第12話:バーチャル・リアリティ
虹原さんから頼まれた『おいぬさま』について話すため、昼休憩に教室を出て階段横にあるスペースへと移動した。その場所は使わない机や椅子などが置かれており、物置のようになっている場所である。階段自体は普通に使われているが、わざわざそのスペースに入ろうとする生徒は恐らく居ないだろう。
そんなスペースで積み上げられた机の陰に隠れて椅子に座っていると、虹原さんが弁当箱を持って姿を現した。
「あっ殺月さん。お待たせ!」
「目立つから静かにしてよ。それで、調べるのはいいけどどうすればいいの?」
「あのね、やっぱりわたしとしてはおいぬさまを知ってる人を探してみようと思うんだ」
虹原さんはおいぬさまに何らかの異常が起こっているのはほぼ間違いないと考えているらしい。しかしあくまで一視聴者に過ぎない自分達では直接コンタクトを取るのは難しいため、まずはおいぬさまの中の人と会ったことがある人物に聞き込みをしたいのだという。
「待って。アタシあんま詳しくないんだけど、そういう……中の人って隠されてるものなんじゃないの?」
「うん。どっかから漏れたりしない限りはそうだね」
「じゃあどうやって知り合いを探すワケ? そもそもの本人が分からないんじゃ知り合いも分からないでしょ」
「ううん。一個だけ、おいぬさまについて分かってることがあるんだ」
虹原さんによると、以前に行われた配信中においぬさまの中の人はコトサマだと本人の口によって明かされていたようだ。つまりバーチャルな皮を被ってはいるが、それを演じているのも人間ではないということらしい。
虹原さんの話を聞いても「そんなものは口でなら何とでも言える」としか思えなかったが、彼女は自身の誠実さを見抜く力を信じているらしく、間違いなくあの発言は真実だったと考えている様子だった。
「……まあ、実際にホントにコトサマだとして。そこからどうするの?」
「えっと、コトサマが配信をする場合ね、個人情報の提出が不可欠なんだって」
あまりそちらの方面には興味が無いため知らなかったが、どうやらこの超常社会になってから作られた法律の中に『コトサマ、あるいは超常能力を所持している者は、あらゆる媒体を用いた配信において無許可での配信を行ってはならない』というものがあるそうだ。おいぬさまが本当にコトサマであった場合、違法な配信ではない限りこの法律に従わなければならない決まりがあるということらしい。
「それで、そういうのはJSCCOに提出しないといけないんだって」
「なるほどね……超常能力の中には人間の認識に訴えかけるものもあるし、妥当な判断でしょうね」
自分のものも含めた『人間の認識に関わる能力』はまだ未解明な部分も多く、今でも研究が続けられている。自分のように脳に働きかけて認識から外れる力もあれば、強制的に相手の認識の中に何らかの情報を植え込むような力もあるとされている。そんな能力を無差別にネット配信などで使用すれば、大勢に同時に能力を行使することが可能になることもある。それを避けるために個人情報の提出を義務付けているのだろう。
虹原さんは持ってきていた弁当箱を開け箸で食べ始める。それを見て昼食の時間が無くなるかもしれないと考え、後に続くように姉ちゃんが作っておいてくれたおむすびのラップを解き口に運ぶ。
「……で、おいぬさまがコトサマでちゃんと許可も取ってると仮定して、そこからどうするの」
「だから、リアルの知り合いにそれとなーく聞いてみるんだよ」
「いやだから……その知り合いを探すのがムズいでしょって話をしてるの」
「あっ、そういうことか!」
虹原さんはポンッと胸を叩き少し得意げな顔をする。
「実はね、わたしおいぬさまと知り合いって人知ってるんだ!」
「……は、え……なに、まずはその知り合いを探そうって話じゃないの?」
「え? わたしそんなこと言ったっけ……?」
思い返してみれば、彼女は一度も「おいぬさまの知り合いを探す」とは言っていなかった。どうも彼女の中では聞き込みをする人物の目途が既に立っているようで、それ以降の調査も含めて協力して欲しいということらしい。
「ごめん。アタシの勘違いだった。続けて」
「?」
虹原さんは自分の言い方が悪かったのだろうかと眉を八の字にしていたが、すぐに誰に聞き込みをしようとしているのかを話してくれた。
「えっとね、最初においぬさまと知り合いだっていう『しおる』に聞こうと思ってるんだ」
「誰それ?」
「わたしのネット友達なんだけどね」
『しおる』というのは虹原さんが時折遊んでいるネットゲーム上での友人らしい。何度かオフ会と称してリアルでも会っているようで、その際に相手の口からおいぬさまと実際に会ったことがあると言われたことがあるそうだ。もしもそれが嘘であれば虹原さんには分かってしまうため、その証言は事実であり調べてみる価値はあると考えているようだ。
「実は、今日も会う約束してるんだ」
「ちょっと……いきなり今日の今日……?」
「あ、元々は普通に遊ぼうねって約束だったんだよ? でもおいぬさまのこと気になるし、ちょうどタイミング的にもいいかなって」
虹原さんの目を見れば分かる。きっと彼女が言っていることは嘘ではない。ほとんど初対面のような関係性ではあるが、彼女は嘘をつけないタイプの人間だと分かる。正確には嘘をついても一発でバレてしまうくらいに嘘が下手なタイプに思える。自分もそんなに嘘が得意な方ではないからか、直感的にそう感じた。
霞ヶ関で発生した事件を屋上から見ていた人物についての調査もしなければならないが、まだ何も掴めていないため、そちらは三瀬川さん達に今日は預けてこちらを優先した方がいいかもしれない。恐らく虹原さんのようなタイプの人間は、気になることがそのままになっているとソワソワし始め、下手に放っておくと人前でも秘密にしないといけないことを喋ってしまう可能性がある。
「とりあえず分かった。今日の放課後?」
「うん。商店街のとこにね、喫茶店があってそこで待ち合わせしてるんだ」
「多分アタシの知らない所だから案内は分かるから」
「もちろんだよ! 任せて!」
「それと、一人知り合いを連れて行きたいんだけど、いい?」
本来は関係が無い事ではあるのだが、霞ヶ関の時に見たあの人物がこちらの命を狙っている可能性を考慮し、葦舟も同行させることにした。自分一人であれば能力を使って認識から外れて逃げることは可能だが、葦舟は儀式やらなにやらをしなければ様々な現象は起こせない。もしも彼女一人の時に狙われれば抵抗が出来ないだろう。それを避けるためには今回も共に行動をした方がいいと考えた。
「わたしはいいけど……何て子?」
「葦舟って名前で、まあ……ホント知り合いみたいなもんだよ」
「アシフネさんね。分かった。じゃあ『しおる』にメールしてみてOKだったらでいい?」
「ダメだったら店の外で待っておく形にする。どっちにしても連れてこないといけないし」
「なんで?」
「……霞ヶ関の件でちょっとね」
「!」
虹原さんはパッと自身の口を塞ぐような動きをすると誰かが聞いていないかと廊下に身を乗り出すと、ふぅっと安心した様子で再びこちらに身を隠した。
「大丈夫、聞かれてないっぽい……!」
「じゃ、放課後にまた。あんまここで喋ってたら変な噂立ちそうだし」
「う、うん……!」
階段横のスペースから抜けたアタシはそのまま何食わぬ顔でトイレへと向かい、個室の中に入ったところでスマホからメールを送った。葦舟がメールをきちんと確認するかどうかは分からないが、さすがに電話をする訳にはいかないためメールという形で済ませておくことにした。
その後、まだ慣れない高校の授業を受けて放課後になったところで、自分はそそくさと準備をして教室から出ていった。その時に虹原さんはまだ教室に居たが、丁度校門に差し掛かった辺りで虹原さんが追い付いてきた。
「さ、殺月さん準備速いんだね……!」
「別にいつもこうってわけじゃない。虹原さん急ぐかと思って」
「ご、ごめんね遅くて……!」
「いや、別に怒ってるわけじゃないけど……」
虹原さんも急いで帰る準備をしていたのはチラッと見ていたから分かっている。恐らく彼女は思い立ったら即行動というタイプではあるものの、いざ動くとなると急ごうとし過ぎて逆に余計な動きが増えてしまったり、ミスをしてしまうタイプなのだろう。本人的には本当に急いでいるが、実際には少しノロマに見えてしまうという感じか。
学校の敷地から出たところでスマホを開きメールをチェックする。メールボックスには葦舟からの返信が届いており、ついさっき送られたばかりのようだった。
葦舟のメールによると、こちらよりも授業の数が少し少ないようで早くに終わったため、アタシ達が来るまで図書室で待っているつもりらしい。
「あの、ほんとにごめんね?」
「だから怒ってないって……。虹原さん、先に知り合いを迎えに行きたいんだけどいい?」
「あ、うん。しおるからも大丈夫だよって返信来てたから直接会ってもいいっぽい」
「分かった。じゃあ行こう」
そうして葦舟を迎えに行ったアタシと虹原さんは数十分歩いた所にある一神中学へと辿り着いた。
一神中学はいわゆる進学校というもので、ある程度頭が良くないと入れないと言われている。世界の常識を大きく変えることになった『黄昏事件』以降に作られた新しい学校であり、占星術や魔術などの『奇跡論』と呼ばれる学問をメインに教えている場所らしい。奇妙な儀式術を使う葦舟が通っているのも納得のいく学校だ。
一神中学の校門から少し離れた所に立ち、葦舟の番号へと着信を入れる。するとどれだけコール音が鳴っても返事が無い代わりに、ある程度鳴ったところで校舎の陰から葦舟が姿を現した。さすがに校内ということで電話には出ないようにしていたようだ。
「お姉さーん!」
「あの子が葦舟さん?」
「そ。うるさいおチビよ」
葦舟は嬉しそうな顔でこちらへと駆け寄ると、虹原さんへと顔を向けると大きく頭を下げた。それに合わせるようにして虹原さんも頭を下げる。
「葦舟簸子です! はじめまして!」
「あっご丁寧にどうもです。わたし、虹原三次って言います!」
薄っすらとなんとなく感じていた事だったが、どうもこの二人は似ているような気がする。年齢も顔つきも全く違うのだが、実際の年齢よりも幼いような立ち振る舞いや人懐っこさが重なって見える。
「それでお姉さん。メール見たんじゃけど、どういうことなんですか?」
「おいぬさまとか言うVtuberのことなんだけど……説明難しいから虹原さんお願い」
「よしきた任せて!」
「大きい声は出さないようにね」
ハッとした表情を見せ、虹原さんは葦舟の耳元でひそひそと彼女が今朝話していたことを説明し始めた。葦舟の表情を見るに機材やデジタルな技術面についてはさっぱりな様子だったが、虹原さんがおかしいと思っている部分については彼女もまた違和感を覚えたようだった。
「確かに変ですね……ウチもたまにそういうの見るんじゃけど、そうな動きをするのは3Dの人じゃないと出来んと思うんですよね」
「やっぱりおかしいよね……!?」
「葦舟、アタシはあまり詳しくないんだけど、2Dでそこまで向くことは無いのね?」
「ほうですね。ウチもどうやっとるんかは知らんのですけど、2Dじゃったら斜めに向くくらいが限界じゃと思います。少なくとも今の技術じゃったら」
葦舟の目から見てもそういう風に見えるということは、やはりおいぬさまという人物が何らかの異常な現象に巻き込まれているのは間違いないだろう。それが何を発端にして発生し、何者が絡んでいるのかは分からないが、場合によっては自分達の手では収まらない事態になるかもしれない。
「ほいで、えっと……三次お姉さん。何が起こっとるんかを調べればええんですよね?」
「うん。手伝ってもらえると嬉しいよ」
「任せてください! まずは三次お姉さんのお友達に会うっちゅう話でしたよね」
「ええ。アンタに送ったメールの通り」
虹原さんが鞄からスマホを取り出す。
「あっ、もうしおる来てるみたい! 付いてきてもらえるかな?」
「オッケーです!」
「じゃあ出発です! はぐれないように付いてきてね!」
「お姉さん! 行きましょう!」
「……うるさいのが増えたなぁ」
三瀬川さんや黄泉川さんが年齢を考慮したとしてもかなり大人しい方だったことを痛感しながら、葦舟と共に虹原さんの知り合いである『しおる』の待つ喫茶店へと向かうことになった。