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帝国の華-愛と忠誠は、誰のために-  作者: 帝国の華
第一章

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第一章 第五節「再現性未確認」


列車が第五中継点を離れても、リディアは作戦車両の前部連結扉から離れなかった。


扉の先には、ヴィクトリアが入った指揮車両がある。


閉じた金属扉の向こうで、細い紫光がもう一度だけ走った。


作戦車両の術式灯が明滅する。


すぐに灯りは戻った。


車輪が次の継ぎ目を踏んでも、紫光は現れない。


壁面の通信器から、接続確認音が鳴った。


『指揮車両、応答を』


黒鷹隊士官の声だった。


短い雑音のあと、ヴィクトリアが答える。


『私だ』


『外周への漏出を一度確認。現在は収束しています』


『運行を継続しろ』


声に乱れはなかった。


『大佐。衛生班の確認を』


『不要だ』


『記録上、必要です』


沈黙が一拍落ちた。


『次の停車時に受ける』


通信が切れる。


周囲の黒鷹隊員は、それ以上動かなかった。


指揮車両へ向かう者もいない。


白いマントが、リディアの視界へ入った。


クラウディアは記録板を抱え、指揮車両の扉を見ていた。


「ヴァルモント中尉」


「はい」


「予備車両へ移って」


「了解しました」


リディアは作戦車両を離れた。


クラウディアも後ろへ続く。


指揮車両と予備車両の間には、無人になった作戦車両が一両残された。


予備車両には、移動させられた通信兵と工兵が座っていた。


金属装備は足元の固定箱へ収められている。


誰も、前方の扉へ近づかなかった。


車輪音が一定の間隔で続く。


負傷者を収容した衛生車両から、短い報告が届いた。


軽傷二名。


容体に変化なし。


クラウディアは受領時刻を書き込み、記録板を閉じた。


その後、指揮車両の灯りが乱れることはなかった。


帝都中央駅へ戻ったのは、夜が深くなってからだった。


濃灰色の列車が軍用側線へ入る。


ホームでは、夜勤の衛生兵と整備兵が待機していた。


扉が開くと、負傷者が先に降ろされた。


続いて通信班。


工兵。


作戦第一課。


最後に、指揮車両の扉が開いた。


ヴィクトリアがホームへ降りる。


黒いマントは、出発時と同じ位置に収まっていた。


背筋も、歩幅も変わらない。


副官から帰還処理の報告を受け、その場で三つの指示を返す。


負傷者の再診。


回収物の封緘移送。


車両内の術式干渉記録の提出。


声は低く、短かった。


右手を上げて答礼する時だけ、黒い手袋の指先がわずかに遅れた。


それでも紫光は漏れない。


ヴィクトリアは全員の降車を確認し、ホームを離れた。


クラウディアは呼び止めなかった。


白い手袋に挟まれた記録板だけが、姉の背へ向けられたままだった。


* 


二日後。


リディアは、作戦第一課の課長執務室へ呼ばれた。


午後の勤務が始まってから、一時間ほどが経っている。


課内では、補給線の修正と北方任務の記録整理が続いていた。


課長室の扉を叩く。


「入って」


リディアが入室すると、クラウディアは机の向こうに座っていた。


白いマントは椅子の背へ掛けられている。


机上には、三枚の記録が並べられていた。


黒鷹隊の交戦記録。


通信班の術式干渉記録。


帰還列車の車両記録。


「座っていいよ」


「失礼します」


リディアは指定された椅子へ座った。


クラウディアが一枚目の記録を指先で押さえる。


「確認がある」


「はい」


「交戦中、姉様へ近づいた時、君は何をした」


「倒れた隊員の装備を外しました」


「術式は」


「使用していません」


「姉様へ触れた?」


「いいえ」


クラウディアは、次の記録へ指を移した。


「身体への異常は」


「金属の味がしました。腕に軽い痺れもありましたが、退避後に消えています」


「距離は」


「最も近い時で、二歩ほどです」


返答を聞き終えると、クラウディアは三枚目の記録を重ねた。


「一致するね」


紙の上には、二本の線が引かれている。


一方は、ヴィクトリアの紫電出力。


もう一方は、周囲の金属と術式機器へ漏れた反応だった。


戦闘終盤でも、紫電そのものの出力は落ちていない。


投影端子を焼き切った後も、一定値を保っていた。


変化しているのは、外側へ散っていた反応だけだった。


リディアが二歩まで近づいた時刻を境に、漏出だけが狭くなっている。


「大佐が制御を戻されたのでは」


「その可能性はある」


クラウディアは即答した。


「姉様なら、通常はそれで説明できる」


白い手袋の指が、記録上の一点で止まる。


「でも、この時は術式制御を切り替えた記録がない。出力も落としていない。黒鷹隊の退避線も、まだ形成されていなかった」


リディアは記録を見る。


線が細くなっているのは、短い時間だけだった。


自分が倒れた隊員を引き、退避線の外へ戻るまで。


「偶然ではありませんか」


「その可能性が最も高いね」


クラウディアはペンを取った。


「一例では、何も確定できない」


記録の余白へ、短い一文を書き込む。


再現性未確認。


「帰還列車での反応は」


リディアが尋ねた。


「一時的な漏出。姉様が自力で収束させている」


クラウディアは列車記録を裏返した。


「あれは異常ではあるけれど、姉様にとっては制御可能な範囲だよ」


ペン先が、再現性未確認の文字へ戻る。


「問題はこちらだ」


リディアは黙って次の言葉を待った。


「今後、姉様と同じ任務に入ることがあれば、三つだけ記録して」


クラウディアが指を一つずつ上げる。


「距離。身体反応。紫電が変化した時刻」


「接近する必要はありますか」


「ない」


返答に間はなかった。


「確認のために危険へ入る必要はないよ。同じ現象が自然に起きた場合だけでいい」


「承知しました」


「それと、独断で姉様へ近づかないで」


「了解しました」


クラウディアはペンを置いた。


「現時点で、君は観測対象ではない」


灰碧色の瞳がリディアを見る。


「記録協力者だよ」


リディアは一拍置いて頷いた。


「大佐には、この件を」


「まだ正式報告には上げない」


クラウディアは三枚の記録を揃えた。


「姉様へ伝えるには、根拠が足りない。偶然なら、余計な判断項目を増やすだけだから」


「分かりました」


「以上だよ。通常勤務へ戻っていい」


リディアは立ち上がった。


敬礼し、課長室を出る。


扉が閉じる直前、机上の記録がもう一度見えた。


二本の線。


一つの時刻。


その余白には、クラウディアの筆跡で記された一文だけが残っていた。


再現性未確認。


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