲れた……」
そう言いながらも、シドの表情は晴れやかだ。
望んでいた、多くの人との交流が出来る、所謂、接客業とは違うが、今日一日の労働はとても満足感があった。
職にありつけたのもそうだが、誰かと一緒に仕事をするのが楽しかった。
会話らしい会話も無く、重い資材を何度となく運ぶ仕事。
細身のシドには堪えたが、何度かかけて貰った言葉が嬉しかった。
「ありがとよ」
「ご苦労さん」
特に感情がこもってない、口癖のような言葉だが、シドには格別の響きだった。
ようやく家についたシドは、
「ただいま……」
そう言うと、ベッドに倒れ込み、そのまま眠ってしまった。
「どうしたんだろう?」
シドの様子を見て、ハルは呟く。
「さあな。だが昨日とは雰囲気が違うな……」
ソラの言葉を受けて、ハルはまじまじとシドを観察してみた。
服は薄汚れ、髪の毛は乱れてる。
手には、土がついてるようだ。
喧嘩でもしたのかな?
ハルは一瞬そう思ったが、シドの寝顔を見て違うと確信した。
「よくわからないけど……」
「悪い日ではなかったみたいだね……」
「そのようだな」
二人は、シドの薄く微笑みを浮かべた寝顔を見て、そう語った。
翌朝
「おはよう!」
シドの生き生きとした声で、一日が始まった。
シドは、汚れた服を脱ぎ捨て、汗でべたつく体を丁寧に拭いていく。
軽く身なりを整えると、ハルの元へ飛んできた。
「聞いて? 僕、仕事が決まったんだ」
シドは、嬉しさを隠そうともせず、ハルに語りかけた。
「仕事といっても……一週間だけだけど」
「橋を作る手伝いをしてるんだ!」
「皆、見た目は怖いけど……親方は優しい人だと思う」
シドからは、次々明るい言葉が溢れる。
「怖い顔……お前が言うな!」
ソラは、横から茶々を入れる。
なんだか機嫌が良さそうだ。
「よかった……」
ハルはそう呟いて、ずっとシドの話を聞いていた。
「ごめんよ。キミの水を、また変えてなかった」
そう言うと、シドは慣れた手つきで花瓶の水を入れ換えた。
「キミのおかげだね……」
そう言うと、そっとハルを指でなぞった。
「あれ? 少し元気が無くなってきたかな……?」
シドは、少し萎れてきたハルを見て悲しそうな声を出す。
「ごめんよ。僕の手入れが悪かったかもしれない」
「今日から、気をつけるからね」
「ずっと元気でいてね、僕の友達……」
そう言って、花瓶を出窓に戻した。
「大丈夫だよ」
ハルは、シドにそっと呟く。
シドは、朝食を取り身支度を済ませると、ハルに向かって、
「いってきます!」
と元気に言って、部屋を飛び出した。
「頑張って」
ハルもシドに、優しく声をかけた。
それからのシドの生活は、明るく活力のある物へ変貌した。
夜は、くたくたになって帰ってくるが、花瓶の水を変え、一日の出来事をハルに語りかける。
「今日は少し、レンガを積ませてもらった」
「親方に、少しからかわれた」
「今日は、皆でご飯を食べたよ」
「少し、失敗しちゃった……」
内容は様々だが、あの日のシドからは考えられない程の明るい声だ。
ハルは、うんうんと相槌をうちながら、静かに話を聞いている。
そんな様子をソラは、何も言わず眺めていた。
そんな生活が、六日程続いた日の夜。
シドが、暗い表情で仕事から帰ってきた。
「ただいま……」
声に元気が無い。
「おかえり……疲れたみたいだね……」
ハルは、シドを労う。
シドは、無言で花瓶を手に取り、慎重な手つきで水を変えた。
水を変え終わると、珍しく花瓶をテーブルに置き、シドも静かに椅子に腰を下ろした。
「今日も楽しかったよ」
シドは、優しくハルに語りかける。
「いよいよ、明日は橋が完成する……」
「そうなったら、僕はまた仕事探しだな……」
シドは、少し俯いた。
「そうか……」
「やっと慣れてきたのにね……」
ハルも、穏やかな声で語りかける。
「あまり、会話は無いけれど……」
「誰かと一緒に働くのは最高だよ」
シドは、思い出を噛み締めるような表情を浮かべた。
「大丈夫……また良い仕事が見つかるよ……」
ハルは、慰めの言葉をかける。
今は、こんな言葉しか出てこない……。
「キミも……」
シドは、そっとハルを見つめる。
「もう長くないね……」
シドの口から、深い悲しみが溢れる。
「キミがいたから、僕は救われた」
「ありがとう……」
そう言うと立ち上がり、花瓶を出窓に戻した。
ハルは、窓に映る自分の姿を見る。
円錐状の花房は、お辞儀をするように下を向き、先端の方から色褪せてきていた。
そろそろこの花での生命も終わる……。
シドとの生活も、もう僅かしかない……。
そう思うと、チクリとした感触を心に感じた。
「おやすみ……」
シドはそう言って、ベッドに転がり、眠りに落ちた。
「この男、相変わらず間が悪いな……」
「え?」
「やっと見つけた仕事も、共に働く仲間も」
「唯一の話相手、友も……」
「同時に失う事になる」
「うん……」
「また振り出しだ……」
「いや、お前がいない分」
「更に苦しいかもな……」
「また、次の花を探すよ……」
ハルがそう言うと、ソラは深いため息をついた。
「あのな、この男は」
「お前を、『最初の友達』と言ったんだぞ……」
ソラは、まだ何か言いたそうだったが黙ってしまった……。
ハルは、シドとの会話を思い返していた。
正しくは、会話ではない。
お互い一方通行の呼びかけだが……。
ハルは、会話を思い返す。
「ねえ……」
「なんだ?」
「お願いがあるんだ」
「言ってみろ」
「僕を元気な姿にして欲しい」
ソラは、またため息をつく。
「ハル。あのな……」
「生命の期間を伸ばす事は、私には出来ない」
「お前の気持ちはわかる……」
「しかし、それでもいつかは別れは来るんだ」
「……そうだね」
「この男も、お前との別れは覚悟している」
「お前も、覚悟を決めろ」
「……うん」
「友なら、最後の瞬間まで」
「幸せを願ってやれ……」
「わかった……そうするよ……」
ハルは、シドとの別れを受け入れようと決めた。
「ソラ、変なお願いをしてごめん……」
ハルは、力なくソラに謝った。
「待て待て」
「生命の期間は、伸ばせないが……」
「元気に見せる事なら出来るぞ」
「え?」
そう言うとソラは、ニヤリと笑ってみせた。
翌朝
シドは、浮かない表情で目を覚ました。
目を擦り、ゆっくりと体を起こす。
「おはよう……」
そう言うと、ハルの方へ視線を送った。
「あれ?」
シドは、出窓に歩み寄った。
柔らかな朝日が、花を通り抜け、透明な淡い紫の影を落とす。
爽やかな風がカーテンを揺らし、ほのかに甘い香りが鼻をくすぐる。
花瓶も、キラキラと光を受けて美しく輝いている。
「あれ? 少し元気になってる……」
シドの顔が、パッと明るくなった。
「これなら、もう少し一緒にいられそうだ!」
そう言うと、鼻歌まじりに身支度を始めた。
シドは、素早く身支度を終わらせ、ハルに向かって話しかけた。
「ありがとう、僕の友達」
「今日も頑張ってくるよ!」
そう言って部屋を後にするシドの背中に、ハルも語りかける。
「こちらこそありがとう……」
「僕の友達」
優しい風が、ハルをゆっくりと揺らす……。
ぽとり……と、小さい音がした。
その日の夕方
シドは、完成した橋を眺めていた。
橋は、虹のようなアーチを描き、こちら側と対岸を結ぶ。
側面には赤いレンガを配し、光沢のある木の欄干が備わっている。
「綺麗だな……」
雑用が主な仕事とは言え、これを自分が作ったのかと思うと感慨深かった。
同時に、今日でこの仕事も終わりと思うと、寂しさも込み上げてきた。
しかし、シドの心にも変化があった。
以前のように無理に人に溶け込もうとも思わなくなっていたし、焦りも消えていた。
いつか、皆わかってくれる。
そんな風に思えた。
何故なのかはわからない。
あの時、街から逃げ出さずに一つの仕事をやりとげた事が自信になったのかもしれない。
「明日から、また頑張ろう」
そう呟くと、シドは男達の元へ歩み寄った。
「親方、皆さん」
「短い間でしたが、ありがとうございました」
そう言って頭を下げた。
「今日まで一緒に働けて、楽しかったです」
「では、これで失礼します……」
そう言って立ち去ろうとした、その時。
「なんだお前? やめちまうのか?」
親方から、思いもしない返事が帰ってきた。
「また次の仕事が入ってるんだ。どうせ暇だろ?」
「手伝えよ」
「え……」
「今日までって……」
「だから、この仕事はな!」
「明日からも手伝えよ」
「お前、よく働くからよ」
「人手も足りない事だしな……」
そう言って、親方はシドを引き止める。
周りの男達も、
「お前がいると楽できるしな」
「悪人面同士、仲良くしようや」
そう言って、シドを引き止める。
「ありがとうございます!」
そう言って、シドは飛び上がって喜んだ。
「じゃあ、打ち上げと歓迎会を兼ねて今日は飲むか!」
親方がそう言うと、男達も飛び上がった。
店への途中、男の一人がシドと肩を組んだ。
「お前のおかげで、タダ酒だ」
男はそう言って、シドの肩を揺らした。
いつもは、気になる人々の視線も、今は気にならなかった。
「ところでよ?」
「お前のその傷……誰とやり合ったんだ?」
男は、にやりと笑いながらシドに聞く。
「あ……これは……」
「小さい頃、木から降りれなくなった猫を助けようとして……」
「木から落ちてしまって……」
シドは、照れくさそうに男に話した。
男は、ガハハと笑い、
「なんだ。本当に悪いヤツじゃねえのか」
そう言って、シドの肩をグイっと強く引き寄せた。
「お前ら、早く来い!」
親方が、店の入り口からシド達を呼ぶ。
「今行きます!」
二人は、小走りで店へ向かった。
月が頭の上に昇る頃、シドはほろ酔いで家に帰ってきた。
「ねえ! 聞いて!」
「僕、仕事続けられるんだ!」
シドはドアを開けるやいなや、叫びながら部屋に飛び込んだ。
心配をかけた友達に、早く報告がしたかったからだ。
「親方が明日からも来いって――」
シドはそこまで言って、言葉を無くした。
ゆらりと揺れるカーテン。
窓からは、一筋月明かりが射し、崩れ落ちた花房を照らしていた……。
シドは、ゆっくりと近づき、落ちた花房を指先でそっと撫でた……。
「さようなら……僕の友達……」
シドはいつまでも、窓辺に立っていた――。
やがて朝日が昇り始めた。
シドは身支度をし、部屋から出る。
「ありがとう…… いってきます」
そう言ってドアに手を掛けた――




