第58話 撤退戦
俺たちの撤退戦が始まった。
ジークが先頭を歩き、エルナがその後ろへ続く。
「ハア……ハア……ハア……」
エルナの呼吸が荒い。
背中のアイリスを揺らさないように歩きながら、俺は前にいるエルナへ声をかけた。
「エルナ、大丈夫か……?」
「うちは大丈夫や……でも、ちょっと魔力を使いすぎた。もう、あまり余裕はないかも……」
「そうか……じゃあ、もう魔法は使うな。エルナまで倒れたら、本当に俺たちは全滅する」
「セインは魔力に余裕あるん?」
「俺は全然大丈夫だ! まだ半分以上は残っていると思う」
俺たちの話を聞いていたザック先生が、足を止めずに言った。
「隊列を組み直す! ジークはそのまま先頭だ! 俺とセインが負傷者を中央で運ぶ! エルナは最後尾につけ! 魔法は使わず、後方の警戒に集中しろ!」
「はい!!」
俺たちは歩きながら隊列を入れ替えた。
先頭を進むジークの後ろに、マリウスを背負ったザック先生が続く。アイリスを背負った俺がその後ろを歩き、エルナが最後尾についた。
エルナは俺と先生の剣も持ってくれている。
縦1列になり、薄暗い通路をできるだけ足早に進む。
アイリスの腕が、俺の肩から力なく垂れ下がっている。
背中から伝わる体温と、かすかな呼吸。
それを確かめるたびに安心するのに、次の瞬間には、呼吸が止まってしまうんじゃないかという恐怖が湧いてくる。
その時、通路の角からスケルトンが1体飛び出してきた。
「来るぞ!!」
ジークが素早く盾を構える。
スケルトンの剣が盾へ叩きつけられ、狭い通路に金属音が響いた。
「くっ……!!」
ジークの足が、石床を滑る。
俺はアイリスを背負ったまま、ジークの肩越しに2本の氷槍を形成した。
狙える場所は狭い。
ジークに当てないように、スケルトンの胸と右肩へ照準を合わせる。
「行け!!」
2本の氷槍が飛び、スケルトンの骨を貫いた。
だが、痛みを感じないスケルトンは動きを止めない。胸骨に氷槍が突き刺さったまま、再び剣を振り上げた。
「ヤアアーー!!」
ジークの剣が、スケルトンの頭蓋骨を叩き割る。
骨が石床へ散らばり、赤黒い光を宿していた目が消えた。
「止まるな! すぐに進め!」
ザック先生の声で、ジークが再び歩きだした。
「統率型のワイトは倒した。これからも、こうして残った魔物が単独で襲ってくる可能性が高い。だが、まだ何体残っているかは分からん。最後まで油断するな!」
「はい!!」
ジークが力強く返事をする。
分かっているのだろう。
この撤退戦の要はジークだ。
ジークが倒れれば、負傷者を背負った俺とザック先生では前から来る魔物を止められない。
今は、ジークが俺たち全員の命を背負っている。
再び歩きだすと、自分の呼吸音と足音だけが耳に残った。
アイリスを背負っている肩が痛い。
足も重い。
それでも、立ち止まるわけにはいかない。
しばらく進んだところで、今度は崩れた壁の陰からゾンビが飛び出してきた。
腐った腕が、ジークの盾へ絡みつく。
「うっ……くそっ!!」
ジークが盾ごと押し返そうとするが、ゾンビは体重を預けるようにしがみつき、離れない。
その後ろで、ザック先生の足が止まりかける。
「セイン!!」
「分かってる!!」
俺は氷槍を1本だけ形成した。
揺れるアイリスの身体を左腕で支え、ゾンビの頭へ狙いを定める。
外せばジークに当たる。
迷っている時間はない。
「そのまま押さえてろ!!」
「早くしろ!!」
氷槍を放つ。
ジークの盾すれすれを通り抜けた氷槍が、ゾンビのこめかみを貫いた。
ゾンビの力が抜ける。
ジークが雄叫びを上げながら盾を振り、ゾンビを壁へ叩きつけた。
「止まるな! 進め!!」
ザック先生の怒鳴り声に押され、俺たちは倒れたゾンビを踏み越えた。
立ち止まれば、他の魔物が集まってくるかもしれない。
足を止めれば、終わる。
それだけは全員が分かっていた。
やがて、2階層へ続く上り階段が見えてきた。
「階段や……!」
後ろからエルナの声が聞こえる。
助かった。
一瞬そう思いかけて、すぐに打ち消した。
まだ地上ではない。
石段へ足をかける。
アイリスの重みが一気に肩へ食い込み、太腿が震えた。
前を歩くザック先生の背中も大きく上下している。背負われているマリウスの腕が揺れるたびに、血で汚れた服が目に入った。
生きているよな?
アイリスが治したんだ。
大丈夫なはずだ。
そう信じても、不安は消えない。
長い階段を上りきり、2階層へ出た。
そこからは魔物が現れなかった。
だが、安心はできない。
暗闇の奥から水滴の落ちる音がするたびに、ジークの盾がわずかに動く。
背後で小石が転がれば、エルナが息を呑む。
何も出てこない静けさが、逆に怖かった。
1階層へたどり着いた時には、アイリスを支えている腕の感覚がほとんどなくなっていた。
「ここからは外部の魔物が入り込んでいる可能性がある。ジーク、入口を出るまで気を抜くなよ!」
「はい!!」
曲がり角を1つ越える。
その先に、白い光が見えた。
ダンジョンの入口だ。
外の光が近づく。
あと少し。
あと少しで、アイリスを安全な場所へ連れていける。
俺たちは最後まで足を止めず、ダンジョンの外へ出た。
冷たい風が頬へ触れる。
空が見える。
それだけで、胸の奥に詰まっていたものが少しだけほどけた。
ザック先生はマリウスを背負ったまま、緊急信号の魔法具を取り出した。
魔法具から放たれた光が空高く昇り、大きな光の玉となって浮かぶ。
「まだ完全に安全とは言い切れん! ジーク、リュックから毛布を取り出せ! 負傷者を寝かせる場所を作るんだ!」
「はい!!」
ジークが急いで地面へ毛布を敷く。
俺とザック先生は、アイリスとマリウスをゆっくり寝かせた。
「アイリス……」
頬へ手を当てる。
温かい。
呼吸もしている。
隣では、ザック先生がマリウスの胸へ耳を当てていた。
「大丈夫だ。2人とも生きている」
その言葉を聞いても、まだ力を抜くことはできなかった。
俺たち4人は、倒れた2人を囲むように立ち、周囲を警戒した。
風が木々を揺らす音に、何度も剣を構えそうになる。
遠くから何かが近づいてくる音が聞こえた。
「来るぞ!」
ジークが盾を構える。
俺も氷槍を形成しようとした。
だが、木々の間から現れたのは、学園の紋章が刻まれた馬車だった。
「救助馬車や!!」
エルナの声が震える。
馬車が目の前で止まり、グレン先生と数人の学園職員が飛び降りてきた。
「負傷者はどこだ!?」
「こっちだ! マリウスが重傷、アイリスは魔力切れで意識を失っている!」
ザック先生が状況を伝えると、職員たちがすぐに2人を馬車へ運び込んだ。
俺たちも馬車へ乗り、王都の学園へ向かって走りだす。
馬車がダンジョンから離れていく。
もう戦わなくていい。
そう思った瞬間、俺は自分の腕が震えていることに気づいた。
アイリスを背負っていた肩が痛い。
足も重い。
けれど、それよりも、アイリスの体温がまだ背中に残っていることの方が怖かった。
もし、あの時、マリウスの出血が止まらなかったら。
もし、アイリスまで目を覚まさなかったら。
考えたくないことばかりが頭に浮かび、俺は奥歯を噛み締めた。
ジークも、エルナも、誰も喋らない。
統率型のワイトを倒した。
撤退戦にも成功した。
それでも、勝ったとは思えなかった。
俺たちはただ、何とか帰ってきただけだ。
◇◇◇◇
3日後。
マリウスは学園の救護室でハイヒールを受け、そのまま眠り続けたが、昨日ようやく目を覚ました。
アイリスも翌日には魔力が回復し、意識を取り戻している。
全員が揃ったSクラスの教室で、俺たちはザック先生とダンジョン探索の振り返りを行うことになった。
ザック先生が、俺たち1人1人の顔をゆっくりと見る。
「全員揃ったな」
いつもの大きな声ではなかった。
その一言だけで、俺たちが全員ここにいることを確かめているように聞こえた。
「これから、3日前のダンジョン探索について振り返る。まずは悪かった点だ。自分たちで考えてみろ」
教室が静まり返る。
最初に口を開いたのは、マリウスだった。
「俺が……前衛から一歩下がったせいだべ」
マリウスが机の上で拳を握る。
「最初に不用意に矢を放ったから、ワイトに危険な相手だと思われたのかもしれねぇ。それで、俺が狙われて……」
「違う」
ザック先生が遮った。
「あの矢だけが原因じゃない。お前が霊気弾を避けるために一歩下がり、前衛に窪みを作った。その瞬間を、ワイトは見逃さなかった」
マリウスの拳がさらに強く握られる。
「俺が、もう少しうまく対応できていれば……みんな、ごめん」
「マリウスだけの責任じゃない」
思わず口から出た。
「マリウスが倒れたのを見て、俺は怒りで何も考えられなくなった。前衛を維持することも、周りへ指示を出すことも忘れて、ただ目の前の魔物を倒そうとしてた」
「俺も同じだ」
ジークが悔しそうに俯く。
「盾役の俺まで冷静さを失った。もしザック先生の指示がなかったら、前衛は完全に崩れていたと思う」
「うちもや」
エルナが小さく息を吐いた。
「マリウスが倒れて、アイリスまで動けなくなって……怖くて、火球を何個もぶっ放してもうた。魔力配分なんて、何も考えてなかった。撤退中に魔物の群れが来てたら、うちはほとんど戦えへんかった」
全員の視線が、アイリスへ向く。
アイリスは膝の上で両手を握り、ゆっくり顔を上げた。
「私は……後悔していないわ」
真っ直ぐな声だった。
「あの場で私がハイヒールをやめたら、マリウスは死んでいた。だから、同じことが起きたら、私はまた限界まで治療すると思う」
マリウスが何かを言おうとしたが、アイリスはその前に続けた。
「でも、私が倒れたことで、みんなの命まで危険に晒した。それも分かっているわ。マリウスを助けることしか見えなくなって、その後のことを何も考えられなかった」
アイリスが唇を噛む。
「マリウスも助けたい。みんなにも生きて帰ってほしい。そんなの、都合が良すぎるかもしれないけど……私は、どっちも諦めたくない」
ザック先生は、しばらく黙ってアイリスを見ていた。
「マリウスを治療した判断は間違っていない」
アイリスが顔を上げる。
「だが、全員を救いたいなら、治療を終えたあとも立っていられるだけの力をつけろ。治療時間を短くする。魔力量を増やす。自分を守る仲間が戦いやすい位置を選ぶ。やれることはいくらでもある」
「……はい!」
「マリウス。みんなに迷惑をかけたと思うなら、次は同じ一歩を下がらずに済むよう、もっと強くなれ」
「はい!」
「セイン、ジーク、エルナも同じだ。仲間が傷ついた時ほど、自分の役割を忘れるな。怒りに任せて戦うだけなら、魔物と変わらん」
「はい!!」
ザック先生は俺たちの返事を聞くと、腕を組んだまま大きく息を吐いた。
「みんな、自分たちの悪かったところは分かっているようだな。なら、俺から長々と言うことはない」
そこで一度、言葉を切る。
「あと、あまり褒めて調子に乗らせたくはないが……統率型魔物を1年生が討伐したのは前代未聞だ」
俺たちは黙ってザック先生を見た。
「あの状況は、俺も含めて全滅していてもおかしくなかった。マリウスの矢で戦端を開き、アイリスがマリウスの命をつなぎ、ジークが前衛を支えた。エルナが後方の魔物を焼き払い、セインの氷槍がワイトを仕留める隙を作った」
ザック先生の声が、わずかに震えた。
「誰か1人でも欠けていたら、俺たちはここにいない」
そう言って、ザック先生は俺たち全員へ頭を下げた。
「改めて礼を言わせてくれ。本当にありがとう。お前たちのおかげで、俺も命拾いした」
厳しくて、いつも俺たちを怒鳴っているザック先生が、生徒である俺たちへ頭を下げている。
それを見た瞬間、胸の奥が熱くなった。
エルナは声を押し殺して泣いている。
アイリスとマリウスも目に涙を浮かべていた。
ジークは涙を見られたくないのか、顔を上げて天井を見ている。
全員で、生きて帰ってきた。
そのことを、俺は今になってようやく実感した。
頬を伝った1粒の涙が、机の上へ落ちた。




