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進学祝いの手紙2

 うちの客は学生と働き盛りの社会人が多い。その理由は安価な価格設定に加えて、若者が食べきれる食事の量、ぎりぎりを出すからだった。要するに安いし、旨いし、多いのだ。もちろん、食べきれずに残すのが一番もったいないことはわかっている。なので、ご飯の量は半ライスというのも用意してあった。これが普通のお茶碗一杯程度のご飯の量になる。ちなみに、普通盛というのが丼ぶり一杯だ。

 それとうちには金がない客でも飯を食べられるシステムがある。一時間皿洗いをすれば、一食分何を頼んでもいいということにしているのだ。なので、これを利用して食事をしに来る学生も多い。

 十二時を少し過ぎて、店の中には人があふれかえっていた。

 店の外には数人だが待っている客もいる。今日も大入り。上々だ。

「トシちゃん! 天丼二つね!」

「こっちは焼肉定食!」

「トシちゃん、今日の日替わりは?」

 日替わり定食を聞いてきた常連に、俺は「サンマ定食だ」とぶっきらぼうに答える。

 トシちゃんというのは俺のあだ名だ。いつ、誰が、呼び出したのかはわからないが、そのあだ名はもう三十年近く脈々と受け継がれている。三十年前にここに来ていた客などはもうほとんどいないというのに、おかしなことだ。

 うちは、バイトなどは雇っていなかった。そのかわり客自らが給仕をする。カウンターに出された料理をそれぞれが自分の席に運ぶのだ。そして、水もカウンターに置いてあるサーバーから欲しい分だけ勝手に注いでもらっている。いわゆるセルフサービスというやつだ。

 だからたまにこんな勘違い野郎もいる。

「なんだよここ、サービスわりぃなぁ! 水も出さねぇのかよ!」

 がん、と椅子を蹴飛ばしながら立ち上がったのは見慣れない顔だった。人の顔を一度見ればなかなか忘れない俺が、見慣れない、と思うのだから、彼は初めてここに来る客なのだろう。隣にいるのは恋人だろうか。十二月になろうかというのに、寒いぐらいに肩を露出させた派手な女性だった。隣にいる男が声を荒げているにもかかわらず、彼女は全く驚いていないようだった。

 彼の行動に、店の中は一瞬にして静まり返る。そして、誰も彼もが声を荒げる彼を見上げていた。

「ネットでの評価がよかったから来てみたっつーのに! んだよ、この店は! 最悪だな!!」

 そうしてまた、がんっ、と椅子を蹴った。二度目の衝撃に椅子が地面に転がる。

 最近こういう客が増えた。SNSというのが普及し始めてからだ。ネットで気軽にお店の評判を書き込めるようになってから、こういう勘違い――というか、ウチの客じゃない客が頻繁に来るようになった。これも一種の口コミというやつなのだろう。うちの料理を食べて美味しいと思った客がネットにウチの情報を上げて宣伝してくれる。それ自体はありがたいことだし、実際にそれで来てくれる客も増えたのだが、それを見た勘違い野郎がありもしないサービスを求めてやってくるのだ。

 孫へ出す手紙の文字なんかではなく、こういう奴の方が見えなくなればいいのに。、現実とはえてしてままならないものである。

 まったく、笑顔でぺこぺこと頭を下げながら給仕をしてもらいたいのなら、そもそも来るくる場所が違う。ここは伸び盛りの若者が、安い金でお腹一杯になるまで食べて、「おいしかったね」と言い合いながら、笑顔で帰る場所なのだ。少なくとも、のぼせ上った底の浅い自尊心を埋めるために来るところではない。

「結構並んだのに、最悪だわ! あーもー、金返せ! 食う気にならねぇわ!」

 そう言う男の皿を覗けば、もうほとんど料理は残っていない。申し訳なさそうに一緒に盛り付けてあったサラダが残っているぐらいだ。

 それまで黙って聞いていた俺だったが、その明らかな言いがかりにとうとう堪忍袋の緒が切れてしまった。

「何を言って――!!」

「そんだけ食っといてよく言うよ!」

 怒鳴りかけた俺の声を遮ってそう言ったのは、一人の青年だった。年齢は十代後半。服装は近くにある高校の制服だ。短く切りそろえられた髪の毛は真っ黒よりは一段階明るい色で、染めているというよりは日に焼けたような色だった。何かスポーツをしているのか肌の方もこんがりと日に焼けている。

 名前は聞いたことはないが、彼は学校帰りに友人とよくこの食堂に来てくれる常連の一人だった。袖を引いて彼の行動を制しているのは、いつも彼と一緒にいるオドオドした地味な男の子である。黒縁眼鏡の奥の瞳は明らかに怯えていた。そんな二人を見ながらニヤニヤと笑っているのは猫っ毛の男の子だ。いつも饒舌な彼は三人の中のリーダー的な存在のようだった。そんな彼の顔には「やっちまえ!」と書いてある。

 二人とも、最初に声を上げた彼と同じように近くの高校の制服に身を包んでいた。

 この時間に帰るということは、テスト期間中か何かなのだろうか……

「なんだよ、お前ら!」

 立ち上がった青年に、男は容赦なく凄む。しかし、そんな男の態度に少しもひるむことなく、青年は彼の皿を指した。

「金返せって、ほとんど食っているんじゃん ! それで金返せとか馬鹿なの?」

「はぁ⁉ 子供が何言ってんだよっ!」

 今度は男が隣の机を蹴る。食器同士がぶつかる音が響き、そこに座っていた男の杏仁豆腐がけたたましい音を響かせながら床に落ちた。不幸中の幸いか、ガラスの器は割れなかったが、中身は無残にも床にぶちまけられてしまった。

 杏仁豆腐が漬かっていた甘いシロップが机を蹴った男の足にかかる。

「あぁ、くそっ! これ高かったんだぞ! どう責任取ってくれるんだよ!!」

 その声ではっと目が覚めた。青年が声を荒げたことにより完全に自分が怒り出すタイミングを見失っていた。俺はもう一度声を出そうと腹に力を入れた、その時ときだった……

「何しとんじゃ、てめぇ!!」

 男よりも凄みのある声が店内に響き渡った。そして、俺はまた怒り出すタイミングを見失ってしまう。

 ゆらりと立ち上がったのは金髪の男だった。顔の作りが綺麗だからか、怒っている顔は身震いがするほどに恐ろしい。さっきまで管を巻いていた男がのどの奥でひきつった声を出した。

「人の飯、こがいな風にしやがって! われの方が責任とれるんか⁉ あぁん⁉」

 これでもかと目を見開いて、金髪の男が地面を踏み鳴らす。目の前にいる男とは迫力が桁違いだ。

 そんな今にも掴みかかりそうな金髪の男を後ろから羽交い絞めにするのは、真ん丸な男性だ。マスコットキャラクターのような可愛らしい雰囲気の彼は焦ったような声を上げる。

「ヤ、ヤコさん! やめなって! 喧嘩はだめだよ! 平和が一番だよ!!」

「離せ! ワタヌキ!!」

「今、警察呼んだから! このままだとヤコさんも職質受けちゃうよ! そうなったらボクら困っちゃうでしょう⁉」

「警察⁉」

 警察という単語に男の顔色が明らかに変わった。

 よくよく見てみれば、金髪と丸っこい男性の後ろで女子高生が何やら携帯電話を耳につけて話をしていた。

 茶色いくせ毛の丸っこい男は、ほほに冷や汗を滑らせながら困ったように言った。

「すみません。いろいろ揉めているようでしたので、中立な人間が間に入った方がいいと思って呼んでしまいました。ダメでしたか?」

「なっ……」

「警察なんか信用できん! やられた分はやり返す!!」

「ひぃっ!」

 彼に付き合っていた女性は、彼の焦りっぷりを一瞥した後、そそくさと立ち上がり、何事もなかったかのように出て行ってしまう。

「こ、今回は許してやる!」

 最後の矜持を振り絞り、男はそう言って店から飛び出していった。言っていることはあれだが、明らかに逃げたとわかるような立ち去りぶりだった。

「てめぇ! 逃げる気か!!」

「ちょっとヤコさん!!」

「離せワタヌキ! 逃げられちまうだろが!!」

「いいんだって逃げられて! やり返したいわけじゃなくて、もう二度と来なかったらいいだけなんだし! って、ちょっと……!!」

 ワタヌキという男性の腕を振り払って、ヤコという男は逃げた男性を追いかけるように店を後にした。あとに残されたのは丸っこい方の男性と先ほどまで警察と話していただろう女子高生。そして、その女子高生と瓜二つの顔を持つ男子高校生だった。

 二人とも最初に声を上げた青年たちと同じ制服を着ている。

 双子の片割れであろうその男子高校生はおもむろに立ち上がると、無言で飛び出した金髪の彼を追いかけるように店を後にした。

「あんたたち……」

 ワタヌキと呼ばれた男性はやれやれといった風に首を振りながら、ポケットを探り名刺を取り出した。その名刺の裏側になにやら書き込みをして、俺に差し出してくる。

「すみません。ボクはこういう者です」

『代筆屋 四月一日 理』

 手書きであろう名刺にはそう書いてあった。そして、裏面には先ほど追記したであろう住所と電話番号。老眼の俺にでもそれはひどく読みやすかった。

「実は、お店に迷惑かなと思って、警察は呼んでないんです。さっきのは嘘で……。もし、ヤコさんのことで何かご迷惑をおかけしましたら、ここまで連絡をください。ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」

 何度も頭を下げながら四月一日さんはそう言った。

 こちらとしては変な男を撃退してもらった上に、デザートまでひっくり返してされてしまったので、迷惑どころか侘びしかないのだが、腰の低い彼は困ったような顔で何度も頭を下げた。

 その時ときだ。双子の片割れである男子高校生がゆるりと戻ってくる。そして、扉の前で無気力そうに声を出した。

「四月一日さん。ヤコさんが、『われの食事をかやすまで、俺は止まらんからな!』ってわけのわからないこと言いながら相手のこと追いかけまわしているよ」

 その言葉に四月一日さんはブルリと震えた。そして、青白くなった頬を両手で押さえた。

「あぁ、もう! ヤコさんったら! 沸点が低い! 低すぎるよ!!」

 涙目になりながら四月一日さんはそう叫ぶ。

「ごめんなさい! それじゃぁ、失礼しますね!」

「あ、あぁ……」

 そうして、三人はそそくさと店を後にしてしまった。残ったのは何とも言えない空気だけ。

 俺は貰った名刺を眺めながら、出ていった彼らの顔を思い出す。

 高校生の双子の男女は何度かこの店で見かけたことがある。常連とまではいかないけれど、よく来る客だ。しかし、あのヤコと四月一日という二人の男性は……

「どこかで見たことがあるんだがなぁ……」

 記憶の隅に引っかかる彼らの顔。しかし、記憶が古いのかどうにも思い出せない。

「それにしても、『代筆屋』か……」

『代筆屋』

 その三文字は、あまりにも魅力的に映った。


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