共同戦線
「その変形した腕……あんた、鬼か。それも余所の組織が追ってた奴じゃあないか……そいつらはどうした?」
「あぁん? あぁ、あいつらか。さて、どうしたかな。悪いが、弱い奴のことは覚えてなくてなァ」
赤黒く変形し、人から鬼へと変貌した腕は更なる変化を遂げる。
五本の爪が束ねられたかと思えば、その末端から捻れていく。まるで捩子のように螺旋を描き、外皮が硬質化し、鬼の腕は一つの武器と化す。それは一本の渦巻く槍となった。
「お前はどっちだ! 記憶の片隅に止めさせてくれよォ!」
槍の穂先は幾度となく突き出され、折部はそれを剣で捌く。
攻撃の一つ一つを見極め、正確に、的確に反応し、一歩も引くことなく拮抗する。槍と剣の応酬、その立ち回りは両者の相当な実力を感じさせた。二人の戦闘能力に、いまのところそれほど大きな差はない。
だが、早い段階で折部は殺人鬼に押され始める。
二人の間にあるたしかな格差。得物という差によって。
「今の武装じゃあキツいか」
折部の戦闘技術は殺人鬼に劣らない。だが、携えた剣は、鬼の槍に勝らない。
打ち合うたび、接触し合うたび、剣の刃は綻び、削れていく。次第に失せていく殺傷能力は、そう遠くないうちに剣を棒へと貶めるだろう。
だから、そうなる前に自らの右手を介入させた。
「なッ!?」
突如として殺人鬼の視界に割り込んでくる、殺したはずの死人の手。
死んだモノとして意識の外に置いていた存在の介入は、殺人鬼の虚を突いた。折部との応酬の最中なこともあり、この手は意図も容易く鬼の槍に触れる。俺の生死についての認識を、改めた頃にはもう遅い。
手に宿る捕食能力は、一切の躊躇なくかの槍を貪った。
「――やるなァ、おい」
槍は跡形もなく消え去った。鬼はその片腕を失った。
にも関わらず、殺人鬼の口角は吊り上がっていた。笑う、笑う。失った腕も、その傷口にすら目もくれず、ただ一点、俺だけを見定めて笑う。堪らなく不気味なその表情に、背筋が凍るのを感じた。
そして、その直後。それは腹部の痛みとなって俺の身体を吹き飛ばした。
「が――ァアッ……」
勢いに流される身体で何とか気張り、倒れることなく勢いを殺す。しかし、その場で喉の奥から込み上げてきたモノには耐えられず、自らの足下に血反吐を吐いて赤く染め上げる。
「くそッ……もって、いかれたか」
腹部、脇腹の肉をごっそりと持って行かれた。
鬼の槍は捕食したはず。なら、何に攻撃された? そう疑問を浮かべると同時に答えも出る。簡単な話だ。片腕を変形させられるのなら、もう片方の腕だって同様だ。あの瞬間、まだ人間だったほうの腕を鬼に変えて攻撃された。
「ちくしょう……これじゃあ大赤字だ」
抉られた傷口から滝のように流れ落ちる血を塞き止めるように、体内の生命力を集中させて肉を詰める。傷、というより肉体の欠損の修復は数秒とかからない。だが、その分、消費する生命力の量は多い。
鬼の槍を捕食したことで得られる生命力も多いが、そう何度も大きな回復はできない。
「あぁー、思い出したぞ。お前、たしか数日前にも一回殺してたよなァ? おっもしれぇ、なんで動いてんだ? お前」
「俺は往生際が悪いんだよ、死ぬほどな」
傷の治癒が終わり、身構える。
先の折部との戦闘を見るに、殺人鬼はかなり強い。技術も体力も経験も格上、俺では何一つ足下にも及ばない。しかし、それでも俺には捕食能力がある。俺が持つ、たった一つの有効打。頭か、胸か、いずれにせよ急所に手が触れればそれでいい。
予想外の邂逅となったけれど、これは好都合だ。
いまこの場で俺自身の仇を討つ。
「よう、誠一郎。こいつは一体どういうことだ?」
一定の距離を取った上で、刃の綻んだ剣を構えた折部凛はそう問う。その視線は殺人鬼を捉えたままだ。
生死の誤認があったのは、なにも殺人鬼だけじゃあない。当然ながら折部凛も、俺がこうして動いていることは予想外だったはずだ。
現状、彼女に敵だと看做されても可笑しくないし、すでに看做されているかも知れない。だが、それでも警戒の優先順位は殺人鬼のほうが上なのだろう。実際、俺が生身なら最初の一撃でやられていたし、腕を食った後の反撃でも死んでいた。
折部の判断は順当なものだ。
「知りたいならいくらでも説明してやるよ。こいつを倒した後でならな」
「……ふーん、なるほどね。なら、そうするとしようか。共同戦線って訳だ」
もちろん、折部も俺を心から信じた訳じゃあないだろう。警戒だって当然しているはずだ。だが、それでも共闘という形には持って行けた。すくなくとも三つ巴ではなくなった。一対一対一ではなく、二対一にできた。
「こいつは良い、二対一か。思ったよりも楽しめそうで何よりだ」
殺人鬼はまたしても薄気味悪い笑みを浮かべ、戦闘への意欲を見せた。
片腕を失っても尚、血気盛ん。その様子に、違和感を覚える。いくら殺人鬼と言えど、鬼と言えど、もう二度と戻らない片腕を失って、どうしてああも平然として居られるのか。この捕食能力を少しも警戒した仕草を見せないのか。
その答えは、殺人鬼に起こった異変によって示される。
殺人鬼が肩の辺りまで失った腕。その患部の傷口が泡立つように膨張し、増えた肉と骨が、そこにあるべきものとして形を成していく。瞬く暇もないほど急速に形成されたそれは、元通りの鬼の腕となっていた。
「ガッカリさせてくれるなよ、人間共ォ!」
雄叫びのように声を張り上げ、殺人鬼は地面を蹴る。
俺と折部、標的に定めたのは俺のほう。一息に駆け抜けて距離を埋めた殺人鬼は、鬼の腕を振りかぶり、五本の爪を振り回す。
俺に折部のような戦闘技術はない。そう都合良く、避けたり躱したりは出来ない。しようとしても上手く行かないだろう。下手に避けようとして、返って深手を負うのが目に見えている。
だから、避けないことにした。
「つか……まえた」
左腕を盾として差し出すことで、五本の爪が身を貫いて骨に突き刺さる。
激しい痛みと、異物の不快感を味わいながら、しかしそれでも攻撃を受け止め切った。深々と突き刺さる爪はそう簡単には抜けない。抜くより速く、俺の右手が到達する。伸ばした手の平は何よりも速く鬼の腕に触れ、捕食する。
先ほどと同じように肩の根元の辺りまで捕食し、鬼の右腕を奪う。
「まだまだァ!」
痛みはたしかにあるはずなのに、殺人鬼の勢いは微塵も衰えない。
すぐさま鬼の左腕が繰り出される。それはすでに槍へと変貌しており、鋭い先端がこの身に迫った。だが、それでも俺のやることは変わらない。受け止めて捕食する。
「く――ぅ!」
深々と腹部の奥に侵入を許し、槍の穂先が内臓を突き破る。
口から飛び出そうになる叫び声と血液を、奥歯を打ち合わせて噛み殺す。耐え難い痛みを耐え、指先にまで力を込めた左腕で鬼の槍をすべて捕食する。これで殺人鬼は両腕を失った。今なら、この手が届く。
この時のため、瞬間のため、温存していた右手を心臓に向けて伸ばした。