第四話「静」
「うへぇ…汚いなぁ…」と言いながら僕は砦の中を歩いていた。
足を踏み出すたび、ビチャビチャと赤黒い液体が跳ねる。
鉄錆のような不快な生臭い臭いが鼻腔をつんざく。
さっきまであれだけ騒がしかったのに、今は静かだった。
聞こえるのは、僕の足音だけ。
それが石壁に反響して、少し遅れて返ってくる。
地面に転がる頭を拾い上げ、かじる。
「ん〜…狼より硬くて美味しくない…」と言い、ぽいっと投げ捨てる。
そのまま階段を上がり、最初にいた時に戻ってくる。
気づけばもう夜になっていた。
「夜風が気持ちいいな〜♪」と言う僕の髪が靡き、風の音が耳をくすぐる。
そこには、呆然とした様子で1人の男が力無く座りこんでいた。
顔は青ざめ、尻尾の火も弱々しく揺れている。
「え〜と…こんにちは?」
「なんで…俺を見逃したんだ…?」とその男はそんなことを言ってくる。
「んー…なんでって…」と僕は小首を傾げる。
「…攻撃してこなかったから?」
そうして、しばらくの静寂が訪れる。
* * *
「…殺してくれ」と、その静寂を打ち破り、俺はそう言った。
喉の奥から絞り出すような声が出た。
尻尾の火は小さく揺れていた。
それを聞いたその怪物は小首をかしげ、心底理解できなそうにする。
だが、すぐに何かを見つけたかのように、表情を変え、こちらへ一歩近づいてくる。
「それより、それ何?」そう言って、その怪物は尻尾を指差した。
…なんなんだこいつは…
理解できない…
「…答えたら…殺してくれるのか…?」
「……なんで死にたいのか理解できないけど…」
少し考えてから、そいつはコクリと頷く。
「うん。」
「…これは…俺達『炎尾族』が持つ尻尾、俺達の高い身体能力を支えるために生まれつき備わってる…って聞いた。」
「へぇ…『炎尾族』か、いいな、かっこいい」と言い、そいつは微笑みながら、砦の胸壁の縁で両手を広げ、バランスを取りながら歩いている。
足を一歩でも踏み外せば助からないであろう場所をだ。
だが、視線は足元ではなく常に俺の方を見ている。向いている。
「じゃあさ、じゃあさ、僕は何族?」とワクワクでもしているように、胸壁から降り、俺に近づいてくる。
「…知らない…俺は…お前みたいのを見たことがない…」
そう言うと、そいつの顔が少し悲しそうな顔に変わる。
「…なんだ…」
「ちょっと残念…」
「俺達はって言ってたよね…じゃあさ、他にも種族がいるの?」
「…何も知らないんだな…海を挟んで…この世界には六つの大陸があるんだ…その大陸ごとに…俺達『人間』は姿形を変えるんだ。」
そう説明するとそいつは少し考えるような素振りを見せてから、口を開いた。
「じゃあ僕も人間?」気づけば、そいつの顔が目の前にあった。
いつ近づいたのか分からない。
「…さ、さぁな…ただ…人間によく似ているとは思う…」
「へぇ、ところでなんで姿形が変わるの?」と、そんな質問、この世界での常識を問われ、うんざりする。
「…昔、六柱の神が死んだんだ…そして、神の亡骸が大陸になった」
「そこから漏れ出した力──『残火』が、生命を生んだ。」
「だから…どの神の残火から産まれたかによって、姿形が変わると…教わった。」
「…じゃあここはどの神の大陸?」と言いながら、指に血をつけ、メモでもするかのように地面にそいつは何かを書いている。
「……ここは…死の神の大陸…最悪の大陸と呼ばれる場所だ。」
「なんで?」と、そいつは食い気味に聞いてくる。
「…ここは…魔物が産まれた場所であり、既に魔物によって滅ぼされた大陸とされているからだ。」
「…魔物?」そう呟きながら、そいつは近くに転がっていた槍を拾い上げ、くるりと回し、先端で地面を軽くなぞった。
「…魔物ってのは、全身が紫色の化け物だ。」
「奴らは異常な速度で進化し、生き物を殺して、その体内の残火を奪い、さらに強くなる…」
「へぇ…じゃああの鳥とか…狼とか…左腕モリモリは魔物って言うんだ」と言いながら、先ほどくるりと回した槍で、地面に線を引いている。
「狼は美味しかったなぁ〜♪」と、そいつは顎に指を当て、少しだけ空を見上げた。
「…食ったのか…?」
「…?お腹が空いたら何かを食べるのは当然でしょ?」
「それに、自分が狩った獲物を食べただけだよ?」と、そいつはケロッと言ってみせた。
「…お前…」俺は唇を震わせる。
「本当に何も分かってないんだな…」
そう問うと、そいつはキョトンとした顔で瞬きをした。
「?」
「うん、そうだよ。」
「わかんないから聞いてるんだよ?」と言い、俺の目をジーッと見つめる。
「…」
(本当になんなんだ…こいつは…)
「…でさ、また聞くんだけどさ…」と、そいつは話を切り出す。
「僕と似たような子、本当に見たことないんだよね?」
「……いや…」
「…今日の明け方頃に、君に似たやつを見た。」
「…昨晩、この砦を経由し…この大陸を取り戻そうとする調査隊が出ていった。」
「…だが、出て行ってからしばらくして…その調査隊の首を持って、とある女が現れた。」
「…君によく似た顔立ちと髪色、そして瞳…」
「ただ…君より少し背は高いように見えた。」
「その女の襲撃で、この砦の人間の半数が死んだ。」
「…本当なら、この砦には明日にでも増援が来るはずだったんだが…」と、その時のことを思い出し、俺の体は恐怖で震える。
「ああ、僕が来ちゃったと…ごめんね。」
「で…僕によく似たやつがいたんでしょ?」と、そいつはニヤける。
「あ、ああ…」
「そっか、そっか〜♪」と言い、そいつはナイフを取り出した。
ああ…やっと殺してもらえる──
そう思い、俺は目を閉じる。
「…ああ、最後に聞いておこう。」
「君、名前は?」
「俺は──」数秒、悩んでしまう。
「『コクラ』だ。」
俺はそこで嘘をついた。
本名を名乗る気にはなれなかったのだ。
だから、俺はそいつに対して感じたイメージを単語化し、名前として口から放った。
「へぇ、そっか。」と、声が聞こえ、俺は──
* * *
「…『コクラ』かぁ…」目の前で崩れ落ちた男、その床に広がる赤い液体を避けるように、僕は一歩後退る
「じゃあ、僕も『コクラ』って名乗ろうかな。」
「うん♪しっくりくる♪」と言い、その場を後にした。
服を脱ぎ、武器を置く、必要がないから。
「ふんふふ〜ん♪」と、そのまま扉を開き、そこへ入る。
タイルで作られた無機質な空間。
そこには露出した金属製の筒が壁にそっていくつも規則正しく並んでいる。
「よっと…ここにも死体が…」と言い、死体を避けるように歩く。
「確かこれを捻れば〜」と言い、適当に出っ張りを捻る。
次の瞬間、暖かい水が僕に向かって降ってくる。
「ん〜…気持ちぃ…」
「血で汚れちゃったし、汗もかいちゃったからね〜」と、僕の言葉は特に誰に向けたものでもなく、そのまま水に流れていく。
「はぁ〜…すっきり〜」と言い、扉を開け、武器と服を取る。
「……服結構汚れちゃったなぁ…」と、ほとんどが赤黒く染まった服を見る。
「い〜らない。」と言い、それを投げ捨てる。
バサッと音を立てて落ちる服に目も向けず、そのまま目線を扉へ向け、歩き出す。
そうして、歩いていると、とある部屋を見つける。
「ん?」
そこはいくつかのベットが並んでいて、荷物のようなものが置かれている。
静かで、人の気配はもうない。
「あの人達が寝てた場所かな。」と言い、ベットの下を覗き、そこにあったトランクを引き出す。
そのままそのトランクを開く。
「!」中に白い布が入っていた。
前に着ていたものとよく似ている。
「よし、ぴったし!」
それと同時に、僕の目を引くものがそれに入っていた。
「ん…ナイフ?」と、それを取り出す。
小さなナイフが2本。
そして。大きめのナイフが1本。
あと、それを入れるための帯みたいなもの。
それを握ってみる。
「…ん、しっくりくる。」と言い、肩にかける鞄に乱暴に突っ込んだ。
そのまま帯を腕に巻き、ギュッと締める。
余った部分が、だらりと垂れた。
「…じゃま」
そう言い、手にしたナイフでそこを一息に切る。
落ちた革には目も向けない。
そのままそこに小さいナイフを1本だけ差した。
他にも使えそうなものはあらたかバックの中に詰め込んで
「それじゃ!おやすみ〜!」そう言って、ベッドに勢いよく倒れ込む。
そのまま、何も考えないまま意識が落ちていった。
* * *
目を覚ました時には、朝日が差し込んでいた。
適当に砦を出て、道なりに歩き続ける。
そして…
石畳の道に、朝の光が落ちていた。
荷物を運ぶ音、どこかで笑う声、足音、大量の話し声。
「安いよ!うちの野菜は安くて新鮮で美味いよ!」
「さぁ!今日は特売だよ!」
と、等間隔に露店もいくつか開かれている。
「わぁ…!」
僕は目を丸くする。
さっきまでの砦とは違う、明るくて騒がしい“別の世界”だった。
キョロキョロと周りを見ながら人混みを歩いていると、ドンッ!と音を立て、誰かにぶつかってしまう。
「うわっ…」と、僕は尻餅をついた。
「…いてて…」と呟きながら目を開けると、そこにはおじさんが僕を睨んでいた。
「なんだぁ?おいガキ、前はちゃんと見て歩けよ。」と、明らかに怒っているようだった。
「ごめんなさい」と僕は立ち上がり、ペコっと頭を下げる。
(うん、怒るのは当然だ。)
(僕だって突然攻撃されたら嫌だし。)
「チッ…次からは気をつけろよ。」と言い、その男は立ち去っていった。
(なんとか許してもらえたみたいだ。)そう思って歩き出そうとした時、足元に何かが落ちてることに気づく。
「なんだろこれ…紙…?」と、それを拾う。
長方形の紙だ、何か数字が書いてあって、人の絵が描かれている。
(…変な顔…)と、そんなことを考えてると、どこからかふわりと、いい香りが漂ってくる。
「…スンスン…」と、鼻を動かす。
「あっちだ…」と、そちらへ向かって歩き出した。
鼻を動かしながら、人混みの間を抜けていく。
気づけば、小さな屋台の前に出ていた。
鉄の棒に刺された肉が、炭の上で焼かれている。
僕は無意識に手を伸ばし、それを1つ掴む。
そのまま、口元へ運んだ。
「……」
ゴクリと唾を飲み込んでから、それにかじりついた。
「!美味しい…!!!」と思わず口から漏れ出る。
次の瞬間
「はいはい、それはどうも!」と僕は後ろから襟を掴まれ、グイッと体が浮いた。
「お嬢ちゃん…悪いけどこれは売り物なんだ、勝手に食べてもらっちゃあ困るな。」
「…売り物?」
「ああそうだ。これは“お金”と交換なんだ。食べたけりゃ、それを払ってもらう」
「…お金…お金…」と、鞄を探る。
だが、そんなものを入れた覚えはない。
困ったな…と思ったその瞬間。
「ん?その手に持ってるもの…あるじゃないか。」
「…?これ?」と、僕は長方形のその紙を差し出す。
「はい、毎度。」と、おじさんはそれを受け取り、僕を下ろしてくれる。
「はい、これ、お釣りね。」と、そのおじさんは金属の平たく、丸い何かを渡してくる。
「…?これは?」と言い、そのもらったものを見る。
「何って…小銭だよ、さっきの金額から俺の串焼き1本分の代金を引いた残りだ。」
(なるほど…紙と丸い金属で食べ物が手に入るんだ。)
「…」
「…ねぇおじさん。」と言い、そのおじさんを見上げる。
「ん?なんだ?」
「これでも串焼きくれる?」
「ああ…まぁこの金額なら4本くらいは──」
「じゃあ、くれるだけちょうだい!」と、僕は差し出しながら満面の笑顔で、そう言うのだった。
僕は、あんな人が沢山いる場所じゃ、ゆっくり食べられないと思い、串焼きの入った紙袋を持って人気のない裏路地に来ていた。
「あ〜むっ…」と大きくかじりつく。
「ん〜♡」と、あまりの美味しさに足をジタバタさせてしまう。
頬が緩むのを止められない。
気づけば、紙袋の中は空っぽだった。
「……」
少しでも名残を味わいたくて、指についた肉汁までぺろりと舐め取る。
「……もう無くなっちゃった……」と、ぽつりと呟く。
「……お金、かぁ……」そう言い、立ち上がり、またどこかへ行こうとした瞬間だった。
ふと、通路の奥の影が揺れた気がした。
「んっ──」と、僕の口が何かに塞がれる。
すぐにナイフを取り出そうとした、だがそれより早く
「我が力よ、個を深い眠へ堕とせ。」と、耳元で静かな声が響いた。
次の瞬間、視界がだんだんと暗くなっていく。
(…またこのパターン…?)
そうして、僕の意識は深い海へ沈むように、堕ちるのだった。




