ほんとうにいいの?
とりあえず、番外編は、終わりです。羽瑠の恋は、今書いてるもう一つの小説が終わったら、新しくスタートさせます。羽瑠編もまた読んで下さると嬉しいです。
警察での事情聴取が終わった翌日の朝、沙南はおそるおそる道場に顔を出した。
玄関が開いてる。ってことは、羽瑠、もう来てんだよね。
ああ、きっと阿修羅のように怒ってるよ、羽瑠。とんだおせっかいだもの。
翔平のばかっ
羽瑠は、だれかに恋の後押しされるの、一番嫌ってるのにっ
そろり、そろりと更衣室を覗きこむ沙南は、後ろから声をかけられた。
「なにしてんの、沙南?」
「ぶぎゃっ!」
どこから声を出してんだかわからないような奇妙な声を発した沙南に羽瑠は眉をひそめた。
「沙南?なに驚いてんの?さては、なんかやらかした?」
意地の悪そうな顔をしてにじり寄ってくる羽瑠に、沙南は後ずさりした。
「やっ、あのっ、な、なんも、やらかして、ないってっばっ。」
「じゃあ、なんでそんな挙動不審なわけ?」
「いやっ、だっだからっ、羽瑠がっ。」
「私?私がなによ?」
は、羽瑠っ、顔、顔が近いって。
沙南は、眼前に迫る羽瑠の胸を押してなんとか距離を保とうとした。
「沙南ぁ~?」
「ご、ごめんっ。昨日、よけいなことしたっ!」
沙南は羽瑠の目の前で両手を合わせて謝った。
「昨日?なんのこと?」
「へ?」
話がおかしい。昨日、羽瑠はカバンを受け取ってないの?もしかして、一平ったら、羽瑠にカバンを渡してない?
羽瑠は、きょとんとする沙南を問い詰めるように眉間にしわを寄せて睨んだ。
「いや、あの、羽瑠・・・さん。つかぬことをお聞きしますが・・・昨日、カバンを・・・受け取ったんです、よね?」
「カバン?ああ、受け取ったよ、一平から。一平ってば、なぜか、沙南のカバンを私のカバンだって言って渡してきた。」
「あっ、そう。受け取ったんだ。」
受け取ったにしては、何事もない。
なんだ、私の考えすぎか。
沙南はほっとして、羽瑠に笑いかけて、そのまま笑顔をはりつかせた。
羽瑠が、さっきと変わらず沙南を睨んでいる。
「羽瑠・・・さん?」
沙南は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「沙南さん、カバンのことは、後ほど問い詰めようと思ってたんですよ?でも、どうやら心当たりがあるようなので、い・ま・話してもらいましょうか?」
どうやら私は、地雷を踏んだらしい。
羽瑠が、とりあえず執行猶予をつけてくれようとしていたことを自分で墓穴を掘ったようだ。
このあと、こってりと羽瑠に絞られて、身も心も骨身を削るように細ってしまった私は、朝練で精彩を欠き、顧問の浦先に、またまたこってりと絞られてしまった。
それもこれも、みんな翔平が悪いのに。なんで、私が攻められるよっ。
沙南は、ぐったりとしたまま部室長屋に防具を片づけに行った。今日は、羽瑠の分も担いでいるので、両肩に防具入れのひもが食い込む。
朝練で疲労困憊した足を引きずって部室長屋に入ると、奥の棚に並べて防具をしまった。
「はあっ、重かった。」
思わず苦労が声になった。
「沙南、いるのか?」
部室のドアを開けて翔平が入ってきた。
「翔平、テニス部ももう終わったの?」
さっき別れたばかりなのに、翔平の顔を見ると、なぜか胸が高鳴る。心が躍るように沸き立つのを抑えられない。
自分にこんな感情があるなんて思わなかった。
沙南は、赤くなりそうな頬に手をあてて隠そうとした。
その手を翔平が掴む。
どきっとして見上げると、自分を見つめている翔平の瞳にぶつかった。
見つめあったのは、ほんの一瞬。
気がつくと唇に暖かい感触。
重なり合う唇に沙南の心臓の鼓動は一気に跳ね上がった。
はじめは、啄ばむように、触れては離れる唇に、沙南はじれったくなっていった。たわむれるようなキスに次第に口が開いていく。まるで、それを待っていたかのように翔平はキスを深めた。
息をするのを忘れそうになる。
苦しくてもがきそうになるのに、翔平は離してくれない。
「沙南、俺を感じて。」
耳元でささやく翔平の低い声に、背筋がぞくっと震える。
翔平は、そのまま耳たぶを甘がみし、そのまま唇を首筋へ、そして頬へ、こめかみへとずらしていく。
体がじんじんとしびれて、いうことをきかない。
ここはっ、部室でっ、いつ、誰が入ってくるかわかんないのに、こんなこと、しちゃ、いけないっ!
頭ではわかっていても、体が動かない。
まるで自分の体ではないみたいに、翔平の動きに翻弄されていた。
だっ、だめっ
「しょ、翔平っ、ストップ!もう、やめてっ。」
ありったけの気持ちをかき集めてやっと、翔平を突き放した。
息が整わない。
乱れる呼吸が収まるまで、翔平を手で制した。
「沙南・・・」
「だ、だめっ。これ以上近寄ったら、絶交だからっ。」
沙南の威嚇にさすがの翔平も近寄れなかった。
「わかった。今はこれで我慢するよ。外で待っているから、早く着替えて出てきて。」
翔平は、そう言うと部室から出てドアを閉めた。
沙南は、へなへなとその場に座り込んだ。
ああ、いったいいつになったら、私はあの甘々翔平に慣れるんだろう?
これまでとのギャップが大きすぎて、心が追いつかない。
沙南は、大きく息を吐くと、のろのろと立ち上がり、胴着から制服に着替え始めた。
放課後・・・いや、お昼休みは、どうやって翔平の甘々モードをかわそうか?
束の間、沙南の頭からは羽瑠との約束が飛んでしまっていた。
翔平は、着替え終わった沙南を待ち構え、当然と言わんばかりに沙南の指に自分の指を絡めると、そのまま沙南の教室までついて来た。
そして、名残惜しそうに指を放すと、耳元で囁いた。
「じゃあ、昼休みに迎えに来るから。」
みんなが見てる前での翔平の甘々な行動に耳たぶまで真っ赤になった沙南は、なにも考えられなくなったまま、こくこくと頷いた。
もう、早く自分のクラスに戻って欲しい。
沙南が一心にそう願っていると、羽瑠がふたりの間に割り込んできた。
「翔平、悪いけど、お昼は、沙南、私と食べるから。」
羽瑠のことばに翔平は不機嫌そうに眉をひそめた。
「今朝、沙南と約束したんだ。ねえ、沙南?」
いきなり羽瑠にふられて、沙南はことばを詰まらせた。
ぎろりと翔平に睨まれ、思わず声をあげそうになった。
細めた眼の奥のくすぶった瞳が怖いんですってば、翔平・・・・・。
羽瑠と翔平のふたりから追い詰められ、背中に汗をびっしょりかきながら弁解した。
「そっそっ、そう。うん、ひっ昼ごはんは、羽瑠と食べるって、朝練の時に約束してたんだったっ。ごめんねっ、翔平。」
「そゆことだから、翔平。お昼は他の誰かと食べてね。」
羽瑠は、そう言うと、翔平の抗議を受け付ける前に、沙南の手を引っ張って教室の中へ入った。
翔平は、不満げな顔をしていたが、小さく嘆息すると自分の教室へ戻って行った。
「羽瑠ぅ~、人の恋路を邪魔すると、馬に蹴られるんだよ。」
亜由美がふたりに近寄ってきた。
「いいの、今日は、翔平へのお仕置きだから。」
や、やっぱり、根に持ってる。それも、私じゃなくて、翔平に対してのほうが強いよね。
沙南は、羽瑠を怒らせた翔平に少し同情した。
しばらくは、さっきみたいに、ちゃちゃを入れてくるだろう。羽瑠はけっこう、しつこいから。
ま、でも、私的にありがたいかな。
なにせ、翔平ってば、所構わずみたいな感じになってきてる。正直、困るんだよね。
沙南がぼけっとそんなことを考えていると、羽瑠がきゅっと鼻をつまんだ。
ぷがっ
「ぷっ、さっきといい、沙南ってば、変な声出すの、うまい。」
羽瑠がくすくす笑うのを聞いて、さすがに沙南はムッときた。
「あっ、言っとくけど、昨日のことは、翔平だけじゃなく、沙南にだって言いたいことあるんだからね。ふたりとも一蓮托生でしょ。」
羽瑠にそう言われると、なにも言えない。
「でもさ・・・よかったよ。昨日、一平と話せて。」
羽瑠が微笑んだ。
沙南と亜由美は、ことばが出なかった。
「私さ、一平に片思いし続けるからって、言った。」
「「えっ、羽瑠・・・」」
「今はさ、しょうがないでしょ。そう簡単に割り切れるもんじゃ、ないし。でも、私の気持ちは変わらないから。」
「それで・・・ほんとにいいの、羽瑠?」
亜由美が心配そうに聞いた。
沙南は、なにも言えなかった。
「うん、それで、いい。私、諦めないから。きっと、いつか、一平の心を掴んでみせる。」
もたれかけた机を掴む羽瑠の手が小刻みに震えているのをふたりは見逃さなかった。
羽瑠は、羽瑠なりにいろいろ悩んでそう結論出したんだ。
ふたりにはそれが痛いほどわかった。
応援するよ、羽瑠。羽瑠の気持ちが一平に届くよう、祈ってる。それから、羽瑠がアクションを起こした時には、何をおいても協力するからね。