進学祝いの手紙3
翌日、俺はいつもより店を早く閉めた後、名刺の裏に書いてあった住所の場所へと赴いていた。書かれていた住所は俺の食堂からそんなに離れてはいなかったのだが、徒歩で向かうには骨が折れる距離だった。なので、久しぶりに原付を走らせてみたのだが……
「こりゃ、どうするか……」
書かれていた住所付近にはそれらしい建物は見つからない。周りを見渡してもそこにあるのは民家と稲刈りを終えた田んぼばかり。もうすぐ本格的な冬がやってくるというのに、夕日に照らされたその風景はまだ秋の温かみを残していた。いつも見ている風景なのにそれはどこか懐かしい。都会のビルがひしめき合う風景より、俺はこっちのほうが好きだった。
民家と田んぼ以外には一軒だけ小洒落た喫茶店と古い文具屋があるだけで、そこには代筆屋なんてものはない。
彼は嘘をつくような人間には見えなかったが、ないものは仕方がない。それに、彼が住所を間違えたという可能性もある。
喫茶店の近くに原付を停車させ、三十分ほど辺りをぐるぐると探した後、俺は諦めた。
どうやってもそれらしい建物は見つからない。こうなったら不格好でもなんでも俺ができる限りで手紙を書いて送るしかない。
小学生にも満たない子供が見るのだから、多少の汚さは許容範囲だろう。……娘に見られたら恥ずかしい限りだが……
「珈琲でも飲んでいくか……」
俺は駐車場を間借りしていた喫茶店を見上げてそう零した。
駐車場を借りておいてこのまま帰るのもなんだか後味が悪いし、こんなところまで来たのだ。何かをして帰りたかったというのもある。ほとんど休んだことがない仕事を数時間とはいえ早く切り上げて出でてきたのだ。このまま帰るのはなんだかもったいない。
俺はまじまじとその喫茶店を観察した。
最近、改装したのだろうか。建物自体は古いが、今風のお洒落な喫茶店だ。白いモルタルの壁に大きな窓がよく映える建物である。一階の道路に面しているほとんどの部分がガラスでできたはめごろしの窓で、にもかかわらず浮ついた雰囲気はなく、外から見る中の景色は重厚感たっぷりだった。
外から覗くに、客は誰もいないようだった。
都合がいい。煩いのは好きではない。もし、ここの店主が話しやすそうな人ならその人に代筆屋のことを聞いてもいいかもしれない。
俺はそんな気分でその喫茶店の扉を開けた、ちりんちりんと甲高いドアベルが鳴る。
その音を聞きつけて、奥の方から店員さんが顔を出した。そうして、俺を見るや否やそのクリクリのまん丸い目を大きく見開いた。
俺も、おそらく同じような表情をしていたのだと思う。
なぜなら、そこにいたのは――……
「わぁ! 昨日ぶりですね!」
「あんたは!」
四月一日さんだ。
彼がいるということは、ここはつまり喫茶店などではなく、代筆屋ということになる。
代筆屋……? ここが……?
確かに住所はこの付近だし、彼がいるので間違いということはないのだろうけれど、なんだかとても思っていたのとは違う雰囲気だ。もっと、こう、昭和感漂う、和の雰囲気を想像していた。
ほくほくと頬を桃色に染めながら、四月一日さんはこちらに駆け寄ってくる。
「いらっしゃいませ! ……って、ここに来たということは、ヤコさんの件で何かありましたか? もしかして、ご迷惑を⁉」
はっと顔を跳ね上げた後、狼狽えるように顔を青くさせる。俺が来たときはあんなに嬉しそうに駆け寄ってきたのに、今では地獄の底にいるような表情だ。
黒い、つぶらな瞳がうるうると揺れる。その顔を見ていると、何もしていないのに、なんだか悪いことをしている気分になってくる。
今にも頭を下げはじめそうな彼に、俺は緩く首を振った。
「いや、大丈夫だ。何も問題はない。それよりも昨日は悪いことをした」
「いえ、何も問題がなかったのならよかったです! 片付けもせずに帰ってすみませんでした」
「いや。正直、昨日は助かった。ああいう輩が最近たまに現れるんだ。まったく迷惑ったらない!」
「横暴な人は困りますよね。ボクらも久々に行ったというのに、ああいうことがあってびっくりしました! でも、料理も変わらず美味しかったので、うれしかったです! また行かせていただきますね!」
やっぱり以前にもうちに来たことがあったのか。彼の言葉でそう確信した。
しかし、いつ来たのだろう。記憶力はいい方だし、人の顔もなかなか忘れない性質なのだが、彼らがいつ来たのかはどうしても思い出せない。記憶の隅に引っかかるような気がしないでもないのだが、その記憶をたどれない。記憶の糸がつかめない。
もうとうとう老いが頭の方にまで回ってきたのだろうか。
それもそうか。もう俺も七十手前だ。そろそろ目以外にも老いが現れる年齢だろう。むしろ今までが元気すぎたのだから、遅すぎるぐらいかもしれない。
「では、今日はどうしてこちらへ?」
四月一日さんがそう首をかしげたところで俺は本題を思い出した。
「お前さんに頼みたいことがあってきた」
「頼みたいこと?」
「そうだ。ここは代筆屋だろう? 俺の手紙を代筆してもらいたい」
その言葉に四月一日さんは目を瞬かせた後、ゆっくりと綻ぶように微笑んだ。
「はい。では、今日はどんな想いを届けましょうか?」




