第5話 危機(二)
八時のニュースを見た後、私は巫女服に手早く着替え、早歩きで常満池に向かった。今回の異常気象とあの池の少女に何らかの関係があると感じたからだ。カンカンと照りつける太陽も、昨日までとは違う恨めしさを帯びていて、うっすらとかいたおでこの汗も拭う余裕はなかった。別段遠いと思っていたわけではなかった池までの道が、今日は酷く長く感じられた。歩いている時私は、あの少女をどう問いただそうか、そもそもあの少女はまともに質問に答えてくれるのか、とグルグルと思考を回らせていた。林の中を急ぎ足で抜けると、最近よく来る見慣れた池に着いた。しかし、そこに立っていた少女はいつもの銀髪にサファイアブルーの瞳の少女ではなかった。
(誰……あの子……。)
その少女は、あのサファイアブルーの瞳の少女と背丈や肌の色は同じだった。しかし、その髪は銀髪ではなく黒髪で、あの特徴的なサファイアブルーの瞳はエメラルドグリーン色だった。私の頭は、さっきとは違う意味で回っていた。エメラルドグリーンの瞳の少女はこちらに気づくと、サファイアブルーの瞳の少女とは正反対に口角を上げて笑い顔を作った。
「あれ?カチコチだ。」
その声を聞いて、私は鳥肌が立つのを抑えきれなかった。恐らくこの鳥肌の正体は恐怖だと、すぐにわかった。目の前にいる少女は、表情はいたずらを仕掛ける時のような、楽しそうな表情をしている。なのに、放った声は一切感情の乗っていない声だったのだ。顔と声があまりにも釣り合っていない。恐怖で震える声を精一杯絞り出して、私は少女に最初の疑問をぶつけた。
「貴方は……誰?」
少女はいたずらの笑みのまま、その無感情な、のんびりとした声で言った。
「昨日まで来てたあの子の片割れだよ。貴方、あの子のこと神様って言ったんでしょ?おっかしい〜。」
最後のところまで抑揚なくそう言い放つと、少女はケタケタと笑った。
「じゃあ……私は貴方のことをなんて呼べばいいの?」
すると、少女は分かりやすく悩む顔を作った。
「私のことは貴方呼びでいいんじゃない?あの子のことは『あの人』とかで。」
しかし、最初から返答は決まっているかのようによどみなくそう答えた。悩む顔を作りながら。その時私は胸の中で僅かな突っかかりを覚えた。
(さっきからこの子が提案するのは『貴方』とか『あの人』とか三人称、二人称で、この子、名前名乗ってなくない……?)
思えば、サファイアブルーの瞳の少女に名前を尋ねた時も、名乗る名は持っていない、というようなことを言っていた。
(なんで私に名前を教えてくれないんだろう?)
気づけばその疑問は勝手に口の中から零れていた。
「どうして貴方は自分の片割れ?の子のことを『あの子』みたいに三人称で呼ぶの?」
私からしたら答えにくいだろうと思ったこの質問に、少女はあっさりと、事も無げに言った。
「私達に特定の名前が無いからだよ。基本的に名前は個人の呼び方を表すもの。でも私達は分体だから、名前が無いんだよ。」
「名前が……ない?」
その答えは私には衝撃的なものだったが、少女は悲しそうな顔すらしていなかった。そういうものだ、と思っているのだろうか。呆気にとられていると、少女がにんまりとした顔を作った。
「それで?そんなことを聞きにあなたはここに来た訳じゃないんでしょ?何か聞きたいことがあったから来たんじゃないの?」
驚くべきことに、その言葉で私はここに来た理由を思い出した。今まで、少女への疑問で忘れていたのだ
「この雨の降らなささは……貴方達のせい……なの……?」
そう聞くと、その少女はギリギリ聞こえるほどの小さな声量で、ようやく気がついたかということを言った。
(開き直ってる……?)
状況が複雑に絡み過ぎてて、人並みにしか頭の良くない私はもう意味がわからない。そもそも私は、学年で1番頭がいい人みたいに頭の回転が早い訳でも、天才的な閃きを持っている訳でもないのだから。もう一度、確認の意志を持って目の前の少女を見つめる。少女は片眉を上げ、屈託なく笑い、その表情のままとんでもないことを言った。
「当たり前でしょ。そもそも、君は確信を持ってここに来たんでしょ?その時点で、今の君の問いはただの事実確認に他ならない。でもまぁ隠すような事でもないしね。」
つらつらとそう述べるその声はどこまでも平坦で、ある意味機械的だ。そして、先程から……否、この少女と話してる時からずっと感じている違和感。この、初めから全て話の流れがわかっていて、返答を決めているかのような、そんな感じ。少女の話し方も相まって、私は今、なにかの劇場で、台本を読んでいるかのような、そんな感覚だ。
「……どうすれば?」
調子が狂う、とでも言うのだろうか。なんだか、私だけがずっと焦らされている感じ。こっちは切羽詰まっているのに、あちらは悠々としている。それが今は、無性に腹立たしい。
「ん?なぁに?」
のんびりとした平坦な声。
「どうすれば!雨が降るの?この、国に!何をしたいのか知らないけど……知らないけど!そっちの事情に、私たちを……関係の無い多くの人を巻き込まないで!!」
気づけばそう、半ば叫ぶように少女に聞いていた。否、きっと叫んでいたのだろう。私がこう言った瞬間、先程まで屈託なく笑っていた目の前の少女は、寂しそうな、切なそうな顔になった。
「……巻き込まないで?こっちだってやりたくてやってる訳じゃ……ないんだよ?」
泣きそうな顔で、エメラルドグリーンの瞳の少女はそう零した。
(あっ……。)
その顔を見た瞬間に理解した。私は今、この少女が……いや、この少女たちがしていることを理解せぬまま、知らぬまま、全て知ったように叫んで、この少女を傷つけるようなことを言ってしまったのだ。
「あっ……あの……。」
一言謝りたい。でも、その言葉が出てこなかった。目の前の少女は、この池にいる少女は、確かにどこか、ミステリアスな、人外な、特殊な雰囲気を纏っている。だが、しかし、実際は、感情があって、動く。私と余り変わらないような子たちなのかもしれない。
「ごめんな、さい。きっと、貴方にとって嫌なことを今、私は口走っちゃったんだよね……?」
そう言うと、少女は、少し驚いたような顔をしたあと、首を、縦とも横とも取れるように振ったあと、静かにこう告げた。
「確かに、私たちは今、とてもややこしい、遠回りな方法をとって、君たちに事を分からせようとしているのかもしれない。ただ、少なくとも私たちはこれを無駄だとは思っていないし、止めるつもりも毛頭ない。」
少女はそこで一度、言葉を区切った。やはり、少女たちが言うことは抽象的で、大事な部分をぼかしたふうな言い方だった。けれど私は、なにかこの言葉からわかることがないのか、と、必死に耳を傾けていた。
「君が、この国の生物を救わなくてはならない。君が導かなくてらならない。……あの時と同じように。」
そこまで告げると、私の目の前に例のシャボン玉のようなものが現れた。反射的に目を瞑ったとき、私の耳元であの少女の声が聞こえた。
「導くことが出来るのは……君だけだ。」
目を開くと、やはり水面には波紋などたっていなかった。
常満池で少女と会話した後、いつものように私は巫女業務を始めた。けれど、連日の猛暑からか参拝客は少なく、時折すれ違う参拝客の顔は切羽詰まっていて、そして、悲しげだ。どことなく神社……否、社会全体が悲観的で、どんよりした雰囲気だ。けれど、今の私の一番の関心は、雨が降らないことではなく、この異常気象と少女との関係だった。
うんうん頭を悩ませて、思わず箒を持つ手が止まってしまう。すると、後ろから昨日と同じように、少しばかり低い声が聞こえた。
「み、れ、い、さん?」
「ぴえ?!」
思わず素っ頓狂な声が出て、しまった、と思った。恐る恐る後ろを振り向くと、そこには鬼の形相……と言ったら聞こえが悪いが、とにかくそれくらい怖い顔をした奈結子さんが立っていた。
「昨日の今日で、またぼーっとするなんて……昨日言った通り巫女が……あら?」
ガミガミと怒られると思っていた私は、突然止まったお説教に驚き、俯いていた顔を上げた。奈結子さんは、しげしげと私の顔を見ると、真剣な眼差しを向け、言った。
「美怜さん、何か悩みでもあるの?」
その言葉を聞いて、私は目を丸くし、少し悩んだ後、素直に頷いた。




