其の漆:彼女が「彼女」と遭遇したとき
一年近く前に打ち捨てられた廃ビル。その一角にある部屋に、純白の狩衣姿という不似合いな格好の少女が足を踏み入れた。――無論、優梨だ。
この段階で既に式神が宿った札三枚を右手に持っているのは、今回の相手がそれほど強者だと理解しているということ。奥の手などといって武装を隠しておく余裕など鼻からない。
嫌でも険しくなる視線を部屋の奥へと向ければ、そこに蹲る何かがゆっくりと立ち上がる。月光ぐらいしか光源のない暗がりでも、優梨にはその何かの存在と正体を感じ取ることができた。それは「祓い人」としての感覚と――相手から放たれるプレッシャーから。
「ふあぁ。……ん? あんた、何?」
「っと、『祓い人』」
寝ぼけたようなその声を聞いたとき、その存在感に圧倒されかけた。口調が自分と似ているなどと思う余裕もなく、自分の感情を奮い立たせてなんとか返答する。気持ちは作ってきたはずだが、やはり実際に対峙すると違った。これが元化け物級の「祓い人」が「鬼」となった姿だと、まざまざと思い知らされる。
「『祓い人』ねえ……ああ、少し前に屠ったあいつらの仇討ち?」
「そうでもない。というか、殺された人ら知らないし」
少しだけ平静になれた。挑発にポーカーフェイスで返答しつつ、相手の姿を確認する。
雪のように白い長髪に藍色の着物。禍禍しい二本の角を生やし、血のように紅い目でこちらを見据えるその姿は美しくも恐ろしい「鬼」。威厳や無垢を花言葉とする「百合」の異名で呼ばれるのもわかる。とてつもない存在感は威厳にすら感じ、満面の笑顔で向けられる純粋な殺意は無垢とさえ感じるほど。
「そ、まあいいわ。でも結局目的は一つでしょ」
「よくお分かりで」
いつの間にか現れた、身の丈ほどの金棒を豪快に振り回しながら、「鬼」は嗤う。元「祓い人」であり、「鬼」として完全に覚醒した彼女にはもう何もかもお見通しだということか。
「――憑依武装」
その一言と同時に優梨は右手で三枚の御札を軽く放り上げる。その瞬間、赤い光と灰が混じった煙が彼女を包み込んだ。数秒の後、不自然な風が吹いてそれらを払い、その数秒のあいだに様変わりした優梨の姿を「百合の鬼」に見せつける。
一昨日の夜と同じ左手と一体化した弓と、右手と一体化した灰色の篭手を装備し、両足には不自然に煙が渦巻いていた。篭手は猿が小さく蹲ったのようなシルエットで、拳の部分に銃口のような穴がある。右足を覆う煙は狼の頭と前脚を、左足を覆う煙は尻尾と後ろ脚を象っている。
――つまり、今の彼女は所持している三つの式神すべてを身に纏っているのだ。
「さて……鬼退治でもしますか」
「言ってくれるじゃないの」
互いに武器は手にした。となれば次に起こることは唯一つ。――誇りと存在をかけた闘いのみ。
「やれるものならやってみなあっ」
「百合の鬼」は金棒を豪快に振り上げながら一気に間合いを詰める。見たところ相手の武器は遠距離だけ。近距離武器を持つ自分が間合いを詰めるのは定石。……などと考えつつも実際は、今までそれだけで十分だったので突っ込んだだけ。先日の集団も間合いを詰めてからのひと振りで頭を飛ばしてやった。
「ふんっ……っ!?」
だが、今回は違った。こちらが金棒を横なぎに振る瞬間に、目の前の少女が一気に遠くなったのだ。部屋を飛びだす程の速度は明らかに人間のものではない。何が起こった、と観察すれば、彼女の両足の煙が一気に吹き出して彼女の体を後退させたのだ。
「へえ、やるじゃない」
「このくらいは当然」
嬉しそうに笑う「百合の鬼」に対して、優梨は仏頂面で答える。舐められたものだと言いたくなったが、「祓い人」が十五人あっけなく惨殺されたのも理解できるほどの速度と威力だったので何も言えない。少しタイミングが遅かったらどうなっていたことか。だが、こちらとてそれ相応の準備はしてきた。
間合いを取りながら右手の籠手――正確には拳の銃口を向ける。意識を集中して拳を握ればその銃口の奥に弾が装填される。
「快冕砲発射」
その声を引き金に銃口から灰色の弾丸が乱射される。「灰猿」の頃の数十分の一まで小さくなった弾丸はさながら機関銃のように放たれ、「百合の鬼」を襲う。
だが、「百合の鬼」は軽く舌打ちしつつ、金棒を振り回して弾丸すべてを粉砕していく。銃口が見えていれば弾丸の向かう方向は確定するため、依代として変質させた人間の体を本人以上に操作できる彼女にとっては造作もないことだった。
「で? まさかこの程度ってことはないでしょ」
「さあ、どうでしょうね」
灰をまき散らしながら嗤う「百合の鬼」に優梨はわずかに口角を上げつつ応える。その答えはすぐにわかるとでも、言わんばかりに。
「ん……かはっ!?」
一瞬疑問符を浮かべた「百合の鬼」だったが、すぐにその笑みの意味を身をもって理解した。体の至るところに連鎖的に激痛が走ったのだ。思わず吐き出したのは、変質した体を構成していた残骸である灰と、それとは別の灰。さきほど粉砕した弾丸の灰だ。
「げほっごほっ……チィ」
「偉大なる先輩に一撃加えられたとはありがたい。誇りに思いますよ」
慌てて咳込む「百合の鬼」に優梨は満面の笑みで棒読みの謝辞を述べる。そうやって挑発しつつも攻撃の手を緩めるつもりはない。即座に左手の弓に右手を添えて赤い矢を形成する。弦を引き絞るうちに、弓の両端から炎が奔り鏃に急襲されていく。
「火群ノ羽撃」
ひゅっ、と指を離せば炎の勢いは強まり、臨界点を超えると分裂。一つ一つが炎を纏った羽のようになって「百合の鬼」を狙う。
「くっ……らああっ!」
きっ、と睨みつけて「百合の鬼」は金棒を振るって炎の矢を払い落とす。何本か掠めて着物に引火したが軽く叩いてすぐに鎮火する。
「やるじゃないの」
「そりゃどうも」
より強く睨みつけると、相対する「祓い人」の少女も真顔で視線をぶつけ返してきた。ここからが本気だとばかりに。
「じゃ、今度はこっちから……ぐっ!」
勢いよく飛び出そうとした「百合の鬼」だったが、肝心の体が動かない。何が起きたのかと自分の体を見れば、縛るように煙が絡みついているではないか。
「な、何よこれっ!?」
「煙呪縛。この煙は摩訶不思議な性質してんのよ」
「くっ…………」
語る少女に目を向ければ、彼女の足の煙が地を這って自分の体にまとわりついているのがわかった。やはりこの少女の仕業かと思ったが、動きを封じられてしまえば何もできない。こうなれば彼女の格好の的。
「じゃ、遠慮なくやらせてもらうわ」
意地の悪い笑みを浮かべながら、優梨は弓に再び赤い矢を形成。炎を吸収させて炎を纏った羽断を続的に放つ。
その一連の動作が終わっても優梨は攻撃の手を緩めるつもりはなかった。右手を弓に添えるその瞬間、拳を強く握った。この動作により、籠手に仕組まれた術式が発動。標的に最初にダメージを与えることになった、あの灰色の弾丸が籠手の銃口から再び乱射される。
炎の矢と灰色の弾丸。優梨の足から出た煙によって動きを縛られた「百合の鬼」は、その二つの攻撃に身をさらされることになったのだ。
「……ふぅ」
合計五十発は放ったところで、優梨は両手を下ろして一息つく。いくら的が固定されていようとも、集中力がいつまでも持つほど精神は強靭ではない。ましてや霊力などという、精神につながりのある力をもとにしているのなら尚更だ。
肝心の標的の様子は煙に紛れてうまく見えない。「狼煙」の拘束による煙とは別に、灰色の弾丸が砕けって舞った灰が視界をぼやかしているのだろう。さて、その奥はどうなっているのか。今一度精神を集中させて、赤い弓に右手を添えつつ目を細める。
「…………ぐっ!?」
優梨が左に飛びのいたのは、自分の末端に一瞬だけ起こった異変と彼女自身の直感による、ほとんど反射的な行動だった。だが、それでもほんの少し遅かった。両足を着いた頃には、右手の篭手が御札に変わり、その代わりに自分の血が右手を覆っていた。
痛みはあるが幸い皮を擦り剥かれただけ。指を動かしてみれば細かい動作もできることが分かった。左手を一部だけ戻して狩衣の袖を引きちぎり、素早く手首に巻きつけて圧迫止血する。
「ちっ……やられた」
それでも、舌打ちを漏らさずにはいられなかった。背後で自分が張った「空間不可侵の結界」――無知な人間が迷い込まないようにするための結界だ――に小さくないヒビが入ったのだ。相手がただ強い「鬼」でないことを失念していた。元化け物級の「祓い人」だったことを今更思い出される。
「今のは本当にやばかったわ」
金棒を向けながら「百合の鬼」はくくっと嗤う。煙が晴れたため、その先端が煌々と光っているのがよく分かる。着物には煤けたり破れたりしたところもあったが、本人はほとんど無傷だった。煙の拘束からも逃れ、自由の効く体で軽くストレッチまでしている。
「うわっ、器用すぎでしょ」
彼女の前の空気だけ少し妙だったのを優梨は見逃さなかった。その辺りだけ霊力を帯びて密度が高くなっていたのだ。おそらく、先程まで彼女の霊力を用いて空気を高密度に凝縮して壁のようにしていたのだろう。
次いで、優梨は自身の末端たる式神に起きた異変と先ほど自分と結界を襲った衝撃、加えて金棒の先端の光から、拘束がなぜ解けたのかも理解した。
煙に縛られていた「百合の鬼」は右手の指と手首を使って金棒を回し、真下を向いたところで霊力を弾にして放った。それで右手の拘束を力づくで外し、今度はこちらに向けてさっきの数倍の霊力を込めて弾丸を放ったのだろう。その反動を煙の拘束では抑えられずまたもや力づくで解除。弾は先述の通り、優梨の手の皮を剥がし、結界にヒビを入れた。
「遠距離攻撃もあったのね。危ない危ない」
「『鬼吼砲』っていう技だったかしらね」
「知るか」
緊張感のない会話を交わすが、優梨に心理的な余裕は少しもない。あそこまで格好のチャンスを得たのに、大したダメージを与えられなかった。その事実は彼女を動揺させるには十分。さらにこちらが有利とする遠距離での攻撃で、あれほどのものを見せられてはたまったものではない。
「安心して。あたしも遠距離はあまり好きじゃないし。やっぱり、近距離でガンガンいかないとっ!」
「くそっ……」
言い切ると同時に「百合の鬼」は再び飛びだす。厄介な煙は主のもとまで引かせた。もう邪魔をするものはなく、彼女の思う存分やれる。一気に間合いは縮まり、相手の「祓い人」までの距離は一メートルもない。
ここで、彼女が最初の煙の噴出による回避を取ろうとするのが分かった。ならばと、一瞬だけ足をついてさらに勢いをつけて跳躍。この二度目の跳躍により、回避途中の彼女の数十センチ前まで接近する。
驚愕に目を見開く「祓い人」の目の前で、「百合の鬼」は満面の笑みを浮かべて金棒を振りかぶった。
「――伍の太刀、白薙」
「なっ……ぐっ!?」
不意に聞こえた、聞き慣れないが妙に引っかかる声に顔だけ向ければ、弧状の白い刃がこちらに向かっているのが分かった。「百合の鬼」は反射的に金棒を持ち替えてそれを受け止める。予想外の攻撃と予想外の既視感に呻き声を漏らしつつ、数歩下がって払いのける。
突然の乱入者の姿を、見た彼女の体は硬直した。




